All Chapters of 娘の死より初恋?戸籍を消しクズ夫に復讐する: Chapter 11 - Chapter 19

19 Chapters

第11話

一方、バルマ連邦北部。激しい雨が降り注いでいた。熱帯気候特有の猛烈な暴雨が、トタンの屋根を容赦なく叩き、耳をつんざくような音を立てている。学がランゴン国際空港に降り立った時、バルマ連邦はちょうど雨季だった。湿り気を帯びたむっとするような空気が押し寄せ、学は一瞬、息が詰まるのを感じた。潤が学の背後で顔色を曇らせながら告げた。「社長、調査の結果、奥様の最後の連絡先はその親戚の近藤豪(こんどう ごう)という人であることが分かりました。近藤さんはマンテラ市に住んでいます。ただ、3日前に近藤家は一族揃って姿を消しました。隣人によれば、何か事件に巻き込まれたのではないかと慌ただしく立ち去ったそうです」「マンテラ市へ行く」学は躊躇なく言い放った。こうして、彼はマンテラ市にある近藤家の屋敷を訪ねたが、既に誰もいなかった。学は大金を積んで聞き込みを行い、近藤家の一族が、バルマ連邦北部にある小さな町に嫁いだ娘のもとへ戻っているらしいという噂をようやく突き止めた。バルマ連邦北部。そこは争いが絶えず、麻薬が蔓延する、現地の政府さえも立ち入ることができない無法地帯だった。それを知って、学の心は深淵へ沈んでいった。「社長、あちらは治安が悪く、しかも最近紛争が激化しているため、極めて危険です」と潤が制止を試みる。「車を用意しろ」学はそれを遮り、「今すぐ行くぞ」と命じた。そして、マンテラ市からバルマ連邦北部まで、丸一日かけての車移動となった。その間、学は一睡もすることができなかった。頭の中で、あの3年間の記憶が何度も繰り返された。泉が初めて離婚を切り出した時、自分は言った。「泉、いい加減にしてくれ。わがままを言っているだけだろ?」そして、泉が家を出たあの日、自分は言った。「頭を冷やすために少し距離を置くのもいいだろう。落ち着いたら帰ってきなさい」そして、裁判のあと泉がサインをした時、自分は言った。「離婚などただの形式に過ぎない。お前はいつまでも俺の妻だ」その時、自分はいつか泉が戻ってくるだろうと思っていた。時間は解決してくれると思っていた。根気強く、愛情を注ぎ続ければ、いつかは泉も許してくれると信じていた。だが、すべてが間違っていた。道中は酷い状態で、大雨で土砂崩れが起きている箇所もあり、大きく迂回しな
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第12話

どこからともなく現れた2隊の武装の警備員が、学たちを左右から取り囲んだ。そして、これらのフル装備で自動小銃を構えた警備員たちは、無表情に立ち尽くしていた。「私有地につき、立ち入り禁止です」警備員の一人が聞き慣れないアクセントの英語で叫んだ。学は英語で言い返した。「夏川泉という人に会いに来ました。彼女に、『学が来た』と伝えてください」警備員たちが目配せし、一人がトランシーバーで何かを連絡した。数分後、トランシーバーから返答が聞こえてきた。それを聞き終えた警備員が学に告げた。「会うつもりはないと、すぐに帰れと言っています」「帰らなかったらどうなるんですか?」警備員は銃を突きつけた。「ならば、実力行使までです」銃口を向けられた学は、不意に笑みをこぼした。それはひどく疲れたような笑みだった。目の下の隈は深く、顎には無精髭が生え、スーツはしわくちゃで、いつもの夏川グループの社長の品格は跡形もなかった。「泉に伝えてください」と、学は一語一句かみしめるように言った。「会ってくれるまで、ここで待つ、と。死ぬまで」警備員はもう一度トランシーバーに何かを話した。今度はさらに長い時間が過ぎた。風が強まり、空も曇り始めた。雨が降ってきそうだった。ようやくトランシーバーから新たな指示が伝わってきた。銃を下ろした警備員が言った。「立ち入りを許可します。ただし一人だけで、武器やスマホの持ち込みは不可です。ボディーチェックをさせてもらいます」学は両手を上げた。「構いません」ボディチェックは徹底的だった。靴の裏まで入念に調べられた。危険物がないと確認された後、学はゲート内へ案内された。そして、奥の敷地内に近づくと、入口に立っている人影が見えた。泉だった。簡素な白い麻のワンピースを着ていた。風に髪をなびかせ、無表情で学をじっと見つめている。それはなんともよそよそしい目線だった。一方、学は歩みを速めた。泉はずいぶんと痩せていた。頬はこけ、鎖骨が浮き上がり、手首は前よりも細くなったようだ。しかし、その瞳――かつてキラキラとして、何よりも優しく心を癒してくれたあの瞳には、もう荒れ果てた静けさしかなかった。「泉……」学の声は掠れてしまった。泉は何も答えず、背を向けて歩き出した。学はその後を追った
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第13話

そして、建物の地下に作られた、冷え切った空間で。美羽は、時間の感覚を失っていた。窓のない部屋に、殺風景な照明が眩しく灯り続けている。椅子に縛り付けられ、壁一面に貼られた柚葉の写真を眺める日々がどれだけ続いたのか、もう分からなかった。ここでは、時間はもはや無意味なものだった。そんな中、時折、泉がやってきて、新しいものを見せに来るのだった。柚葉が描いた、歪な形の太陽と花。幼い声で歌う曲の録音。まだミルクのシミが残る、小さな洋服たち。あるいは、ただ泉が物陰で座り込んでいることもある。そんな時泉は何時間も動きを見せず、ただ黙々とそれらの写真を見つめているのだった。そして、その沈黙の方が、どんな言葉よりもぞっとさせるものがあった。美羽の精神は、徐々に崩れかけていった。幻聴が聞こえるようになった。部屋の隅で笑う柚葉の影、耳元で響く泣き声、衣類を引っ張る小さな手の感触をも確かに感じるようになった。「ごめんなさい……許して……私が悪かったの……」と、美羽は空気に向かって独り言を呟いた。涙はもう枯れ果て、掠れた声だけが部屋に響いた。その日、再び泉がやってきた。彼女はテレビを一台押し出してきた。「今日は少し面白いものを見せてあげる」泉は平坦な声で言った。画面には、監視カメラの映像が映し出されていた。そこに映っていたのは、美羽の入院生活だった。他の患者と談笑し、看護師とふざけ合い、中庭で日向ぼっこをし、イベントでは楽しげに歌っている様子だ。「楽しそうに過ごしているわね」泉が淡々と続ける。「ここ3年で体重も増え、顔色も良い。主治医さえ『順調に回復している』と言っていたそうじゃない」美羽は体を震わせた。「違うわ……そんなつもりじゃ……」しかし、映像が切り替わった。それは、退院の日、鏡に向かって口紅を塗る美羽の姿だった。「学に会えるんだもの。可愛く見せなきゃね」鏡の中の自分に向かって、美羽はあざとく微笑んだ。「あの無能な女は今も家で泣きべそかいてるかしら?本当に滑稽だわ」そこで、泉は映像を止めた。「滑稽?」と泉は問いかける。美羽は必死に首を横に振った。「いや……違う、そうじゃない……」「何が?」泉は歩み寄ると、身を屈めて美羽を見つめた。「精神病院から出られて、既婚者との不倫を
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第14話

数秒後、通話が繋がった。スマホの画面には学の顔が映し出された。彼は疲れ切った様子で、目は真っ赤に充血している。背景を見ると、山の深い森の中にいるようだった。「泉?やっと会ってくれる気になったのか?今どこにいるんだ?ちゃんと話し合おう」だが、泉は何も答えず、スマホのカメラを美羽に向けた。すると、学の表情が険しくなる。「美羽?どうしてそこに……泉、美羽に何をした?」「何もしてないわ。ただ招待しただけ」泉は冷静に続けた。「学、一つ選ばせてあげる。3年前の廃棄された倉庫での出来事を覚えているでしょ。あの時、あなたが選択を迫られたみたいに」泉は美羽のそばへ歩み寄り、ポケットから小さなナイフを取り出した。小さな刃だが、鋭く研がれている。ライトを反射して冷たく光った。「このナイフを使って、これからあることをするわ」泉は言った。「この刃を後藤さんに向けるか、それとも私に向けるか。決めて」それを聞いて、学は一瞬息が詰まった。「泉、どうかやめてくれ……」「後藤さんを選ぶなら、彼女の手首を切り裂いて、血が抜けていく感覚を味わせてあげる」泉は平然と告げる。「私を選ぶなら、自分の手首を自分で切るわ。愛しているって言ってたでしょ?あなたの真心を見せて」「やめろ……そんなことやめてくれ……」学の声が震えている。「どうして?選べないの?」泉が冷ややかに学を見つめる。「3年前も同じことをしたでしょ?柚葉と後藤さんの間で、あなたは後藤さんを選んだ。またチャンスをあげるわ。選んで。後藤さんか、私か?」美羽は画面の中の学を見て、涙と鼻水でくちゃくちゃになった顔で怯えながら、首を横に振った。一方、学も顔が青ざめた。「泉、頼む、こんなことはやめてくれ。ちゃんと話そう……俺が悪かった。反省している……頼むナイフをおろしてくれ、お願いだ……」「選びなさいよ!」泉は突然声を張り上げ、ナイフの先を美羽の首に突きつけて、か細い血痕をつけた。痛みを感じた美羽は悲鳴を上げた。一方、学は目を閉じ、額に青筋を浮かべた。そして、3年前のあの日の午後の光景が、フラッシュバックする。犯人の狂った笑い声、美羽の叫び声、そして柚葉の泣き声……自分が口にした言葉が甦る。「美羽は体が弱いんだ、きっと耐えられないはず。柚葉はまだ小さいし、子供相
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第15話

「でも、あなたは3年前に柚葉を捨てることを選んだ」泉は遮った。「あなたの中では、後藤さんの命の方が、私と柚葉の命よりも常に重いのね」そう言うと、泉は画面をオフにした。そして、部屋の中に再び静寂が戻った。美羽はまだ泣いていたが、その声は聞こえないほどだった。泉はナイフをしまい、美羽の目の前まで歩み寄ると、しゃがみ込んでその視線と高さに目を合わせた。「見ての通りよ」泉は静かに言った。「これがあなたの愛した男の姿。死を目の前にした時、学はいつでもあなたを優先し、他人を切り捨てるの。3年前は柚葉が、3年後は私が見捨てられる相手だった。あなたたちの愛って本当に感動的ね」美羽は首を振り、何か言おうとしたが、声にならなかった。「でもね、後藤さん」泉の声は、まるでささやきのようにさらに低くなった。「学が選んだのは、あなたを愛しているからじゃない。私と柚葉を愛していないだけ。彼にとって、私たちは最初からどうでもよかったの。あなたも同じ。学が本当に大事にしているのは、彼自身と、彼が思う『自己判断』よ」泉は立ち上がると、最後に美羽へ一瞥を向けた。「勝利の味を楽しんで、後藤さん。たとえそれが、3歳の子供の命と引き換えにしたものだとしてもね」そう言い放ち、泉は背を向けて立ち去り、ドアを閉めた。こうして、部屋の中には、また美羽と、壁一面に貼られた柚葉の写真だけが残された。どの写真の中でも、幼い柚葉はあどけなく、幸せそうな笑顔を見せている。その笑顔を見て、美羽は不意に何年も前の自分の顔を思い出した。当時はまだ幼く、両親も仲が良く、兄も生きていて、自分は夏川家のお姫様として何不自由なく育ったのだ。いつからこんなことになってしまったのか?確か、泉が柚葉を抱き、学がそばで優しく笑っているのを見た時からだった。その突如湧き上がった猛烈な嫉妬心に、彼女は飲み込まれてしまいそうになった。なぜなのか?どうして泉ばかりが、自分の欲しいもの全てを持っているのか?理想の結婚、愛してくれる夫、可愛い娘、立派な肩書……どうして?だから彼女は学に近づき、手段を選ばず彼を誘い、か弱く、健気で、献身的な女性を演じた。拉致を計画したのも、泉を脅かし、本当に守られるべき存在は誰かということを学に思い知らせるためだった。けれど、犯人にど
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第16話

それから学はあのアジトのある場所に一週間も滞在した。だが、泉は二度と彼と会おうとはせず、電話に出ることもなかった。一方、学自身はアジトの近くに軟禁されていた。監視がついたため、別のエリアには立ち入れない状態だった。それでも、学はその場を離れるつもりはなかった。もし今回ここを去れば、泉を一生失うことになると分かっていたからだ。7日目の夜、突然監視していた男たちが姿を消した。異常を感じた学は、敷地を飛び出し、奥にある建物へ向かって駆け出した。月明かりのない暗闇の中、荒い波音が岩場に叩きつけていた。記憶を頼りに例の白い建物へ辿り着くと、ドアは開いたままで、中は空っぽだった。地下へ続く入口も開いており、階下から灯りが漏れているのだった。学は一瞬だけ躊躇い、階段を下りていった。長く続く廊下。ぎらついた照明の下、空気には消毒液のような、何とも言えない匂いが漂っていた。かすかに聞こえる声。女の声が、何かを歌っている。それは『お星さま』だ。柚葉が一番好きだった歌だ。「お星さまきらきら。まばたきしてはきらきら光る」学の胸は高鳴った。声を頼りに、彼は足早に部屋へ駆け込んだ。ドアは半開きになっていて、そこから歌声が響いてきた。そして彼がドアを押した瞬間。そこに広がる地獄のような光景を目にした。美羽が椅子に縛り付けられ、柚葉の遺影で埋め尽くされた壁に向かわされていた。彼女はかすれた声で、断続的に歌を口ずさんでいた。しかしその瞳に光はなく、口元だけが歪な笑みを浮かべていた。手首には深い切り傷があり、血はすでに乾いていたが、足元にはおびただしい血溜まりが残っている。泉は隅の陰に座り込み、柚葉の骨壺を我が子を寝かしつけるように抱きしめていた。「泉……」学の声は震えていた。泉は顔を上げて、彼を見つめた。その眼差しは穏やかで、それがかえって異様だった。「来たのね」泉は静かに言った。「ちょうどよかったわ、最後の審判に間に合ったわよ」「美羽が……」「自殺したのよ」泉は淡々と言った。「私が渡しておいたナイフで。わざと置いておいたの。後藤さんならきっとそうすると思っていた。罪悪感に耐えられなかったのよ、そもそも良心なんてものが彼女にあればの話だけど」学は美羽に駆け寄り、呼吸を確認し
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第17話

「ごめん……」と学が呟いたが、もう遅すぎた。全てが終わっていた。「謝ったって無駄よ、学。ごめんなんて言葉で、柚葉が生き返るわけでも、私が失ったものを取り返せるわけでもない。私たちがやり直せるわけがないの。だからあなたの謝罪はただの自己満足。卑怯者が自分の罪を薄めるための、汚い言い訳に過ぎないわ」泉は美羽のそばに歩み寄り、膝をついて、彼女の次第に焦点を失っていく瞳を見つめた。「後藤さん。生まれ変わったら、今度は少しくらい真っ当な人間になりなさい」美羽の瞳が最後の一度だけ動き、泉を見た後、その焦点は永遠にそこで留まった。美羽は死んだ。血まみれの手と、罪深い心を抱いて、誰も知らないこの孤島でその生涯を終えた。泉は立ち上がり、最後にもう一度美羽を見てから、学を振り返った。「次はあなたの番よ」学の心はどん底に沈んだ。「何を言ってるんだ?」「後藤さんは代償を払った。じゃあ、あなたは?後藤さんを選んで、柚葉を見捨てた責任は?あなたは柚葉を殺した加害者であり、私を地獄へ突き落とす最後の一撃を食らわせた張本人よ。学、あなたも償うべきね」学は泉を見つめ、ふと笑みを漏らした。その笑みには疲れと絶望、そして諦めが混じっていた。「分かった」と彼は答える。「どうすればいい?死んで罪を償えば満足か?」泉は首を横に振る。「いいえ、死なせるなんて甘いことはしない。あなたには生きて償ってもらうの。私と同じように。一番大事なものを失った後悔を抱えて、自分を一生許すことなく生きていくのよ」泉はポケットから一丁の拳銃を取り出し、学へ放り投げた。学がそれを受け取る。銃はひどく重く、冷たかった。「これは後藤さんが自決に使ったナイフよ。指紋もしっかりついている」泉はジップ袋に入った血まみれのナイフをもう一方のポケットから取り出す。「これを現場に残しておくわ。あなたは今からこの銃を持って逃げなさい。弾は撃ち尽くしているけど、弾道調査をすれば最近発砲された証拠が残るから」それを聞いて、学は泉の目論みを理解した。泉は偽の現場を捏造し、自分を美羽殺害の容疑者に仕立て上げるつもりだ。「ここは防犯カメラもないけれど、あなたが島へ来た記録はあるわ。私や後藤さんとの間に確執があった事実と、あなたには後藤さんを殺す動機があったことも事実よね」泉
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第18話

「まだ間に合う、まだ許してくれるはず、すべて元通りになると勝手に思い込んでいた。でも、俺は間違っていた。償えない罪もある」学は銃を構え、自分のこめかみに突きつけた。「もし死ぬことでお前が救われるなら、喜んでそうしよう」泉は少しだけ瞳を揺らしたが、すぐにいつもの冷ややかな表情に戻った。「学、演技はもうやめて。あなたは絶対に死ねない。会社も地位も、自分の名誉も捨てられないはずよ。あなたはいつも通り、自分にとって一番都合の良い『正解』を選ぶんでしょ。3年前のあの日みたいに」学の手が震えた。泉の言う通りだった。自分は死を選べるような人間ではない。死ぬのが怖い。すべてを失い、壇上から転落するのを恐れていた。しかし、それ以上に怖いのは、一生泉といがみ合って生きていくことだ。「もし本当に俺が死を選んだら?」と、学はかすれた声で聞いた。「許してくれるのか?」泉は答えなかった。だが、その鋭い視線が答えを物語っていた。ありえない。絶対に許せない。すると、学は引きつったような、歪んだ笑みを浮かべた。銃を下ろし、彼は深く息を吐き出して言った。「わかったよ。そちらを選ぶ。全てを失い、社会的地位も何もかもをドブに捨てて、逃げ回る生活をしていくよ。もし……もしそれでお前が少しでも気が晴れるなら」泉は学をまっすぐ見つめた。その目に一瞬、複雑な感情が過ぎったが、すぐに消え去った。「山の下に車を用意してあるわ。食料と水は積んであるから、隣国まではたどり着けるはず。忘れないで。ここを一歩出たら、あなたは犯罪者よ。夏川グループは破産し、資産は全て差し押さえられ、友人たちからも見放され、あなたの世界は完全に覆されてしまうわ」そう言い残すと、泉は背を向け、柚葉の遺骨を抱えて入り口へと向かった。そして、扉の前で足を止め、彼女は振り返ることなく言った。「学、あなたと会うのはこれが最後よ。お別れね。これで互いに貸し借りはもうない」そして泉は部屋を出て、扉が閉ざされた。取り残された学は、冷たくなった美羽の体と、壁一面に飾られた柚葉の笑顔の写真を見つめていた。ふと、何年も前、二人が結婚した頃の記憶が蘇った。当時、泉は交渉専門家ではなく、ただの一警察官だった。仕事で怪我をした泉を病院に見舞ったとき、病床の彼女は真っ
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第19話

3ヶ月後。ある小さな島国。そこは観光業が盛んな島国で、景色は美しく、人々も素朴だった。島には「星の家」という施設があり、20人ほどの孤児がそこで暮らしていた。新しく来たボランティアは、移民の女性だった。口数が少なくとても穏やかで、子供たちは彼女によく懐いていた。その女性は手話ができた。その手で、子供たちに物語を聞かせていた。そしてその女性が焼くイチゴケーキもとても美味しかった。毎週水曜日、おやつどきになると子供たちは皆、それを取り合った。さらにオルゴールを作るのも得意だった。捨てられた材料で回転して踊る小さな人形を作り、『お星さま』を奏でた。彼女の声は戻っていたが、やはり必要以上に喋ろうとはしなかった。そんな彼女を子供たちは「シズコママ」と呼んだ。彼女はただ静かに、微笑みながら子供たちの遊ぶ姿を見守っていたからだ。「シズコママ」は施設の裏にある小屋で暮らしていた。部屋にはベッドとテーブル、椅子が一つずつあるだけだった。テーブルの引き出しには、古い新聞が一枚入っていた。そこには大きくこう書かれていた。【夏川グループ前社長、殺人の疑いで逃亡中。株価暴落、倒産の危機】そこには学の顔写真もあった。精悍だが、疲れ果てた眼差しをしていた。新聞の下には、ある書類が隠されていた。【名前:美羽。死因:自死。日時:3ヶ月前】泉が、その引き出しを開くことは一度もなかった。かつて一度も振り返らなかったのと同じように。テーブルには一人の小さな女の子の写真が置かれている。ツインテールを結んで、笑うと二つのエクボができる女の子。他にも小さなオルゴールがあった。開けると、バレエ服を着た小さな女の子が踊り、美しいメロディーが流れるようになっていた。時折、泉が写真に向かって小さな声で優しく話しかけるのを、子供たちが見ることもあった。だが、ほとんどの時間、彼女はただ窓の外の海を静かに眺めているのだった。あの日、泉はいつも通り庭で子供たちと一緒にいた。陽射しは暖かく、潮風は心地よい。子供たちの笑い声は、澄み渡っていた。「泉さん、手紙ですよ」シスターのマリアがやってきて、一通の手紙を差し出した。泉は受け取った。差出人の名前はなく、封筒には泉の母国語で、丁寧に彼女の名前だけが書かれていた。泉は中身も見ず
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