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娘の死より初恋?戸籍を消しクズ夫に復讐する

娘の死より初恋?戸籍を消しクズ夫に復讐する

By:  緋色の追憶Completed
Language: Japanese
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離婚から3年、夏川泉(なつかわ いずみ)は夏川学(なつかわ まなぶ)が放った火によって、再び結婚という檻へ連れ戻された。 ライターを手にした学は、氷のような冷たい声で言った。「泉、この古いマンションには17世帯もの人が住んでいる。寝たきりの老人もいれば、生まれたばかりの赤ん坊もいる。 今日、お前が復縁協議書にサインしなければ、下のガソリンの詰まったドラム缶は点火される。お前に住人の命を背負う覚悟はあるのか?」 無関係な住人を巻き込むわけにはいかず、泉は震える手で復縁協議書に名前を書き入れた。 復縁してからというもの、学はありったけの愛情を泉に捧げた。雲嶺市の一等地にある商業ビルを泉の名義にし、泉専用の香水まで特注した。さらには、泉が7年前に何気なく口にしたオーロラを見たいという願いを叶えるため、全ての国際会議をキャンセルし旅行の準備をした。 世間では、学が元妻とよりを戻すため、泉に会社の資産の半分を差し出すほど、ここ10年でも稀に見る献身的な愛だと噂されていた。

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Chapter 1

第1話

離婚から3年、夏川泉(なつかわ いずみ)は夏川学(なつかわ まなぶ)が放った火によって、再び結婚という檻へ連れ戻された。

ライターを手にした学は、氷のような冷たい声で言った。「泉、この古いマンションには17世帯もの人が住んでいる。寝たきりの老人もいれば、生まれたばかりの赤ん坊もいる。

今日、お前が復縁協議書にサインしなければ、下のガソリンの詰まったドラム缶は点火される。お前に住人の命を背負う覚悟はあるのか?」

無関係な住人を巻き込むわけにはいかず、泉は震える手で復縁協議書に名前を書き入れた。

復縁してからというもの、学はありったけの愛情を泉に捧げた。雲嶺市の一等地にある商業ビルを泉の名義にし、泉専用の香水まで特注した。さらには、泉が7年前に何気なく口にしたオーロラを見たいという願いを叶えるため、全ての国際会議をキャンセルし旅行の準備をした。

世間では、学が元妻とよりを戻すため、泉に会社の資産の半分を差し出すほど、ここ10年でも稀に見る献身的な愛だと噂されていた。

だけど、本当のことは誰にも知られていない。他人から見れば喉から手が出るほど羨ましいその愛が、泉にとっては必要のないものなのだ。

学が贈った高級ジュエリーを、泉が家に持ち帰ると即座にゴミ箱へ捨てた。学が7桁もの費用をかけて泉の好みに合わせて内装した豪邸も、彼が取締役会へ行く隙を狙って、泉は寝室のカーテンに火をつけた。二人の名前を刻んだペアグラスも、泉は執事の前で粉々に叩き割ったのだ。

こうした日々が続く中、ある日、学が帰宅すると、昨日プレゼントした限定のバッグが、跡形もなく切り裂かれて玄関に捨てられていた。すると、3ヶ月も抑え込んでいた怒りを爆発させた学は、泉の手首を関節が白くなるほどの力込めて掴み上げると、睨みつけて言った。

「泉!一体どうすれば許してくれるんだ?言ってくれ!俺にできることなら何だってする!」

しかし泉は口をつぐみ、至って冷たい表情のままだった。

でも学の記憶の中、3年前の泉はこんなふうではなかったのだ。

3年前、泉は国内最年少の首席交渉専門家だった。どんなに凶悪な犯人でも泉の交渉一つで武器を下ろし、ビルから飛び降りようとする人さえ彼女は引き止めて見せたのだ。

泉のその交渉術は優しさを纏った鎧のように、彼女にとって最強の武器であった。

それなのに今、泉はほとんど口を開かない。

医師の診断によれば、PTSDによる失語症だ。喋れないのではない。喋りたくないのだ。

そしてその傷の原因は、3年前に死んだ彼らの娘、夏川柚葉(なつかわ ゆずは)である。

リビングの目立った場所に置かれている仏壇には、柚葉の遺影が飾られていた。そこには3歳の可愛らしい盛りで、ツインテールを結び、笑うと頬に小さなえくぼができる、甘いイチゴ飴が大好きだった柚葉が写っていた。

ふとそれを見た学は顔から、みるみる血の気が引いた。

そう、3年前の出来事が、毒の塗られた鋭い刃となって、二人の間を切り裂いているのだ。

泉は今もあの日の光景を忘れられずにいた。

あの年、学の初恋の人である後藤美羽(ごとう みわ)が海外から戻った途端に拉致されてしまった。当時、学が彼女の迎えに柚葉を連れて行ったら、柚葉まで巻き込まれてしまったのだった。

廃棄された倉庫で喚き散らす犯人と、恐怖で泣き叫ぶ美羽。

美羽に抱きしめられた柚葉は、3歳で何が起きているか分からず、ただ大きな目を見開いて「ママ、こわい……」と呟いていた。

当時、泉は交渉専門家として現場の指揮を執っていた。

策を練っている間も、犯人は学に二者択一を迫った。美羽を助けるか、それとも柚葉を選ぶか、と。

学が選んだのは、美羽だった。

その時、彼はこう言った。「美羽は体が弱いんだ、きっと耐えられないはず。柚葉はまだ小さいし、子供相手に犯人もそこまで酷いことはしないだろうから。泉、分かってくれ。これが一番正しい判断なんだ」

だが特捜班が突入し犯人を確保したその時、揉み合いの中で美羽が、柚葉をバルコニーから突き落としたのだ。

3歳の柚葉は3階から落下し、泉に最後の一言すら残せなかった。

皆が美羽は恐怖で正気を失っていた、過失致死だと口を揃えた。

さらに学は自ら和解の文書に署名し、美羽が精神的な疾患を患っていると発表すると彼女を郊外の病院に保護した。だが、3年間のうち、美羽は責められるどころか、厳しく当たられることさえなかったのだ。

「もう過ぎたことだ。泉」

学の声が震え、泉の顔に手を伸ばすが、泉はそっぽを向いて避けた。

「怒るのはもっともだ。でも、美羽にもう罰は受けさせている。また子供を作ればいい。約束する、これからは何だってお前に従う。これでいいだろう?」

しかし、そう言っているそばから、学のスマホが震え、画面には美羽の名前が表示された。

学は電話に出た瞬間、顔を青ざめて慌ててコートを手に外へ向かった。「美羽が退院することになった。不安定みたいだ。迎えに行ってくる、夜にお前の好きなお菓子を買っていくよ」

そして、家のドアが勢いよく閉まり、広いリビングには、泉が一人きり残された。

一方、玄関を出た学は、最後に一度だけ振り返って、何かを言いかけたが結局そのまま立ち去った。

扉が閉まった音を確認し、泉は仏壇の前で膝をついた。そして遺影を手に取ると、額をその冷たいフレームに押し当てた。

しばらくして、彼女は暗号化された番号にメッセージを送信した。

【後藤さんが戻った。当初の計画通りに、私と彼女の戸籍、および身元情報を改ざんしてほしい。いつまでかかる?】

2秒後、【最短で7日】と返信が来た。

返信を見た後、泉は柚葉の遺影に視線を落とすと、胸が酷く痛んだ。

ちょうど7日後が、柚葉の3回忌である。

【分かった】と返し、すべての対話を削除した。

そして、泉は指先で遺影を撫でながら、氷のように冷徹な瞳を光らせた。「7日後、ママと一緒にここを離れよう。あの人たちを地獄に突き落としたら、二度とここへは戻らないから」

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第1話
離婚から3年、夏川泉(なつかわ いずみ)は夏川学(なつかわ まなぶ)が放った火によって、再び結婚という檻へ連れ戻された。ライターを手にした学は、氷のような冷たい声で言った。「泉、この古いマンションには17世帯もの人が住んでいる。寝たきりの老人もいれば、生まれたばかりの赤ん坊もいる。今日、お前が復縁協議書にサインしなければ、下のガソリンの詰まったドラム缶は点火される。お前に住人の命を背負う覚悟はあるのか?」無関係な住人を巻き込むわけにはいかず、泉は震える手で復縁協議書に名前を書き入れた。復縁してからというもの、学はありったけの愛情を泉に捧げた。雲嶺市の一等地にある商業ビルを泉の名義にし、泉専用の香水まで特注した。さらには、泉が7年前に何気なく口にしたオーロラを見たいという願いを叶えるため、全ての国際会議をキャンセルし旅行の準備をした。世間では、学が元妻とよりを戻すため、泉に会社の資産の半分を差し出すほど、ここ10年でも稀に見る献身的な愛だと噂されていた。だけど、本当のことは誰にも知られていない。他人から見れば喉から手が出るほど羨ましいその愛が、泉にとっては必要のないものなのだ。学が贈った高級ジュエリーを、泉が家に持ち帰ると即座にゴミ箱へ捨てた。学が7桁もの費用をかけて泉の好みに合わせて内装した豪邸も、彼が取締役会へ行く隙を狙って、泉は寝室のカーテンに火をつけた。二人の名前を刻んだペアグラスも、泉は執事の前で粉々に叩き割ったのだ。こうした日々が続く中、ある日、学が帰宅すると、昨日プレゼントした限定のバッグが、跡形もなく切り裂かれて玄関に捨てられていた。すると、3ヶ月も抑え込んでいた怒りを爆発させた学は、泉の手首を関節が白くなるほどの力込めて掴み上げると、睨みつけて言った。「泉!一体どうすれば許してくれるんだ?言ってくれ!俺にできることなら何だってする!」しかし泉は口をつぐみ、至って冷たい表情のままだった。でも学の記憶の中、3年前の泉はこんなふうではなかったのだ。3年前、泉は国内最年少の首席交渉専門家だった。どんなに凶悪な犯人でも泉の交渉一つで武器を下ろし、ビルから飛び降りようとする人さえ彼女は引き止めて見せたのだ。泉のその交渉術は優しさを纏った鎧のように、彼女にとって最強の武器であった。それなのに今、泉はほとんど口
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第2話
こうして、学が美羽を連れて帰宅したのは、もう深夜11時を回っていた。リビングのソファに座る泉は、明かりも点けずにいた。ただ、柚葉の遺影を飾った小さな棚で、ろうそくの灯りが頼りなく揺れ、そのシルエットを浮かび上がらせていた。鍵の回る音がしてドアが開く。玄関から差し込んだ光に、泉は目を細めた。「泉、起きていたのか?」学の声は、どこか取り繕ったような、わざとらしい明るさを帯びていた。そして、彼の後ろから、美羽が恐る恐る顔をのぞかせた。3年ぶりの美羽は随分と痩せ、顔色は青白く、地味なワンピースに身を包み、さらりとした長い髪を肩に落としたその姿はなんとも可憐で、華奢に見えた。美羽は泉を一瞥するとすぐに目を伏せ、不安そうに指先で裾を握りしめた。「学、やっぱりホテルに泊まるわ……」美羽は震える声でつぶやいた。「泉さんが私を見ると、きっといい気がしないでしょから」「何を馬鹿なことを言ってるんだ?」学は体を横に寄せると美羽を促した。「お前は安静が必要なんだ。ホテルなんて不安だろう?泉も分かってくれるさ」一方、泉はゆっくりと立ち上がった。玄関へと歩み寄ると、彼女は学と美羽の前に立った。あの日、柚葉を死に追いやったこの女を、これほど近くで見るのは3年ぶりだった。「泉、美羽はここ数日しか泊まらない。住むところを確保したらすぐに出てもらうから」学はそう説明しながら、泉の肩に手を伸ばすが、泉はひらりとそれを避けた。そして、泉は沈んだ表情で、美羽をただ見つめていた。一方、顔を上げた美羽の目には、すぐさま涙が浮かんだ。「泉さん、ごめんなさい。合わせる顔なんてないの……柚葉ちゃんのこと、一生自分を許せないわ……」だが、美羽が最後まで言い終える前に、泉は手を振り上げた。そして、パシッ、と乾いた音が静かなリビングに響き渡った。不意を突かれた美羽は大きく顔を歪ませた。その白い頬には、赤々と手の跡が浮かんだ。すると、美羽は頬を押さえ、信じがたい表情で泉を見上げ、大粒の涙をこぼした。「泉!」学が声を荒らげて泉の手首を掴んだ。「何を考えてるんだ!」だが、泉は抵抗をせず、逆に反対の手をもう一度美羽の顔に叩きつけた。二度目のビンタは更に力が込められていたから、美羽はその場に崩れ落ち、髪を乱したまま床に伏して泣きじゃくった
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第3話
こうして、泉は柚葉の位牌の前で、一晩中ひざまずいていた。夜が明ける頃には手のひらの血も固まり、少し動かすだけで激痛が走った。床を支えにして立ち上がろうとしたが、膝に力が入らず、その場に崩れ落ちた。その時掃き出し窓から朝日が差し込み、リビングを淡い金色に染めていった。新しくした額縁に入った柚葉の笑顔の写真が、朝日を受けて輝いてみえた。写真を見つめる泉の頭に、ふと柚葉の3歳の誕生日が蘇った。あの時の柚葉はお喋りだった。柚葉を抱っこしながら、自分はケーキの蝋燭を指差して「柚葉、お願いごとをしてね」と笑いかけながら言った。すると、柚葉は小さな手を合わせ、可愛らしい声で「パパとママと一緒にいたい、イチゴをずっと食べたい」と願いを言った。その隣でスマホで撮影していた学は、「柚葉の願い事は必ず叶うよ」と優しく笑っていた。美羽がまだ帰国する前、すべてが幸せだったころの話だ。泉は目をつぶり、記憶の中の光景をかき消そうとした。すると、朝食のトレイを手に持った学が、泉の背後で立ち止まった。彼は泉の手の包帯を見て、眉をひそめた。「泉、少し話をしよう。その手……なぜ昨日、そんなに酷い怪我をしたと教えてくれなかったんだ?」しかし、泉は返事もせず、朝食に目もくれず洗面所に向かった。「待て」と手首を掴まれる。「昨夜のことは悪かった。突き飛ばしたのは申し訳なかったが、美羽にも事情があることを理解してくれ」だが、泉は乱暴に学の手を振り払った。「いい加減にしてくれ!」学の声に、抑えきれない怒りが混じる。「いつまで引きずるんだ?柚葉がいなくなって3年だぞ。俺たちの人生は続いていくんだ。美羽だって罪を償った、それ以上どうしてほしいんだ?」そう言われ、足を止めた泉は、静かに振り返った。彼女の瞳は澄み切っていたが、その奥に潜む冷たい絶望を間近に感じ、学は思わず息を呑んだ。「病院へ行こう。手当し直さないと」学は声のトーンを下げながら、泉の頬に手を触れようとするが、またしても泉にそっぽを向かれてしまった。「意地を張るな」そう言って、学は強制的に腕を引いた。「感染症にでもなったら大変だ」それから彼は有無を言わせず、泉を車に押し込んだ。泉はもがいたが、力では学に及ばず、結局そのまま車に乗せられてしまった。病院までの道
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第4話
それから、美羽が救急処置室に運ばれた時、学は泉の肩を掴んだ。「頭がどうかしてるんじゃないか?」彼は顔を真っ赤にして、怒鳴りつけた。「美羽を殺す気か?」そう言われ、泉は静かな瞳で学を見つめた。腕には美羽がつけた生々しいひっかき傷が残っていたが、泉は痛みを全く感じていないようだった。「美羽を恨んでいるのは分かっている」学は疲れきった声で非難した。「だが泉、お前はいつからこんなに非情になったんだ?」すると、泉はようやく学に目を向けた。彼女は手を上げ、自分を指し、次に心臓を指した。最後に手のひらを広げ、「もう何もない」という仕草をした。学はその意味を理解した。泉は「私はとっくに、何もかも失った」と言いたいのだ。学の胸が痛んだが、その感情はすぐに怒りによって取って代わられた。「だからと言って他人を傷つけていいわけないだろ?美羽は過ちを犯したが、すでに精神病院で3年もの月日をかけて罰を受けたんだ!なのにお前はなぜそこまで意地になるんだ?」泉の唇が少しだけ引きつった。それは皮肉を込めた笑みだった。彼女が立ち去ろうとすると、学が引き止めた。「どこへ行くんだ?美羽はまだ予断を許さない状態だ。ここにいろ。彼女が目が覚めたら謝るんだ」だが、泉は学を振り払い、前へと歩みを進めた。「待て!」学が追いつき、泉の手首を掴んだ。「謝るんだ。お前が美羽に怪我をさせたからな!」泉の手首はあまりに細く、学の片手ですっぽりと収まってしまった。骨は学の掌で角ばっていて、今にも折れてしまいそうなほどだった。一方掴まれた泉は振り返ると、もう片方の手で学の頬を力いっぱい平手打ちした。乾いた音が、広々とした廊下に響き渡った。学はその勢いで顔をそらし、頬には赤い手形が刻まれた。すると、彼はゆっくりと振り向き、目線がどんどん冷たくなっていた。「そうか」学は言った。「わかったよ」彼はスマホを取り出し、電話をかけた。「今すぐ病院に来い。泉を連れていけ。俺の許可を下すまで、一歩も家から出すな」こうして泉は監禁された。学は泉のスマホを取り上げ、家のネット環境を遮断し、玄関にもボディーガードを2人配置した。窓には鉄格子が取り付けられ、泉はこの豪邸で唯一の囚人となった。それから3日後、ネット上である噂が広まり始めた。【夏川グ
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第5話
翌日、病院のカンファレンスルームが記者会見場になった。美羽は頭に包帯を巻いて、か弱い様子で最前列に座っていた。カメラのフラッシュがせわしなく焚かれ、目がくらむほどだった。泉は白シャツに黒のパンツという簡素な装いで学の隣に座っていたが、まるで魂のない人形のようだった。そこで、学が口を開いた。「本日はお集まりいただきありがとうございます。妻の泉と後藤さんとのトラブルについて、妻に代わり深くお詫び申し上げます。これは痛ましい事故です。妻は日頃からのストレスが重なり、感情の制御ができずに過ちを犯してしまいました。深く反省し、責任を負う覚悟です」すると、記者たちがざわつき、次々と質問を投げかけた。「泉さん、あなたは本当に衝動的にやったのでしょうか?それとも計画的だったのですか?」「後藤さんを階段から突き落としたとき、相手が妊娠していると知っていたのですか?」「元交渉専門家として暴力で解決を図るのは、プロとしての素質を欠いていると思いませんか?」「娘さんの死と後藤さんに関係があるのでしょうか?それが逆恨みになって彼女を突き落したんじゃないですか?」こうして、立て続けに投げかけられた質問は、刃のように泉に突き刺さった。泉は握りしめた書類のせいで指の関節を白くしていた。話したかった。弁解したかった。柚葉を殺したのは美羽であり、美羽に仕組まれて激怒したのだと伝えたかった。だが、声が出なかった。ただそこに立って、口がきけないまま、すべての非難を一身に受けることしかできなかった。「娘さんが亡くなってから失語症になったのは、良心の呵責を感じたからではありませんか?」「娘さんが亡くなったのはご自身の過失で、それを受け入れられず、後藤さんのせいにしているのではないですか?」「喋れないなら大人しく家にいてくださいよ、迷惑をかけないでください」最後の言葉がひときわ耳障りだった。その若い男性の記者は声が大きく、隠そうともしない悪意に満ちた言葉で攻撃してきた。それを聞いて、泉はようやく顔を上げた。静かな視線でその記者をじっと見つめると、相手はなぜかたじろいたように後ずさった。それから、記者たちはさらに執拗に迫ってきて、質問はより過激になった。「泉さん、天国にいる娘さんがあなたのしたことを知ったら、どう思うんでし
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第6話
こうして、泉は、眠れぬ一夜を過ごした。そして、窓の外の空は、漆黒から深い青へと変わり、やがて白み始めた。泉は天井のひび割れを見つめたまま、瞬きもせずにいた。そしてそのひび割れをまるで、醜い傷跡のように感じた。朝の6時、ドアが勢いよく開け放たれた。学がそこに立っていた。彼は顔色が悪く、目は血走っていて、同じく一睡もできなかったようだった。しかし、泉の淀んだ静けさとは裏腹に、学は怒りに震えていた。「美羽がいなくなった」彼は低い声で、絞り出すように言った。「泉、彼女をどこへやったんだ?」すると、泉はゆっくりと身を起こし、学を見上げた。「病院に聞いた。昨日の夜8時を最後に誰も彼女を見ていない。美羽が自ら去るなんてあり得ない」学は部屋に踏み込み、迫った。「お前が美羽を憎んでいるのは知っている。でも、拉致は犯罪だ!美羽を返せば、今回はなかったことにしてやる」泉は布団をめくるとベッドを降り、学に背を向けたまま窓辺へと向かった。「泉!」学は泉の肩を掴み、強引に振り返らせた。「俺を見ろ!彼女をどこにやったんだと聞いているんだ!」泉はその手を見つめ、それからゆっくりと視線を上げ、学と真っ向から向き合った。そんな泉の瞳は嵐の前の海のように、あまりに静かだった。「言わないつもりか?」学の忍耐はついに限界に達した。「いいだろう。吐かせる方法はいくらでもある」彼は泉を離すと、背を向けて部屋を出ていった。数分後、戻ってきた学の手には、細長い杖が握られていた。泉はその杖を見覚えがあった。それは長年使われていなかった、夏川家でお仕置き用に使われる杖だった。かつて学の父親がまだ生きていた頃、過ちを犯した子供たちを叱るために使っていたものだ。学が家業を継いでからは、この杖は奥深くにしまわれていたはずだった。まさか今日、これが自分に向けられるとは泉も思ってもいなかった。「夏川家の仕来りだ。間違いを犯せば罰を受けなければいけない」学の声は氷のように冷たかった。「美羽を連れ去った罪は重い。10回だ。その後、どこに隠したか吐け」しかし、それでも泉は立ち尽くしたまま、微動だにしなかった。ただ、一発目が背中を打ち付けた時、少しだけ体を揺らした。布が裂ける音とともに、焼け付くような痛みが全身に広がった。学は杖に
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第7話
一方、学はありとあらゆるコネを使って、雲嶺市の至る所を必死に探した。しかし美羽はまるで神隠しに遭ったかのように、何も痕跡を残していなかった。病院の防犯カメラによると、廊下に姿を見せたのが最後で、その後は非常階段の死角に入り、二度と映らなかった。美羽のスマホの電波も西区で途絶え、完全に消息を絶った。「社長、後藤さんの戸籍データですが……」秘書の菊地潤(きくち じゅん)がデスクの前に立ち、震える声で告げた。「除籍となっていました」学はガバッと顔を上げた。「なんだと?」「それだけではありません」潤がタブレットを差し出し、そこには2枚の戸籍データが表示されていた。「奥様の戸籍も同日に改ざんされています。理由は……死亡です」目を向けると、泉の名前に「除籍」と書かれていて。学はそれを見つめた瞬間、背筋が凍りついた。死亡?そんなバカな。今朝だって会ったじゃないか?泉を叱った時、彼女は確かに生きていた。そしてどんよりとした目で自分を見ていたじゃないか?「誰がやった?」学の声は絞り出すように枯れていた。「わかりません。それに不備もありません。すべて正規の手続きでした」潤がファイルを表示する。「死亡診断書に火葬許可証、全て書類は完璧です」「調べろ!」学はデスクを叩いて立ち上がった。「過去1週間に妻と関わった全ての人間、全銀行口座、全てを――」学の言葉はそこで止まった。パソコンの画面に、一通の暗号化されたメールが送られているのを見たから。送信者は文字化けしており、件名はただ一つ。【真相】それを見た、学がマウスの上に置いた手はかすかに震えていた。メールを開くと、そこには、複数の動画、音声ファイル、そして書類が入っていた。まずは動画をクリックする。それは家の子ども部屋を映した防犯カメラ映像だ。日時は美羽が越してきた翌日のもの。入ってくる泉に向かって、優しげに微笑みながら口を動かす美羽の姿が映っていた。学が音量を上げた。「お帰り。その手の怪我は大丈夫?」続いて、声を潜めた美羽の言葉が、一語一句はっきりと響く。「ねえ、知ってる?昨日柚葉ちゃんの写真を見た時思ったの。柚葉ちゃんはあの時もこんな可愛らしい顔をして死んだのかしら?高い場所から落ちたら、随分と痛かったでしょうね」その言葉に
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第8話
だが、家の中には、誰一人としていなかった。学は家に飛び込み、家中のありとあらゆる場所を血眼になって探し回った。どこにも、泉の姿はない。泉の服も、化粧品も、いつも読んでいた本も、彼女が作った細々とした雑貨も、何一つ残されていなかった。ただ一つ、ゲストルームのサイドテーブルに、写真が残されていた。柚葉の遺影だった。学は書斎へ駆け込むと、パソコンを立ち上げ、家にあった全ての防犯カメラの記録を確認した。そこには、泉が荷物をまとめて家を出て行く様子が映っていた。時間は今朝の6時半。学が家を出たあと、ほんのわずかな時間の出来事だ。泉はベージュのジャケットを着ていた。杖で叩かれて破れた背中の部分からは血が滲んでいたが、その足取りは凛としていた。そして、玄関にたどり着くと、泉は一度だけ足を止め、振り返った。防犯カメラの映像には、泉の表情がはっきりと映っていた。そこには涙も怒りもなく、憎しみすらなかった。ただ静かな、無に近い表情だった。それから泉はドアを開け、朝の光の中へと歩み出した。二度と、振り返ることはなかった。学は、カメラの映像を自分が泉を杖で叩いた時まで巻き戻した。映像の中には自分が杖を振り上げ、何度も泉の背中を叩く姿が映っていた。泉は膝をついていたが、背筋は真っ直ぐに伸び、声一つ上げなかった。最後の一撃が落ちた時、少しだけよろめいたものの、すぐさま体勢を立て直した。その後、自分はドアを激しく叩きつけて出て行った。泉は地面にしばらく座り込んでいたが、やがてゆっくりと立ち上がると、きれいな服に着替えて去って行った。学は防犯カメラの画面を消すと、両手で顔を覆った。すると、手のひらが湿っていた。指の間を見ると、手は血まみれになっていた。先ほどグラスを握りつぶし、破片が食い込んでいたのだ。だが、痛みは何も感じない。心の中をごっそりと抜き取られたようなこの感覚に比べれば、身体の痛みなどどうってことなかった。その一方で、彼は知りたかった。泉が美羽を一体どこへ連れて行ったのか?その時、脳裏に閃くものがあった。バルマ連邦だ。学は思い出した。泉の母親はバルマ連邦の移民で、泉は幼少期に現地で数年暮らし、バルマ語が話せるということを。そこには泉の身内や知人がいて、自分には知り
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第9話
一方、美羽は、ひどい激痛の中で目を覚ました。頭は割れそうに痛んで、目の前はぼんやりとかすんでいた。体を動かそうとしたが、手足が冷たい金属のベッドに固く縛りつけられていることに気づいた。「目が覚めた?」穏やかな声が耳元で響いた。美羽がハッとして目を見開いて、光に慣れると、ベッドの傍らに立つ女が視界に入った。泉だった。シンプルなベージュのニットにカーキのパンツ。髪は後ろで無造作にまとめてあり、普段と変わりない姿だ。けれど、その瞳だけは違った。今の泉の目は至って平然としているが、底知れない冷たさを帯びているようにも感じられた。「何するつもり……学は、絶対に許さないから!」美羽の声は震えていた。泉は答えず、ただ静かに美羽を見つめた。それはまるで窘めるかのような眼差しだった。そこでようやく美羽は、自分のいる部屋を見渡した。それは見覚えのない無機質な部屋。窓はなく、頭上には寒々とした蛍光灯が一つだけ灯っている。空気には消毒液の匂いが漂い、微かに鉄の錆びたような臭いが混ざっていた。「ここどこなの?出して!」美羽が暴れると、手枷が手首を擦り、鋭い痛みが走った。そこで、泉がようやく動き出した。彼女は壁際のコンソールへ歩み寄り、ボタンを一つ押す。すると、部屋の一面の壁が、突然透明なガラスへと変わった。ガラスの向こうは手術室のような部屋だった。眩い光に照らされ、整然と並べられた医療器具がやけに目についた。泉は静かな声で、部屋の中に仕込まれたマイク越しに語りかけた。「この3年間、あなたのためにずっと準備してきた場所よ」美羽の呼吸が荒くなる。「どうかしてる!学が探しに来てくれるはずよ!彼は必ず――」「学は、あなたを見つけられない」泉が遮る。「あの病院を離れた瞬間、『後藤美羽』という人間は、この世から消し去られたのも同然。戸籍からは除籍され、今後の医療データも、渡航歴も残らない。あなたが柚葉の存在を消し去ったみたいにね」それを聞いて、美羽の顔から血の気が引いた。「嘘……そんなの、ありえない……」「病院を出た時、車椅子を押してきた看護師がいたでしょ。駐車場で学が待ってると言ったこと、覚えてる?」泉はかすかに微笑んだ。「あれは私が雇った人よ。その時から、あなたはもう私の獲物なのだから」泉は向きを変えて美
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第10話
美羽が再び意識を取り戻すと、椅子に縛り付けられていた。部屋は薄暗く、頭上のスポットライトだけが彼女の周りを照らしていた。逃げようともがいたが、手首と足首はきつく固定されていて、猿ぐつわのせいでまともな声さえも出なかった。「目が覚めた?」闇の中から、泉の声が聞こえた。美羽はハッとして泉を凝視した。そしてさきからずっと疑問に思っていた。なぜ泉が喋れるようになったのか?泉がゆっくりと光の中へ姿を現し、書類の束を手にしていた。「これはあなたがこの3年間、精神病院で過ごした全ての記録よ」泉は書類をめくり、一枚ずつ美羽に見せつける。「毎日欠かさず薬を飲み、リハビリに参加し、他の患者と将棋をして、主治医といい仲になってたみたいね。後藤さん、『精神病』が随分と回復したみたいじゃない?」美羽は激しく首を横に振り、唸り声を上げる。一方、泉は近づき、美羽の猿ぐつわを外した。「何をする気なの!私をここから出して!学が迎えに来るはずよ!彼が絶対……」「来ないわ」泉が冷たく遮った。「学はいま必死にあなたを探しているけど、見つけられない。私があなたの痕跡を全て消したからよ。あなたが柚葉の存在を消し去ったみたいに」その事実を再び突きつけられ、美羽の顔から血の気が引いた。「そんな……あなたは私にこんなことをする権利はないはず……法に触れるわよ……」「法?」泉はふっと鼻で笑うした。温もりのない笑みだ。「法はすでにあなたを裁いて、『精神疾患により刑事罰を免除』という結論を出した。なら今度は、私たちが別の裁きを下す番よ」泉はパンと手を叩いた。すると、部屋の照明が一斉に点灯した。この時美羽はようやく気が付いた。ここは尋問室のような空間だった。一面はマジックミラー、もう一面には壁一面に柚葉の写真が飾られていた。生まれた時から3歳まで、柚葉の短い一生が記録されていた。写真の下には、整然と並べられた遺品たち。柚葉の服、おもちゃ、絵本、そしてあのオルゴールが置かれている。「これは全部、柚葉の宝物よ」泉が壁際に歩き、指先でそれらにそっと触れる。「柚葉がいなくなってから、直視するのが怖くて仕舞い込んでいた。でもこれからは違う。柚葉が確かに存在した痕跡を、記録された彼女の微笑みを、私は毎日見に来ようと思うの」そう言って、泉は踵を返し、
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