جميع فصول : الفصل -الفصل 10

10 فصول

第1話

父は「たくましい男を育てる」という教育理念を信条としていた。幼い頃、二科目で満点を取った僕・小野田安弘(おのだ やすひろ)に、父はこう言い放った。「成績など何の意味もない。本物の男なら、五階から飛び降りてみろ」その後、見ず知らずの人を助けて表彰されたときも、父は鼻で笑った。「かすり傷ひとつ負っていないのに、何が表彰だ?」僕は、父なりに僕を鍛えようとしているのだと思っていた。だが大晦日、父は「特訓」の名のもとに、僕をたった一人で雪山へ置き去りにした。テントも与えず、火種ひとつ残さずに。そのうえ父は得意げに、親戚や友人たちへ自分の教育法を吹聴していた。「本当の男ってのは、絶境の中でこそ生まれ変わるものだ!ちゃんと言ってやったんだ。頂上まで這い上がってこなければ、父親と呼ぶな、と!」だが、彼の携帯に表示されている、僕の位置を示すGPSの赤い点は、すでに三時間も動いていなかった。僕はとっくに、雪の中で凍え死んでいた。手には一枚の紙片を握りしめ、そこには父への遺言が綴られていた。そして僕の魂は、食卓の上に漂いながら、父が自分のやり方を誇らしげに語る様子を見下ろしていた。……父はふと視線を落とし、スマートフォンを一瞥した。口元に浮かんでいた得意げな笑みは消えるどころか、むしろ一層濃くなる。「ほら、二時間も動いてないぞ」そう言って、画面を伯父の目の前に突きつけ、静止した赤い点を指で二度、強く突いた。「あいつめ、どうせ俺に意地張って、風下の斜面かどこかに隠れて寝てるんだろ。俺はあいつのことをよく分かってる。母親と同じで、ちょっと困るとすぐに縮こまる性格だ。ちゃんと言ってやったんだ。今夜十二時までに山頂まで登れなければ、来学期の生活費は半年停止だってな」食卓の上に漂う僕は、胸の奥が苦くてたまらなかった。吹雪はあまりにも急だった。僕は方向を見失った。低体温で幻覚を見始め、父から施されたあの薄っぺらいシェルジャケットさえ脱ぎ捨ててしまった。死の間際、僕はなおも父が助けに来てくれると幻想を抱いていた。伯母は肩をすくめ、窓の外で荒れ狂う吹雪を一瞥した。「ねえ、剛(ごう)さん。この雪、相当なものよ。ニュースでも警報が出てるわ。安弘はちゃんと防寒できてるの?」父は脂の多い肉を飲み込み、
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第2話

僕は顔を背け、窓の外を見た。闇が天地を飲み込み、その向こうで……僕の体はゆっくりと硬直し、やがて一塊の氷へと変わりつつあった。それに比べて、この部屋はどうだ。杯を交わし、笑い声が絶えず、暖かさに満ちている。本当に、いいものだ。父さん。そんなに絶体絶命の状況が好きなら。きっと気に入るだろう。僕が用意した、この新年の贈り物を……そのとき、激しく扉を叩く音が鳴り響き、けたたましい呼び鈴の音と重なって、テレビから流れていた歓声を一瞬でかき消した。部屋の中の笑い声は、ぴたりと止まった。伯父の指に挟まれていた煙草が小さく震え、灰がズボンの上に落ちた。父は不機嫌そうに眉をひそめ、箸をテーブルに強く叩きつけた。「誰だ?こんな時に縁起でもない、葬式の知らせでも持ってきたのか?店員!どうなってる?誰でも勝手に入れるのか?」次の瞬間、個室の扉が勢いよく押し開けられた。母が立っていた。全身に雪をまとい、髪は乱れて顔に張り付いている。「剛!どうして安弘の電話がつながらないの?なんで電源が切れてるのよ!」父はその姿を見ても、眉間に深い皺を寄せるだけで、体をわずかに後ろへ引いた。ゆっくりとティッシュを一枚取り出し、口元を拭く。立ち上がることすらしない。「何を騒いでる」父は冷笑した。「ここで暴れる気か?どうした、あのヒモ男にでも捨てられて、また金でもせびりに来たのか?」母はテーブルの前に駆け寄り、両手を突いて身を乗り出す。爪がテーブルクロスに食い込み、関節が白くなる。「息子はどこなのよ!こんな大雪で、ニュースでは入山規制が出ているって言ってるのよ!あの子をどこに連れて行ったの!?」父は酒杯を持ち上げ、一口含み、蔑むような視線を向けた。「あいつは特訓中だ。男になるための特訓だ。何だ、心配か?そもそもお前が甘やかすから、肩一つで荷物も担げない、何もできない腑抜けに育ったんだろうが。だから俺が鍛え直してやってるんだ」母の声が一気に鋭く跳ね上がる。「特訓ですって?」彼女はテーブルの上の酒瓶を掴み取り、そのまま床に叩きつけた。パリン。ガラスが飛び散り、酒が四方に広がった。親戚たちは悲鳴を上げ、叔母は耳を押さえて夫の後ろへ隠れた。「剛、あなた人間なの!?安弘は喘息持ちなの
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第3話

母は青ざめた顔で、震える声を振り絞った。「三時間も動いてないのよ!こんな寒さの中で、三時間もじっとしていたら、どんな人だって凍え死んでしまう!あの子、きっと何かあったのよ!」父はスマートフォンをひったくり、ろくに画面も見ようとしない。「くだらん!休んでるだけだ!体力を温存してるんだよ!お前に野外サバイバルの何が分かる!これは戦術的な休憩だ!誰もがお前みたいに、少し歩いただけで音を上げると思うな!」母は首を振りながら、声を震わせた。「違うの……安弘は言ってたの……雪の中で三十分以上止まっていたら、それはもう歩けなくなってるって……必ず助けてほしいって、約束したのよ……」父は苛立たしげに遮った。「約束だと?弱者の言い訳だ!あのガキ、俺に隠れてお前と連絡を取ってやがったのか。いい度胸だな、俺を山から引き下ろそうって腹か?そんな手に乗るか!」母はその場に崩れ落ち、父の脚にすがりついた。「剛、それは一つの命なのよ!お願い、頼むから……頭を下げるから……あの子を見に行って、せめて救助隊に連絡して……お願い……!」父は母の胸を蹴りつけ、容赦なく突き飛ばした。「離れろ!ここでみっともない真似をするな!今日は大晦日だぞ!皆で楽しくやってるのに、水を差しやがって!救助隊だと?俺の面目を潰す気か!そんなもの呼んだら、俺が息子一人まともに鍛えられない男だって、世間に知られるじゃないか!」宙に漂う僕は、その光景をただ見ているしかなかった。母が蹴り倒され、手から流れた血がカーペットを赤く染めていくのを。駆け寄って抱きしめたかった。母さん、もうやめて。あの人に何を言っても無駄だ。あの人は僕の命なんて気にしていない。気にしているのは、自分の体面と権威だけだ。僕は手を伸ばし、母の頬の涙を拭おうとした。だが、その手は彼女の顔をすり抜けた。その無力さは、死そのものよりも苦しかった。母さん、ごめん。僕が弱かった。あの人の言葉に従うべきじゃなかった。あのわずかな生活費のために、ただ一度でも父に認めてもらいたくて、こんな地獄のような場所へ来るべきじゃなかった。あなたの言う通り、もっと早く逃げるべきだった。たとえ働いてでも、たとえ物乞いになってでも。もう、遅すぎる……「
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第4話

「見ろ、やっぱりあいつは死んだふりをしてただけだ!俺と心理戦をやってるつもりなんだ!」母は顔を上げ、先ほどまで色を失っていた目に、かすかな希望の光を宿した。「動いたの?本当に……?」四つん這いになって近づき、画面を覗き込もうとする。父は今度は突き放さず、むしろ得意げに見せつけた。「よく見ろ!まだ動いてる!しかもペースも悪くない!」ゆっくりと移動する赤い点を指差しながら、父は鼻で笑った。「俺が相手にしないから、生活費を本当に止められると思って焦ったんだろうな。根性のないやつだ。こうやって追い込まなきゃダメなんだよ!」母はその赤い点を見つめ、再び涙をこぼした。だが今度は、安堵の涙だった。「動いてる……よかった、本当によかった……!」その場に崩れ落ち、両手を合わせた。「どうか、どうか守ってください……」親戚たちもほっと息をついた。叔母が場を取り繕うように笑った。「ほらね、安弘は体は弱いけど、ちゃんと言うことは聞く子よ。義姉さんも心配しすぎよ。いくらなんでも実の父親が、子どもを危険な目に遭わせるわけないでしょう?」伯父も酒杯を持ち上げた。「そうだそうだ、杞憂だったな。さあ、飲もう、飲もう」張り詰めていた空気は一気に緩み、先ほどの険悪なやり取りなど、ただの些細な騒ぎだったかのように消えていく。だが、宙に漂う僕だけは、その赤い点を見つめながら、骨の髄まで凍るような寒気に襲われていた。あれは僕じゃない。あれは、狼だ。意識を失う直前、僕は遠くない場所で狼の遠吠えを聞いた。岩陰のすぐ向こうだった。今ごろ僕の亡骸は、あの飢えた野狼に引きずられ、雪の上に長い血の跡を残しているはずだ。牙が脚に食い込み、そのまま巣へと運ばれていく。新年の獲物として。赤い点が一度跳ねるたびに、それは僕の体がさらに引き裂かれる瞬間だった。父は見下ろすように母を見て言った。「分かっただろ?危うくお前に台無しにされるところだった。さっき本当に通報なんかしてたら、警察が山に行って、あいつが元気に登ってるのを見て、僕の面目はどうなってた?虚偽通報で罪に問われるところだったぞ!」しゃがみ込み、母の額を指で何度も突く。「この疫病神が。危うく、あいつの人生で一番大事なことを潰すところだっ
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第5話

そして僕は祈っていた。あの狼が、少しでも早く食べ終わってくれるようにと。せめて、父が、僕の死体に向かって、あの吐き気のするような教育を施す機会など、二度と与えられないように。時間は一秒一秒、容赦なく過ぎていく。壁の掛け時計は、十一時五十分を指していた。部屋の空気は、どこか異様に歪み始めている。あの赤い点は、あの短い移動を最後に、二度と動いていない。第一キャンプ場から四百メートルの地点で、ぴたりと止まったままだった。父は酒が回り、時間を一瞥すると、スマートフォンをテーブルに叩きつけた。「あと十分だ」親戚たちを見回すその目は、焦点が定まらず、それでいて妙に熱を帯びている。「賭けるぞ。あいつは十二時ぴったりに入ってくる。もうとっくに着いてて、ドアの前で俺を驚かせようと待ってるんだ。あいつは昔からそういう奴だ。俺に気に入られたくて、でも素直に言えない。高い酒を一本賭ける。入ってきたらまず土下座して、父さん、俺が間違ってましたって言うに決まってる」父は高らかに笑った。その笑い声は、静まり返った個室の中でやけに耳障りだった。誰も相槌を打たない。伯父は黙って煙草を吸い、叔父はスマートフォンをいじるふりをし、伯母は落ち着かない様子で手を擦り合わせている。誰もが、何かがおかしいと感じていた。ただ一人、母だけが、あの赤い点を見つめ続け、唇を噛みしめすぎて血を滲ませていた。ゴーン。遠くから、新年を告げる鐘の音が響く。続いて、窓の外に無数の花火が咲き乱れた。赤、緑、金……漆黒の夜空を昼のように照らし出す。歓声が、かすかに届く。十二時。この個室の扉は、固く閉ざされたまま、誰も入ってこない。誰も、膝をついて謝る者などいない。父の笑みが、凍りついた。扉を睨みつけるその視線は、まるで穴でも穿とうとするかのようだった。一分経過。二分経過。五分が経過しても、扉は微動だにしない。父の面子は、完全に潰れた。あれほど大口を叩き、賭けまで持ち出したその言葉は、今やただの笑い話でしかなかった。「……クソが」吐き捨てるように呟き、スマートフォンを掴んだ。「このガキ……俺をコケにしやがって……」電話をかけた。プルルル……長い呼び出し音。その一音一音が、父の張り詰
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第6話

「その紙切れを握りしめるために、彼の指は折れてたんだぞ!お前、本当に人間か!? あの子はお前の息子だろうが!あんな薄着で雪山に行かせるなんて……お前は鬼か!」この場にいた全員が、凍りついた。伯父の手から煙草が落ち、ズボンに焼け穴を作った。だが本人は気づきもしない。母は短い悲鳴を上げ、そのまま椅子ごと後ろへ倒れ込んだ。父だけが、スマートフォンを握ったまま、動かない。「何を言ってる?必ず詐欺だ。最近の詐欺は手が込んでる……金を騙し取る気か?ゆすりか?ふざけるな!俺の息子は元気だ……特訓中なんだ……あいつは……」ツー。通話は切れた。その直後、一通のメッセージが届く。画像付きの通知。父の指が震えた。画面を開こうとしても、何度押しても定まらない。やがて、伯父が震える手でスマートフォンを取り、代わりにその画像を開いた。それは、強力なライトに照らされた写真だった。白く凍てついた雪。黒く突き出た岩。その窪みの中に、一体の、青黒く変色した身体が、縮こまるように横たわっていた。あの薄いシェルジャケットは、無残に引き裂かれ、下からは痩せ細った背骨がむき出しになっている。顔は雪に埋もれ、表情は見えない。だが、空へ向けて硬直したまま掲げられた、その手。血に染まった、半分に裂かれた紙切れを、力の限り握りしめている。完全な静寂。窓の外で吹き荒れる風の音だけが、やけに大きく響いていた。母は地面から這い上がり、父に飛びかかると、その手首に噛みついた。「あああっ!」父の悲鳴。スマートフォンが手から滑り落ち、まだ熱の残るスープの中へ沈んだ。油が跳ねたが、そんなことに構う余裕はない。父は母を蹴り飛ばした。「気でも狂ったか!何をする!」血のにじんだ手首を押さえながら、周囲を見回した。その視線の先にあったのは、距離を取る親戚たちの姿だった。誰一人近づこうとせず、目には露骨な恐怖と嫌悪が浮かんでいる。「殺人犯……」母は床に伏したまま、カーペットを爪で引き裂くように掻きむしりながら叫んだ。「あなたは殺したのよ……安弘を!」父は怒鳴り返した。「黙れ!何が殺人犯だ!事故だ!事故なんだよ!それに……その写真だって本物とは限らない!今どきの加工技術は……救助隊だって金目的かも
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第7話

叔父もついに我慢の限界に達し、手にしていた酒杯を床へ叩きつけた。「もういい加減にしろ!兄さん、それは一つの命だぞ!どうしてそんなことが言えるんだ!体が弱いからって、死地に追いやるのか!?それは教育じゃない、殺人だ!」父は取り乱したように叫んだ。「俺は殺してなんかいない!全部あいつのためだ!強くするためだ!この社会で生きていけるようにするためだ!俺が間違ってるのか!?なあ、俺が悪いのか!?」部屋の中をぐるぐると歩き回り、そこにいる全員を指差す。「お前らに何が分かる!俺を妬んでるだけだろ!俺のやり方が気に入らないんだろ!俺の覚悟が妬ましいんだろ!少し問題が起きたくらいで、寄ってたかって俺を責めやがって!」そして、狂気じみた声で吐き捨てた。「まだ息がある限り、俺の負けじゃない!まだ鍛え直せるんだ!」僕は、宙からその姿を見下ろしていた。この男は、信じていないのではない。信じることができないのだ。僕が死んだと認めた瞬間、自分が僕を殺したと認めた瞬間、彼が誇ってきた「教育法」も、築き上げてきた「強い父親像」も、すべてが音を立てて崩れ去った。だから彼は、僕が演技しているのだと信じ込もうとした。僕が弱かったのだと、根性がなかったのだと。たとえ、僕がすでにただの亡骸になっていたとしても。個室の扉が、再び開いた。制服姿の警察官たちが数人、無言で入ってきた。その後ろには、顔色を青くした救助隊隊長の強が立っていた。彼の手には、見覚えのあるリュックが握られている。血と雪に汚れた、僕のリュックだった。警察官が父を冷ややかに見据え、手錠を取り出した。「小野田剛さんですね。過失致死の容疑で、署までご同行願います」父はそれを見た瞬間、初めて明確に狼狽した。後ずさりし、椅子を蹴倒した。「いや!行かない!俺は人を殺してない!俺は父親だぞ!親が子を教育するのは当然だ!警察に口出しされる筋合いはない!」警察が二人、前に出た。抵抗する間もなく、父はテーブルに押さえつけられた。冷たい手錠が、その手首を締め上げた。「連行する」父は引きずられるように外へと連れて行かれた。母の前を通り過ぎるときも、なお叫び続けていた。「なあ!お前からも言ってくれ!それは特訓だったんだ!俺はあいつ
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第8話

それはノートから引きちぎられた一枚の紙だった。端はぎざぎざで、血が滲み、雪に濡れた跡が残っている。文字は歪み、震えていた。極寒の中、凍えた指で無理やり書いたものだと、一目で分かる。父は手を伸ばし、震えながらそれを受け取った。何が書かれていると思ったのか。自分への非難か。それとも呪いか。あるいは、助けを求める叫びか。紙切れを広げた。僕も、その傍へと漂った。それは、僕が死ぬ直前、最後に残ったわずかな意識で書いた言葉だった。そこには、たった一行だけ。【父さん、ごめんなさい。もう登れません。恥をかかせてしまいました】父の体が、完全に固まった。その一行を見つめ、目を見開いたまま動かない。「俺に、謝ってる……?」ぽつりと漏れた声。「俺に、ごめんなさいって……」やがて、その男の目から、初めて涙が溢れた。だがそれは、僕のためではない。自分のためだ。自分のくだらない自尊心が、このみじめな謝罪によって、粉々に砕かれたからだ。彼は、僕が恨むと思っていた。罵ると思っていた。そうであれば、まだ言い訳ができた。「出来の悪い息子だ」「恩知らずだ」と。だが違った。僕は、死ぬその瞬間まで、彼に認められようとしていた。自分が足りなかったのだと、悔いていた。彼の顔を潰してしまったのだと、気にしていた。最後まで、彼の面子を守ろうとしていた。「ああああああっ!!」父が突然、絶叫した。そのまま地面に額を打ちつけた。一度、二度、三度……額が裂け、血が流れても止まらない。「安弘……安弘……!父さんが悪かった!俺は人間じゃない……畜生だ……!」涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕の手にすがろうとした。だが、強がそれを強く払いのけた。「触るな!」目を赤くし、怒鳴った。「お前に触れる資格はない!恥だと言ったな?あいつがどれだけ粘ったか、分かってるのか!バッテリーを節約するためにライトもつけず、三時間も雪の中を這い続けたんだぞ!その装備じゃ、特殊部隊の兵士でもとっくに諦めている!あの子はな、お前に認めてもらうために、お前に恥をかかせないために……凍え死んだんだ!」父はその場に崩れ落ちた。「知らなかった……」まだ、言い訳を続けている。無知という殻に逃
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第9話

会社からも解雇通知が届いた。理由は、【社会的道徳に著しく反し、会社の名誉を毀損したため】。彼が誇りとしていた仕事は、消えた。あの家族の栄光も、もうどこにもない。彼は空っぽになった家に一人で座っていた。壁には、僕の幼い頃からの表彰状が貼られていた。【優等賞】【学級委員表彰】【数学コンテスト最優秀賞】……その一枚一枚の陰には、彼の「教育」という名の暴力だ。すべてはベルトで叩きながら作り上げた成果だ。「一位じゃなければ飯は抜きだ!……泣くな!男は泣かない!……この程度の苦しみも耐えられないなら、将来どうやって人の上に立つ!」父はそれらの賞状を見つめながら、酒を飲み続けた。一本、また一本と。酔うと、幻聴が聞こえるようになった。「父さん、寒いよ……父さん、もう歩けない……父さん、置いていかないで……」「うるさい!やめろ!」耳を塞ぎ、家の中を暴れ回った。花瓶を倒し、椅子を蹴り飛ばした。暖房を最大にし、布団を二枚かぶっても、それでも寒かった。僕が死ぬ前に味わった苦しみが、少しずつ彼へと返っていった。……父は壊れた。あるいは、崩壊の淵でようやく見つけた、最後の自己救済だったのかもしれない。彼は頑なに信じていた。あの雪山にもう一度行き、僕が経験した苦しみを自分も味わえば、僕に許してもらえるはずだと。あるいは、自分の理論が正しかったと証明できるはずだと。「安弘を迎えに行く」鏡の前で呟いた。髭は伸び放題で、目は狂気に濁っていた。「父さんが迎えに行く。服も持ってきたぞ」彼は僕と同じリュックを背負った。中にはダウンジャケット、カイロ、保温ボトルが詰め込まれていた。かつて、僕には一つも与えなかったものだ。彼は一人で、あの雪山へ向かった。その日は、大晦日の夜よりも激しい吹雪だった。第一キャンプ場に着いた瞬間、すでに呼吸が乱れ始めた。高山病のような症状で、喉を掴むように苦しんだ。彼は初めてそれを知った。一歩ごとに、肺が裂けるような痛み。「安弘……」吹雪の中で僕の名を呼んだ。返事はなかった。あるのは風の音だけ。彼はよろめきながら登っていった。それは僕が辿った死の道だった。やがて、あの岩の裂け目に辿り着いた。僕が死んだ場所だ。
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第10話

かつて「誰よりも根性がある」「五キロ走ったことがある」と豪語していた彼は、今や車椅子なしでは生きられない廃人となっていた。法廷では、車椅子に座ったまま、中身のないズボンの裾が、エアコンの風に揺れている。被害者遺族として出廷した母は、その向かいに立っていた。以前より痩せていたが、眼差しは揺るがなかった。「被告人、小野田剛を、過失致死の罪により懲役七年に処します」裁判官の木槌が下ろされた。父は反応しなかった。ただずっと、自分の切断された脚を見つめている。ふいに顔を上げ、不気味な笑みを浮かべた。「はは……俺の勝ちだ」虚空に向かってそう呟く。目は焦点を失っている。「俺の方が一時間長く耐えた……俺は……誰よりもたくましい父親だ……」傍聴席がざわめいた。誰もが化け物を見るような目をしていた。だが母だけは分かっていた。彼は完全に壊れたのだと。現実ではなく、自分の妄想の中で生きている。二度と覚めることのない悪夢の中で。収監前、彼は一つだけ要求した。墓に行かせてほしい、と。警察はそれを許可した。車椅子のまま、彼は僕の墓の前に連れて来られた。墓石の前に、一枚の写真が置かれていた。彼が一度も見たことのない写真。それは母と僕が公園でこっそりアイスクリームを食べている姿だった。写真の中の僕は、屈託なく笑っていた。目は月のように細く、口元にはクリームがついていた。彼の知らない僕。「たくましい男を育てる教育方法」に汚されていない、ただの子どもの僕。父はその写真に手を伸ばし、僕の頬に触れようとした。だが指先は、何も掴めなかった。……刑務所で、父は有名な狂人になっていた。毎日、壁に向かって話しかけ、空気に箸を伸ばす。「安弘、肉を食え。しっかり食べないと強くなれないぞ。今日は何キロ走った?いいぞ、成長してるな」囚人たちは彼を嫌い、時に殴った。だが彼は抵抗しない。ただ頭を抱え、呟き続ける。「顔はやめてくれ……明日は息子を特訓に連れて行くんだ……」雪が降る夜になると、足の痛みが骨の奥まで突き刺さる。その痛みは、かつての僕の痛みだった。彼は一晩中叫び続けた。寒い、助けてくれ、と。それは、僕の痛みが彼に移った結果だった。僕は彼に、あの大晦日のすべてを生き直
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