小さな手が私の首に回される。ぎゅっと、強く抱きついてきた。「ママ、今日はどうしてこんなに早いの?」「会いたかったからよ」「ぼくもママに会いたかった!」私は彼を抱いたまま、車へ向かった。泣かなかった。もう、泣かなかった。……一年後。隆之に対し、一審で懲役十二年の判決が言い渡された。併合罪で、減刑なし。伊藤家は残っている資産を少しでも守るため、自ら私に財産分与の話し合いを持ちかけてきた。私が求めたのは三つだけだった。あの部屋。思希の親権。そして「Sakié」ブランドの完全な所有権。どれも、もともと私のものだ。取り戻す。ただそれだけだった。私は半年かけて、「Sakié」をあの滅茶苦茶な状態から立て直した。隆之にも頼らず、どんな投資家にも頼らずに。三年前に作ったあの企画書を引き出しの奥から引っ張り出し、商品ラインアップと価格戦略を一から組み直した。ゼロから一緒にやってくれる小さなチームも見つけた。最初の一か月で、売上は一億六千万円を突破した。三か月目には、最初の独立した資金調達にも成功した。何社かの記者が取材に来た。見出し案はこうだった――【下積み記者からブランド創業者へ。彼女こそ本当の自立した女性】私はその取材を断った。自立に、肩書きなんて要らない。誰かのお墨付きも、必要ない。あの部屋は、私は一度すべて改装した。私のものでないものは、何一つ残さず処分した。写真の壁だけは残した。でも写真は全部入れ替えた。私と思希の写真ばかりに。公園で撮ったもの、キッチンで撮ったもの、彼を肩車した私が、木の葉に手を伸ばさせているもの。どの写真も、笑っている。本当の笑顔で。思希は三歳半になった。鎖骨の下の赤いほくろも、まだそこにある。小さいけれど、はっきり分かる。あのほくろにどんな意味があるのか、彼はまだ知らない。大きくなったら話すかもしれないし、話さないかもしれない。ある夜、彼がふいに私の腕の中にもぐり込んできて、こう聞いた。「ママ、前のママはどこへ行ったの?」思穂のことだった。二歳半までは、彼女のことをママと呼んでいたのだ。私は一瞬、言葉に詰まった。「とても遠いところへ行ったのよ」彼はこくんと
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