《放課後、女の子になった僕は、恋とカラダに戸惑っている》全部章節:第 41 章 - 第 50 章

52 章節

Ep.41 無防備な君と、最低な俺の秘密【大輔視点】

【大輔視点】 翼たちと別れて、俺は逃げるように急ぎ足で家に向かった。 「やばい、やばい……っ」 心臓が破裂しそうなほどバクバクしている。まだ背中と手のひらの奥に、あの狂わしいほどの感触が生々しく残っている。 俺の背中で、翼が向けた無邪気な笑顔が頭に浮かんでくる。 『僕のお尻なんて、興味ないでしょ?』 そう言って笑った翼の顔。俺のことを親友だと、完全に信頼しきっている、あの純粋な笑顔。 「くそっ……!」 俺は自分が最低なクズだと思った。でも、身体の熱と下半身の反応はどうしても止められない。早く家に帰らないと、理性が完全にぶっ壊れてどうにかなってしまいそうだった。 夏祭り帰りの楽しそうな人たちとすれ違うけど、俺には周りの景色なんて何も見えなかった。一刻も早く、一人になりたい。 水色の浴衣を着て、うなじを晒した翼の姿が頭から離れない。あんなに美しい翼を見たのは初めてだった。どこからどう見ても、息を呑むほど完璧な女の子だった。 そして、あのおんぶの時の感触――。 「だめだ、考えるな……っ」 そう自分に言い聞かせても、一度火のついた思春期の脳みそは、その記憶の再生を止めようとはしなかった。 * * * 暗い夜道を歩きながら、さっきの出来事がフラッシュバックする。 翼が俺の背中に手を回し、飛び乗ってきた瞬間から、すべてが変わった。 浴衣の薄い生地越しに感じた、翼の体温。柔らかくて、温かくて、間違いなく女の子の身体だった。 俺の背中に密着した翼の身体は、想像以上に華奢で軽く、力を込めて抱きしめたら壊れてしまいそうなほど繊細だった。 翼の腕が俺の首に回った時、その二の腕の柔らかさが首筋に触れた。男の時とは全然違う、脂肪のついた女性らしい丸みを帯びた腕。 肌は絹のように滑らかで、俺の首に巻きついた腕から伝わってくる体温が、直接脳の奥を痺れさせた。 そして、俺の背中にダイレクトに密着した、翼の大きな胸。 歩くたびに、その暴力的なまでの膨らみが俺の背中に押し付けられ、形を変える。浴衣越しでも、その重量感と、マシュマロのような柔らかさがはっきりと伝わってきた。 息をするたびに、その二つのふくらみが俺の背中に擦れる。その女性特有の柔らかな弾力に、何度も理性が飛びそうになった。 さらに、至近距離
閱讀更多

Ep.42 二人きりの海水浴計画

八月上旬の朝、いつものように理子先輩と朝食を食べていた。 「今日も暑くなりそうね」 理子先輩が、強い日差しが差し込む窓の外を見ながら言った。セミの鳴き声が、耳が痛いくらいに響いている。 「そうですね。夏祭りからもう一週間も経つんですね」 「そうね。あっという間だったわ」 理子先輩が微笑んでくれる。 この一週間、とても穏やかな日々だった。 理子先輩は三年生なので予備校の夏期講習が本格的になってきたけれど、朝食や夕食は一緒に食べてくれるし、僕の体調のことも変わらず気にかけてくれている。 「今日は午後から夜まで予備校の講習が詰まっているから、お昼と夕食は好きに食べてちょうだいね」 「はい。毎日お疲れ様です。無理しないでくださいね」 理子先輩は本当に頑張っている。僕も邪魔にならないよう、家では静かに過ごすようにしていた。 でも、正直に言うと……少し退屈でもあった。 テレビを見たり、本を読んだり、家事をしたり。のんびりした時間は嫌いじゃないけど、せっかく女の子の身体で過ごす初めての夏休みなんだから、もっと夏休みらしいことをしてみたい気持ちもある。 理子先輩が予備校に出かけた後、一人でリビングでぼんやりしていると、スマホが鳴った。 あかりちゃんからだった。 「もしもし?」 『つーちゃん! 元気?』 「あかりちゃん。うん、すっかり元気だよ」 『よかった。最近、白石先輩が家にいるかと思って、連絡控えてたんだ。……ねぇ、つーちゃん、今度の土曜日、一緒に海水浴行かない?』 「海水浴?」 突然の提案に驚いた。 『うん! 海、行こうよ!』 「海か……」 海水浴。女の子の身体になってから、海で泳ぐなんて考えたこともなかった。 『つーちゃんの水着姿、絶対に見たいな。ぜーーったい可愛いもん』 あかりちゃんの熱っぽい言葉に、ドキッとした。 「み、水着……」 『どうかな? つーちゃんの抜群のスタイルなら、海で一番目立つよ!』 「……いいかも。せっかくの夏だし――あ、理子先輩にも声をかけてみようかな」 『あー……理子先輩は受験生だし、土曜日は大事な模試があるって言ってなかったっけ?』 あかりちゃんの声が、急に少し低く、暗くなったような気がした。 「あ、そっか……一応夜に聞いてみるけど、難しいかも」 『だよね。
閱讀更多

Ep.43 夏の海と熱い視線

海水浴当日の朝、遠足前の子供のようにいつもより早く目が覚めた。 「今日は海……!」 心の中で呟きながら、昨日準備した大きなバッグの荷物を確認する。新しい水着、バスタオル、日焼け止め、サンダル――忘れ物はない。全部揃っている。 「理子先輩、おはようございます」 「おはよう、翼。ふふっ、楽しみでワクワクが抑えられないって顔ね」 朝食を済ませ、予備校の準備をしている理子先輩が微笑んでくれた。 「はい。でも、女の子の身体で海に行くのは初めてだから、少し緊張してます」 「そうね。でも……くれぐれも気をつけて楽しんでくるのよ」 理子先輩が、少し険しい、心配そうな表情を浮かべながら僕の頭を優しく撫でてくれた。 「海は開放的になるから、男の人も積極的になるわ。何かあったら、すぐに私に連絡してちょうだいね」 「はい。それでは、行ってきます!」 理子先輩の過保護な言葉を背中に受けて、僕は大きなバッグを持って家を出た。 駅であかりちゃんと待ち合わせ。彼女もすごく嬉しそうな、弾けるような笑顔を浮かべて待っていた。 「つーちゃん、おはよう!」 「おはよう、あかりちゃん」 「今日は二人きりだし、絶対最高の海にしようね!」 電車に乗りながら、あかりちゃんが興奮して話し続けている。 「女の子として初めての海水浴だから、水着になるの、ちょっとドキドキするよ」 僕が正直に言うと――。 「つーちゃんの水着姿、すっごく楽しみ! 絶対に海で一番可愛いもん」 あかりちゃんの目が、獲物を狙うように熱く輝いている。 「海でやりたいことがいっぱいあるの。水遊びとか、砂浜でのんびりとか、海の家でご飯食べたりとか」 「楽しそう」 窓の外の景色が変わって、だんだん潮の香りが近づいてくる。 「あ、海が見える!」 僕が興奮して言うと、あかりちゃんも窓に顔を近づけた。 「本当だ。きれい!」 そこには、夏の日差しを浴びて青くキラキラと輝く、どこまでも広い海が広がっていた。 * * * 駅を降りて海水浴場に着くと、その賑やかさに圧倒された。 「すごい人……」 理子先輩が言った通りだ。砂浜には色とりどりのパラソルが花のように咲き、水着姿のたくさんの人々が行き交っている。 「海の家の更衣室、あっちだよ。行こっ」 あかりちゃんが僕
閱讀更多

Ep.44 一人の隙を突く悪魔たち

「ちょっとお手洗い借りてくるね、つーちゃん。すぐ戻るから、絶対ここから動いちゃだめだよ?」 あかりちゃんが念を押すようにそう言って立ち上がると、僕は軽く手を振って見送った。 「うん、気をつけてね」 海岸は相変わらず賑やかで、家族連れやカップル、若者のグループで溢れかえっている。僕はビーチパラソルの下で膝を抱えて座り、キラキラと輝く海面を眺めていた。 水着姿になるのは今日が初めてだったけど、思ったより恥ずかしくはなくなっていた。もちろん最初は緊張したし、男性のいやらしい視線は相変わらず気になるけれど、あかりちゃんが隣にいて鋭く牽制してくれたおかげで安心できていたのだ。 でも、一人になると話は別だ。 なんとなく居心地が悪くて、僕は膝に顎を乗せた。あかりちゃんがいなくなった途端、あちこちから突き刺さる周りの視線がひどく気になる。特に、露骨な男性の視線が。 「あれ、お姉さん、一人?」 突然、上から降ってきた声に、僕はビクッと肩を揺らして顔を上げた。 目の前に立っていたのは、二十代前半くらいの男性が三人。日焼けしていて体格も良く、なんというか……ガラの悪い、ちょっと怖い感じの人たちだった。 「あ、えっと……」 「俺たち、向こうでバーベキューやってるんだけどさ、よかったら一緒に遊ばない? 美味しい肉あるよ」 一番前に立った、茶髪の男性が白い歯を見せて笑いかけてくる。でも、その笑顔がなんだか爬虫類みたいに気持ち悪くて、僕は無意識に身体を後ろに引いてしまった。 「あの、すみません。友達を待ってるので……」 「友達? どこにいんの?」 男性たちがきょろきょろと周りを見回す。その時、僕は彼らの視線の質が変わったことに気づいた。最初の人懐っこい雰囲気から、僕が完全に一人であることを確認し、獲物を値踏みするような下卑た目に。 「あの、お手洗いに……すぐ戻ってくると思うので」 僕はできるだけ丁寧に、波風を立てないように答えたつもりだった。でも、男性たちの表情は変わらない。 「いいじゃん、ちょっとくらい。その友達が戻ってくるまで、俺たちが話し相手になってあげるからさ」 「本当に、すみません。友達とここで待つ約束があるので……」 僕ははっきりと断った。これくらい言えば、普通の大人ならわかってもらえるはずだ。 ――でも。 「はぁ
閱讀更多

Ep.45 奪われた宝物【あかり視点】

【あかり視点】 「つーちゃん、お待たせ〜!」 お手洗いから戻ってきたあたしは、冷たい飲み物を片手に、いつものように明るく声をかけた。 ――でも。 「……あれ?」 ビーチパラソルの下に、つーちゃんの姿がなかった。 タオルや荷物、さっきまで飲んでいたオレンジジュースはそのまま残されているのに、肝心のつーちゃん本人だけがどこにもいない。 「つーちゃん? どこ行ったの?」 あたしは周りを見回した。暑くて一人で海に入ったのかな? それとも近くの海の家にでも? でも、波打ち際を見てもつーちゃんの姿は見えない。海の家の方向を見ても同じだった。 「おかしいな……」 なんで貴重品や荷物をそのままにして、一人でどこかに行っちゃうんだろう。つーちゃんはそんな不用心なことをする子じゃない。 そのとき、あたしの胸に、背筋が凍るような嫌な予感が走った。 もしかして、つーちゃんに何かあったんじゃ……? 「つーちゃん! つーちゃん!!」 あたしは飲み物を放り出し、慌ててパラソルを飛び出して周りを探し始めた。でも、どこにもあのピンク色の水着姿はない。 海水浴客はこんなにたくさんいるのに、なんで誰も気づかないの? あんなにスタイルが良くて、誰よりも可愛い子が一人で歩いていたら、絶対に目立つはずなのに! 「あの〜、お姉さん、もしかして友達を探してる?」 突然、後ろから声をかけられた。 振り返ると、大学生くらいの男性が三人立っていた。日焼けしていて、サーフボードを持っているから、サーファーの人たちみたいだ。 「はい! あたしの友達、見ませんでした!? 淡いピンク色のワンピース水着を着てて、色白で胸が大きくて、すっごく可愛い子なんですけど……!」 「ああ、それならさっき見たよ」 一人の男性が頷いた。 「少し前に、男のグループに両腕掴まれて連れて行かれてたよ。君の言うとおり、やけに可愛い子だったから目立ってて覚えてる」 「え……?」 あたしの顔から、サッと血の気が引いた。 「連れて行かれたって……どういうことですか!?」 「なんか、強引な感じだったかな。女の子の方は泣きそうになって嫌がってるみたいだったけど……」 「どんな男たちですか!?」 「えーっと、三人くらいだったかな。みんな色黒で体格良
閱讀更多

Ep.46 遅すぎた到着、震えるブランケット【田村視点】

【田村視点】 血相を変えて走り出した中村を追いかけて駐車場へ向かう途中、俺は歩きながら携帯電話を取り出し、俺の姪にあたるあの過保護なマッドサイエンティスト――白石理子に電話をかけた。 「……もしもし、理子か? 俺だ」 『……先生からこの時間に電話があったということは……そういうことなのね』 受話器の向こうから、模試の会場を抜け出してきたのだろう、荒い息遣いと、最悪の予想が的中したような冷たい声が聞こえてくる。 「……ああ、お前の嫌な予感通りだ。佐藤がガラの悪い男たちに連れ去られたらしい。今、中村と一緒に探している」 『――っ! 今タクシーでそちらに向かっているわ。あと十分くらいで着くはずよ』 「わかった。今は海岸の端の駐車場を捜索中だ。そこで合流しよう」 『ええ……先生、翼を……あの子を頼むわよ』 「……善処はする。急げ」 そう言って通話を切りながら、俺は昨夜のことを思い出していた。 * * * 姪の理子から電話がかかってきたのは、確か昨夜の十一時過ぎだった。 『先生、こんな時間に突然、申し訳ないわね』 『……いや、いいんだけどよ。どうかしたのか? お前の方から電話なんて珍しいじゃねぇか。またあの怪しい薬のことで何かあったか?』 『……実は、明日翼が、中村さんと二人きりで海水浴に行くらしいのだけれど……なんだかすごく嫌な予感がするのよ』 『嫌な予感?』 『翼は……女性として、周りの男が放っておかないくらい魅力的な身体になってしまっているわ。それなのに、中身はまだ男の感覚が抜けていなくて、危機感や警戒心が致命的に甘いのよ』 理子の声は、いつになく深刻で、強い保護欲に満ちていた。 『何もないことを願っているのだけれど、私は明日、どうしても抜けられない全国模試があるの。だから念のため……もし先生に時間があるようなら、海岸でこっそり見張りをお願いできないかしら』 『……やれやれ、叔父をタダでボディーガードに使う気か。まぁいい、明日は休みだし、ビール片手に一応様子を見に行くくらいはしといてやるよ』 『……助かるわ』 理子は原因を作った自責の念から、大袈裟に警戒しているだけ――あの時はそう思っていたんだが。まさか、本当にこんな胸糞の悪い事態になるとは思わなかった。 結果として、理子の冷徹な計算と勘は当たっ
閱讀更多

Ep.47 消えたアイデンティティ

「……翼? 翼、聞こえる?」 優しい、大好きな声が、深い海の底から響くように聞こえてくる。 僕は鉛のように重いまぶたを開けて、ゆっくりと意識を浮上させた。 「あ……理子先輩……?」 「よかった……気がついたのね」 理子先輩の顔が、ぼんやりと見えてきた。ひどく心配そうな、泣きはらしたような表情を浮かべて、僕の手を両手でぎゅっと握りしめてくれている。 「ここは……?」 「救急病院よ。田村先生が、警察のパトカーと一緒に連れてきてくれたのよ。中村さんは……ショックで過呼吸になってしまって、今、先生が外のベンチで落ち着かせているわ」 そう言われて、僕はぼやけた視界で周りを見回した。白い壁、白いシーツ、冷たい消毒薬の匂い。たしかに病院の個室ベッドの上にいるようだった。 「体の調子はどう? 痛いところはない?」 「えっと……」 僕は体を動かしてみた。左腕に強く掴まれた内出血の痛みがあり、首筋と頬も、殴られたのか熱を持っているような鈍い痛みがある。でも、致命的な怪我はなさそうだ。 「いくつかの打撲と擦過傷があるけど、大きな怪我はないって先生がおっしゃってたわ。無理やり飲まされた強いアルコールと睡眠薬の症状も、点滴でだいぶ抜けてきているはずよ」 「アルコール……睡眠薬……?」 その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中に断片的な記憶が、強烈な吐き気とともに蘇ってきた。 海岸の死角のテントで……入れ墨の男の人たちに……変な味のするジュースを無理やり飲まされて――。 「あ……そうだ……僕、あの時……っ!」 記憶が少しずつ繋がっていく。恐怖で心臓が早鐘のように打ち始めた。 「大丈夫よ、もう安全だから。もう何も心配いらないの」 理子先輩が、僕の頭を胸に抱き寄せて優しく撫でてくれる。その温かさに、僕は少しだけ呼吸を落ち着かせた。 「先生、意識が戻ったようです」 理子先輩が呼びかけると、カーテンの奥から白衣を着た男性の医師が近づいてきた。 その瞬間。 僕の体が、ビクッと大きく跳ねた。 「ひっ……!」 なんだろう、この感覚。 男性の医師を見ただけなのに、その骨格の大きさや、低い声のトーンに本能が激しく反応し、強烈な動悸と息苦しさが襲ってくる。 「……翼、大丈夫?」 「は、はい……ちょっと、びっくりしただけです……」 僕
閱讀更多

Ep.48 消えない感触と悪夢

「……ただいま」 理子先輩の家のドアを開けて中に入った瞬間、僕はせき止めていた息を吐き出すように、ほっと深く息をついた。 「お疲れさま、翼。ゆっくり休みましょう」 理子先輩が僕の荷物を受け取ってくれる。いつものリビング、いつものソファ、いつもの理子先輩の家の匂い。外の世界から遮断された、ここは完全に安全な空間だった。 でも、僕の心はどこかおかしかった。 「翼、少し横になってて。今日は私が夕食の準備をするから」 「はい……」 「大丈夫――こういう日のために、密かに練習してたのよ」 僕はソファに座って、理子先輩がキッチンに向かうのを見送った。 その瞬間、急に胸の奥がざわざわと波立ち、強烈な不安に襲われた。 「理子先輩……っ」 「何?」 「えっと……その……」 一人になるのが怖い、なんて言えなかった。理子先輩の姿が見えなくなるだけで、またあの男たちが暗がりから出てきそうで怖いなんて、子どもみたいで恥ずかしい。 「大丈夫よ、すぐそこにいるから。何かあったら呼んでね」 理子先輩は僕の怯えた瞳を見て、すべてを察してくれたみたいだった。 キッチンから聞こえてくる、包丁でトントンと野菜を切る音。お湯を沸かす音。いつもなら心地よく感じるはずの生活音なのに、今の僕には、どんな音も神経を逆撫でするノイズにしか聞こえない。 その時、玄関の方で「ガタン」という音がした。 「ひっ!」 僕は反射的に頭を抱え、ソファの上でボールのように身を縮こまらせた。心臓がドクンドクンと耳の奥で激しく鳴り、息が浅くなる。 「翼? どうしたの?」 理子先輩が手を止めて、慌ててキッチンから出てきた。 「あ……えっと……今、玄関で、音が……誰か、入って……っ」 「ああ、隣の部屋の人が帰宅してドアを閉めた音よ。ここはオートロックだし、誰も入ってこない。大丈夫よ」 理子先輩が僕の隣に座って、震える肩を抱き、そっと手を握ってくれた。 「ごめんなさい……変ですよね、こんな、些細な音で……」 「変じゃないわ。あれだけの恐怖を味わったんだもの、神経が過敏になるのは当然の防衛反応よ」 理子先輩の温かい手に包まれ、僕は少しだけ呼吸を落ち着かせた。 「……夕食、一緒に作りましょうか? 一人でじっとしているより、私の隣にいた方が気が紛れるかもしれないし」
閱讀更多

Ep.49 緑のサンクチュアリ

「翼、今日は少しだけ、気分転換に出かけましょうか」 翌朝、理子先輩が朝食の片付けをしながら提案してくれた。 「出かけるって……どこにですか? 外は、まだちょっと……」 僕は身をすくませた。外に出れば、また見知らぬ男の視線に晒されるかもしれない。それがひどく怖かった。 「大丈夫よ。親戚の別荘が、県境の山の方にあるの。自然がいっぱいで、見知らぬ人は誰一人いない、完全に隔離された静かなところよ」 理子先輩は、怯える僕を安心させるように優しく微笑んだ。 「きっと気分が良くなると思うわ。私がずっと守ってあげるから、どうかしら?」 「はい……理子先輩と一緒なら、行ってみたいです」 僕は頷いた。確かに、ずっと部屋の中で怯えて塞ぎ込んでいるより、理子先輩が安全だと言う場所で、少し外の空気を吸った方がいいかもしれない。 「それで、車で行くんだけど……私の叔父にお願いして、運転してもらうことにしたの」 「叔父さん……ですか? あの、男の人は、まだ……」 「安心して。叔父といっても、翼もよく知っている田村先生よ。今回の件で、翼のことを本当に心配してくれているの」 その名前を聞いた瞬間、胸の鼓動が早くなる。 「あの……田村先生って……僕のクラスの担任の……?」 「ええ、そうよ。私が彼をボディーガードとして手配していたの。だから大丈夫、田村先生は翼を助けてくれた恩人よ。それに、移動中は私がずっと翼を抱きしめているから」 理子先輩が僕の震える手を、両手でしっかりと握ってくれた。 「……わかりました」 大人の男の人と密室の車に乗るのは怖かったけど、僕は理子先輩を信じることにした。 一時間後、家の前に黒いSUVが停まり、田村先生が迎えに来てくれた。 「よう、体調はどうだ?」 田村先生が車から降りてきて、低い声で声をかけてくれた。 その瞬間、僕の体はビクッと大きく跳ね上がり、呼吸が浅くなった。 頭では命の恩人だと分かっているのに、大人の男の大きな体格と低い声の圧力が、あの海岸での恐怖のフラッシュバックを呼び起こしてしまう。 「ひっ……あ……えっと……っ」 「おっと、すまん。近づきすぎたな」 田村先生は僕の過呼吸気味の反応を見てすぐに察し、両手を少し上げて、三歩ほどサッと距離を取ってくれた。 「……先生、翼はまだ男性の骨格や
閱讀更多

Ep.50 私のエゴと二つの道、あなたを愛する理由【理子視点】

【理子視点】 翼の温かい涙が私の服に染み込んでいく。星空の下で、声を殺して震える小さな身体を抱きしめながら、私は心の奥底で渦巻くひどく複雑な感情と向き合っていた。 翼が語ったこの三ヶ月間の想いを聞いて、私の胸はナイフで抉られるような痛みを感じている。 女の子になって嬉しかったこと。生理の苦しみ。そして、男たちに蹂躙されかけた今回のトラウマ……。すべてが、私が勝手にこの子の身体を造り変えてしまったことから始まったことなのに。 「翼……」 私は翼の顔を上げさせ、頬に伝う涙を、そっと指で拭ってあげた。 「ありがとう。ずっと一人で抱え込んでいた痛みを、素直に話してくれて」 「理子先輩……」 翼が潤んだ瞳で私を見上げる。その瞳には、自分が何者か分からなくなってしまった不安と恐怖が色濃く残っている。 「私も、翼に話さなければならないことがあるの」 私は、夜のひんやりとした空気を深く吸い込んだ。 今まで自分のエゴで胸の奥に秘めていた秘密を、全て打ち明ける時が来たのだと思った。 「でも、その前に……ごめんなさい」 「え?」 「私の身勝手な好奇心のせいで、翼の人生をめちゃくちゃに変えてしまって……本当に、ごめんなさい」 私は翼の前で、深く頭を下げた。 「理子先輩、顔を上げてください! 僕、そんなつもりで言ったんじゃ……」 「いいえ、これは私の責任よ。あの日、私の作った未完成な薬で、翼を強制的に女性にしてしまった……」 あの日のことを思い出すと、今でも胸が締め付けられる。 「最初は、科学者としての失敗を挽回するために、何とか元に戻す解毒剤を作らなければって必死に研究していたわ」 「理子先輩……」 「でも、時間が経つにつれて……翼が私の手の中でどんどん可愛く、美しく輝いていく姿を見るようになって……私の心に、醜いエゴが芽生えてしまったの」 私は星空を見上げた。 「正直に言うと、毎日が幸せだった。翼が可愛い服を着て、私にメイクを褒められて嬉しそうに照れる姿を見ると、たまらなく愛おしかった。このまま、ずっと私の可愛い女の子のままで、私のそばにいてほしいって……本気でそう思ってしまったの」 「そんな……」 「自分の犯した罪への罪悪感よりも、あなたを自分好みの女の子として独占したいという支配欲が勝ってしまった。……私は、本
閱讀更多
上一章
123456
掃碼在 APP 閱讀
DMCA.com Protection Status