神崎煌(かんざき こう)は、界隈で知らぬ者のない放蕩な御曹司だった。危険なレース、喧嘩、命知らずな遊び。無茶と呼ばれるものなら、ひと通りやり尽くしていた。だが、白川冬美(しらかわ ふゆみ)と出会ってから、暴れ馬のようだった煌は嘘のように大人しくなった。冬美が「血が怖い」と言えば、煌は二度と喧嘩をしなくなった。冬美が「あなたに何かあったら怖い」と言えば、愛してやまなかったスピードとスリルさえ、あっさり手放した。界隈の誰もが噂した。煌は今度こそ本気で落ちたのだと。あの清らかで無垢な冬美を、どうしようもないほど愛しているのだと。けれど5年が経っても、煌は冬美にちゃんとした立場を与えなかった。煌のそばに寄り添って5年目のある日、冬美のもとへ、煌の仲間から突然電話が入った。「冬美さん!今すぐ来てくれ!煌が完全にイカれた。幻影峠を走る気だ!」……冬美は指先を震わせ、スマホを床に落とした。ガタン、という乾いた音が足元で跳ねた。幻影峠の魔のコース。そこは、煌がかつて命を削るように走っていた場所だ。冬美と付き合い始めてから、煌は二度とそこへ近づかなかった。冬美が駆けつけた時、コース脇にはすでに大勢の人だかりができていた。冬美は人波をかき分けて前へ出た。だが、目の前の光景を見た瞬間、足がその場に縫い止められた。白いワンピースを着た若い女性が、煌の腰にしがみついている。目元は泣きはらしたように真っ赤だった。「あのネックレス、もういらない。だから行かないで……」煌は彼女を見下ろし、冬美がよく知る、あの奔放で不敵な笑みを口元に浮かべた。「いい子だ。ゴールで待ってろ」そう言い残し、煌は振り向いてスポーツカーに乗り込んだ。エンジンが唸りを上げた瞬間、冬美の心臓が重く沈んだ。冬美は車へ駆け寄り、窓を叩いた。「煌!行かないで!あのコースは……」窓が下りた。煌は冷えきった横顔のまま、短く告げた。「どけ」たった一言が、冬美の全身を凍りつかせた。次の瞬間、車は放たれた矢のように飛び出した。「狂ってる!煌のやつ、完全にイカれてる!」「あのスピード……死ぬ気かよ!」「ネックレス一つで、そこまでやるか!?」周囲のどよめきが耳を刺した。冬美は両手を固く握りしめ、いつ崖下へ消えてもおかしくない車の影を、瞬
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