جميع فصول : الفصل -الفصل 10

10 فصول

第1話 ​

妊娠八ヶ月。破水したその日は、夫・寺沢慎司(てらざわ しんじ)の養子・寺沢春斗(てらざわ はると)の誕生日だ。​自分の子と養子の誕生日が重なるのを避けたいという理由で、慎司は日付が変わるまで産むなと強いてきた。なかなか病院へ連れて行ってくれず、さらには私・寺沢心愛(てらざわ ここあ)を地下室に閉じ込めたのだ。​慎司は冷酷な眼差しで私を見下ろした。​「心愛、本当に図ったようなタイミングだな。わざわざ春斗の誕生日に産もうとするなんて」​湿った床に這いつくばり、破水で濡れたワンピースのまま、私は病院へ連れて行ってほしいと縋り付いた。赤ちゃんが外に出ようと焦っているのが分かり、このままでは命に関わると感じた。​慎司の瞳に落胆の色がよぎり、声は氷のように冷え切っている。​「まだ嘘をつくのか。医者に確認したところ、破水したからといってすぐに産まれるわけじゃないそうだ。三日後に産まれた例だってある。​俺の妻でいられなくなるのが怖くて、自分の子の誕生日を春斗と同じ日にしてまで、春斗の存在を薄めようとするなんて……お前の浅知恵には恐れ入る」​私は深く息を吸い込み、絶望の中で声を絞り出した。​「お腹にいるのは、あなたの子でもあるのよ!​慎司、お願い。この子のために助けて。赤ちゃんさえ無事なら、もう二度とあなたの前に現れないと約束するから」​それを聞いた慎司の顔が険しく歪んだ。彼は身を屈めて私の顎を掴むと、荒々しく言い放った。​「そんな駆け引きが通用すると思うな!​日付が変わるまで大人しくしていれば、病院へ連れて行ってやる。無事に産めたら、子供のために離婚しないと約束する。さらに妻として認めるんだ」​言い捨てて、彼は立ち去ろうとした。​私は青ざめた手で彼のスーツの裾を掴み、血の気のない顔を上げて必死に訴え続けた。​「病院へ……お願い、連れて行って」​慎司は鼻で笑い、私の手を力任せに振り払うと、ためらうことなく地下室の外から鍵をかけた。扉の向こうから冷淡な指示が聞こえてきた。​「山本さん、こいつを見てろ。俺の許可なく出すんじゃないぞ」​慎司に蹴り飛ばされ、私は床に激しく叩きつけられた。​咄嗟にお腹を庇ったが、足の間から熱いものが溢れ出すのを感じた。目を向けると、真っ白だったワンピースが、じわじわと鮮血に染まって
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第2話 ​

「どれほど私を見下してても、お腹の子の命まで無視するつもり?もしこの子に何かあったら、お義母様にどう申し開きするの!あなたの仕事は私の世話をすることでしょう!」​私の脅しに、佐知子はようやく足を止めたようだ。​しばらくして、扉の外から苛立ちを含んだ声が聞こえてきた。​「旦那様に電話しますよ。でも、もし許可が出なかったら、大奥様に聞かれても私のせいじゃありませんからね」​私は何度も頷きながら、扉に身を寄せて電話の結果を待った。​「旦那様、奥様が血が出て、もうすぐ産まれるとおっしゃっています。病院へお連れしましょうか?」​ちょうど料理の注文を終えたばかりの慎司は、佐知子からの電話を受けると、不快感を露わにして一喝した。​「山本さん、仕事を辞めたいのか?​しっかり彼女を見張れと言ったはずだ。情けをかけろとは言ってない!」​怒鳴られた佐知子は顔をしかめ、地下室の扉を忌々しげに睨みつけた。​その時、彼女は扉の隙間から流れ出る血に気づいた。顔色は瞬時に土気色に変わり、震える声で悲鳴を上げた。​「ち……血が!旦那様!奥様の言ったことは本当みたいです!血が出ています!​扉の下から、たくさんの血が流れ出ています!」​電話越しにそれを聞いた慎司の手が止まった。沈黙が流れた後、彼はためらいがちに口を開いた。​「待ってろ、すぐ……」​朦朧とする意識の中、受話器から聞こえてきた幼い声が、慎司の言葉を遮った。そして、私の最後の希望も。​「パパ、アイス食べたいな」​慎司が振り返った。​菅岡実(すがおか みのる)は息子を抱き寄せ、優しい視線を慎司に向けた。​「慎司、心愛ちゃんから?​今日は春斗の誕生日で、あなたが春斗をお祝いするのが気に入らなくて、わざと理由を作って帰らせようとしてるのかしら。前の参観日の時みたいに。​ごめんなさい。私が無理にこの子を産んだせいで、春斗はパパがいないって学校で馬鹿にされて……野良犬みたいだって笑われてきたから」​実が涙を浮かべる姿を見て、慎司の胸は少し痛んだ。​春斗は慎司のもとへ駆け寄り、その腕にしがみついて顔を見上げ、甘えた。​「パパ、一緒に誕生日をお祝いして?パパと過ごす誕生日は初めてなんだ。今まではママと二人きりだったから、みんなにパパがいないって笑われてたんだ」
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第3話 ​

慎司がわざと隠していたせいで、私は彼が参観日に行くことを知らなかった。​あの日、私のお腹に耳を当てて胎動を喜んでいた彼の姿が、今も鮮明に焼き付いている。それなのに、彼は私の言葉をすべて嘘だと決めつけ、子供相手に嫉妬していると思い込んでいたのだ。​「奥様、奥様!しっかりしてください!」​大きな手に力任せに揺さぶられ、かき混ぜられた泥のような意識を必死に手繰り寄せ、ゆっくりと目を開けた。​視界に映ったのは、佐知子の姿だ。​私が目を覚ましたのを確認すると、彼女は安堵したように胸をなでおろした。​「ああ、死ななくてよかったですわ」​そして愚痴をこぼした。​「奥様、驚かさないでください」​私は視線を落とし、自分のお腹を見た。視界が赤く染まっている。​佐知子も私の視線を追い、何かに気づくと鼻をつまみ、嫌そうに言った。​「奥様、なんで扉の近くに置いてあった職人さんのペンキ缶を倒したりしたんですか?鼻を突くような嫌な臭いがしますよ。​家の片付けもしないくせに、これじゃあ家を大事にする気なんてさらさらないですね」​呆然と隅に目をやると、ひっくり返った赤いペンキの缶が転がっていた。おそらく、のたうち回っていた私の手が当たってしまったのだろう。​地下室は暗く、扉の前に立つ佐知子の影で手元も見えない。彼女は合点がいったように声を張り上げた。​「旦那様のおっしゃる通りです!わざとペンキを倒して、私に血だと思わせて旦那様を呼び戻そうとしたのですね!​旦那様が騙されなくて本当に良かったです!​危うく春斗様とご両親が過ごせる誕生日会が、あなたのせいで台無しになるところでした」​私は彼女を激しく睨みつけたが、激痛のせいで言葉が出ない。​佐知子は私の目つきに気圧されたのか、慌てて掃除道具を取りに地下室を出ていった。その際、扉を閉めるのを忘れた。​外へと続く階段は曲がりくねって長く見えたが、もう迷っている暇はない。ここで自力でどうにかしなければ、私は死んでしまう。​深く息を吐き出し、お腹を抱えながら、震える手で壁を伝って立ち上がった。一歩、また一歩と外へ向かって歩を進める。​この階段がこれほど長く感じたことはなかった。絶え間ない陣痛に襲われ、一歩踏み出すたびにお腹の中を刃物でかき回されるような痛みが走る。​スマホ
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第4話 ​

正紀は呆然と私の全身を見やり、ためらいがちに尋ねた。​「本当に、これは赤いペンキなのだろうか?」​慎司は断固として言い切った。​「間違いない。​電話を妻に代わってくれ。少し話がしたい」​正紀は身を屈め、憐れみのこもった視線を私に向けながら、スマホを耳元に差し出した。​受話器から慎司の声が聞こえてきた。​「心愛、お前の猿芝居にはもう飽き飽きだ。​今日産まれるのが本当だろうが嘘だろうが、意地でも腹に収めておけ!​お前は赤ちゃんのことを考えず、勝手に薬を飲んで早産を引き起こしたんじゃないか?そんなお前の子供に、春斗と同じ誕生日を祝う資格など永遠にない。その子は一生、春斗の足元にも及ばないんだ!​これで分かったか?もう諦めろ。​さっさと家に帰れ。これ以上、外で恥をさらすんじゃない!」​彼の言葉は鋭い刃となって、私の心を幾重にも切り刻んだ。私が実より下なだけでなく、この子まであの女の子供に及ばないというのか。​涙が血に混じり、頬を伝って地面へと滴り落ちた。​「勝手に、薬を?」​私は枯れた声で絞り出した。​「慎司……私をそんな風に見てたのね。私たちが積み重ねてきた日々は、まるで下手な冗談のようだわ」​慎司は苛立ちを隠せず、行き来しながらスマホを握る手に力を込めた。怒鳴りつけようとしたその瞬間、ふわりと消え入りそうな声が聞こえた。​「もう、二度と会わないわ」​……​正紀は思いやりのある人だ。慎司の言葉に従って救急車を帰すようなことはせず、私を病院へと送り届けてくれた。​冷たい薬液が体内に送り込まれ、激痛は和らいでいく。けれど、心の奥底から計り知れない悲しみが込み上げてきた。この子の命が、体の中から少しずつ失われていくのを感じている。​私の子。宿ったと知った時の戸惑いと喜び。八ヶ月の間、この子は私と共にいてくれた。私を本当の母親にしてくれた。私と同じ血が流れ、悲しい時にはお腹を蹴って励ましてくれた子。​この世界の光を一度も見ることなく、あともう少しで産まれるはずだったのに。本当に、あと少しだったのに。​温かな手が医療用ガーゼで私の涙を拭い、頭の上から医師の焦った声が降りかかってきた。​「旦那さんへの連絡はつきましたか?​容態が良くありません。一刻も早く手術が必要です!」​傍ら
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第5話 ​

和希はようやく私の方を向き、優しく抱きしめて頭を撫でてくれた。​「大丈夫だ、心愛。もう安心していいぞ。お兄ちゃんがここにいるから」​……​深夜、慎司は眠りの中で、ふと耳元に赤ん坊の泣き声が聞こえた気がして目を覚ました。咄嗟に隣を振り返ると、隣には春斗が大人しく丸まって眠っており、泣いている様子はなかった。​春斗に毛布をかけ直してやったが、言いようのない不安に襲われ、どうしても寝付けなかった。タバコに火をつけた後、スマホを開いたが、通知は一つも届いていなかった。​昼間に拒否した何度かの知らない番号からの着信を思い出し、胸のざわつきは激しさを増していく。心愛の顔が脳裏をよぎり、彼はパーソナルドクター・宇佐野夏江(うさの なつえ)の番号を押した。​「先生、妻の様子はどうですか?」​「奥様ですか?奥様は救急車で病院へ運ばれました。私がそちらに着いた時、ちょうど救急車が出ていくところでした。てっきり私では間に合わないと判断して、旦那様が手配されたものだと思っておりましたが」​慎司は息を呑み、椅子から跳ね起きた。歓喜の声が漏れた。​「産まれた、ということですか!​道理で、さっき夢の中で赤ん坊の泣き声が聞こえました。産まれたばかりでしたか。きっとあの子は俺と心が通じ合っているから、知らせてくれました!」​弾んだ声で話す慎司に、夏江は何か言いかけてから口を閉ざした。あの時、現場で聞き及んだ状況とはあまりにもかけ離れている。彼女はしばらく考えた後、言葉を選んで告げた。​「旦那様、早急にD病院へ向かい、奥様の様子を確かめることをお勧めします」​慎司は興奮気味に何度も頷いた。​車の鍵を手に取って出かけようとした時、実が春斗を連れて玄関に来た。春斗は眠たそうに目をこすり、慎司に向かって両腕を広げた。​「パパ、だっこして。​パパがいないと、春斗眠れない」​実は薄手で透けるような白いネグリジェを纏い、慎司の腕に手を添えた。​「慎司、聞こえてしまったわ。心愛ちゃんが産んだの?​こんな夜更けにここから向かうなんて、運転が危ないわ。それに、彼女もきっともう眠ってるはずよ。お産はとても疲れるものだから、邪魔をしないであげて。数時間くらい急ぐことはないわ」​慎司は頭を伏せて少し考え込み、春斗を抱き上げて実に向き直った。​
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第6話 ​

「心愛が俺の子供を連れて他人の車に乗ったって?一言も残さずに、か?」​慎司は信じられないという様子で、純矢に問いかけた。​純矢は深く頭を垂れ、目に入りそうなほどの大粒の汗を拭うことすらできず、恐る恐る答えた。​「はい。一人の男に阻まれてしまい……奥様は何もおっしゃらず、何かを抱えたまま車に乗り込まれました」​慎司は顔を険しく歪め、手にしていた花束を地面に叩きつけると、低く唸るような声を漏らした。​「監視カメラを調べろ、ナンバーを洗うんだ!一日以内だ。何としても心愛を捜し出せ!」​実家に連れ戻された私は、ソファに置かれた骨壺をぼんやりと見つめながら、長い間言葉を失っていた。​抑えきれない不安に駆られ、隣にいる上の兄・砂川勇希(すながわ ゆうき)に問いかけた。​「お兄ちゃん。この子は、一人で三途の川へ行くのを怖がってないかな。守ってあげられなかった私を、恨んでるんじゃないかな」​勇希はハッとしたように私の肩を抱き寄せ、顔色をじっと伺いながら静かに言った。​「心愛。この子を、父さんと母さんの隣に住まわせてあげよう。彼らは子供が大好きだった。おじいちゃんとおばあちゃんが一緒なら、この子だって寂しくも怖くもないはずだ」​生死に対する抗しがたい喪失感が再び込み上げ、私は顔を覆った。指の間から、涙が止めどなく溢れ出した。​「お兄ちゃん、明日この子を……お父さんたちのところに送ってあげたい」​勇希は深く頷いた。その時、彼のスマホに和希から電話がかかってきた。​「兄貴、慎司がツテを使って君たちの居場所を突き止めた。今、車でそっちに向かってる」​勇希の瞳に暗い色が宿り、冷ややかな笑みを浮かべた。​「いい度胸だ。ちょうどこっちから出向いてやろうと思ってたところだ。あのクズをどう料理してやろうか」​隣でそれを聞いた私は、兄の立場から慎司と会うのは得策ではないと考え、逸る兄を制した。​「お兄ちゃん、行かないで。あいつは私に会いに来るの。私が行くわ」​勇希は納得のいかない表情で私を見た。​「だが、体もまだ本調子じゃないだろう」​私は強く首を振り、縋るような、どこか寂しげな瞳で彼を見つめた。​「今までは私のわがままだった。目が曇って、お兄ちゃんたちの言葉に耳を貸さなかった。自分の選んだ道だもの、自分でけじめを
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第7話 ​

「明日の朝九時、A霊園で。あの子に会えるのは、それが最後になるから」​そう言い残して、私は背を向けた。慎司は私を捕まえて事情を聞こうと必死にもがいたが、四方八方から現れた数人のボディガードが壁となり、彼をその場に封じ込めた。​大雨の中、彼が周囲に押されながら惨めな姿で車に乗り込むのを見届けた後、勇希は納得がいかない様子で尋ねた。​「心愛、彼をそんなに簡単に許すのか?それに、あの子の顔を見せに行くなんて」​夜が訪れ、私は暗い窓の外を虚ろな瞳で見つめながら、拳を強く握りしめた。​「彼は父親よ。真実を知るべきだわ。​私が許すって?​彼は一生、悔い改めることになるわ。夜中にふと目覚めた時、あの子の死を思い出して眠れぬ夜を過ごし、残りの人生ずっと後悔に苛まれながら生きてもらうの。許せるわけがないよ!」​……​A霊園。​空は厚い雲に覆われ、雨は弱まるどころか激しさを増していく。​私は黒い喪服に身を包み、霊園の入り口で慎司を待っている。​九時を待たずして慎司が現れた。私を見つけるなり駆け寄り、傘を代わろうと手を伸ばしながら、不満げに口を開いた。​「こんな大雨の中、産後でまだ床上げも済んでないのに外に立って待つなんて。体に障ったらどうするんだ。本当にお前は、自分のことがおろそかだな。​あの子は山の上かい?どうしてこんな場所に連れてきたんだ?」​私は答えず、無言のまま山の上へと歩き出した。​慎司は戸惑いながら私の後に続いた。今日の空模様と同じように、朝から拭いきれない不安が彼の心に影を落としていた。​突然、彼は私の腕を掴んだ。​「心愛、その手に持っている白い花は何だ?どうして喪服なんて着てるんだ?」​彼の顔から血の気が失せ、震える唇が問いかけた。​「……誰が亡くなったんだ?」​私は彼をじっと見つめ、何かを伝えようと唇を動かした。だがその時、場にそぐわない着信音が緊迫した空気を切り裂いた。​「慎司、春斗が熱を出したの。戻ってきて、病院へ連れて行ってくれないかしら?」​慎司の瞳に苛立ちが走り、実に怒鳴り散らした。​「今日は妻と子を迎えに行くと言っただろう!春斗が病気なら、お前が病院へ連れて行け!俺が医者だとでも思ってるのか!」​実は怯えたように息を呑み、すすり泣きながら小さな声を絞り出した
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第8話 ​

「心愛……お前の言ってることは嘘なんだろ?​また俺を騙そうとしてるのか?​そうだろ?何か言え!」​私は、取り乱した慎司を見つめながら、その頬を思い切りひっぱたいた。そして、喉を震わせて叫んだ。​「慎司!近くまで行って見てみなさいよ、中に誰がいるのかを!​一昨日の夜、あなたが見捨てた子よ!あなたが、生まれてくることを許さなかった子なのよ!​この子はお腹の中で、必死に外に出ようと、生きたいってあがいてた!なのに、あなたは私を病院に連れて行くどころか、地下室に閉じ込めたのよ!」​慎司が左に視線を向けると、そこにある小さな棺の中には、無惨に血に染まった子供が横たわっている。​慎司は膝から崩れ落ちた。あまりの衝撃に魂が抜けたようになり、込み上げる悲しみと苦しみに、その心は粉々に砕け散っていく。​「嘘だ……嘘に決まってる……嘘だろ……」​彼は立ち上がろうともがいたが、腰が抜けて立ち上がれず、膝をついて這いずりながら進むしかなかった。子供に手が届きそうになった瞬間、私はその手を力一杯はねのけた。​私は慎司を睨みつけた。瞳の奥には激しい怒りの炎が渦巻いている。この男が憎くてたまらない。​「慎司!あなたには、この子に触れる資格なんてない!​見てよ、この子がどれほど可愛くて、私たちにそっくりか。殺したのはあなたよ!どの面下げて触ろうとしてるの?あなたに父親を名乗る資格なんて、これっぽっちもないわ!」​慎司の顔に絶望が広がり、ついに表情が崩れた。後悔と苦悶に苛まれ、瞳からは堰を切ったように涙が溢れ出した。​私が合図を送ると、控えていたボディガードが棺に蓋をしようとした。​慎司はそれを止めようともがいたが、ボディガードたちに阻まれた。​私は視線を落とし、無様に地を這う慎司を見下ろした。喉にせり上がる苦い感情を飲み込み、冷淡に告げた。​「慎司。これで、この子に会わせてあげたわね。​もう、二度と会うことはないわ。あなたの妻でいるために、私は十分すぎるほどの代償を払った。もう、たくさんよ。​あなたのこと、もう愛してないし、いらないわ」​その言葉を聞き、慎司は大きく目を見開いた。喉を必死に動かし、何かを訴えようとするが、息を吸うたびに涙が零れ落ちた。絞り出すような声は、ひどく掠れている。​「心愛……行かないでく
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第9話 ​

ペンキはずいぶん前に使い切られ、とっくに乾ききっていた。缶の中には薄い膜が残っているだけで、地下室に満ちているのは血の臭いだけだ。​あの夜、心愛がどれほどの苦しみに耐えていたかは、想像に難くない。それなのに自分は、彼女の助けを求める声を何度も拒絶し、あまつさえ自分の子を死へと追いやったのだ。​部屋に残されていた薬瓶を思い出した慎司は、何かに縋るような思いでパーソナルドクターの夏江を家に呼んだ。​「この薬は何ですか?早産を引き起こす可能性がありますか?」​夏絵はためらいがちに慎司を見つめ、答えた。​「……これは葉酸です。妊婦が摂取する栄養剤ですよ」​慎司の張り詰めていた背中が、ついに力なく折れた。狂ったように自分の髪をかきむしった。​――俺は一体、何をしてしまったんだ。自分の手で、我が子を殺したのか。​その狂気じみた姿に恐怖を感じ、夏江は逃げるように屋敷を後にした。​慎司はその後、佐知子を見つけ出し、地下室に拘束した。心愛が早産薬を密かに買っていたのをいつ見たのか、いつ薬をすり替えたのかを、力ずくで白状させた。​佐知子は恐怖のあまり、すべては実の差し金だったと打ち明けた。彼女自身は何も見ていなかったのだ。​慎司の瞳は怒りで真っ赤に染まった。彼は実を家に呼び出した。​実の方は何も知らず、心愛がいなくなったことで自分がこの屋敷の女主人になれると信じ込み、喜んでやってきた。これから自分を待ち受けているのが、終わりのない地獄だとも知らずに。​……​「もしもし、お兄ちゃん。どうしたの?」​その頃、私は学校へ向かう道を歩いている。海外に渡ってから、ずっと好きだったデザインの勉強を始めた。​「心愛、慎司が指名手配犯になった」​私は足を止め、その衝撃的な知らせに呆然と立ち尽くした。​「ごめん。最近の君がとても楽しそうだから、国内のことは伏せてたんだ」​私は首を振った。​「ううん、お兄ちゃんを責めたりしないよ。私のためを思ってのことだって分かってるから」​和希は言葉を続けた。​「あいつは病院のコネを使って、君のカルテを調べ回ってた。あいつがどれほどの過ちを犯したか分からせるために、俺はあえて止めなかった。その結果、あいつは君のカルテと、あの時の監視カメラの映像をすべて手に入れた。​それを見た後、
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第10話 ​

その言葉を聞いた瞬間、慎司の顔に傷ついたような色が浮かび、彼は私を力強く抱きしめた。​「心愛を殺すなんて、あり得ない。これほど愛してるんだ。お前が傷つくことなんて、これっぽっちも望んでない」​私はありったけの力を振り絞って彼を突き放し、怒鳴りつけた。​「だったら、何のために私を捜しに来たのよ?自分が指名手配されてることくらい分かってるでしょ?」​慎司は頷いて「知ってる」と答え、それから執着の滲む瞳を私に向けた。​「心愛、実のことが嫌いだっただろう?あいつはもう死んだ。春斗も戸籍から外して施設に放り込んだ。もう、俺たちの邪魔をする者はいない。​お前を捜すためだけに、ここまで来たんだ。​すべてはお前のため、あの子の復讐のためなんだ!実さえいなければ、お前を誤解することもなかったし、あの子が死ぬこともなかった!今頃、俺たちは幸せな家族になれてたはずなんだ!」​彼の言葉を聞くと、私は全身に激しい寒気が走り、一歩また一歩と後ずさりした。​彼は私の腕を掴み、さらに言葉を重ねた。​「安心して。会社の資産はすべて売り払ったし、身分も作り直した。この見知らぬ異国でなら、俺たちを知る者は誰もいない。また元の生活に戻れるんだ」​吐き気と嫌悪感が喉元までこみ上げてきて、私は恐怖を必死に抑え込みながら彼に告げた。​「もう戻れないのよ、慎司。​あなたが私に黙って菅岡を家に連れてきて、春斗くんを養子にしたあの時から、私たちの関係はとっくに壊れてたのよ!​全部菅岡のせいにするつもり?あなた自身には、これっぽっちも非がないとでも思ってるの?​私を信じず、地下室に閉じ込めたのはあなたよ!そんなあなたが、どうして私がやり直したいって思うなんて、自惚れられるの?」​私の言葉に慎司の目は真っ赤に染まり、彼はその場に膝をついて懇願した。​「心愛、お願いだ。今回だけは許してくれ。​俺が悪かった。これからはお前を大切にする。残りの人生すべてをかけて償うつもりだ。​お前がいなくなってから、一睡もできないんだ。ずっと苦しみながらもがいてる。頭の中はお前とあの子の無惨な姿ばかりで……お前を忘れられないんだ。​愛してるんだ、心愛」​私は首を振りながら、さらに後ろへ下がった。​「でも、私はもうあなたを愛してない。許すことなんて、絶対にで
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