夫の村田圭佑(むらた けいすけ)に304回も頭を下げて、ようやく一度だけ時間をもらえた。父を海へ連れて行き、最期のひとときを過ごすための時間を。海辺で父に寄り添いながら、車椅子に座った父のぬくもりが静かに消えかけていくのを感じていた。なのに、圭佑は一向に姿を現さなかった。圭佑の胸に居続ける初恋の人・中島加奈子(なかじま かなこ)のインスタには、彼と一緒に森の中で雲を眺めている写真が投稿されていた。【都会の喧騒から離れ、二人で過ごす幸せ】手元を滑らせた私は、その投稿に「いいね」をしてしまった。すぐに圭佑からメッセージが届く。【もう何度も言ってるだろ?佳奈子に迷惑をかけるなって。これ以上騒ぐなら離婚だからな】圭佑が「離婚」という言葉を盾に私を脅してきたのは、これで何度目だろうか。もう、聞き飽きた。【分かった。離婚しよう】……父の葬儀の片付けが終わった頃には、もう夜中になっていた。こんな時間だというのに、加奈子のインスタは更新される。森の中で焚き火を囲み、星を眺めている二人の写真。普段はインスタなど全く使わない圭佑なのだが、加奈子の投稿にはコメントを残していた。【君が楽しければそれでいい】そして、そのコメントにも、祝福のメッセージが次々と寄せられている。みんな私の存在をちゃんと知っているはずなのに、それでもなお、圭佑と加奈子こそがお似合いのカップルだと思っていた。法律上では、私が圭佑の妻。なのに、何故だろうか。私は加奈子が不在の間を埋めるだけの、まるでつなぎのような存在だった。圭佑は、加奈子のためならいくら道が険しかろうと、どれだけ離れていようと……どこだって駆けつける。しかし、私と数キロ先の海に行くことには、一度だって付き合ってくれなかった。私の百回にも及ぶ懇願さえ、加奈子の何気ない視線一つには勝てない。もう本当に疲れた。父は病院で亡くなった。なので、手続きなどを全て済ませた後、私は病院の屋上で夜空を見上げていた。その時、圭佑から電話がかかってきた。数時間前に私が彼に「離婚」という言葉を送ったからだろう。「毎日毎日離婚だ何だって……いい加減にしてくれよ」ずっと離婚だの何だの言ってたのは、圭佑だったのに。私は言い返そうとしたが、あまりにも馬鹿らしく思い何も言
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