Tous les chapitres de : Chapitre 1 - Chapitre 10

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第1話

息子の六歳の誕生日に、夫の綾瀬厚司(あやせ あつし)は弟の妻を一晩中看病し、帰ってこなかった。その義妹から足を捻挫したという電話があった、ただそれだけの理由で。私は厚司に何十回も電話をかけたが、すべて着信拒否された。ふとSNSを開くと、義妹のSNSが目に飛び込んできた。【お義兄さんってばマジ神!電話一本ですぐ飛んで来てくれたの】添付された写真には、彼女の細い足首を握る厚司の手が写っていた。私は絶望で胸が張り裂けそうになりながら、彼と綾瀬梨奈(あやせ りな)がこの一晩何をやっていたのかを問い詰めた。だが、彼はただ冷ややかな目で私を一瞥しただけだった。「まともな考え方ができないのか?お前、俺にヒスる以外に脳がないのか?」息子まで理解できないといった顔をした。「パパは叔母さんを一晩看病してあげただけじゃん。ママ、なんでそんな意地悪言うの?」この父子二人の冷たさにまたしても深く傷つけられ、私はついに未練を断ち切った。システムを呼び出し、この世界から去ることを決意した。「宿主、承知いたしました。すぐに脱出ルートを準備します。ご家族にお別れを告げるための猶予は七日間です」システムの穏やかな声を聞き、私は少し呆然とした。しばらくして、無理に笑顔を作り、「ありがとう」と答えた。家族との別れか。もし私が消えると知ったら、厚司と息子はきっと大喜びするんだろうな。五年前、任務を達成した後、私はこの世界に残って厚司と共に余生を過ごすことを選んだ。あの時、システムは忠告してくれたのに、私は耳を貸さず、「彼は一生私を愛してくれる」と断言したのだ。まさか、たった数年で私がシステムを呼び出し、元の世界に帰りたいとお願いするようになるとは思わなかった。リビングでどれくらい座っていただろうか。ようやく厚司が帰ってきた。彼は私に歩み寄り、申し訳なさそうな表情を作った。「梨奈の捻挫が思ったより酷くて、帰りが遅くなっちゃったよ。もし体調が悪いなら、明日にでも源人(みなと)の誕生祝いを延期しようか?」そう言って、彼は私の肩に手を伸ばしてきた。私はその手をそっと払い除け、首を横に振った。「大丈夫よ。ただ、あなたが帰ってきたのに気づかなかっただけ」厚司は私の顔色をうかがいながら、探るように言った。「入ってきた時、何度も呼んだのに返
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第2話

言いたいことは山ほどあったが、口を開いても言葉が出なかった。家族を助けるのは悪いことではない。でも、梨奈が「足を捻挫した」と大騒ぎして厚司を呼び出し、二人で仲良くハイブランドのショップで品物を買い漁っていたのも、「家族への助け合い」なのだろうか?以前の私なら、家の中のものすべてを叩き壊し、なりふり構わず厚司を問い詰めていただろう。今回は、ただ黙り込んでいた。どうせあと七日で、私はここを去るのだから。こんなどうでもいいことに、私のエネルギーを浪費したくない。私が黙っていると、厚司はまるで手品でもするように、ポケットからキラキラ光るブレスレットを取り出した。「ほら、今日は源人の誕生日だけど、ママのお前にもプレゼントが必要だろ。これ、俺が厳選したものなんだ。気に入ったか?」彼はそのブレスレットを私の手首に着けた。ピンクがかったホワイトダイヤモンドが眩しい光を放っている。私は自嘲気味に口角を上げた。厳選したもの?今日、梨奈がSNSに投稿していた。このブレスレットは、ハイブランドの店で2000万円以上買い物した客に配られるノベルティに過ぎない。ただ、私を見る厚司の目は、相変わらず真摯で愛情に満ちているように見えた。私はふと、今まで一度も彼の本性を見抜けていなかったのだと悟った。厚司は私の手首を見つめ、薄笑いを浮かべた。「本当に綺麗だ。よく似合ってるよ、帆波。さあ、着替えておいで。お前と源人の一番お気に入りのレストランを予約してあるんだ。家族三人で源人の誕生日をお祝いしよう!」私は頷くしかなかった。なんだかんだ言って、源人はお腹を痛めて産んだ私の血を分けた子供なのだ。この世界を去る前に、私と子供の間に少しでも美しい思い出を残したかった。それが、私の最後の別れの儀式だ。私たち家族三人は家を出た。源人は真っ先に助手席に乗り込み、可哀想な子犬のような目で私を見た。「ママ、僕が前に座ってもいい?」彼がこんなに甘えた声で私を「ママ」と呼ぶのは久しぶりだった。私の心は少し和らぎ、「シートベルトをちゃんと締めてね」と一言声をかけて、後部座席に乗り込んだ。車がゆっくりと発進し、レストランへと向かう。源人は窓の外を見ていたが、次第にその表情が曇っていった。それに気づいた厚司が、どうしたのかと優しく尋ねた。
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第3話

源人の瞳が信じられないほどの輝きを放ち、私の手を乱暴に振り払うと、走って梨奈の胸に飛び込んだ。梨奈はクスクス笑い、私に形だけ会釈した後、源人の手を取った。「今日の主役さん、まずはケーキを切ろうか」そう言うと、彼女はナイフを取り、一番大きなケーキを切り分けてお皿にのせ、私の方へ歩いてきた。「お義姉さん、最初の一切れはどうぞ」私は梨奈の目に宿った露骨な挑発を見逃さなかった。ケーキは受け取らず、彼女の足首に視線を落とした。「捻挫したんじゃなかったの?」梨奈は唇を噛みしめながら、ゆっくりと目を伏せて恥じらうような仕草を見せた。「捻挫はしたんですよ。でも、お義兄さんが急いで病院までお姫様抱っこして運んでくれたおかげで……」彼女はお姫様抱っこをわざと強調した。私は薄く笑みを浮かべ、厚司を見た。「へえ、お姫様抱っこで行ったのね」厚司はバツが悪そうに顔を引きつらせ、軽く咳払いをした。「梨奈、人がいっぱいいるんだ、変なこと言うな」二人の視線が空中で絡み合い、ただならぬ甘い空気が漂っているのを、私は冷ややかに見つめていた。心臓の痛みを我慢しながら、私は二人から目を逸らして源人の方へと向かった。そして、しゃがみこんで源人を見つめた。「ママと一緒にケーキ切ろうか?」多分、これが彼と一緒に過ごす最後の誕生日になる。少しでも喜ばせてあげたかった。しかし源人はあからさまに嫌そうな顔をして言った。「やだ!ママが切るとぐちゃぐちゃになるから嫌だ。僕、叔母さんに切ってもらいたい!」子供は残酷なまでに正直だ。その純粋な嫌悪は鋭い刃のように私の心臓を貫き、私は息もできないほどの痛みを感じた。梨奈が割り込んできて、ニコニコと笑った。「お義姉さん、座って休んでてくださいよ。私が源人くんと一緒に切りますから!」そう言い残して梨奈が源人の隣に行くと、厚司は幸せそうな笑みを浮かべながらカメラを構え、二人の写真を何枚も撮り始めた。目の奥がツンと痛み、涙がこぼれ落ちる直前に、私はトイレに駆け込んだ。冷たい水を何度も顔に浴びせ、次から次へと溢れる涙を洗い流した。突然、トイレの入り口に人影がよぎったかと思うと、外から素早くドアを閉められ、手際よく鍵をかけられた。顔を拭く暇もなく、私はドアに駆け寄り、厚司と源人の名前を枯れるほど叫びながらドアを叩き続
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第4話

あの頃、この世界のヒーローとヒロインは結ばれ、婚約を交わしていた。厚司にとっては人生で一番どん底の時期だった。私はリンゴ味の棒付きキャンディを持って彼の前に現れ、それを差し出して優しく慰めた。「食べて。心の苦しさはどうにもできないけど、口の中くらいは甘くできるから」彼がキャンディを受け取ってくれたのをきっかけに、私は当然のように彼に寄り添うようになった。私に対する彼の態度が冷酷なものから親しげなものへと変わり、最後には薔薇の花束を持ってひざまずき、プロポーズしてくれたのを覚えている。彼は目を細めて、手品のように一本の棒付きキャンディを取り出し、私に誓ったのだ。「これからは、お前の口の中も、心の中も甘くしてあげる。俺と一緒にいてくれないか?」私は喜ぶべきだったのに、なぜか心の底から得体の知れない恐怖が湧き上がってきた。ハッと目を開け、激しく息を乱した。その時、スマホの着信音が鳴った。通話ボタンを押した瞬間、厚司の怒涛の問い詰めが飛んできた。「帆波!梨奈が源人を庇って大怪我をしたんだぞ!俺たち今病院にいるのに、お前どこほっつき歩いてるんだ!」「……レストランのトイレの中よ」厚司の声が詰まり、珍しくどもった。「お前……誰も開けてくれなかったのか?」そんな馬鹿な質問に答えたくなかったので、私は黙り込んだ。彼は私の返事など待たず、声を和らげた。「わかった、今すぐ迎えに行く。梨奈が怪我をしたんだ、今回はちゃんとお礼を言わなきゃダメだぞ」そう言って彼は電話を切った。厚司はすぐに来た。三十分もしないうちに私の前に現れた。私の下半身はすでに麻痺していた。厚司が手を伸ばして私を支えようとしたが、私は身をよじってそれを避けた。彼は気まずそうに手を引っ込め、言い訳を始めた。「ごめんな、帆波。わざとじゃないんだ。あの時、クリスタルのシャンデリアが梨奈の頭上に落ちてきて、俺、気が動転してて……」私は冷たい声でそれを遮った。「その辺のスタッフに開けてもらうように頼むことさえできなかったの?」厚司は目を泳がせた。「そんなこと、思いつくわけないだろ?」私は彼をじっと見つめ、ふっと笑った。厚司はビジネスの世界でも抜け目がないことで有名な男だ。七年も一緒に暮らしてきたのだから、彼がどれほど細やかで隙のない人間か、私が一番よく
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第5話

厚司は専属の運転手を呼び寄せていた。運転手が運転席に、厚司が助手席に座り、源人と梨奈が後部座席に陣取った。私の席はなかった。梨奈はわざとらしくおどおどとしてみせた。「お、お義姉さん……やっぱりお義姉さんが乗ってください。私、タクシーで帰りますから……」私が答える前に助手席に座る厚司が口を挟み、冷酷に言い放った。「帆波、お前がタクシーで帰れ。梨奈は怪我人なんだ、これ以上無理をさせるわけにはいかない」そう言うと彼は窓を閉め、ためらいもなく運転手に車を出すよう指示した。視界がふっとぼやけた。ギュッと目を閉じて再び開いたが、やはりぼやけたままだった。視力も失われ始めた。私は苦笑いし、タクシーを拾おうと手を挙げた。たっぷり二時間待って、ようやく一台のタクシーを捕まえることができた。家に着き、窓越しに見えたのは、源人を挟んで左右に座る厚司と梨奈の姿だった。それはまるで、絵に描いたような仲睦まじい家族三人だった。私は何も言わず、その温かく賑やかな光景を通り過ぎ、寝室へと戻った。ここを去るまで、あと六日。この六日間、私はほとんどベッドに横になり、五感がゆっくりと失われていくのを感じていた。最終日になって、私はようやく外を歩いてみようという気になった。残されたわずかな視力で、長年暮らしたこの場所を目に焼き付けておきたかった。厚司と梨奈は源人を連れて遊園地に行っていたので、私は誰に気兼ねすることもなく邸宅の中をぶらぶらと歩き回った。最後にたどり着いたのは、一番馴染みのある庭だった。かつて、ここには一本のサクランボの木があった。私がサクランボ狩りを好きだったから、厚司が「毎年家でサクランボ狩りが楽しめるように」と植えてくれたものだ。しかし今、そこにはまだ掘り起こされていない切り株だけが残されていた。私はその木の残骸をそっと撫で、傍らに立つ執事に尋ねた。「この木はどうしたの?」執事は心配な表情を浮かべ、躊躇しながらも口を開いた。「梨奈様が、『この木は日当たりを悪くする』と仰ったので、旦那様が切るように言われたのです」一度では聞き取れず、執事はもう一度大きな声で繰り返してくれた。私は微かに微笑んだ。「まあ、いいわ」私がこの世界で愛したものは、すでに全て壊されてしまった。これで、もう未練は残らない。
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第6話

身体から抜け出した後、システムが「少しここで見ていきませんか」と提案してきた。先ほどまで和気あいあいとしていた三人は、うずくまって倒れている私の肉体を見るなり、示し合わせたように眉をひそめた。まるで、私が彼らの気を引くためにこんな小芝居をしているとでも言いたげな顔だ。厚司が先に近づき、私の身体を軽く押して「なぜこんな所で寝ているんだ」と問いかけた。だが、私の体温はすでに下がり始めていた。彼は震える手で私の鼻先に指を当てると、突然ドサッと膝から崩れ落ち、私の身体を抱き寄せて泣き叫んだ。「おい、どうしたんだよ!なぁ、怖がらせないでくれよ、頼むから!」源人も短い足で小走りに近寄ってきた。「ママ!僕を見てよ!これからはいい子にするから!ママ、起きてよ!」二人が悲痛な声で泣き叫んでいるが、私にとってはただ煩わしいだけだった。「システム、この人たちはなぜ私を抱きしめて泣いているの?すごくうっとうしいわ!」システムはクスリと笑い、帰還用のゲートを開いた。最後にシステムはこう言った。「これは、記憶を失う前のあなたに見せるためのサービスです。では宿主。さようなら」私は軽く手を振り、そのままゲートに入った。次に目を開けると、私は見知らぬ路地裏に倒れていた。そばには臆病そうな小さな女の子がいて、私の口に何度もパン屑を差し出しながら呟いていた。「お腹いっぱいになれば死なないよ。お腹いっぱいになれば死なない……」彼女は私が目を開けたのを見ると、ビクッと後ずさりし、泥まみれの小さな手を慌てて背中に隠した。「お手ては汚いけど、パンは綺麗だよ」私は彼女の全身をじっと観察した。手だけでなく、泥の中を転げ回ったかのように全身が汚れていた。私は手を差し伸べた。「おいで」彼女が近づいてきて、ようやくその姿がはっきりと見えた。ガリガリに痩せこけ、骨と皮だけになっている。子供らしい無邪気さや活発さなんて微塵もない。私は彼女を怯えさせないよう、優しい声で聞いた。「パパとママは?」彼女は虚ろな目で首を横に振った。「パパもママも、いないの」私は手を伸ばして彼女の頬を撫で、小さな手を握った。「お姉ちゃんについてくる?」女の子はとても警戒していたが、私が危害を加えないと分かると、そっと手を預けてくれた。私はまず彼女をお風呂に入れ、新しい
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第7話

任務を行った世界が崩壊寸前だと告げ、一度戻って様子を見てほしいと頼んできた。あの世界で何が起きたのか覚えていなかったが、システムが懇願し、さらには破格の条件まで提示してきた。私は承諾したが、ただ一つだけ条件を付けた。真珠を連れて行くこと。システムは承諾し、瞬く間に私たちはあの世界へとたどり着いた。私と真珠が立っていたのは、私がこの世界を去る前に見た、あの切り株の目の前だった。切り株からは、すでに新しい枝が伸びていた。真珠が私の服の裾を引っ張った。「ママ、ここどこ?」首を横に振ろうとした瞬間、信じられないものを見るような声が耳に届いた。「……帆波?」私が振り返ると、そこには涙をいっぱいに溜めた男が、私をじっと見つめていた。私が何か言うより先に、少し離れた所から一人の男の子が猛ダッシュで飛び出してきた。彼は真珠を乱暴に突き飛ばし、私に必死に抱きついた。「ママ!やっぱり生きてたんだね!僕に会いに帰ってきてくれたんでしょ?ずっと会いたかった!もう絶対ママを怒らせるようなことしないから!」その男の子は訳の分からない言葉を泣きながらまくし立てた。私はそんな戯言を聞く気は毛頭なく、彼を思い切り突き飛ばすと、転んだ真珠の元へ駆け寄った。そっと真珠を抱き起す。「大丈夫?痛かった?」いつもは泣かない芯の強い真珠だが、今回ばかりは怖くて泣き出してしまった。真珠は私の服をギュッと握りしめた。「ママ……あの子もママの子供なの?」男の子が甲高い声を上げた。「『も』って何だよ!僕だけがママの子供だ!お前誰だよ、なんで僕からママを奪おうとするんだ!」その言葉を聞いて、私は思わず眉をひそめ、冷ややかな視線を彼に向けた。「ちょっと、ボク。私はあなたのことなんてこれっぽっちも知らないんだけど。勝手に『ママ』なんて呼ばないでくれる?それに、私の子供はこの子ただ一人よ。真珠があなたから母親を奪うなんてことはあり得ないわ!」その言葉を聞いて、男の子はポロポロと涙をこぼし、小さな体を小刻みに震わせた。「ママ!僕だよ、ママの本当の子供なのに、なんで知らないフリするの!僕だよ、源人だよ!僕が叔母さんの味方したから、まだ怒ってるんでしょ?約束する、もう二度とあんなことしないから。ママ、僕を捨てないでよ!ママが一番僕を愛してくれ
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第8話

そう言うと、厚司は使用人に命じて真珠を私の腕から引き離し、「奥で休ませてあげなさい」と指示した。厚司と源人は私の周りをチョロチョロと付きまとい、私が昔ここでどんな風に暮らしていたかをピーチクパーチク喋り始めた。だが私にとっては真珠の安否だけが気がかりで、ついに我慢の限界が来て二人の言葉を遮った。「私の娘は?どこに連れて行ったの!」厚司は一瞬言葉に詰まったが、すぐにまたここの庭の木々や草花の説明を始めた。あのサクランボの切り株を見ると、彼の顔にふっと温かい色が浮かんだ。「お前はサクランボが大好きだっただろ。昔はサクランボ農園に行くと何日も帰ろうとしなくてね。俺はお前に会えなくて寂しかったから、家にこの木を植えたんだ。お前が家でもサクランボ狩りを楽しめるようにね」「聞いてるの?私の娘はどこにいるかって聞いてるのよ」彼が語る思い出話なんて一ミリも覚えていないし、今の私は真珠しか気にしないから。厚司の顔に計り知れない苦痛が浮かんだ。彼は傍らで涙を流している源人を抱き上げた。「帆波、見てくれよ。源人の目、お前にそっくりじゃないか。彼はお前がお腹を痛めて産んだ息子なんだぞ!この子を無事に産むために、お前はどれだけつらい治療に耐えてきたか忘れたのか!どうしてそんなひどいことが言えるんだ!もしお前があの女の子を気に入ってるなら、このままうちで引き取って育ててもいい。ただし、俺と源人を捨てないでくれ」厚司はずっとグダグダと未練がましく喋り続けていたが、私は苛立たしげにそれを遮った。「私の記憶の中にいるのは娘の真珠だけよ。あなたたち父子のことなんて、カケラも存在してないの」源人がわぁわぁと大泣きし、厚司は微かに震えながら、唇を強く噛みしめ、血を滲ませた。「本当に、俺のことを覚えていないのか?俺たち、七年も愛し合ってたんだぞ。俺はお前のために財産を捨て、お前は俺のために命をかけた。あんなに骨の髄まで刻み込まれた思い出を、全部忘れちまったって言うのか?」彼の顔に明らかな恐怖が浮かび、まるで私がどこかへ消えてしまうのを恐れるかのように、私の手をきつく握りしめた。私は力いっぱい彼の手を振りほどき、自分が攻略者であるという事実を容赦なく明かした。「記憶を失ったとはいえ、自分が攻略者だという自覚はハッキリあるわ。分かりやすく言えば
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第9話

自らの手で土を被せていた厚司が私を見上げ、興奮したように手を振った。「帆波、おはよう。早く降りてきてサクランボ狩りしよう!」私は冷めた目でそっぽを向き、寝ぼけ眼の真珠と視線を合わせてクスリと笑った。「ごめんね、外の音で起きちゃった?」そう言うと、私は窓をきっちり閉め、一切の騒音を遮断しようとした。真珠は首を横に振った。「ママ、サクランボ食べたい」私は少し驚いたが、真珠に服を着せた。「じゃあ、下に行って狩りしようか」降りると、厚司は冷たい顔をして黙々と土を被せていたが、私の姿を見た瞬間、パッと表情を明るくした。「帆波、見てくれよ!このサクランボの木、農園中を探し回って一番甘い実がなるやつを見つけてきたんだ。ほら、味見してみて。好きだろ?」そう言って彼は実をいくつか摘み、機嫌を取るように私の手に押し付け、ついでに真珠の小さな手にもいくつか握らせた。真珠は私の手にあるサクランボを見ると、口を尖らせた。そして次の瞬間、自分の手にあったサクランボを厚司の顔面に向かって全力で投げつけた。「悪い人!ママをいじめるな!ママはサクランボが一番嫌いなの!ママがサクランボアレルギーだってことも知らないくせに、ママのことが好きだなんて言うなんて、このバーカ!」厚司はそれを聞いて表情を変え、慌てて私を見た。「そんなことあるわけないだろう?帆波、サクランボが一番好きなんじゃないの?」私は嘲笑を浮かべ、冷たく言い放った。「へえ。私がサクランボを食べてる姿、あなた一度でも見たことあるの?」厚司は「もちろん」と言いたかったが、記憶を辿っても私がサクランボを食べている場面は見つからなかった。彼は呆然と呟いた。「どうしてだ……お前はあんなにサクランボ狩りを楽しそうに……」私も少し不思議に思い、脳内でシステムを呼び出して聞いてみた。システムはフッと笑った。「あなたはサクランボアレルギーですから、当然一度も食べていませんよ。サクランボが大好物だったのは、厚司と源人の二人です。あなたはこの二人に新鮮なサクランボを食べさせるため、毎年農園に足を運んで山のように摘み、ジャムやスイーツを手作りしていました。それらは全部、あの父子の胃袋に収まったというわけです」厚司がまだ必死に記憶をまさぐっている横で、私は氷のような声でシステムの言葉を復唱してやった。「綾瀬
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第10話

私は思いつく限りの辛辣な言葉をぶつけた。厚司の涙はとめどなく流れ落ちた。彼はようやく悟った。何を言い、何をしようと、私の心が戻ってくることは二度とないのだと。最後に、彼は必死に笑顔を作った。「帆波、俺を恨んでるのは分かってる。でも……源人はお前が十月十日お腹に宿して産んだ子だ。明日はあの子の誕生日なんだよ。お願いだ、最後の誕生日を祝ってから……行っていいかな?」厚司の低く掠れた懇願の声に、私はしぶしぶ承諾した。源人は道中ずっと興奮した様子で、チラチラと私の顔を盗み見ていた。「ママ、去年の誕生日の時はママが不機嫌だったけど、今日はもう少し楽しもうよ」「どうして私が不機嫌だったの?」源人は言葉に詰まり、みるみる顔を青ざめさせ、何も答えなかった。その様子を見て、私も大体の察しがついた。厚司がわざとらしく笑い声を上げ、気まずい空気を誤魔化した。「過去の話はもういいじゃないか?帆波、お前が源人の誕生日を一緒に祝ってくれて、源人も俺も本当に嬉しいよ。昔は仕事が忙しくて、三人で一緒にいられる時間が少なすぎた。これからは絶対にそんなことしない。もしお前が残ってくれるなら、俺の中でお前が絶対の一番だ」厚司がまたしても思いを語り始めた。私は無表情で、隣で眠ってしまった真珠の耳を手で塞ぎ、ゆっくり眠れるようにしてやった。厚司は私のウンザリした態度に気づかないフリをして、まるで一生分の言葉を今すべて吐き出そうとしているかのようだった。レストランに着くまで、厚司の口が閉じることはなかった。レストラン内には無数のクイーンオブスウェーデンが咲き誇っていた。それを見た真珠はぱっちり目を開け、私の服を引っ張った。「ママ、ママが一番好きな薔薇だよ!」確かに私はこの花が大好きだが、厚司から贈られたものとなると、どうしても好きになれない。レストラン内はとても静かで、料理とケーキがすべて運ばれてくると、二人の子供たちの賑やかな声だけが響いていた。真珠はまだ幼い。見知らぬ場所に来ればテンションが上がるのも無理はない。走って遊んでいるうちに姿が見えなくなり、私が少し焦っていると、厚司が宥めてきた。「大丈夫だよ、店ごと貸し切ってるから変な人間が入ってくる心配はない。もし心配なら、源人に見に行かせよう」厚司がそう言うと、
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