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夫の「妻」を取材したあと、私は徹底的にやり返した

夫の「妻」を取材したあと、私は徹底的にやり返した

By:  アオハニーCompleted
Language: Japanese
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テレビ局で働いて八年、私はついにこの街で最も成功した自立した女性に単独インタビューできる機会を手にした。 取材相手はまだ若い女の子なのに、すでに上場企業二社を率いる女性社長だった。 カメラの前で、二十歳そこそこの若き女性実業家は頬を赤らめ、はにかんだ笑みを浮かべていた。 「実は、私が成功できたのって別に大した秘訣があるわけじゃないんです。全部、旦那が支えてくれたおかげで」 「この二社、私もう何百回も潰しかけたんですけど、そのたびに彼が立て直して、また私の名義に戻してくれるんです」 「いちばんいい愛って、相手を持ち上げてくれることだと思うんですけど、うちの旦那はまさにその言葉そのものです」 私は羨ましさで胸がいっぱいになり、彼女の夫が誰なのか尋ねた。 女の子は顎を上げ、誇らしげな顔をした。 「そちらのテレビ局の最大の出資者、伊藤隆之です」 そう言うと、彼女は洗いすぎて色褪せた私の仕事着に目をやった。 「あなた、仕事はできそうだし、あとで旦那に一言言っておきますね。部長にでも昇進させてもらえばいいじゃないですか」 その瞬間、私の手から力が抜け、握っていたマイクが床に落ちた。 女の子は口元を押さえてくすりと笑った。 「どうしたんです?昇進って聞いて、そんなに興奮しちゃった?」 私はきつく唇を噛みしめた。喉がひりついて、声が出なかった。 なぜなら、私と婚姻届を出した夫の名前も伊藤隆之(いとう たかゆき)で、しかも、このテレビ局の最大の出資者でもあったからだ。

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Chapter 1

第1話

テレビ局で働いて八年、私はついにこの街で最も成功した自立した女性に単独インタビューできる機会を手にした。

取材相手はまだ若い女の子なのに、すでに上場企業二社を率いる女性社長だった。

カメラの前で、二十歳そこそこの若き女性実業家は頬を赤らめ、はにかんだ笑みを浮かべていた。

「実は、私が成功できたのって別に大した秘訣があるわけじゃないんです。全部、旦那が支えてくれたおかげで」

「この二社、私もう何百回も潰しかけたんですけど、そのたびに彼が立て直して、また私の名義に戻してくれるんです」

「いちばんいい愛って、相手を持ち上げてくれることだと思うんですけど、うちの旦那はまさにその言葉そのものです」

私は羨ましさで胸がいっぱいになり、彼女の夫が誰なのか尋ねた。

女の子は顎を上げ、誇らしげな顔をした。

「そちらのテレビ局の最大の出資者、伊藤隆之です」

そう言うと、彼女は洗いすぎて色褪せた私の仕事着に目をやった。

「あなた、仕事はできそうだし、あとで旦那に一言言っておきますね。部長にでも昇進させてもらえばいいじゃないですか」

その瞬間、私の手から力が抜け、握っていたマイクが床に落ちた。

女の子は口元を押さえてくすりと笑った。

「どうしたんです?昇進って聞いて、そんなに興奮しちゃった?」

私はきつく唇を噛みしめた。喉がひりついて、声が出なかった。

なぜなら、私と婚姻届を出した夫の名前も伊藤隆之(いとう たかゆき)で、しかも、このテレビ局の最大の出資者でもあったからだ。

カメラはまだ回っていた。

私は腰をかがめてマイクを拾い上げ、無理やり自分を落ち着かせた。

「伊藤隆之という名前は、あまりにも重みがありますから。驚いてしまいました」

小林思穂(こばやし しほ)は私を二秒ほどじっと見つめた。

「まあ、それもそうですよね。私の旦那ですし、名前を聞いて平然としていられる人なんていないでしょう?」

彼女は小首をかしげ、まるで羽を広げた孔雀みたいに得意げな口調だった。

私はマイクを持ち直し、取材を続けた。

私は彼女に、二つの上場企業の中核となる強みは何かと尋ねた。

彼女は首をかしげたまましばらく考え込み、指に髪の一束を絡めて三回くるくると回した。

「えっと……物を売ること、ですかね。化粧品とか。女の子向けのものを」

私は続けて、経営理念について聞いた。

「それは私、あんまり分からなくて。全部旦那がやってくれてるんです。要するに、赤字が出たら彼が埋めてくれるし、儲かったら私のもの、ってことです」

彼女はそれを少しも悪びれず、むしろ当然のことのように言い切り、カメラに向かって指でハートまで作ってみせた。

壇下のスタッフたちは顔を見合わせ、無言で私に口の形だけでこう伝えてきた――「これで自立した女性って言える?」

私は何も返さなかった。

うつむいて、手元の資料冊子をぱらぱらとめくった。

ブランド紹介のページを開いたところで、私の手が止まった。

彼女のコスメブランドの名前は「Sakié」だった。

私の視線はその名前に釘づけになった。まるで赤く焼けた針で刺されたみたいだった。

三年前、私は国産コスメの台頭を扱う特集の深掘り取材をしたことがあった。

その番組のために、私は半月の休みを取り、六つの都市を飛び回り、十二の工場を取材し、半年かけて市場データを調べ尽くした。

そして最後に、詳細なブランド企画書を一本まとめ上げた。

ブランド名は「Sakié」

私の名前――寒川沙希(かんかわ さき)から取ったものだった。

「é」には、美しさの響きを重ねた。

それは、どこにでもいる普通の女の子にも手の届く美しさを届けたいという、私の願いでもあった。

あのとき私は意気揚々と企画書を隆之に見せ、投資家につないでほしいと頼んだ。

彼は二ページほど目を通して閉じると、まだ時期がよくない、もう少し待てと言った。

私は待った。

生活情報の取材へ回されるまで待った。

あの企画書が机の引き出しのいちばん奥で埃をかぶるまで待った。

そして今日、私のアイデアは思穂のパンフレットに載っていた。

上質な印刷に、金の箔押しまでされていた。

取材が終わりかけたころ、私は最後の質問をした。

「小林社長、差し支えなければ、伊藤さんとはどうやって知り合ったのか教えていただけますか?」

思穂の目がぱっと輝き、彼女は体ごと前のめりになった。まるで、その質問をずっと待っていたかのように。

「三年前、私はバーで働いてて、彼がお酒を飲みに来たんです。それで、一目で私に惚れたんですよ。

私が、ある人に似てるって言ってました」
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松坂 美枝
松坂 美枝
とんでもない結婚詐欺師だったな 相手の女は何も知らされずに可哀想だった 主人公から何でも搾取していくクズ男が怖すぎた なんでこんなことしたのかも言ってたけど凡人には理解出来なかった
2026-04-20 09:36:22
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第1話
テレビ局で働いて八年、私はついにこの街で最も成功した自立した女性に単独インタビューできる機会を手にした。取材相手はまだ若い女の子なのに、すでに上場企業二社を率いる女性社長だった。カメラの前で、二十歳そこそこの若き女性実業家は頬を赤らめ、はにかんだ笑みを浮かべていた。「実は、私が成功できたのって別に大した秘訣があるわけじゃないんです。全部、旦那が支えてくれたおかげで」「この二社、私もう何百回も潰しかけたんですけど、そのたびに彼が立て直して、また私の名義に戻してくれるんです」「いちばんいい愛って、相手を持ち上げてくれることだと思うんですけど、うちの旦那はまさにその言葉そのものです」私は羨ましさで胸がいっぱいになり、彼女の夫が誰なのか尋ねた。女の子は顎を上げ、誇らしげな顔をした。「そちらのテレビ局の最大の出資者、伊藤隆之です」そう言うと、彼女は洗いすぎて色褪せた私の仕事着に目をやった。「あなた、仕事はできそうだし、あとで旦那に一言言っておきますね。部長にでも昇進させてもらえばいいじゃないですか」その瞬間、私の手から力が抜け、握っていたマイクが床に落ちた。女の子は口元を押さえてくすりと笑った。「どうしたんです?昇進って聞いて、そんなに興奮しちゃった?」私はきつく唇を噛みしめた。喉がひりついて、声が出なかった。なぜなら、私と婚姻届を出した夫の名前も伊藤隆之(いとう たかゆき)で、しかも、このテレビ局の最大の出資者でもあったからだ。カメラはまだ回っていた。私は腰をかがめてマイクを拾い上げ、無理やり自分を落ち着かせた。「伊藤隆之という名前は、あまりにも重みがありますから。驚いてしまいました」小林思穂(こばやし しほ)は私を二秒ほどじっと見つめた。「まあ、それもそうですよね。私の旦那ですし、名前を聞いて平然としていられる人なんていないでしょう?」彼女は小首をかしげ、まるで羽を広げた孔雀みたいに得意げな口調だった。私はマイクを持ち直し、取材を続けた。私は彼女に、二つの上場企業の中核となる強みは何かと尋ねた。彼女は首をかしげたまましばらく考え込み、指に髪の一束を絡めて三回くるくると回した。「えっと……物を売ること、ですかね。化粧品とか。女の子向けのものを」私は続けて、経営理念について
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第2話
「誰に似てるって?」「彼の元妻に、です」私の爪は掌に深く食い込んでいた。かなり強く刺さっていたはずなのに、痛みはまったく感じなかった。「彼が言うには、元妻は二年以上前に事故で亡くなったそうなんです。その人のことをずっと忘れられなくて、私に出会うまでは立ち直れなかったって」彼女は一瞬だけしんみりした顔をして、涙でメイクが崩れないようにするみたいに、指先で目尻をちょんと押さえた。けれど次の瞬間には、また笑っていた。「私、彼女に六、七割くらい似てるんですって。でも、彼女より若いし、彼女より言うことを聞くって」彼女より若い。彼女より言うことを聞く。私は自分の心臓の音を聞いた。どくん、どくん、どくん。一つ鳴るたびに、重く沈んでいった。撮影が終わるころ、思穂が駆け寄ってきて、私の手をつかんだ。彼女の手は柔らかく、薬指には鳩の卵みたいに大きなダイヤの指輪がはまっていた。「寒川さん、撮るのすごく上手ですね。明後日、新商品の発表会があるんですけど、同行撮影してもらえませんか?そのとき、うちにも連れて行ってあげます。生活風景の素材も少し撮れたら、絶対に視聴率がすごいことになりますよ」彼女は声をひそめ、少し自慢げな秘密を打ち明けるように私の耳元へ顔を寄せた。「うちには二歳半の息子もいるんです。すっごく可愛いんですよ」私は笑顔をほとんど保てなくなっていた。それでも、うなずいた。「ええ」……自分の席に戻ると、私は暗闇の中に座ったまま、スマホを開いた。アルバムをいちばん下までめくると、暗号化したフォルダが一つある。中に入っているのは三枚だけだった。一枚はエコー写真。ぼんやりしているけれど、赤ん坊が身を丸めている輪郭だけは分かった。一枚は妊婦健診の報告書で、日付は三年前の五月になっていた。最後の一枚は、お腹に手を当てて笑っている私の自撮りだった。あのころ、私は妊娠六か月だった。お腹はもうかなり大きくなっていた。私はその子のために、薄いベージュ色の小さな帽子を編んだ。ひどく不格好で、目も当てられない出来だった。隆之は、捨てればいい、産まれたらちゃんとしたものを買えばいいと言った。でも私は手放せなかった。こっそり枕の下に隠していた。そのあと、その帽子もなくなった。
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第3話
ここ三か月の私たちのやり取りを見返しても、出てくるのは同じような言葉ばかりだった――残業、会議、出張、お先に寝てて。次に思穂のSNSを開いた。固定された投稿――【旦那がまた年次報告書を片づけてくれた♡ ありがとう、愛してるよ~】添えられていた写真は、赤いバラの花束だった。白い陶器の花瓶に挿してある。私はその花瓶を、ずっと見つめていた。白くて、丸みのある胴に、底のあたりには手描きの青い小花が一周している。結婚して最初の年、海外へ旅行したときに私が買ったものだった。隆之は、ダサいと言っていた。私は、ダサいくらいのほうが家らしい温かみがあるのだと言った。今その花瓶には赤いバラが挿され、別の女の食卓に置かれている。家の温もり。なんて皮肉なのだろう。二日後、私はカメラマンを連れて思穂の新商品発表会へ向かった。発表会は盛大だった。照明も、モデルも、メディア席も、一目でかなりの金がかかっていると分かった。司会者がブランド理念を読み上げると、私は壇下でひそかにその文言を一字一句なぞるように口の中で唱えていた。あの言葉は、三年前に私が書いたものだったからだ。一字たりとも違わずに。思穂はオーダーメイドのピンクのドレスをまとい、壇上でスピーチ原稿を読み上げていた。だが、ときおり言葉に詰まり、「エンパワーメント」を「エンタテインメント」と読み違えた。壇下の広報チームは焦って冷や汗をかき、今にも壇上へ駆け上がって代わりに読んでしまいたそうだった。終わると、彼女はぴょんぴょん跳ねるようにこちらへ駆けてきた。ハイヒールが床を打つ音まで弾んでいた。「行きましょ行きましょ、うちへ!お手伝いさんに美味しいものを作ってもらってるんです」私は彼女と一緒にポルシェに乗り込んだ。車内にはピンク色の子ども用チャイルドシートが置かれていた。シートにはぬいぐるみのくまがぶら下がっていた。そのくまは少しくたびれていて、片方の目の糸が緩み、だらりとしていたが、誰かが丁寧に繕った跡があった。私の視線は、くまの胸元に落ちた。そこには、一文字だけ刺繍されていた――「希」私の手が宙で止まった。そのくまは、私が妊娠四か月のときにネットで買ったものだった。わざわざ人に頼んで、その字を刺繍してもらった。生ま
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第4話
隆之はうるさいから外せと言っていた。それが今では、別の女の家の玄関先に掛けられて、ちりんちりんと鳴っている。幸運は私には来なかった。他の誰かのところへ行ったのだ。リビングは広く、床まで届く窓から陽の光がたっぷり差し込んでいた。玄関の真正面の壁には、大きな写真がずらりと飾られていた。一枚じゃない。壁一面だった。隆之が思穂を抱き、思穂が子どもを抱いている。海辺で撮ったもの、芝生の上のもの、遊園地でのもの、クリスマスのもの。どの写真でも、彼は笑っていた。付き合いで見せる愛想笑いでもなければ、私に向ける疲れたような笑みでもない。本当に、心から笑っていた。目尻の線までやわらかくほどけていた。結婚して三年、私と彼の写真はたった一枚しかない。それも、私が何度も頼み込んで、やっと隣に立ってもらって撮ったものだった。写真の中の彼はカメラも見ず、スマホを見ていた。あのときの私は、自分にこう言い聞かせていた――彼は写真が好きじゃない人なんだ、と。違った。写真が嫌いなんじゃない。私と撮るのが嫌だったのだ。「ほらほら、うちの息子を見てください!」思穂は私の手を引いて廊下の奥へ向かった。キャラクターのシールが貼られた扉を開けると、子ども部屋は小さな遊園地みたいだった。壁一面に星や月のシールが貼られ、床には分厚いプレイマットが敷かれている。小さな本棚には絵本がぎっしり並び、部屋の隅には積み木の城ができていた。ベッドのそばでは、二歳を少し過ぎた男の子がうつ伏せになってミニカーで遊んでいた。扉の開く音を聞いて、その子は顔を上げた。丸い顔に、大きな目。思穂を見ると、ミニカーを放り出し、よちよちとこちらへ走ってきて、両腕を広げた。「ママ!」思穂はその子をひょいと抱き上げて、頬にキスをした。「いい子ね。ほら、沙希さんって言って」子どもは首をかしげて、私を見た。何秒もじっと見つめた。それから、ふいににかっと笑った。ふっくらした小さな手を伸ばして、私の人差し指をつかんだ。ぎゅっと、強く。その瞬間、私は頭のてっぺんから足の裏まで、稲妻に打たれたみたいに全身が痺れた。その眉、その目元――思穂には似ていない。丸い顎、少しだけつり上がった目尻、笑うと左側にできる小
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第5話
「これがいい。思希。君の名前には希の字が入っているだろう。だから、この子にはずっと母親のことを覚えていてほしいんだ」ずっと自分の母親を忘れないでいてほしい。なのに今、この子は別の女をママと呼んでいる。そして実の母親である私は、都合よく「亡き人」にされていた。子どもの名前に使うためだけの、死んだ人間にされて。……私はトイレに行くと口実をつけて、中から鍵をかけた。冷たいタイルの壁に背中を預け、そのままずるずると床に座り込んだ。手が震えていた。かすかに震えるなんてものじゃない。片手全体が震えていて、スマホすら落としそうだった。私はスマホを開き、三年前の妊婦健診の報告書を引っ張り出した。暗号化アルバムに入っていたあの三枚の写真が、今は三本の刃みたいだった。エコー記録には、白い紙に黒い文字でこう書かれていた。【胎児左側鎖骨下に皮下血管腫を認める。約0.5cm】私は目を閉じた。それから、また開いた。文字は消えていなかった。ドアの外では、思希の笑い声が板一枚越しに聞こえてくる。澄んだ、甘い幼い声だった。「ママ!ぶーぶー!」「はいはい、ママが取ってあげる」その「ママ」という声が、針みたいに何度も何度もこめかみに突き刺さった。私はさらに画面をスクロールした。手術同意書。署名欄――隆之の代理署名。あのとき彼は、私の精神状態が不安定すぎるから、医者が家族による代理署名を勧めたのだと言った。私はうなずいた。あのときの私の頭の中は恐怖でいっぱいで、彼が何に署名したのかなんて確かめる余裕はなかった。術式欄には、中絶術と記載されていた。けれど術後、看護師に病室へ戻されるとき、朦朧とした頭で私は一度だけ子どもはどうなったのかと尋ねた。そのとき看護師が口にしたのは――胎児死亡後の子宮内容除去は済んでいます、という言葉だった。中絶と子宮内容除去は、同じじゃない。片方は、生きたまま取り上げる処置。もう片方は、亡くなったあとに取り除く処置だ。あのときの私は、問いただす力もなかった。そのあとも、怖くて聞けなかった。だって隆之はこう言ったのだから――子どもはもう火葬した、と。私が刺激を受けるのを怖れて、見せなかったのだと。遺体もなければ、骨壺もない。この子
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第6話
隆之の顔色は、たった三秒のあいだに何度も変わった。驚愕、動揺、逡巡、そして最後には、ほとんど冷たさに近い静かな落ち着きへと固まった。まるで誰かが彼の頭の中にあるスイッチを押して、感情を一瞬で全部消去したみたいだった。「人違いだ」声はひどく落ち着いていた。けれど握り締めた拳は関節が白くなるほど力が入っていて、指のあいだには、さっき床に落ちたオレンジの葉が一枚挟まっていた。「あなた?この人、知り合いなの?」思穂もただならぬ空気を感じ取ったのか、視線を私と彼のあいだで何度も往復させた。「知らない」彼は素早く身をひるがえし、壁のように彼女の前へ立ちはだかった。「先に思希を部屋へ連れて行け」思穂は少しためらい、私を振り返った。私は彼女に迷っている時間を与えなかった。「小林さん、あなた、自分の夫の元妻の名前を知ってる?」いきなりそう聞かれて、彼女は面食らったように立ち尽くした。手はドア枠にかかったまま動かない。「フルネームまでは聞いてないけど……それがどうしたんですか?」「言うわけがないでしょう」私は一歩前に出た。革靴の先が床に転がっていたオレンジを踏みつけ、鈍い音を立てた。「だって、その元妻は今、あなたの目の前にいるんだから」リビングは二秒ほど、しんと静まり返った。窓の外では鳥が鳴き、下のほうでは子どものはしゃぐ声がして、エアコンが低く唸っていた。音はちゃんとあるのに、全部どこかへ吸い取られてしまったみたいだった。そして次の瞬間、思穂が爆発した。「何言ってるのよ?!」その声は、ガラスでも突き破りそうなくらい鋭かった。「夫は元妻は事故で亡くなったって言ってたのよ!あんたどこの誰?詐欺師?お金でもたかる気?」彼女は隆之の袖をつかみ、振り向いた。「あなた、何か言ってよ!」隆之は彼女を見なかった。彼は私をじっと見つめ、喉仏を二度ほど上下させてから、ようやく口を開いた。「寒川沙希、君はどうしたい」彼は私の名前を呼んだ。その四文字を口にしたとき、声はひどくかすかで、誰にも聞かれたくないとでもいうみたいだった。けれど思穂には、はっきり届いていた。彼の袖をつかんでいた手が空中で止まり、彼女の表情が音もなくひび割れていった。「あなた……本当にこの人を知って
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第7話
三年前、手術室の前に立っていたときの彼みたいに、ぞっとするほど冷たい声だった。「その通りね」と私は言った。彼の眉が、ほんのわずかに緩んだ。「確かに私は、ただの記者よ。八年やっても、部長にすらなれなかった。でも、あなたは一つ忘れてる――」私はコートのポケットに手を入れ、スマホを取り出した。「記者がいちばん得意なのは、出世することじゃない。証拠を取ることよ」私はスマホの中の動画を一本開いた。音量を最大まで上げる。すると思穂の声が、まるですぐ目の前で話しているみたいにはっきりと響いた――「実は、私が成功できたのって別に秘訣があるわけじゃなくて、ただ旦那が私にすごくよくしてくれるからなんです」「この二社も、私が何百回も潰しかけたのを、そのたびに彼が黙って引き継いで、立て直してからまた私の名義に戻してくれたんです」隆之の瞳孔がぎゅっと縮んだ。「このインタビューは、あなたが出資して買った機材で、あなたが出資しているテレビ局で収録されたものよ」私はスマホをくるりと反転させ、画面を彼に向けた。「小林思穂はカメラの前で自分の口で認めた。上場企業二社の実質的な支配者は、あなたなんだって。伊藤社長、あなたの名義にはもう三社あるわよね。そこにこの二社まで加わったら――関連当事者取引、不正上場、粉飾決算。いったいどれだけの罪になると思う?」彼の顔色は、少しずつ、少しずつ、紙みたいに白くなっていった。「君――」「それだけじゃない」私は次の画像へと切り替えた。不動産権利証。はっきり写っている。所有者欄に記された四文字――寒川沙希。「この部屋は、私の結婚前の財産よ。頭金の1200万円は、私が一円一円貯めたお金。三年前、あなたは私にここを出ろと言った。貸しに出して、家賃収入を受け取ればいいって。毎月40万円、きっちり振り込まれてきた。でも実際には、あなたは私の家を使って、新しい家庭を作っていた。あの家賃だって、私を黙らせるために投げてよこした端金にすぎなかったのね」思穂は口を開けたまま、しばらく閉じられなかった。彼女はリビングをぐるりと見回した。ソファ、ローテーブル、テレビ、写真の壁。それからまた隆之を見た。「あなた……彼女の言ってること、本当なの?この部屋……私のため
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第8話
「だって、何度も取り寄せたはずなのに……そのたびに、あなたが人に頼んで手配したって……」彼女ははっとしたように顔を上げた。「どうして毎回、私を役所に行かせなかったの?」隆之の口元がぴくりと引きつった。答えはもう、その顔に出ていた。私は一本、電話をかけた。スピーカーに切り替える。二回コールしただけで、相手は出た。「沙希さん?どうしたんですか?」調査報道の仕事で知り合った、役所勤めの知人だった。「ちょっと確認してほしいの。伊藤隆之と小林思穂、この二人に婚姻登録の記録があるかどうか」思穂の目がかっと見開かれた。隆之の腕にすがりつくようにしがみつく。隆之はスマホを奪おうと一歩踏み出したが、私は身をひるがえして二歩下がった。電話の向こうでキーボードを叩く音がして、それから数秒の沈黙。「ありません。小林思穂さん名義では、婚姻登録の記録は一件もなしです」「伊藤隆之さん名義には一件あります――登録相手は寒川沙希さん」「沙希さんのことですね。現在の状態は、婚姻継続中です」スマホ越しのその声が、静まり返ったリビングに響いた。まるで判決の言い渡しだった。思穂の膝から力が抜けた。立っていられず、ローテーブルの縁に手をついたまま、ずるずるとその場にしゃがみ込んでいく。まるで中身の抜けた服みたいだった。「そんな……」唇が震え、声はばらばらに砕けていた。「だって、ちゃんと戸籍謄本も見せてもらってたのに……何度も破ったから、そのたびに取り寄せたって言ってたし……」「あなたが見せられていたその書類は」私は彼女を見下ろして言った。「全部、偽物よ」「戸籍謄本の取得には本人確認がいるし、そんなものを毎回代わりに用意したなんて話、おかしいと思わなかったの?一度でも自分で役所に行って確認しようとしなかったの?」彼女は口を開けたまま、浅瀬に打ち上げられた魚みたいに息をしていた。「彼に破れと言われれば、あなたは破った。破ればまた、偽物を一冊作って穴埋めする。それを何度も、何度も繰り返した。あなたが破っていたのはただの紙で、彼が演じていたのは芝居だったのよ。あなたは最初から最後まで、一度だって伊藤夫人になんかなれていなかった。住んでいたのは私の家。使っていたのは私のブランドのデザイン。育てていたの
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第9話
「やってみればいい」彼はそこで足を止めた。拳はきしむほど強く握り締められ、まるで鎖でつながれた獣みたいだった。けれど、動けなかった。私が言ったことは本当にやると、彼には分かっていたからだ。記者を八年やってきて、私にいちばん欠けていないものがあるとすれば、それは情報の流し先だった。彼の手元には金がある。でも、私の手元には証拠がある。この勝負は、彼の負けだった。……警察はすぐに来た。パトカーが二台、マンションの下に止まり、回転灯の赤と青が窓ガラスに交互に映り込んでいた。隆之は、これをただの家庭内トラブルとして処理させようとした。しかも一度、薄く笑ってさえみせ、現場を仕切る警部補に向かって、元妻は精神状態が不安定で、よく幻覚を見るのだと言った。そう口にするときの彼は、声も穏やかで、態度も落ち着き払っていた。まるで家族をなだめる、できた夫そのものだった。私は何も言わなかった。ただスマホを差し出した。取材動画。権利証の写真。三年前の妊婦健診のエコー報告書。手術同意書。白い紙に黒い文字、映像と音声、そのどれもを、一つずつ順序立ててきちんと揃えてある。調査記者を八年やってきた職業病だった――証拠の連なりは、口先よりずっと強い。「この子について、DNA親子鑑定を求めます」現場責任者の警部補は、その一連の資料を見てから、顔色を失っている隆之を見た。「ご協力をお願いします。事情を確認します」隆之は三本、電話をかけた。弁護士を呼んだのだ。弁護士は四十分ほど滞在し、その顔色は時間が経つほど悪くなっていった。最後には隆之を脇へ連れていき、低い声で何かを言った。はっきりとは聞こえなかったが、おおよその意味は分かった。あの取材動画が表に出たら、もう刑事責任だけでは済まない、ということだ。上場企業二社の実質的支配者の偽装、関連当事者取引、虚偽開示――金融当局が必ず動く。弁護士は帰っていった。隆之はリビングの真ん中に立ち尽くし、初めてどうしていいか分からない人間の顔を見せていた。警察は供述を取っていた。思穂はソファに座り込み、化粧はすっかり崩れていた。彼女は警察に向かって、何度も同じことを繰り返していた――「知らなかったんです……体外受精だって言われていて……戸
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第10話
併合罪だった。思穂もまた、上場企業二社の法定代表者として財務不正の疑いをかけられ、同じく立件されて捜査対象になった。彼女は警察署の前で記者のカメラに向かって泣き崩れた――「私、本当に何も分からなかったんです!全部、彼に言われるまま署名しただけで!」けれど、彼女に同情する者はいなかった。……隆之が拘置所に入って三か月目、私は一度だけ面会に行った。情が湧いたからじゃない。この耳で、彼の口からたった一つでも本当のことを聞くためだった。三年ものあいだ、私は彼の口から一度だって真実を聞いていない。本当に、一度も。ガラス越しに見た彼は、ひと回りもふた回りも痩せていた。拘置所の青いベストはぶかぶかで、顎には青黒い無精ひげがびっしり生えていた。目のくぼみは深く、白目には血の筋が広がっていた。私を見た瞬間、彼の唇がかすかに動いた。「沙希ちゃん」私の愛称だった。三年前まで、彼はそう呼んでいた。「その呼び方はやめて。用件だけ話して」彼は一度目を閉じた。開き直したその目には、薄く水の膜が張っていた。「あの日の手術で……子どもが取り上げられたとき、一度だけ泣いた。すごく小さな声だった。子猫みたいな声で」私の指先に力がこもった。あの日、麻酔が半分ほど切れかけたとき、私も何かを聞いた気がしていた。ひどく曖昧で、幻聴みたいな声だった。でも、あれは幻じゃなかった。私の子が、私を呼んでいたのだ。「俺は手術室の外に立っていて、その泣き声を聞いた瞬間、膝から崩れ落ちた。自分が許されないことをしているって分かってた。でも、もう止まれなかった。両親に言われたんだ。伊藤家は三代続けて一人息子しかいない、この代で絶やすわけにはいかないって。君の体では、この先もう子どもは望みにくいって。医者を手配したのは俺だ。手術内容を決めたのも俺だ。取り上げたあと、そのまま新生児科へ送らせた。君が目を覚ましたときには、あの子はもうその病院にはいなかった」彼はそういう話を、まるで書類でも読み上げるみたいに平坦な声で言った。なのに、手だけはずっと震えていた。「それで?」と私は聞いた。「それで、君には子どもは助からなかったと伝えた。中絶に失敗して、胎児死亡後の処置になったって。赤ん坊の物は全部
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