Accueil / ラノベ / サトラレメイド / Chapitre 11 - Chapitre 20

Tous les chapitres de : Chapitre 11 - Chapitre 20

21

1章 11

「な……七岸さん! どうした!」   しかし、そこにいたのは強盗ではなかった。   三帖の狭い部屋。畳の上には布団があって、寝間着を着た七岸さんの姿があって、他にあるものと言ったら机と座布団と衣紋掛けと鏡と着替えと数冊の小説と、それと――  黒い、もやみたいなもの。 「い、いやあああ! 見ないで! 見ないでください! あっち行け豚!」 「な、なんだ……これは……亡霊の類か?」   この科学技術全盛の大正の世にそんな馬鹿な。我が大日本帝国は御一新以来古臭い迷信を非科学的だと断罪し、この世は全て科学で証明されるのだと徹底的な怪奇現象の否定を行ってきた。俺もそんな時代の寵児として幼い頃から科学だけを信じてきたのだ。   しかし目の前に浮かぶ黒いもやみたいなものは七岸さんの体から湯気のように出ていて、しかもゆらゆらと意志を持っているかのように蠢いている。   困惑している俺をよそに、七岸さんが泣きながら叫ぶ。 「違うんです! これは! くそっ、消えてよこのクソ霊体が! もういやっ!」   完全に取り乱している。これはいかん。俺は彼女の元まで歩み寄るときちんと正座し、微笑みながら優しく背中をさすってあげる。 「と、とにかく落ち着いてくれ、な? 俺は何もしない。怖くない。俺は味方だ」 「味方……」 「ああ、だから落ち着いてくれ。あれ? 霊が消えていく……」   これはどうしたことか。黒い水蒸気みたいな霊体がどんどん薄れ、見えなくなっていったのだ。 「…………」  七岸さんはうつむき、ぎゅっと唇を噛みしめた。   言いたくないか。でもあれを見てしまった以上、黙って立ち去るわけにもいかない。俺は彼女のあの現象から、こんな仮説を立ててみる。 「これは、俺の勘なんだが、君のさ、俺……いや、おそらく他の人もそうだと思うけど、君の心の声が聞こえるんだ。今の霊とそれ、何か関係があったりするかい?」 「…………」 「言いたくなければいい。俺は見なかったことにする」   本当は立ち去りたくない。問い詰めたい。けれどそれが七岸さんを傷つけることになるのなら、俺は自分の考えを潰してでも彼女の意志を
Read More

1章 12

 そうだろうな。そしてやはり自覚があったわけだ。 「そうか、俺はそれをサトラレって名付けたが、それはどうでもいいね」 「ええ、本当にどうでもいいです」 (もう、そんな言い方ないでしょ!)   うん、七岸さんがいつもの感じに戻った。よかったよかった。 「はは、いいよ、怒らないって言ったろ? 味方だって」 「でも、生まれてからサトラレってわけではないんです」 「え?」   俺の造語であるサトラレを早速使ってくれたのは嬉しいが、そこに言及すると話が進まないので、俺は背筋を伸ばして彼女の言葉に耳を傾けることにする。 「小学生の頃、家族で山へ旅行に行ったんです。その時、村に災害をまき散らす悪霊を封じている祠というのがありまして、うっかり蹴躓いて壊してしまったんです」 「…………」 「その祠、慌てて戻したんですけど、それから私、おかしなことが起こるようになりまして、体に、霊なんでしょうか? その卵が寄生するようになったんです」 「た、卵!? 俺にはもやしか見えなかったぞ」   というか、祠を壊して呪われるなんて非科学的だ! 祠の中なんて石ころしか入っていないって福沢諭吉も言ってたぞ!   しかし七岸さんは寂しそうに首を振る。 「ええ、最初は卵だったんです。普段は隠れて見えないんですが、定期的に出てきます。発作みたいな感じで、原因はわかりません。そして一年くらいして、卵が孵りました」 「それが、あれか」 「はい。雛はすくすく育っていきました。それに伴い、私、サトラレになったんです」 「…………」   とても信じられない。しかし確かに黒いもやはあって、それがサトラレの原因となっているのは間違いないだろう。   そもそも音は空気振動であり、声帯を震わせて放たれる。しかし七岸さんの心の声は音波ではなく念波みたいな感じなのだ。直接脳に響く。   物理学的にそんなこと絶対にありえない。あるとしたらそれは、超常的な何か。   七岸さんは続ける。 「実はコレ、心の声を一定時間我慢し続けると弱くなるんです。しぼむというか。ただ、心で何かを考えると即座に復活します」
Read More

1章 13

「それで、一体何をするんですか?」   メイド服に着替え、廊下に出た七岸さんが少し呆れ気味で訪ねてきたので、俺は手を左右に振りながら軽い口調で答える。 「いや、簡単簡単。これから七岸さんには仕事を再開して貰う。夕飯作ってくれ。俺まだ食ってないんだ」 「え!? 脳みそ粘土なんですか!? 私の料理は……」 「いいから。作ってくれ。俺が傍で教える。その霊ってしぼんだ後膨らんだりするの?」   料理が下手なのは作り方に問題があるだけだ。教科書通りに作れば絶対に失敗しない。切り方が下手だとか煮込みすぎだとかなら俺がやればいい。七岸さんのあの得体の知れない味は、そういうものとは別次元にあるもので、それを防ぎさえすれば食えるはずだ。   それよりも重要なのはサトラレの解消である。俺は自身の仮説を証明するために、七岸さんにやらせる。   七岸さんは体をもじもじさせ、不安そうにぽつり。 「成長すれば元に戻りますが、しぼむとしばらくそのままです。それと何の関係が?」 「オーケイ。要はしばらくの間七岸さんが心の中でつべこべ考えないくらい一生懸命になればいいんだ。俺のその手助けをする。だから米を炊くところから始めよう。他の使用人たちには先にあがらせる。俺と七岸さん、二人きりで作るんだ」 (そ、そんな……私に出来るわけ)   びしっと人差し指を彼女の唇に近づける。くっつけるのははしたないからギリギリの距離を維持して。 「それがダメ。その心の声をカットさせる。俺が死ぬ気でやってみせる」 「誠二様……」 「さあ、始めよう」   俺はそう言い、七岸さんと共に土間へと向かうのだった。
Read More

1章 14

 男子厨房に入らず、なんて言葉があるが、市川家は……まあ悲しいことにお母様をスペイン風邪で亡くしたこともあって、そういう考え方はない。   そもそも料理人はどこも男ではないか。彼らはよくて一般家庭ではダメなんて筋が通らない。今や女が続々と男の仕事をしている時代。なら男が女の仕事をしてもいいはずだ。  俺は構うことなくゲタを履き、土間へと下りていった。既に使用人たちは仕事を終えたようで、ちかちかと弱々しく灯る電球だけが寂しげな光をたたえている。   七岸さんは靴を履き、土間へと下りる。流石にゲタでは格好がつかんからな。 「あの、何をお作りすればいいんです?」   俺はそれに答える前に戸棚を開き、何があるのか確かめる。 「食材は……お、鶏肉があるな。飯が食いたいから……よし、チキンライスを作ろう」 「チキンライス……あの鶏の炊き込みご飯ですか?」 「あ、知ってる?」   洋食屋で食べたのだろうか。 「え、ええ。クリスマスによく食べました」 「へー、そりゃいいや。じゃあ一緒に作ろう! まずは米を研ぐとこからだ!」   そうか、クリスマスで食べるもんな! 日本人のクリスマスはチキンライスだよな!  俺は喜び勇んで米びつから米を掬い、鉢に入れる。おっと、仕事は七岸さんにさせないといかん。俺の仮説を立証するためにも、ずいっと米の入った鉢を彼女に渡した。 「え、えーと、お米を……」   彼女は流し場の前まで移動すると、そのまま蛇口をひねろうとして―― 「違う!」   俺は大声で叫んだ。びくんと七岸さんの肩が跳ねる。 「ひっ! え、誠二様……?」 「米は汚れと余分の糠だけを研ぐんだ。やり直し!」 「そ、そんな大声出さなくても」   普段なら叫ばない。でもこれはサトラレ征伐なのだ。物事を考えないで仕事を成し遂げるにはどうすればいいか。それは間断なく喋り、声を張り上げ、余計な思考に至らせないことだと思いついた。   七岸さんには何も考えさせない。絶対に。そのために俺は心を鬼にし、怒鳴る! 「そうはいかない! 俺は叫ぶ! 厳しく、熱く! 愛をたっぷりこめて! 七岸さ
Read More

1章 15

 それから一時間ほどして、良い匂いが土間全体に漂ってきた。   その間俺たちはずっと踊り狂っていた。もうへとへとである。   七岸さんはふらつく足下を引きずりながら釜の蓋をあげる。もわっと湯気が立ち、馥郁たる芳香が鼻腔を優しく刺激した。 「で、出来ました!」 「よし、それをおひつに入れて、食堂に持っていこう」 「はい! それにしても誠二様、どうして、そこまで一生懸命になってくれるんです?」 「考えない!」 「はいー! すみません!」   びしっと気をつけして謝る七岸さん。俺はそんな彼女を見つめながら笑う。 「はは、やっぱり七岸さんは素直でいい子だ。これが彼女の本当の顔なんだな」 「え? なんて言いまし……おっととと!」   おひつは結構重いのか、つんのめてしまった。俺は慌てて彼女を抱きかかえる。 「危ない危ない。もう夜で廊下は真っ暗なんだ。気をつけて歩かないとせっかくのお米がこぼれちゃうよ」 「す、すみません……でも、いい匂いがします」 「でしょ? これがチキンライスだよ」   七岸さんが作った、初めての毒物以外の料理と言えましょう。   ちなみにどうして一生懸命になるかって?  そんなの七岸さんに恋したからに決まってるじゃないか。   市川家には食堂が二つあって、一つは市川家の人間および客人が使う用、もう一つが使用人用で休憩所、詰所も兼ねている。今回は後者を選択した。   前者だと十二帖の広い部屋なのだが、後者は六帖とちょっと狭い。でも清潔さは保っているし、日当たりもこちらの方がいい。やはり毎日働くんだから、いい環境で飯は食べさせてあげたいからな。   窓には欠けた月があかあかと輝いていて、優しく微笑みかけているかのようだった。   使用人の食堂兼休憩所兼詰所は洋間で、テーブルの上におひつと平皿、それとスプーンを並べさせる。そこまでやれば七岸さんのお仕事は終了だ。 「出来た……私、初めて、お料理……できた」   ぐいっと汗をぬぐいながらできあがったチキンライスを見つめる。皿の上に盛られたご飯は熱々の湯気をたたえ、とても美味そうだ。米がキラキラ
Read More

2章 妹・聖子の挑戦 1

 俺の朝は早い。まだ日の昇らぬ頃には目が覚め、凍てつくような空気にぶるると震わせながらベッドから下りる。   カーテンを開けるとまだ空にはほのかな青すら出ていない漆黒の闇。   さて太陽も見えないこんな時間に起きて何をするかというなら――トレーニングだ。   俺は早速とばかりに寝間着を脱ぎ、上半身裸になって腹筋を開始、次いで腕立て伏せ。さらに鉄アレイを用いてのダンベルトレーニングだ。   体中に汗がほとばしり、真冬の寒さなど吹き飛んでいく。俺は風の子だ。室内だけど。   一体何時間くらいやったろうか。窓を見るととっくに太陽はのぼっていて、つとめての空気が優しく俺を包み込んでいた。   そんな時、コンコンとドアがノックされ、ドアが開かれる音。 「誠二様、おはようございます……って、あら?」 「文・武・両・道! 文・武・両・道!」 「誠二様……何、してるんですか?」   制服――メイド服をまとう七岸さんが呆然と立ち尽くしながら、やけに冷たい視線を俺に向けてきた。   俺は鉄アレイを置きながら手ぬぐいで汗をぬぐう。快感である。 「七岸さん。おはよう! 今日もいい天気だね! 朝の腹筋がはかどるというものさ! んー、この匂い、コーヒーだね!」   七岸さんの手にはトレーが握られ、その上には湯気をまとうコーヒーが何とも温かそうな雰囲気をたたえている。 「え? あ、はい。お茶の方がよろしかったですか?」 「いやいや、俺洋食好きって言ったでしょ? 朝はコーヒーだよ! ミルクホールの娘が淹れたコーヒーか。美味いんだろうなあ」   ミルクホールというとどうしても牛乳がメインになるが、昨今ではコーヒーも提供していると聞く。俺はミルクホールでは牛乳しか飲んだことがないから楽しみだ。 「あまり自信はありませんが……」 (……てかこの人、何時に起きたんだろう、私、五時に起きたのに) 「ああ、同じ時間だよ。朝の鍛錬は日課だからね! ほら見て! 俺のたくましい筋肉! この六つに割れた腹が俺の未来を輝かせる一筋の星となる!」   ぐっとギリシアの彫像みたいに筋肉を見せつける。なんて美しいんだ、俺は
Read More

2章 2

 現在時刻は六時半。登校まではまだ十分に時間がある。俺は学ランに着替えると七岸さんと共に裏庭へと出る。ドアを開けた途端、ひゅう、と脳の奥まで凍りそうな風が差し込んできた。今日はやけに冷えるな。 「じゃ、朝のお仕事は昨日の夕飯同様サトラレ征伐を兼ねてやろうか」 「昨晩のあれ、またやるんですか? 変態め」 「そりゃ一刻も早く七岸さんのサトラレを治してあげたくてさ。まさか……」   鈴子さんの顔がちらりと浮かぶ。   昨晩のあれは本当に予想外だった。まさかあんなことになるなんて。   これは一刻を争う。早急にサトラレを征伐し、それを手土産に彼女に告白し、お付き合いするのだ。鈴子さんはとてもいい子だからそれでわかってくれるだろう。   逆に言うと、サトラレを無くしていないのに告白しても鈴子さんは諦めてはくれないだろう。こういうのは実績と誠意が重要だ。俺はポキポキと拳を鳴らす。 「誠二様?」 「あ、いや、何でも無い。じゃ、始めよう」 「は、はい。お手柔らかにお願いします……」 「そうはいかない。手心を加えたら無心になれないでしょ」 「そ、そんなぁ」  泣きそうな顔になる七岸さん。なんて可愛いんだ。食べてしまいたい。   だが、今はお預けだ。鈴子さんを納得させるためにも、サトラレを征伐する! 「朝は掃除だよね」 「はい。庭掃きと、ゴミ出しです。昨晩のゴミですね」   裏庭の一角にはゴミ箱が置かれており、そこには大量のゴミがこれでもかと詰められていた。これの始末は新人の仕事とうちでは決まっている。 「ああ、ゴミは掃除夫が荷車引いてやってくるから、それに乗せるんだ」 「そう言えばゴミって結局どうなるんですか?」 「昔は空き地に捨ててたみたいだけど、悪臭が酷いってんで今は露天焼却した後埋め立てるようになったね」   俺は七岸さんに命じてゴミ箱を塀の外に移動させる。俺が手伝ってもいいが、そうすると彼女は手持ち無沙汰となり何か考えてしまうし、何よりこれは彼女の仕事だ。俺はあくまでサトラレが出ないようにフォローするだけに留める。   うちには四人の使用人がおり、家人を合わせると
Read More

2章 3

「あ? なんだ藤高。今俺は七岸さんと朝の掃除を」 「そろそろご登校のお時間にございます。朝食をお召し上がりください」 「え? もうそんな時間?」   庭だから時計がないのが災いしたか。   さらに藤高はぴしっと気をつけしながらも、やけに攻撃的な視線を突きつけてくる。 「それと、女中と少々親しすぎませんか?」 「それは構わないだろう? 当家は皆仲良くが家訓だ。俺はこの屋敷で働いてくれている全ての使用人を心から尊敬している。勿論藤高、お前を含めて。あまり厳格なのは好きじゃないし楽しくない。家ってのは皆が笑顔でいられるのが一番だ。そうだろう?」   確かに俺は七岸さんが好きだが、別に他の使用人に対してもぞんざいには扱わない。おしゃべりはよくするし、一緒にお茶やコーヒーだって飲む。   だが藤高は釈然としないようで、懐から煙草を取り出すとそれを咥え、マッチで火をつけた。 藤高が俺の前で煙草を吸うのは決まって機嫌が悪い時だ。「若造が、あんまナメじゃねえぞコラ」という威嚇を込めている。ある意味七岸さんよりよっぽど態度が悪い。 「されど誠二様は昨晩ご婚約されたではありませんか。年頃の娘とそう慣れ慣れしく近づかれるのは、入地様に申し訳が立ちません」 「鈴子さんか……くそっ。あの人は……」「市川電機の力では入地家のご意向に刃向かえないのは、ご承知でしょうな」   藤高はそう言ってフーッと紫煙を吐いた。まさしく威嚇である。   彼はチャキチャキの江戸っ子だ。そのため「二本差しが怖くてメザシが食えるか」という精神が今なお残っている。たとえ主人のご子息を相手にしても遠慮をしない。   流石に父の前でこんな態度は取らないが、俺には容赦なく取る。まあ俺が生まれた時からの教育係だからな。孫みたいなものなんだろう。   それに彼の言い分には一理も二理もあり、反論に困るのは事実。 「……知ってる。市川電機風情が日本を影で操る入地に勝てるわけないだろう……」   と、俺と藤高が会話をして七岸さんを放っておいたことに気づく。 「誠二様……」 (わ、私……どうしたら)   遅かった!
Read More

2章 4

 果たして鈴子さんとの問題はどう解決したらいいか。そんなことを考えながらの登校中、住宅街を抜けて大通りにさしかかったところで、ガラガラと車輪が土塊をこする音が聞こえてきた。   牛のひずめののんきな音と混じり、非常に聞き心地がよいのが何か癪である。   俺は何気なく小石を蹴飛ばしながら右を向くと、そこには一台の牛車が我が物顔で大通りのど真ん中を進んでいるのが見えた。 「……牛車、ということは」   この大日本帝国でこんなものに乗るのは一人しかいない。   俺は足を止めて牛車を待つ。待つ。待つ。牛車はとても遅かった。馬車だと日本の軟らかい地面には合わないから乗りにくいのだろうが、それにしても遅すぎる。   いい加減痺れを切らしたところでようやく牛車は俺の前まで辿り着いた。籠からすだれが開かれ、セーラー服姿の鈴子さんがにゅっと顔を出す。満面の笑みである。 「いとごきげんよう!」 「七岸さんだったら頭オカしいですって言いそうだよなあ。牛車通学とか」 「どうしたの? 愛する婚約者への挨拶が聞こえなくてよ?」   何が愛する婚約者だ。そう突っ込もうと思ったが挨拶をしないのはよくない。俺はため息交じりに挙手し、 「おはよう、鈴子さん」   と言った。 「もうそんな他人行儀はダメよ。私たち、婚約したんですもの」 「俺は承諾していない。婚約式も挙げてないだろ」   すると鈴子さんは人差し指を突き出し、チチチ、と舌を打ちながらメトロノームのように左右に振る。 「ノンノン。私が承諾してるの。私が決めたの。誠二さんに逆らう権利なんかないわ。婚約式は後日挙げるわ」   何がノンノンだ。洒落てフランス語など使いやがって。 「おかしな話だな。こういうのは双方の同意で決めるものだろう? 少なくとも家の」 「お父様のご許可はいただいていてよ? というか誠二さん。こーんな小さい頃から一緒なのに、どうして私を見初めてくださらないの?」 「どうしてって……それは……」   俺は目を反らし、口をつぐんでしまう。   理由はある。ちゃんとした理由が。   でもそれを言ったら鈴
Read More

2章 5

「本当に不問になった……」   結論を言うなら大遅刻だったのだが、先生からは一切お咎めがなかった。   入地家の権力というものをまざまざと見せつけられる。   俺は机に突っ伏しながら頭をかかえた。 「鈴子さん……ダメだ、強大すぎる! とても太刀打ちできん!」   七岸さんとお付き合いしたい。七岸さんがいい。しかし入地鈴子という女性はあまりに強すぎて、とても勝てる気がしない。 「いや、諦めてはいかん! 嵐は吹いている。逆境だ……。この逆境が俺に力を与えてくれるのだ! ぬおおおおおっ!」   俺は顔を上げ、叫ぶ。きっと何か手はあるはずだ。何か、何か、何か。 「どうすれば鈴子さんとの婚約を諦めさせることが出来るんだ。考えろ、考えるんだ俺」   俺は腕を組み、瞑想。圧倒的頭脳が高速回転する。 「市川」   なんか声が聞こえる。しかしそんなのは無視だ。 「どうすれば……俺の英邁な頭脳よ、今こそ集結せよ!」 「市川」 「うるさい! 今考え事しているんだ! って……あ、先生……」   目を開けるとそこにはシベリアよりも冷たい眼差しを向けた先生がぽんぽんと教科書で自身の肩を叩く姿が見えた。 「ほう、授業中に随分余裕じゃないか」 「す、すみません……」   俺に出来ることは深々と頭を下げることだけであった。 「怒られてしまった……くそっ、鈴子さんのせいだ」   なんでじゃ。
Read More
Dernier
123
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status