LOGIN元カレに「重い」と振られた書店員の柊真尋(28)は、傷心のままゲイバーで出会った男と一夜を過ごしてしまう。翌朝、マンションの隣室から出てきたのは——昨夜の相手だった。 一ノ瀬晃(31)、広告代理店勤務。爽やかな笑顔で「偶然ですね」と言うが、偶然なわけがない。この男、真尋に一目惚れしてわざわざ隣に越してきたのだ。しかも悪友のバーテンダーと共謀して、あの夜の「運命の出会い」まで仕込んでいた。 やることはストーカー、でも好意はまっすぐ。距離感のバグった隣人に振り回される日々の中、元カレから復縁の連絡が届き——。 策略だらけの恋は、本物になれるのか?
View More真尋の仕事終わりが晃の退勤時間と重なる日は、必ず晃が栞堂に迎えにきてくれる。一緒に帰るのが当たり前になっていた。 隣人だったときも同じ場所に帰っていたのだが、今は同じ部屋に帰る。玄関に入ると、「ただいま」「おかえり」をお互いに言い合って、キスをする。その瞬間がうれしくてたまらない。 今日はまさに、晃が迎えにくる日だった。 腕時計を確認すると、退勤時間まであと十分。もうすぐ晃に会えると思うと、真尋は商品補充にも熱がこもった。毎日部屋で顔を合わせているのに、おかしな話だ。 ワゴンに乗せてある本を次々に棚に入れていく。時間いっぱいまで、できるだけ本を補充しようと真剣に取り組んでいると、ととと、と足音が聞こえた。この足音の主は、POPイケメン追跡班の班長、山田さんだ。追跡する必要はなくなったはずなのに、どうしたのだろうか。「柊さん、柊さん」 振り向くと、やはり山田さんがそこに立っていた。「どうしたの?」「POPイケメンさん、もとい、柊さん彼氏さんが来ていますよ」「ああ、今日くるって約束してたから。外で待ってるんでしょ?」「いえ。店内にいらっしゃいます」「え?」 付き合いはじめてから、店にくるときには事前に連絡をくれていた。今日のように帰る時間が同じときは、いつも外で待ってくれている。なのに、急にどうしたんだろうか。「なんだか、不審な動きをしてるんですよね」 山田さんはわざと声をひそめてみせた。眉間に皺を寄せて、追跡班としての職務に戻ったような顔だ。「不審な動き?」「とりあえず、ご自分の目で。班長としてお伝えするのは、ここまでです」 山田さんはそれだけ言うと、踵を返して別の棚へ消えていった。班長の仕事はここまで、ということらしい。 別に、不思議なことではないはずだ。本好きの晃のことだ。真尋を待っているあいだに、おもしろそうな本を物色しているのかもしれないから。 真尋は手早く補充を完了して、ワゴンをバックヤードに置きに行った。そしてそのまま店内の在庫を確認するふりをして、
新居に引っ越して一週間が経った。朝、目を覚ますと隣に晃がいる。そのたびに、これは夢なのではないかと思うし、毎朝幸せな気持ちになる。まだこの状況に慣れない自分に呆れさえするが、それと同時に毎日が新鮮で愛おしい。 壁の向こうから聞こえる気配ではなく、肌で感じる体温。それが当たり前になるのに、もうすこし時間がかかりそうだ。 真尋は横ですうすうと寝息を立てている晃を起こさないように、そっとベッドを抜け出そうとした。ふいに手首を掴まれて、晃の胸のなかに引きずり込まれる。「おはよう、真尋」 晃の胸に抱きしめられて、朝から心臓に悪い。けれど、これも新しい日常なのだ。「おはよう、晃」 名前を呼び捨てるのにも、ようやく慣れてきた。最初の数日は、口を開くたびに「真尋さん」「晃さん」と「さん」がつきそうになって、お互いに笑い合ったものだった。今はもう、すんなり呼べる。それだけで、世界がすこし新しくなる。 晃の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめる。そうすれば、晃は同じか、それ以上の力を込めて抱きしめ返してくれる。いつも同じ気持ちでいられるのが、心地いい。「なんでひとり先に起きようとしてたん」 すこし拗ねた声が、頭の上から降ってきた。先に起きようとしただけだ。たったそれだけのことでも、一分一秒でもくっついていたい気持ちがある晃には、許せないのだろう。 真尋はくすくすと笑った。「だって、気持ちよさそうに寝てたよ?」「起こしてくれたらええやんかぁ」 甘えた声。一緒に暮らすようになって、晃は甘えるのが好きなのだと知った。それは真尋も同じで、甘やかしてほしいときには晃に甘やかしてもらい、晃が甘えたいときには、たっぷり甘やかす。持ちつ持たれつの関係だ。「睡眠は大事。ちゃんと寝れるときは、しっかり寝ないと」「ほな、もうちょい一緒に寝よ?」「だめ。今日は俺、出勤時間早いから」「ええー。しゃあないなぁ」 晃は真尋にチュッと音の出るキスをすると、むくっと起きた。明らかに眠たそうな顔をしている。寝起きの晃の髪は、相変わら
真尋はベッドにごろんと横になった。天井をぼんやりと見つめる。この部屋に思い入れは特にない。ただ、職場から近くて、安い物件だっただけだ。けれど実際に明日、この部屋を離れると思うと、なんとなくさみしく感じた。 新居では、晃とふたりで寝るためのダブルベッドを購入した。このシングルベッドも明日には処分する。この狭いベッドで、何度も晃と愛し合った。嫉妬に駆られて、無理やりに近い形で抱かれたこともある。恋人になってからは、大切に、やさしく、宝物のように扱ってくれた。 シングルベッドは狭すぎて、大人の男がふたりで寝るには窮屈だった。けれど、くっついて眠ることができた。いつも晃の大きな胸のなかに抱かれて眠るのが、好きだった。ベッドが大きくなっても、またくっついて寝たいな。そんなことを考えていたら、急に腹の奥が疼いてきた。「やばっ。明日朝早いから、早く寝たいのに」 スウェットの上から股間に手をやると、ゆるく兆しはじめている。晃の息遣いや手の動きを想像してしまったからだろうか。このまま寝ても、きっと中心がさらに熱を持って、目が冴えるに決まっている。 仕方ない。抜くか。 下着のなかに手を入れようとしたとき、スマホが震えた。画面を確認すると、晃からの着信だった。真尋はそれを見てビクッとした。 ――晃さんのことを想像して抜こうとしてたの、バレた? ドキドキしながら電話に出た。「晃さん?」「今、大丈夫?」「う、うん……」「ごめん。明日早いから、もう寝るとこやったやろ?」「ま、まあ、そうなんだけどさ……」 歯切れの悪い返事しかできない。晃に変に思われているのではないかと、背中に冷たいものが降りてきた。 いや、別にやましいことはしていない。青年男子なら、誰にでも起こる生理現象だ。「あのさ……」「うん?」「今から、そっち行ってもええ?」 晃が遠慮がちに聞いてきた。明日の朝は八時から荷出しがはじまる。だから本当は
晃に「大切な話がある」と言われて、真尋はごくりと唾を飲み込んだ。緊張が走り、手先が急に冷たくなる。なにか自分がしただろうかと思い返すが、なにも思い浮かばない。どくどくと耳の奥で、血流の流れる音がやけに大きく響いた。「あのさ――」 真尋は息を呑んだ。次にどんな言葉がくるのかと、そのまま息を詰める。キュッと拳を握ると、自然に関節が白く浮かんだ。 晃の表情は、これまで見たどの晃とも違っていた。仕事モードでもない。ふだんのポンコツでもない。なにかをこの上ない真剣さで言おうとしている、覚悟の顔だ。「俺たち、一緒に暮らさへん?」 思いもよらない提案に、耳を疑った。「え?」「あ、急にごめんな。実は、付き合いはじめてからずっと思っててん。隣同士でもええねんけど……その、俺はずっと真尋さんと一緒にいたいねん」 晃は恥ずかしそうに首の後ろをかいた。「……えっと」 真尋はまだ晃の言葉を飲み込むことができずにいた。一緒に暮らす。隣人ではなくなる、ということだ。「いや、その、今すぐってわけやないねん。っていうか、一緒に暮らせたらええな、って思っただけやし」 晃は慌てて両手を振った。 一緒に暮らす。言葉を小さく口のなかで転がすと、その意味がじんわりと胸に染みこんでくる。 仕事に行く前も、家に帰ってからも、晃が家にいる。お互いの家を行き来する必要がなくなるのだ。いや、隣同士なのだから、行き来はそんなに手間ではない。けれど、すぐに会いたいとき、一分一秒も待てないとき、待たなくてもいい。いつも晃がそばにいる。「好き」と言いたいときに隣にいて、抱きつきたいときには抱きつける。そして触れ合いたいときにも、手の届くところにいる。 こんなにも真尋は独占欲が強かっただろうか。自分らしくいられる晃の隣は、居心地がいい。自分の重い気持ちも受け取ってもらえるのが、心地いい。 響と付き合っていた三年間、真尋は同棲の話を一度もしなかった。したいと思ったこともなかった気がする。一緒に暮らしたら、自分の重さが
「オペレーション・グッドネイバー」という言葉が片桐の口から出ると、晃の様子が一気におかしくなった。晃は必死に阻止しようとしていたが、片桐は風に揺れるのれんのように、のらりくらりとかわしている。「もう、ええんやって。真尋さんと付き合うことできてんから!」「せやから話すんやんか。暴露したほうが楽しいやろ?」「裏話は話さへんからええんやんか」「いや、それはちゃう。知ってもらうことで、その内容の奥深さを理解してもらえるんや」 よくわからないが、片桐と晃がやいやい言い合っているのを見ると、そのオペレーションに相当気合
晃が作った企画書はプロ顔負けだった。いや、まさしくプロの手による出来栄えだった。やはりプレゼンの鬼はすごい。「これ、まずは店長に提案しないといけないと思うんだよね」「わかった。俺も一緒に行くわ」「え? いいの?」 晃は大きくうなずいた。「だって、俺の真尋さんの職場のことやで。俺がちゃんと責任持ってやるわ」「いやいやいやいや。個人的な感情はいらないんだよ」「ちゃうよ。だって栞堂がなくなったら、真尋さんのPOPが見られへんやん。あれ見て本を買う人、いっぱいいんねんで。知らんやろ?
店長から「店が閉店の危機に陥っている」と聞いて以来、従業員の活気は明らかに落ちた。栞堂の従業員は誰もが楽しそうに仕事をしていた。それなのに今は、みんながみんな負のオーラを纏っていて、空気がどんよりとして重かった。 真尋もきっとその中のひとりだ。自分でもわかっている。きちんと笑顔をお客さんに向けられていない。山田さんに向けたら、また般若だのハニワだの言われるに決まっている。 当の山田さんは、落ち込む様子もなく、テキパキと仕事をこなしていた。きっと山田さんの心のなかにも、真尋やほかの従業員と同じように、どんよりとした分厚い雲が垂れ込めているに違いない。けれど
なにかとてつもなく大きなものを耳元でいきなり落とされたみたいに感じて、音が遠のいた。店長がなにか言っているが、言葉がうまく形にならない。まるで自分のまわりに透明なガラスの囲いがあって、この世から切り離されたような感覚だった。「みんなも知ってると思うけど、このところ売り上げがよくない」 店長が説明している。けれど真尋の耳には、ほとんど届いてこない。「オーナーが売り上げの低い店をいくつか閉店することに決めたそうだ。それで、うちの店もその候補に挙がった。まだ決定じゃない。猶予は、三か月だ。三か月で数字を動かせなきゃ、閉店になる」