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となりのストーカーくん のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

31 チャプター

第十一話 綻び

 颯太の言葉が、毒のようにじわじわと真尋の中に広がっていた。「あの夜の席の配置は、仕込みだと思う」 片桐が晃を真尋の隣に座らせた。「こちらへどうぞ」と、あの人懐っこい笑顔で。あれは偶然じゃなかった。 颯太の情報はきっと正しい。片桐から直接聞きだしたのだ。颯太はいつだって理論的で、細やかなリサーチに基づいて話す。感情論で真尋を脅そうとしているわけじゃない。 けれど。 片桐がいつも正しいことを言っているとも限らない。バーテンダーは客を楽しませるのが仕事だ。話を盛って、面白おかしく話すことだってあるだろう。「友達の好みの男がいるから隣に座らせた」。それだけ聞けば仕込みに聞こえるが、知り合いの客に空いている席を勧めただけかもしれない。 あの夜のことを思いだす。月虹のカウンター。真尋のほかに客はまばらだった。空いている席はいくつもあったのに、片桐はわざわざ真尋の隣を勧めた。「好きな席にどうぞ」でもよかったはずだ。 一度疑いだすと、すべてが怪しく見えてくる。本が好きだと言ったことも、栞堂のPOPを褒めてくれたことも、差し入れの味が真尋の好みだったことも。 全部、リサーチ済みだったとしたら。 疑いたくない。 本の話をするときの晃の顔は、本物だった。真尋がイシグロの話をしたら、晃はカーヴァーで返してきた。本をしっかり読み込んでいないと出てこない話題に、目を輝かせていた。付け焼き刃で読んだ人間に、あの深さは出せない。 それに。 あの夜、関西弁が漏れた声。「聞きたない」と叫んだ震えた声。真尋を抱いたときの、やさしいのに切ない手つき。あれが計算だとしたら、晃は相当な役者だ。広告代理店でプレゼンの鬼と呼ばれているとしても、あそこまで全身で嘘はつけないだろう。 じゃあ、なにが本当で、なにが嘘なのか。 出会いの仕掛けは嘘。でも、そのあとの感情は本物。そんな都合のいい話があるのだろうか。 響のことを思いだす。響も最初はやさしかった。真尋が好きな本を話しても笑顔で聞いてくれた。でもそのうち、退屈そうにして話題を変えるようになった。最初だけ相手に合わせて、慣
last update最終更新日 : 2026-04-11
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第十二話 答え合わせ

 結局、晃は答えなかった。 渋谷からここに引っ越した理由。あの数秒間の沈黙が、どんな言い訳よりも重かった。 雨の廊下で向かい合ったあの瞬間。晃の切れ長の目が揺れていた。言葉を探しているようにも、どの嘘をつけばいいのかわからなくなっているようにも見えた。結局なにも言わないまま、「おやすみなさい」と言ってドアを閉めた。 普段はどんな質問にもよどみなく答える晃だ。颯太と一緒に食事をしたときでも、意地の悪い質問にすら余裕の笑みで返していた。広告代理店で「プレゼンの鬼」と呼ばれている男が、たかが引っ越しの理由程度で返事に詰まるだろうか。 言えない理由があるのだ。 引っ越しの理由なんて、いくらでも答えようがある。「静かな環境が好きだから」。前に颯太にはそう答えていた。同じ答えをくり返せばよかっただけなのに、真尋に聞かれたとき、晃はそれすらできなかった。 颯太には嘘をつけた。でも真尋には、つけなかった。それは、真尋にだけは嘘をつきたくないということなのか。それとも、嘘の上塗りがもう限界に達しているのか。 けれど、真尋がいくら考えたところで、晃の沈黙の理由はわからない。答えは晃だけが持っている。 壁の向こうから、かすかに鼻歌が聞こえてきた。以前のように朗らかなメロディではなく、どこか暗い。途中でふっと途切れて、しばらくすると再開する。まるで歌おうとしてはやめ、でもやめきれずに、また歌いはじめる。そんなふうに聞こえた。 晃はなにを考えているのだろう。 壁のこちら側で真尋が悩んでいるように、向こう側でも晃は悩んでいるのだろうか。「さびしい……な」 声に出してしまってから、慌てて口を押さえた。壁が薄いのだ。聞こえてしまうかもしれない。 聞こえてしまったら、晃はどう思うだろう。迷惑だろうか。重いと思うだろうか。そう考えると、またその言葉が頭をよぎる。 一旦は忘れようと決めたのに、結局、毎日のように晃のことを考えている。忘れようとすればするほど、壁越しの気配が意識に入り込んでくる。鼻歌の有無、足音のリズム、シャワーの音、ドアの開閉。すべて
last update最終更新日 : 2026-04-12
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第十三話 高城響の再来

 昨夜、壁越しに聞こえた晃の声が、まだ耳に残っている。「もう限界や。全部話す」 震えた関西弁の声だった。あれは片桐に向けた言葉だろうか。なにが限界で、なにを全部話すのか。 真尋のことだろうか。オペレーション・グッドネイバー――真尋を「攻略」する計画だ。 考えても答えは出ない。それでも、頭がぐるぐるして止まらない。ソファに倒れ込んで、クッションを抱きしめた。もう嫌だ。なにも考えたくない。 晃のすべてが嘘だったとは思えない。でも、すべてが本当だったとも思えない。そのあいだのどこかに真実があるのだろうが、そこにたどり着く方法がわからない。 じわりと涙が滲んだ。泣きたいわけじゃないのに、勝手に出てくる。「もう……どうしたらいいんだよ」 静かな部屋に、自分の声だけが響いた。壁が薄いのだから、きっと隣にも聞こえただろう。でも、もういい。聞こえたって構わない。 窓の外では、雨がいっそう激しくなっていた。  翌朝。出勤して棚の整理をしていると、山田さんが近づいてきた。「柊さん、大丈夫ですか?」 思わずドキッとする。まるで傷心が見透かされたみたいだ。「ど、え……なにが?」 山田さんがまじまじと真尋の顔を覗き込んだ。距離が近い。「なんか、疲れ切った顔してますよ。くまもひどいし」「……そんなに?」「はい。しかも表情がどんよりしてますし。店に立つときは笑顔で、って柊さんが教えてくれたのに」 そうだった。山田さんが入ったばかりのころ、「接客の基本は笑顔だよ」と教えたのは真尋だ。それを今、ブーメランのように返されている。「そ……そうだね。笑顔……」 がんばって口角を引き上げてみた。「こわいです。なんか、般若みたい」「ぷっ!」 不意打ちだった。般若はひどい。思わず本
last update最終更新日 : 2026-04-13
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第十四話 告白、あるいは自白

「……入ってください」 真尋は晃を部屋に招き入れた。 真尋は拳をぎゅっと握り、話を聞く覚悟を決めた。もう終わるかもしれない。いや、まだはじまってもいなかった。ただ二度、体を重ねただけの関係だ。 電気をつけていなかったことに気づいて、慌ててスイッチを入れた。ぱっと明かりが灯ると、暗闇に慣れていた目がちくりと痛んだ。「おじゃまします」 晃は大きな大きな体を小さくするようにして部屋に入ってきた。いつものシャープで堂々とした印象とはまるで違う。叱られた子どものように肩をすぼめて、メガネの奥の目が落ち着きなく揺れている。「座ってください。お茶入れます」「い……いや、お構いなく」 真尋は聞こえなかったふりをしてキッチンへ向かった。心臓が早鐘を打っている。なにを言われるのか。考えるだけでこわくて仕方なかった。だから、すこしでも聞くことを先延ばしにしたかった。 湯を沸かす。ケトルが低くうなる音だけが、静まりかえった部屋に響く。手が震えて、マグカップがカチカチと鳴った。いつもは深煎りのコーヒーを淹れるのに、今日はその余裕がない。ティーバッグのほうじ茶を選んだ。簡単なもので済ませたいわけではない。ただ、コーヒーを淹れるあいだ晃をひとりで待たせるのがこわかった。待たせている数分のあいだに、晃が逃げてしまうかもしれない。あるいは、自分の話す覚悟が折れてしまうかもしれない。 ふたつのマグカップをローテーブルに置いた。湯気がゆらりと立ちのぼる。真尋はソファに腰を下ろして、その湯気をじっと見つめた。晃は隣に座った。手が届く距離。でも、触れることはできない。 湯気がだんだん薄れていくカップを、ふたりとも無言で見つめていた。しんと静まりかえった部屋が息苦しい。外から雨音が聞こえはじめた。窓を叩く水の粒が、沈黙を際立たせる。「……あの」 晃がようやく口を開いた。低い声が、いつもよりかすれている。「真尋さんに、お話ししなければいけないことがあります」 真尋は晃のほうを見た。晃はさ
last update最終更新日 : 2026-04-14
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第十五話 壁の向こうとこちら

 生活リズムを変えるのは、思った以上にしんどかった。 真尋は晃とできるだけ遭遇しないように、これまでのルーティンをすべて組み替えた。ゴミ出しは出勤前から早朝に変えた。スーパーは休日ではなく仕事帰りに寄ることにした。行きつけのカフェは、あきらめた。あの店は晃にも場所を知られている。代わりに目黒川沿いの新しい店をいくつか見つけて、ランダムに行くことにした。同じ店に通い詰めたら、また「リサーチ」されるかもしれないから。 マンションの中でも神経を使った。ドアは静かに閉める。鍵は音を立てずに回す。廊下で晃の気配を感じたら、時間を置いてから出る。 壁が薄いのだから、こちらがルーティンを変えたことは晃にもわかっているだろう。でも、わかっていても変えたかった。今までの生活リズムは、晃が把握していたものだ。それを使い続けることが、晃の計画に乗せられたままでいるような気がして、いやだった。 新しい行きつけのカフェで本を読んでいても、以前のように集中できなかった。ページをめくる手が止まる。文字を追っているのに、頭に入ってこない。カーヴァーの短編を読もうとして、晃もカーヴァーが好きだと言っていたことを思い出してしまう。本を閉じた。別の本にしよう。イシグロを……だめだ。晃と話したとき、イシグロの話もした。本棚のどの作家を選んでも、晃の影がちらつく。本の話で盛り上がったすべての記憶が、真尋の読書を邪魔してくる。 けれど、息を殺して暮らす毎日は、じわじわと真尋の神経をすり減らしていた。自分の部屋なのに、くつろげない。コーヒーを淹れる音すら、立てるのを躊躇する。深煎りの豆を挽くグラインダーの音は、壁の向こうに確実に届くから。 そして気づけば、壁の向こうからもなにも聞こえなくなっていた。 鼻歌が消えた。料理をしている音もしない。足音も、シャワーの音も、ドアの開閉音も、しない。晃が壁一枚隔てたところにいるはずなのに、まるで空室に戻ったかのようにひっそりとしている。 以前は、空室だった隣の部屋の静けさが快適だった。今は、同じ静けさがまったく別のものに感じられる。誰かがいるのに聞こえない沈黙は、誰もいない沈黙よりずっと重い。 真尋
last update最終更新日 : 2026-04-15
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第十六話 POPと手紙

 やっぱり真尋は重い。 好きになると一直線に気持ちが向いてしまい、周りが見えなくなる。だから、いつも失敗する。 響のときもそうだったし、晃のときも結局同じだ。颯太にあれだけ警告されていたのに、真尋は「晃はそんな人じゃない」と信じた。信じたかっただけなのに、それを「信じている」と置き換えていた。 でも、晃から手紙が届いた。 あの夜、「出てって」と追い出した相手から。壁一枚隔てた向こうで、息を殺して暮らしていた男から。手書きの手紙が、ポストに静かに入っていた。 真尋はその手紙を何度も読み返した。何回読んだか、もうわからない。文字の一つひとつを指でなぞるように追いかける。晃の筆跡は整っているけれど、ところどころかすかに震えている。なにかをこらえながら書いたのだろうか。言葉を選ぶたびに、手が止まったのだろうか。差し入れのメモは「作りすぎたので」の数文字だったのに、この手紙は便箋いっぱいに文字が詰まっていた。 「あなたのPOPを読んで、この人に会いたいと思ったこと。それが始まりでした」  この一行を読むたびに、胸の奥がきゅっと締まる。 晃はずっと真尋のPOPを褒めてくれていた。「書いてる人の温度が見える」と。それは真尋にとって、響との三年間の恋愛のなかで一度も聞けなかった言葉だった。響は真尋のPOPに興味を示さなかった。真尋がいちばん大切にしていることを、響は見てくれなかった。 でも晃は見てくれた。見てくれたから、「会いたい」と思ったと言った。 真尋がPOPに込める「好き」を、晃は受け取ってくれていた。手書きのPOPから伝わる書店員の気持ちを、晃は手書きの手紙で返してくれた。文字と文字で、想いがつながっている。 颯太は言った。「信じたかった気持ちは間違いじゃない。信じすぎただけだ」。山田さんは言った。「本が好きで、POPを書いた人のことが好きじゃないと、全冊買いなんてできない」。 ふたりの言葉と、晃の手紙。それらがゆっくりと重なっていく。 やっぱり晃さんのことが好きだ。 蓋をしても重石を乗せても、こ
last update最終更新日 : 2026-04-16
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第十七話 ゼロからの隣人

 晃と話さなければ。そう思いながら、真尋はなかなか行動に移せずにいた。 書店の繁忙期に突入したことを言い訳にしていた。夏の話題書フェアと児童書のサマーフェアが重なって、毎日閉店後にバックヤードで作業する日々が続いた。休日もぐったりして、カフェに行く気力すらない。家でだらだらしてそのまま寝てしまうほどだった。 真尋がこんなふうに過ごすのは年に数回もない。毎年こなしている繁忙期なのに、今年は特に体が重い。仕事の疲れだけじゃないのだろう。晃と向き合わなければいけないことへの緊張が、じわじわと真尋を蝕んでいた。なにから話せばいいのか。どう切り出せばいいのか。頭のなかで何度もシミュレーションしては、そのたびに詰まる。 颯太の言葉を思い出す。「ゼロか百じゃなくていい。まずは話せ」。 そうだ。すぐに結論を出さなくていい。ゆっくり、お互いを知っていく。それで十分だ。  繁忙期がようやく終わった日の夜。 よろよろとマンションに帰ると、エントランスで晃と鉢合わせた。 スーツ姿でビシッと決めている。仕事帰りらしい。真尋の姿を見つけた晃は、一瞬固まった。 以前なら「偶然ですね」と笑顔で言ったはずだ。今は違う。晃は「偶然」を装ってはいけないことをわかっている。だからこそ、ここで真尋と会ったのが本当の偶然だと、どう受け止めればいいのかわからず戸惑っている。 その顔が、なんだかおかしかった。「こんばんは、晃さん」 挨拶すると、晃の顔がぱっと明るくなったが、すぐに引っ込んだ。まるで喜んでいいのかどうか自分で判断できなくて、慌てて表情を作り直したような顔だった。「こ、こんばんは」 声が上ずっている。 真尋はすぐに家に帰って眠りたかった。けれど、せっかくの機会だ。繁忙期が終わった解放感も後押しした。「晃さん、今から少しお時間ありますか」「えっ? は、はい。大丈夫です。あ、いや、大丈夫じゃなかったら……いえ大丈夫です」 落ち着きなく視線が泳いでいる。切れ長の目が、さっきから真尋
last update最終更新日 : 2026-04-17
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第十八話 雨の日の境界線

 ただの隣人として始めようと伝えてからは、少し気が楽になった。あれほど悩んでいたのが嘘みたいに、気持ちが晴れた。もやもやの原因は、周囲から入ってくる情報と、それを確かめられない苛立ちだった。晃から直接聞いて、全部を知った。知ったうえで、ゼロからやり直すと決めた。それだけで、呼吸が楽になった。 あれから晃の様子を観察してみたが、ストーカー行為はなくなっていた。出勤日に合わせて栞堂にくることもないし、スーパーやカフェで「偶然」会うこともない。壁越しの鼻歌は戻ってきた。前のように毎朝ではないが、ときどき低いメロディが聞こえてくる。途中で途切れることもなくなった。晃の心にもすこしだけ余裕が戻ってきたのかもしれない。 たまに本当の偶然で出くわすと、晃はビクッと体を小さくして、不器用に笑う。その顔がかわいくて仕方ない。 信じすぎるな。 颯太の言葉を小さく口の中で転がす。けれど、何度も見せるあの不器用な笑顔こそが晃の本当の姿なのだろうと思えてきた。あのポンコツぶりを演技でやっているなら、晃は広告代理店ではなく劇団に入るべきだ。  本の補充をしていると、山田さんがととと、と小走りで近づいてきた。「柊さん、新情報です」 また「POPイケメン追跡班」の報告だろうか。「またPOPイケメンの情報?」 山田さんの自信満々な顔を見て確信した。けれど、予想は外れた。「いえ、違います。実は今――」「うん、今?」「雨が降ってきました!」「……えっ?」 予想の斜め上を行っていた。「もしかして、POPイケメンさんの情報が欲しかったですか?」 山田さんが目を細めてニヤニヤしている。「そ、そんなことないよ。それにしても、なんで雨だってわかったの?」「お客さんを観察すればわかりますよ。濡れた傘を持っていたり、すれ違ったとき雨の匂いがしたり」「へえ、すごい――あっ!」「ひっ!」 急に大きな声をだしたものだから、山田さんが五
last update最終更新日 : 2026-04-18
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第十九話 最後のデート

 響から「大切な話がある」と連絡がきていた。既読はつけたものの、返信しなかった。 付き合っていたころの真尋なら考えられないことだ。響からのメッセージには即レスが基本だった。いつ会うか、どこで会うか、なにを食べるかまで決めて。かわいい絵文字やハートマークを添えて、こまめに連絡を入れていた。それが「重い」と言われた原因のひとつだとわかっていても、やめられなかった。 今は、既読スルーができている。響へのメッセージに絵文字をつける気持ちがない。それだけで、自分の気持ちがどこに向いているのかがわかる。 返信せずにいたら、響のほうから連絡がきた。『次の休みはいつ?』『水曜日』 たった三文字。そっけないにもほどがある。でも、それ以上の言葉が見つからなかった。『その日、空けといて』『わかった』 きちんと響とは話さなければならない。このままうやむやにするのは、響にも晃にも申し訳ない。  水曜日の午後三時、大型ショッピングモールで待ち合わせだった。そこには映画館が併設されている。上映スケジュールを確認すると、以前ふたりで観た映画の続編が公開されていた。響はそれを知っていて、ここを選んだのだろう。 真尋は待ち合わせ場所のベンチに座って、本を読んで待った。いつもなら本に集中できるのに、今日は頭に入ってこない。この後の会話のことを考えてしまう。でも不思議と、緊張ではなかった。もう決めていることを、口にだすだけだ。 待ち合わせ場所で待っていると、響が走ってきた。ジョーマローンの香りが先に届く。響の匂いだ。以前はこの香りを嗅いだだけで胸がざわついた。今は、なにも起きなかった。高級な柔軟剤の匂いみたいだ。いい香りだけど、それだけ。真尋の胸を騒がせるのは、もう別の匂いだった。それは、真尋と同じ銘柄の柔軟剤の匂いだ。 相変わらず洗練されている。センターパートの黒髪に、シンプルだけど高見えするコーディネート。まつげが長くて、涼しげな奥二重。スタイルがいいから、なにを着てもさまになる。「ごめん。仕事が思ったように進まなくて」 息を切らして
last update最終更新日 : 2026-04-19
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第二十話 俺のことを見てた人

 真尋は重い性格だ。けれど、それ以上に晃は重い。 重い同士だからこそ、わかり合えることがあると思っている。 晃に「話がある」と告げたとき、晃は体をすっかりこわばらせていた。無理もない。ストーカーまがいのことをした相手に「話がある」と言われたら、引導を渡されると思うだろう。「もう関わらないでください」とか「引っ越してください」とか。言われてもおかしくない状況だ。 まったく逆のことを言おうとしているのだが、晃はまだそれを知らない。メガネの奥の目は不安げに揺れ、パジャマの上に羽織ったパーカーのポケットに突っ込んだ手は小刻みに震えていた。晃の顔は青白い。ここ数週間、ろくに眠れていなかったのだろう。料理が得意なのに、頬がこけるほどやつれている。自分のぶんの食事すら作る気力がなかったのかもしれない。 廊下で話すのは気が引けた。けれど晃の部屋に入ってしまったら、言いたいことが言えなくなる気がした。距離が近すぎると、感情が先走ってしまう。だから、玄関先で。ドアを開けたまま、小声で話す。壁が薄いマンションだから、大きな声は出せない。 真尋は晃をまっすぐ見つめた。晃は目をそらしそうになって、でもそらさなかった。覚悟を決めた顔だ。なにを言われても受け止めると腹を括った顔だ。 もう決めてある言葉を、素直に伝える。「晃さん。俺、晃さんのことが好きです」「……え?」 晃の表情が固まった。理解が追いついていないらしい。「だから。晃さんのことが、好きなんです」 もう一度言った。今度ははっきりと、声に力を込めて。 すると、晃の顔が下からじわじわと赤く染まっていった。首から頬へ、頬から耳へ。メガネの奥の目が見開かれて、瞬きすら忘れている。「う……嘘」「嘘じゃないです」 真尋はそっと晃の頬に両手を添えて、唇を寄せた。軽く、ふれるだけのキスを落とす。晃は目を見開いたまま固まっている。石像みたいだ。「これで、わかってもらえました?」「いや……だっ&he
last update最終更新日 : 2026-04-20
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