《見殺しにされた実娘。絶望の録音に崩壊する家族》全部章節:第 11 章 - 第 20 章

26 章節

第11話

警察官は、司の絶望と切迫感に押され、思わず答えた。「深夜1時、市立総合病院です……」答えを聞いた瞬間、司の体から力が抜け落ちた。警察の手を掴んでいた力がふっと緩み、血の気のない顔で口をぱくぱくとさせたが、声は出なかった。次の瞬間、司は勢いよく振り向いて、立ちはだかる人混みをかき分けて、狂ったかのようにパーティー会場を飛び出して駐車場へ向かった。そして、車はエンジンの轟音を響かせて、市立総合病院へ向けて猛スピードで走り去った。市立総合病院の地下2階、霊安室。空気中にはホルマリンの匂いと死によって満たされた冷たさが混ざり合う中、白熱灯だけが無機質にすべてを照らしていた。司は駐車場で車を放り出すと、霊安室を目指して全力で走り出した。続いて、陣内家の人々と、顔を血で染め憔悴しきった俊輔も駆けつけた。白い布が掛けられ、冷たい金属のベッドに、横たえられた痩せ細った小さな体が浮き彫りになっていた。正宏が震えながら合図をすると、職員がゆっくりと白い布をめくった。そこには、茉優が静かに横たわっていた。そんな彼女は痩せ細り、肌は透き通るほど白く、今にも壊れてしまいそうだった。長い睫毛を閉じ、その表情は異常なまでに穏やかで、どこか解放されたような安らぎすら感じられた。生前の苦しみも、理不尽な痛みも、葛藤も、すべてが風に散ってしまったかのようだ。しかし、ガーゼで何重にも巻かれ、暗い血が滲んでいる右手。そして骨と皮だけになった体は、茉優が最期に味わった人間離れした苦しみを物語っていた。「茉優……茉優、私の可愛い娘が!」芳美が耳を塞ぎたくなるような絶叫を上げ、鉄のベッドにすがりつこうとした。だが、冷たくなった茉優の顔に触れる直前、彼女はやけどをしたかのように手を引っ込めた。それから、芳美はその場に崩れ落ち、手で口を強く覆い、震える肩を大きく揺らしながら、押し殺した絶望的な嗚咽を漏らした。「俺たちはなんてことを……なんてことをしてしまったんだ!」正宏は茉優の穏やかな死に顔を見つめながら、とめどなく涙を流した。これまでの呵責や暴力、そして茉優を池に突き飛ばしたことや、爪を剥ぎ取ったことが脳裏を過った。その瞬間、巨大な後悔が、彼の内心を蝕んだ。正宏は苦悶に満ちた声で、冷たい壁に頭を何度も打ち付けた。額にはあっという間に青痣が
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第12話

警察は証拠品袋を受け取った。中に入っていたのは、小型の銀色のICレコーダーだった。一瞬にして、嫌な予感が、その場の全員の胸を締め付けた。そんな中、警察が再生ボタンを押す。レコーダーからは、風の音と水の音が流れたあと、茉優の弱々しい、だが絶望に満ちた決別のような声が途切れ途切れに聞こえてきた。「たとえ死んでも……あなたたちには……触れさせない……美月……私……死んでも……あんたのことだけは許さないから……」続いて、録音の環境音が一変した。病院の救急治療室のような騒々しさがICレコーダーから流れ出した。看護師の切迫した声が響く。「奥さん!隣の救急治療室に川に飛び込んで自殺を図った方が搬送されてきました。末期がんの患者さんで、一刻を争う状態です!でもその手術には山下先生の執刀が必要で……先生は今、娘さんの診察に当たっておりまして……何とかなりませんか?」ほどなくして、芳美の冷たくて苛立った嫌気のさした声が時を超え、全員の耳に届き、容赦なく打ちつけた。「川に飛び込んだって?末期がん?そんなの放っておけばいいでしょ!1億でも払っておけば、家族も納得するでしょう!どうせすぐ死ぬ運命なら、助けても本人が苦しむだけよ!今はうちの娘が一番に見てもらわないとだから、娘に万が一のことがないよう、医師全員に残ってもらうからね!」パシッ――音が途切れた。静まり返った霊安室に、荒い呼吸音だけが聞こえ、それに伴い衝撃をうけ心が砕けた音も響いたようだった。芳美は、自分の冷酷な言葉を聞いてショックを受け、口から鮮血を吐き出すと、そのまま気を失って床に倒れた。「そんな!知らなかったんだ!自分の娘だなんて……」正宏は叫び声をあげ、倒れた芳美に駆け寄るも、自らも立っていられなかった。俊輔は地面に崩れ落ち、顔面蒼白になり泣きわめく気力すらなくなったようだ。そして、司……芳美の言葉を聞いた瞬間、司は弾かれたように顔を上げた。赤く充血した目には、全てを焼き尽くすほどの怒りが宿った。抑えきれない絶叫を上げると、彼は近くにあった鉄製の棚を力任せに殴りつけた。ガンッ!鈍い音が響き、骨の砕ける音がした。拳から流れる鮮血が、冷たい棚を赤く染めていく。だが、痛みなど感じていないかのように、司は棚に寄りかかって滑り落ちると、顔を血で染まった手のひ
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第13話

かつて華やかな陣内グループの令嬢は、一夜にして犯罪者となり、天国から奈落の底へ突き落とされた。司は、美月が警察に連行される直前、最後に面会へ行った。留置場の美月には、かつての傲慢な態度は微塵もなく、やつれた顔で、怯えきった目をしていた。司は鉄格子の向こう側から美月をじっと見た。その眼差しは凍りつくように冷たく、まるで亡き者を見るようだった。彼は低い声で、骨まで凍りつくような冷たさを含んでこう言った。「美月、陣内家の後ろ盾を失った今の君は……獄中でどれほどの地獄を味わうことになるか……茉優の受けた苦しみを考えれば、想像に難くないだろう?」それを聞いた美月は激しく震え、顔面から一気に血の気が引いて、瞳には絶望の恐怖が満ちていた。美月を断罪したところで、抱える痛みが癒えることはなかった。司にとって、本当の地獄はここからが本番だった。彼は秋月家の持てる全ての力とコネを駆使し、茉優が生前送った日々を、狂ったように調べ上げた。最後の日々、茉優は一体どう生きたのか?どれほどの苦痛に耐えたのか?当時、茉優の胃がんを診断した主治医を見つけ出した。医師が取り出したのは、埃を被った茉優の直筆サインがある胃がんのカルテだ。【予後不良、生存期間は長くて1カ月】という残酷な一行を指さした時――これまで必死に保っていた冷静さが、完全に音を立てて崩れ去った。たった一枚の軽い紙を握りしめる司の手は、激しく震えていた。最後に会った時、茉優が吐いた「もう待てない」という言葉、日に日に痩せ細る体、青ざめた顔。そして最期に流していた、自分は勝手に「不機嫌になっている」と思い込んでいた表情……そうか。茉優は拗ねていたんじゃない。本当に、もう……終わろうとしていたんだ。最期の時を、血のつながった家族に裏切られ、愛する人に欺かれ、すべてを少しずつ奪われながら、ただ死を待っていたんだ。「ああぁ!」司は耐えきれず、冷たい床に膝をついた。顔を手で覆い、涙が指の隙間から堰を切ったようにこぼれ落ちた。心を引き裂くほどに泣きじゃくり、肩を激しく震わせた。五臓六腑すべてを吐き出そうとするほどに泣いていた。冷徹で非情と知られたこのビジネスの寵児は、今や迷子の子供のように無残で脆い存在となっていた。その後、司は茉優が生前、わずかな貯金をはたいて郊外
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第14話

葬儀は終わったが、陣内家の崩壊はこれからだった。芳美へのダメージはあまりに深刻だった。かつて冷たい池に突き落とし、自らの手で爪を剥がせと命じ、命が危ない時にさえ「助かったとしても苦しむだけ」と言い捨てたあの茉優が、実は実の娘だったのだから。この残酷な事実は、鈍い刃のように芳美の心をえぐった。消し去ることのできない後悔と自責の念に、精神は完全に壊れてしまった。芳美は、都内でも最も高額な私立の療養施設へと送られた。しかし、どんなに素晴らしい環境であっても、傷ついた心は癒えることがなかった。一日中、茉優の薄暗い部屋から見つけ出した、色あせてしまった古びたネグリジェを抱きしめ、部屋の隅にうずくまっている。時折、「茉優、お母さんが間違っていたの、ごめんなさい」と泣き叫び、声を枯らしていた。またある時は、虚ろな笑みを浮かべ、誰もいない場所に向かってこう呟く。「茉優はいい子ね。お母さんが新しい服を買ってあげるから……美月、ううん、茉優、怖がらなくていいのよ、お母さんがいるから……」医療スタッフが近づこうとすると、芳美はおびえたウサギのように悲鳴を上げて逃げ回る。茉優のネグリジェを自分と世界をつなぐ最後の糸だと信じ、必死に守り続けているのだ。正宏は、一晩で20歳老け込んだように、髪は白髪まじりになり、背筋はすっかり曲がってしまった。会社の仕事を俊輔に丸投げし、正宏は魂の抜けた殻のような状態だった。夜明け前になると、一人で車を走らせ、茉優の命を奪ったあの都心の川へと向かうのが日課となった。かつての身なりのよさは見る影もなく、古いグレーのジャケットに身を包んで冷たい岸に座り込み、一日中そこを動かない。濁った川が休むことなく流れゆく中で、正宏の目には茉優が身を投じた時の、あの決意に満ちた背中しか映っていない。激しい川の流れに向かって、何度も何度も詫び続ける。その声は、ひび割れたふいごのように掠れていた。「茉優……お父さんが最低だった。父親失格だ……寒くないか?水の中は冷たいだろう?茉優に大好きな栗羊羹を買ってきたんだ。一口、食べてくれないか?」ポケットから、もう硬くなった栗羊羹を取り出す。川岸の石の上に慎重に置き、まるで茉優が本当にそこにいるかのように語りかける。そして、静寂の中にただ沈み込む。日が暮れて、家族に強引に連
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第15話

そして司は、まるで自虐のような模倣を始めた。彼は、茉優が大好きだった西区の老舗の栗羊羹をよく覚えていた。甘くて口当たりのいい、あの栗羊羹だ。ところが、司は子供の頃から甘いものが苦手で、どちらかと言えば嫌いだった。それでも今、毎日運転手に頼んで、栗羊羹を買ってこさせている。広いダイニングテーブルに一人座り、その栗羊羹を食べるのが、日課になっていた。箸でつまみ、口へ運ぶ。口の中に広がる強烈な甘さと、まとわりつくような食感が、胃の中をかき混ぜるようにこみ上げてくる。司は吐き気を必死に抑え、ただ機械的に噛み、飲み込んだ。そうして茉優の好きだった味をたどり、少しでも彼女を感じたかった。皿を空にする前に胃が痙攣を起こし、額には脂汗がにじむ。それでも司は意地のように、次から次へと喉に押し込み続けた。胃が引きつるような激痛に、もはや背筋を伸ばすことさえできなくなり、ようやく彼は力なくその場に崩れ落ちた。皿に残された欠片を、司は虚ろな瞳で見つめていた。その視線の先にあるのは栗羊羹ではなく、もう二度と戻ることのない彼女の面影だった。時間が経つにつれ、胸に渦巻く後悔は、決して癒えることはなかった。むしろそれは、全てを焼き尽くすような、怒りの炎を変えていった。その怒りの炎は、自分だけでなく陣内家全体を飲み込もうとしていた。司の中では、陣内夫婦、俊輔が全ての元凶。陣内家の人間全員が、茉優を死に追いやった犯人に思えた。もし、陣内家のあの歪んだ家族環境と、繰り返される残虐な傷つけ合いがなかったなら、茉優はあれほど絶望して去りはしなかったかもしれない。やつらは対価を払うべきだ。破滅をもって、償わせる。自分を苦しめるだけでは飽き足らず、司は、ガタガタになっていた陣内グループに狙いを定めた。陣内グループは、相次ぐスキャンダルと正宏の経営放棄により、もはや倒産の危機に瀕していた。それを辛うじて繋ぎ止めているのが、俊輔だった。司は、秋月グループが持つ全ての力とコネを投入し、手段を選ばない無慈悲な買収合戦を仕掛けた。秋月グループが圧倒的な力で陣内グループの株価を暴落させ、根も葉もない噂を流した。陣内グループのコア技術者や役員を引き抜き、政治的なパイプを使って最も重要な案件を横取りする。損をしてでも、わずかに残った取引先を根こそぎ奪い去っ
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第16話

ざわっ――会場が一瞬にして騒然となった。参列者の視線が、青ざめた表情で立ち尽くす俊輔に突き刺さる。借りがある?しかし、陣内家が司に対して、一体いつ、何を借りたというんだ!?噂されていたスキャンダルも相まって、参列者たちは俊輔に対し、好奇と侮蔑、そして他人の不幸を楽しむような冷ややかな視線を浴びせていた。注がれる視線の重圧に、俊輔は逃げ出したくなった。深い屈辱と無力感が、全身を支配した。司は、陣内家まるごと、茉優の犠牲に捧げるつもりなのだ。これはただのビジネス戦略じゃない。世間を味方につけた、陣内家に対する公開処刑だった。……歳月は流れ、あれから5年の月日が過ぎた。その5年間は、関係する誰にとっても、地獄のような苦しみの日々だった。俊輔は、半分の規模に縮小してしまったボロボロの陣内グループを、必死で支えていた。会社に寝泊まりし、1日16時間以上も働き続けることで、自分自身を麻痺させていた。すっかり痩せ細り、無口になった俊輔は、かつての御曹司のような輝きを失っていた。残っていたのは、底知れぬ疲労感と深い後悔だけだった。俊輔は茉優の名義で大規模な障がい者支援基金を設立し、多くの関連プロジェクトに財産を投じていた。だが、どれほど外向きの善行を積んでも、心の奥底にある罪悪感は少しも軽くならなかった。夜が深まるたびに、飛び込む直前の茉優の絶望に満ちた表情と、冷たく横たわる遺体が脳裏に焼き付いて離れない。それは決して振り払えない悪夢だった。一方で司は、精巧で冷徹な、まるで機械のような男へと変わった。秋月グループは、司の采配でかつてないほどの巨大企業へと成長し、経済界に君臨していた。しかし司自身の心は、氷のように完全に凍り付いていた。不必要な交流を一切拒み、秘書以外には誰とも親しくしようとしない。女性など、論外だった。セレブ層の人間なら、誰もが知っていた。秋月家の御曹司は心を閉ざし、早くに亡くなった婚約者を想い続けていると。司の左手首には、色の深い数珠が巻き付いている。どこかの寺で手に入れたものだろうか。彼は無意識にその珠をいじり、何とか安らぎや救いを求めようとしていた。だが、その深い瞳の奥底には、決して溶けることのない氷のような冷徹さと、寒々しいまでの虚無だけが横たわっていた。数珠は心
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第17話

司はその文字を見つめていた。制服姿でポニーテールを揺らし、眩しい笑みを浮かべる茉優が、すぐ目の前で手を振っているような錯覚に陥った。胸が熱くなり、喉の奥がぐっと締め付けられた。司は深く息を吐くと、日記の最後のページをめくった。そのページは白紙のままだった。ただ、色鉛筆で簡単な絵が描かれていただけだった。描かれていたのは、満開の桜の木の下で、純白のウェディングドレスを纏って、笑う少女だった。そしてその隣で、タキシード姿の少年が、彼女の手を握り見つめ合っていた。拙い筆致でありながら、少女の幸福感と少年の愛おしげな眼差しが、ページから溢れ出してくるようだった。絵の隅に、小さく日付が記されていた。その日付を見た瞬間、司は雷に打たれたような衝撃を受けた。体中の血液が一瞬で凍りついたようだった。その日付は……大地震が起き、茉優が家族を救うために脊椎を損傷し、人生が根底から覆された、その前日だった。つまり、彼女にとって最後となる、何の憂いもない一日。明日へ向かって夢を抱いていて、茉優はこの絵を描いたのだ。心から憧れ続けた、未来の姿を。ウェディングドレスを着て、自分と結婚するという夢を。だが、翌日には地獄が待っていた。家族を守り抜き、茉優はその健康も足も、そしてやがては命までも奪われてしまった。夢見ていた桜の下の未来は、その絵を描いた直後、音を立てて砕け散ったのだ。そして自分は――その絵の中にいる主役だというのに、茉優の救いになるどころか、地獄へと突き落とす最悪の引き金を引いてしまった。ごふっ……司は堪えきれず、激しく吐血した。鮮血が日記に散り、あの純真な絵を塗り潰していく。目の前が暗転する。司が後方へ倒れ込み、日記が床へ滑り落ちた。意識が遠のくその一瞬前、車椅子に座った茉優が、哀しげな瞳でこちらを見つめ、静かに問いかけてくる気がした。「司、私のウェディングドレス……似合ってる?」5年という歳月は、都市の姿を塗り替えるには十分だったが、誰かの心に刻まれた印を消し去るにはあまりに短すぎた。司は機械的に巨大な秋月グループを動かし続けていた。心は既に芯まで凍りつき、かつての感情はどこにも見当たらない。社交の場に身を置いていても、彼の瞳は周囲の華やかな喧騒から切り離され、どこか遠くを彷徨っている。その夜
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第18話

「茉優?」崩れ落ちそうなほどの、信じがたいものを見た衝撃。かすれた喉から、かすかな声が漏れた。手から落ちたワイングラスが乾いた音を立てて砕け散る。鮮血のように赤いワインが、手入れの行き届いた靴やズボンを汚したが、司はそんなことにさえ気づかなかった。周囲が驚きにざわつき、噂話を始める。だが司には何も聞こえず、何も見えていなかった。彼の世界はただ、角を曲がって消えたあの後ろ姿に支配されていた。茉優か?いや、そんなはずはない。茉優はもう……しかし、あの後ろ姿、あの横顔……どうしてあんなに似ているんだ?幻覚か?それとも、5年もの間抱き続けてきた後悔と未練が、ついに脳を狂わせたのか?いや、確かめなければならない。狂気にも似た衝動が、司の理性を塗り替えた。目の前の人を突き飛ばし、我先にと裏口へ走った。ウェイターが持っていたトレイを跳ね飛ばし、周囲の驚愕も無視してただ突き進んだ。「茉優!待ってくれ!」しゃがれた声で叫びながらパーティー会場を飛び出し、空っぽの廊下へ駆け込んだ。突き当りの外に出る通用口へ向かうと、一台の黒い車が夜の闇へと滑り出していた。二筋のテールランプが赤い光の弧を描き、あっという間に車流に紛れて消えていった。司は必死に追ったが、ホテルの入り口に辿り着いた時にはもう遅かった。冷たい夜風の中に立ち尽くし、彼は行き交う車の波と、ネオンの光を茫然と見つめる。胸は激しく上下し、今にも張り裂けそうな心臓の鼓動が、静寂を切り裂いていた。幻覚ではない。はっきりと見た。あの背中を、あの横顔を。幻覚ではなかった。まさか……茉優は生きているのか?そんな考えが、山火事のように司の心を焼き尽くしていった。理性では不可能だと理解していた。5年前、葬祭場で行き別れた姿も、供花で埋まった記憶も、すべて現実だったのだから。しかし、万が一があるかもしれない。知らない秘密や、病院側の誤り、あるいは……奇跡が起きたとしたら?抱えきれない希望と、底なしの恐怖が混ざり合い、身を引き裂かれるようだった。あの日から、あの後ろ姿が似ていた女が、司にとっての執着となって心に棲みついた。彼は即座に秋月グループの総力を動員し、街中を捜し始めた。ホテルのカメラから周辺道路の監視映像まで、何十回も巻き戻し、一コマずつ精
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第19話

司がその謎めいた後ろ姿に再び執着し暴走する一方で、別の嵐が静かに吹き荒れようとしていた。美月の刑務所での日々は、過酷なものだった。陣内家の後ろ盾を失い、俊輔からも陰で「いたぶり」を受けていたため、美月は虐げられ続けた。かつて滑らかだった肌には細かい傷が増え、その瞳にはどす黒い憎悪が宿っていた。5年の刑期も、素行の良さと健康上の理由から、最終的に前倒しで釈放されることになった。出所した美月には何も残っていなかった。まるで日の当たらないネズミのように、街の最も薄汚れた場所に身を潜めていた。陣内家への憎しみ、特にすべてを暴いて今の自分を招いた茉優への恨みは日々募り、その呪いはより深くなっていった。美月は幽霊のように、陣内家の面々の動きを陰から監視していた。正宏が亡霊のように川辺をさまよっていることも、俊輔が会社を支えることに苦しみ死ぬほど辛い思いをしていることも知っていた。しかし、美月が何よりも興味を持っていたのは、精神を病んで療養施設に入った芳美だった。ある雨の午後、美月は身分を偽り、警備の甘いその私立療養施設に潜り込んだ。芳美は古いネグリジェを抱きかかえ、窓際のソファにうずくまり、うつろな目で外の雨を見ていた。そしてブツブツと呟いていた。「茉優……寒いのね……お母さんが服を重ねてあげるから……」美月は音もなく近づくと、マスクと帽子を外し、憎しみに歪んだ顔を晒した。芳美が呆然と顔を上げた。混沌とした目には、目の前の人物が誰なのか認識できていないようだった。美月が屈み込む。その顔には冷酷な笑みが浮かび、蛇が鎌首をもたげるような声で、一つ一つの言葉を芳美の耳に突き刺した。「まだそんなボロ切れを抱いて夢見てんの?知ってる?あんたの娘は死ぬまで一つの秘密を知らなかったわ……」美月はあえて言葉を切る。驚きと恐怖に染まっていく芳美の瞳を存分に眺めてから、根底にある恨みを込めてこう言った。「彼女を障害者に変えたあの地震……あれ、ただの天災じゃなかったのよ!あれは報いだわ!陣内家が犯した罪の!当時、陣内グループが経費をケチるために、あの地区の建築を手抜き工事で建てたんでしょ!鉄筋の規格も適当で、セメントも足りてない。あの程度の地震で普通なら崩れなかったはず!あんたたちが作った粗悪品のビルが倒れて、実の娘を生きた
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第20話

美月がどれほど慎重に立ち回っても、療養施設に潜り込んで芳美と接触していたことは、俊輔に知られてしまった。その足取りを追うだけで、俊輔は簡単に、美月が芳美に告げた内容を突き止めた。「手抜き工事」という言葉が耳に入った瞬間、俊輔の頭の中は真っ白になった。彼はすぐに、会社の資料室に封印されていた過去の書類、特に当時の地震災害地区の不動産開発資料を洗い出した。調査を進めるほどに、顔からは血の気が引き、手足が冷たくなっていった。証拠は明白だ。美月の言葉は、紛れもない真実だった。あのプロジェクトの責任者は正宏の腹心であり、決裁プロセスには正宏も深く関わっていたのだ。ほぼ時を同じくして、より強力な調査の手を回していた司の手元にも、より詳細で、見る者を戦慄させるような証拠の数々が辿り着いた。当時の内部で偽造された技術パラメータ、購買部の不透明な帳簿、そして地震後に専門家が内密に作成した「建物に深刻な欠陥がある」との報告書まで。茉優を死へ追いやったこの悲劇は、避けられたはずの人災であり、その根源は家族の強欲そのものだった。この真実こそが、司の心を完全に打ち砕いた。5年もの間募らせた後悔と絶望、自らを痛めつけ、陣内グループへ執拗に繰り返した復讐……その全てが、今この瞬間、破壊的な憤怒となって爆発した。俊輔を殺してやる!茉優を悲惨な運命へと引きずり込んだ、すべての共犯者たちを、自分の手で葬り去る!その日の午後、司は冷たい拳銃を握り締め、陣内グループの社長室のドアを力任せに蹴り開けた。俊輔は、画面に並ぶ罪状を見つめながら、ただ座り込んでいた。轟音とともに踏み込んできた司、そして真っ黒な銃口を見ても、俊輔は驚くこともなく、むしろ安らぎすら感じる顔をした。「来たか、司」と俊輔はかすれた声で呟いた。「このクズが!陣内家ごと地獄へ落ちろ!」司は俊輔の眉間に銃口を突きつけ、震える指で叫んだ。「お前らのおかげで多くの人が犠牲になり、茉優の足は不自由になった。人の心はないのか!今日こそ地獄へ送ってやる!」司の指に力がこもった。俊輔は逃げることもなく、むしろ自ら進んで銃口の前に立ち、絶望に満ちた笑みを浮かべた。「撃てよ、司。僕は、死ぬべき人間だ。茉優が死んだと知った時から……陣内家こそが元凶だと悟った時から……僕は茉優のと
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