All Chapters of となりのストーカーくん: Chapter 1 - Chapter 3

3 Chapters

第一話 深夜のゲイバーで

 代わり映えのない日々が過ぎていく。 あれから半年。新しい出会いもなく、それを求めようともしていない。 自分自身が枯れているのではないかと感じてしまう。 今月の新刊の棚の前で小さく息を吐いて、柊真尋はワゴンに載せた本を平積みしていった。紙とインクの匂いが鼻をくすぐる。この匂いだけは、何年働いても飽きない。 真尋の勤めている「栞堂」は中規模の独立系書店で、駅前という好条件の立地にある。とはいえ、昨今の書店業界に余裕のある店など存在しない。売上は決して悪くないが、数字を見れば安泰とも言い切れなかった。 毎日毎日、何百冊という本が世に出ている。けれど、その運命を左右するのは最初の一週間と言っても過言ではない。それまでに売れなければ、その本はどんどんと隅に追いやられていく。 だから真尋はPOPに力を入れる。手書きの文字と短い紹介文で、通りすがりの客の目をとめること。それが書店員としての真尋にできる、数少ない仕事のひとつだった。 新刊を並べ終えてPOPを立てかける。指先がインクでわずかに汚れていた。 真尋自身もまるで、棚に埋もれた一冊のように感じることがある。 半年前、三年間付き合っていた高城響から「お前は重すぎる」という理由で別れを告げられた。悲しくて悔しくて、眠れない日々が続いた。 けれど人間というのは単純なもので、ひと月もすればすっかり元の生活に戻れた。朝起きて、本を並べて、POPを書いて、帰って寝る。そのくり返し。だが、心の中の傷はなかなか癒えない。自分の好意が重すぎるとわかってからは、それを抑え込むようになってしまった。 もちろん、響のことを忘れたわけではなかった。耳元で囁いてくれた愛の言葉、唇の感触、やさしい手つき。真尋の敏感なところを、強すぎず弱すぎない力で攻めてくれるのが好きだった。それを思い出しては自分で慰めた。 別れて半年も経っているのだから、そろそろ新しい出会いを求めないと。 そう思っているものの、響のことが忘れられずにいた。 今日も仕事を終えたら、あの味気ない1Kの部屋に帰
last updateLast Updated : 2026-04-01
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第二話 隣の部屋のあの人

 信じられない。 自分がワンナイトしたことも信じられないが、相手が隣の部屋の住人だという事実は、なおさら信じられない。 真尋は部屋に飛び込んだ勢いのまま、玄関にぺたりとへたりこんで頭を抱えた。 どうしよう、どうしよう、どうしよう……。 あの人、出会った人とすぐに寝るんですよ、なんて噂を流されないだろうか。いや、そんなことをしたら自分が真尋と寝たこともバレるから、それはない。 尻軽な男だと思われて、また誘われはしないだろうか。ちょうどいい性欲のはけ口にされても困る。 ああ、もう、昨日の俺! なんてことしたんだ! けれど、やってしまったことは取り返しがつかない。 のろのろと立ち上がり、ソファに座った。テーブルの上には、昨日飲みかけのコーヒーが放置されている。すっかり冷めきったマグカップが、自分の心境を表しているようで嫌だった。 急いで仕事に行く準備をしないといけないのに、そんな気力が湧かない。 そのとき、壁の向こうから足音が聞こえた。 真尋はびくりと肩を震わせた。 しばらく隣が空室だったから、生活音なんて気にしたことがなかった。けれど、このマンションは壁が薄い。足音だけじゃない。シャワーの水音、なにかを調理しているらしい鍋の音、それから鼻歌。低くて心地のいいメロディが、薄い壁越しに聞こえてくる。 そのたびに、昨夜のことが蘇った。 耳元で「真尋」と囁かれた声。あの声と同じ声が、今、壁一枚向こうにある。大きくてあたたかい手で触れられたときの感覚が、腕にまだ残っているような気がして、真尋は自分の二の腕をぎゅっと握った。 だめだ。思い出すな。 けれど意識すればするほど、壁の向こうの気配が輪郭を持って迫ってくる。水が止まった。タオルで体を拭いているのだろうか。足音がキッチンのほうに移動する。冷蔵庫が開く音、閉まる音。その生活音のひとつひとつが、昨夜あの手で自分に触れた男のものだと思うと、頭がおかしくなりそうだった。 向こうの音がこれだけ聞こえるということは、こちらの音も同じぐらい
last updateLast Updated : 2026-04-02
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第三話 偶然は三度続かない

 日曜の朝。 真尋は洗ったプラスチック容器を紙袋に入れて、晃の部屋の前に立っていた。 インターホンを押そうとして指を引っ込める。もう一度伸ばしてみて、また引っ込めた。容器を返すだけだ。なにかあるわけがない。 そうわかっているのに、ドアの向こうにいる男の顔を思い浮かべた途端、指が動かなくなる。メガネの奥のやわらかい目。「もっと知りたいな」と囁いた声。廊下であの声を聞いたら、また耳が熱くなるに決まっている。 だめだ。余計なことを思いだすな。 五分ほど廊下で悶々としたあげく、真尋は覚悟を決めてインターホンを押した。 けれど、反応がない。壁越しにいつも聞こえる生活音も、今朝は聞こえなかった。日曜の早朝だし、出かけているのか、まだ寝ているのかもしれない。二度も三度も押すのは非常識だ。真尋は鞄からメモ帳を取りだして、「ありがとうございました。おいしかったです。柊」と書いて紙袋に入れ、ドアノブに下げておいた。 エレベーターに乗り込んでから、自分の字が雑だったことに気づいた。まあいい。読めれば。 仕事に向かう電車の中で、ぼんやりと考える。 おかずを作りすぎたとしても、隣の部屋の住人におすそ分けするだろうか。きんぴらやひじきなどの煮物類は数日は日持ちする。冷凍だってできるのだから、自分だったら疲れて帰った日用にストックしておく。 それなのに晃はわざわざ分けてくれた。しかも全部おいしかった。真尋の好みに合っていたのは偶然だろうけれど、あの味付けのセンスはたいしたものだ。 なんとなく、そのことが引っかかった。  仕事帰り、近所のスーパーに寄った。朝食用の食パン、牛乳、卵をかごに入れ、惣菜コーナーを物色する。けれど、昨日の晃の手料理を食べてしまったせいか、パックに入った煮物やサラダがどれもぱっとしない。結局、レタス、きゅうり、トマトのサラダ用の野菜だけをかごに放り込んだ。 明日は仕事が休みだ。ゆっくり起きて、ブランチを食べてからカフェで読書をするのが真尋の休日の過ごし方だった。なんの本を持っていこうかと考えながらレジに向かっていると、後ろから声をかけられ
last updateLast Updated : 2026-04-03
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