LOGIN大正十年。電機会社の御曹司・市川誠二は、情熱を傾ける相手を求め悶々としていた。 そんな彼の前に現れた新たな使用人・七岸さつき。 彼女は心に思った毒舌や本音が周囲に漏れ聞こえてしまう「サトラレ」体質だった。 しかし、その奥にある素直で誇り高い心根に触れ、誠二は激しい恋に落ちる。 彼女の悩みを解決し告白しようと、妹の聖子も巻き込み「サトラレ征伐」を開始! だがそこへ日本最大のおコネ持ちである幼なじみ・入地鈴夜が婚約を迫り、さつきを引き離す罠を仕掛けてきて……!? サトラレの裏に隠された驚愕の秘密、そして暴走する運命。激動の恋絵巻、二人の未来はどこへ向かうのか――。
View Moreいくたびも、雪の深さを、尋ねけり。
正岡子規が読んだ句の通り……と言うには雪などこれっぽっちも降っていないし、にこやかな晴天が空を覆い尽くす十二月上旬の東京市。 本郷区向ヶ丘に居を構える第一高等学校の廊下で、俺は先日のテスト結果が張り出された紙を眺めながら盛大に高笑いしていた。 「はーははっははっはは!」 市川誠二の名前が七番目に記されている。つまり七位だ。試験一週間前から睡眠五時間で勉強し続けた甲斐があったと言えよう。周囲の学生たちがぎょっとした目でこちらを見るが、俺は全く気にしない。 「んー、快調快調。よっしゃ、次は五位以内を目指そう! よし、この順位を祝してちょいと腕立て伏せしてみるか。文・武・両・道! 文・武・両・道!」 廊下だというのに、ついで言うならみんなが見ているのに構わず腕立て伏せをする俺。誰かが何か言ってるが、全く気にならん。 「おお、筋肉の調子もいい。うーん今日は射撃場にでも行こうか。おお、体が鍛えられる快感が、この俺の魂を揺さぶる!」 さて、二百回ほど腕立て伏せを終えた頃にはもう学生など誰もおらず、皆呆れて帰ってしまった模様。 俺は額にたまった汗をぐいっとぬぐうと教室に戻り、帰る準備を始める。マントを羽織り、鞄を持ち、本を片手に教室を出る。ちなみに本は美容について書かれた婦人雑誌だ。 「本によると垂れ下がるあごを緊縮せしむるには……ほう、包帯で顔をぐるぐる巻きにするといいのか! 俺は身だしなみにも全力投球だからな。女物の美容雑誌もしっかり読まねば!」 大正十年。原敬が暗殺され、シベリア出兵も三年目に突入。欧州大戦後の好景気も露と消え、圧倒的な不景気が世を覆い尽くす暗い世相。 俺はそんな時代を蹴散らすかのような明るさを全身に宿しながら、ずんずんとマントを翻し、廊下を闊歩していく。勿論本を読みながら。 男が婦人雑誌なんて……と昔なら言われただろうが、最近は婦人の権利も拡充してきたし、男が婦人雑誌を読んでも許されるだろう。 それにしても俺は凄い。凄すぎる。 「ああ、頑張るって素敵だなあ。一生懸命って麗しいなあ。日増しに向上する自分のスペックがたまらない!」 俺は頭がいい。体も頑健で柔道もしており運動神経抜群。さらに美容にまで凝っていて道行く人の視線を釘付けにする美男子だ。おまけにスペックなんて言葉も知っている。 まさに完全なる存在と言えよう。 しかし……と、俺の足が止まる。 「何かが足らない。何故か、燃えさからない。何故だ……」 こんなに頑張っているのに、どういうわけか満足が出来ない。 傲慢だろうか。しかしそれでも自分に嘘はつけないのである。 「俺はこのまま帝大に進学し、家業を継ぎ、そして結婚する……うーむ。別に俺は頂点に君臨する魂《おとこ》ではない。だから伸びしろはあるはずなのに、なんでだ、なんでこう燃えないんだ?」 勉強を死ぬ気でやっても、柔道に撃ち込んでも、美容に凝っても、全く満足しない。どうしても充足感を得られないし、これじゃないという謎の声が胸の内から聞こえてくる。 「俺は魂《おとこ》! 魂《たましい》と書いて男なのに! オー、魂《おとこ》の中の魂《おとこ》たる俺の求める最高の情熱はどこにあるんだ! 俺はどうすれば満足できる!」 叫んでみるが、答えはどこからも返ってこなかった。 俺は天を仰ぐ。しかしそこにあるのは天井だけだった。 ふと、そこで俺はあることを思い出す。 「ん? あ、そうだ。今日は奉公人が来るんだったな。えーと時間は……三時半!? あと三十分しかないじゃないか! 挨拶せんといかんから急いで帰らねばならん!」 俺は廊下であるとか関係なく猛然とダッシュした。「……え」 彼女は一体何を言っているんだ? 俺はたまらず膝をつき、耳を傾ける。 「私、ご存知の通り口が悪いでしょう? これ……昔からなんですよ。態度も悪くて、そのせいで……みんなから、嫌われてました」 今まで黙っていたこと。隠されていたこと。 それが七岸さつきという女の子の口から吐露される。 「でも、本音は違った……」 そしてそれは、酷く悲しいものであった。 「さつきさん……」 「本当は、愛されたかった。好かれたかった……自分の気持ちに……正直になりたくて……でも、照れくさくて、恥ずかしくて……出来なかった……」 「さつきさん……っ!」 知らなかった。気づかなかった。意識しなかった。 さつきさんの慟哭なんて、考えもしなかった。 そのことが、酷く恥ずかしい。 彼女は続ける。 「そんな時、あの祠を見つけたんですよ。古代の悪霊を封印していた祠。あの時、霊の声が聞こえたんです。願いを叶えてやるって。今思えば悪魔の誘いでした。でも私、自分に素直になれるんじゃないかなって思って、魔が差して……」 「壊してしまったんだ」 小さく、さつきさんは頷く。 「……はい。意図的に霊を蘇らせて、私は確かに素直になれました。でもそれは、サトラレというカタチで、そのせいで私、今までよりずっと辛い日々を送ることに……」 「…………」 「祠の下にある説明文にはこうありました。意訳なんですけど、古くよりこの地で邪念を放って暴れていた悪霊で、人々は何とか人身御供を捧げて、それで封印していたって」 なんということだろうか。知りたくなかったこと。わかりたくなかったことが今、白日の下にさらされる。 それは脳への念波以上に、胸に深い傷を作った。 「誠二さん! 火夫がそろそろ限界よ! どうやらこの人、山口で交替なかったみたい」 鈴子さんの声が福音となった。俺はわずかに頬を緩め、再び立ち上がる。 「わかった! 変わる! さつきさん、そういうわけだから話は……」 「いえ、聴いてください……私も、手伝いますから
俺は毛布を探し、聖子は子守歌を歌う。さつきさんを寝かせるためだ。 だが、それを阻止するように、さつきさんが手を伸ばし、俺のマントを掴んできた。ぎゅっと。 「う……ぁ……」 「あ、さつきさん! 起きちゃダメだよ。寝てないと!」 「誠二さん、岡山を通過したわ! 勿論止まらせない!」 「よし、機関夫と火夫にはこのまま不眠不休で働いてもらえ!」 我ながら凄まじく無茶な命令だと思う。しかしやむを得ない。死んでも働かせる。大和魂を見せつけろ、火夫! しかし鈴子さんは強く首を振った。 「でも、遠すぎるわ。関東まではもたないわ。電車は何度か乗り換えるから石炭は足りると思うけど、流石にぶっ通しで働かせたら、倒れてしまう!」 「く……どうにかして交替させないとダメか!」 人間は機械ではない。無理に働かせても限界が来たら倒れてしまう。当然の摂理。 と、聖子が俺の手を握ってくる。彼女の顔は真剣そのもので、凜々しさすら伝わる。 「兄者。兄者は頭がいいよね? 一高生だもんね。この前の試験でも七位だったし」 「ん? いきなり何だ?」 「そして、体力もあるよね? そのたくましい筋肉! 素敵すぎるよ!」 「なるほど、よし、わかった。俺が火をくべる! 火夫をしばらく寝かす!」 そうだ、この手があった。俺は魂! 柔道も嗜んでいるし、体力には人一倍自信がある。今が岡山だから、十五時間くらい火をくべれば東京につくか? 楽勝だ。 俺はすっくと立ち上がり拳を震わせる。それを見て聖子がぱちぱちと拍手を。 「それでこそ兄者だよ! あたしは七岸さんのお世話をするから!」 「頼んだぞ!」 俺は元気よくそう告げると、全力疾走―― 「ま、待ってください」 しようとして、さつきさんが何故か止めに入った。 どうして寝ていてくれないんだ。多少の苛立ちが俺を襲う。依然、脳をえぐる念波はピリピリと俺たちを攻撃しているからなおさらだ。 「さつきさん! ダメだよ、寝ていて。俺たちが必ずなんとかするから。なあに、体力には自信がある。今
俺はふうと息をつき、聖子がソファに腰掛けるのを待って切り出す。 「よし、まずはこのサトラレを抑える方法を模索しよう」 一等車は二等車と違って等間隔に椅子が設置されているわけではない。まるでホテルの応接室のようにフカフカのソファにマホガニーのテーブルが円卓状置かれ、ゆるりと出来るようになっている。テーブルの上には退散する前に駅員が用意したお茶が人数分置かれていて、汽車の振動に合わせてカタカタと揺れている。 「そろそろ次の駅につくけれど、どうするの?」 「決まってる。汽車は止めさせない! そのままぶっちぎらせろ!」 「ええ、わかったわ!」 鈴子さんはそう胃って立ち上がり、機関夫の元へと駆けていった。十二単が汚れるなんて露ほども気にせずに。 俺は頭をかかえる。 「必ずあるはずだ。俺に出来ないことはない! 逆境よ吹け! 嵐となって俺を襲え! その全てを打ち砕いてやる!」 と、そこで妙案が閃く。俺はぱちんと指を鳴らす。 「よし、聖子。さつきさんを寝かせよう。起こしてるからまずいんだ!」 俺の言葉を聞き、聖子もぱちんと指を鳴らす。 「流れる石兄者! それでこそスーパーグレイテストデンジャラス兄者だよ! ねー、うりっち」 「にぃー」 うりっちは前足を突き出し、賛同の意を示すように高く高く返事するのだった。
汽車に乗り込み、さつきさんをソファに寝かせる。一等車に儲けられたフカフカのソファは大きさもあり、さつきさんを横にしても十分スペースが確保できていた。 「はぁ……はあ……うっ……く……」 (――――――――――――――――) 脳に直接届くデストラクションテレパシー。 傍で看病している俺は思わず顔をしかめてしまう。 「ぐ……なんて……悪意だっ!」 と、周囲を見るとどうやら俺だけでなく、聖子も、鈴子さんも、うりっちでさえも同様に苦しそうにうずき出していた。 どうやらこの念波、かなり広い範囲にまで届いている模様。 と、機関夫が大慌てで一等車の車両へと乗り込んできた。 「い、入地様! た、大変です。駅員にも被害が……っ!」」 「げ……そっちにまで拡散してるのか! 鈴子さん!」 「ええ、任せて! 車内にいる全駅員に通達! 必要最低限を除いて避難! さらに下車した駅員は他の駅に連絡! 東京に行くための便を除く全ての運行を停止し、ただちに全員退避! 本日は一つを除いて全て不通です!」 「は、はい!」 機関夫は頷いて一等車を飛び出した。途端、汽車は緊急停車し、駅員たちが蜘蛛の巣を散らすように退散していく。しかる後、汽車はぼーっと音を立てて運転を再開した。 「まさか……ここまで拡散するとは……」 がたんごとんと音を立てて揺れる汽車。窓から流れる景色は田舎を表象するのどかなものであるのに、冬の灰色の空と相俟って酷く不気味で陰惨なものへと感じさせる。 「誠二さん、まずいわよこれ、どんどん念波が拡散されているわ……言語にすらなってない念波。一応全員逃がしたけど……」 「助かるよ鈴子さん……。駅がガラガラだ」 どうやら連絡は上手くいったらしい。駅を通過する度にその人気の無さに驚く。勿論ノンストップで突っ切っているのだが、万が一ということもあるからな。 鈴子さんはソファに腰掛けながら、ははと苦笑い。 「私の権力の限界よ、これ」 「いや、十分だ。ありがとう」 常人にはこんなことすら絶対に出来ないからな。 元老にでも不可能
その後、俺は自室に戻ると私服に着替えて勉強を行う。壁にかけられた時計を見ると六時。そろそろ夕飯の時間だ。 七岸さんの様子が気になる。俺は鉛筆を机の上に置くと、ちょっと覗くことにした。 すると廊下でばったりと藤高に出会ったので、これ幸いと訪ねてみる。 「藤高、彼女の仕事ぶりはどうだ?」 藤高はきちんと気をつけの姿勢を取り、ハキハキと答えてくれる。 「はい、誠二様。真面目に丁寧によくやってくれています。いい仕事ぶりですな。女給経験があるのですぐに覚えました」 「それはよかった」 「ただ……やはり」
挨拶を終えた後、俺は七岸さんを地下にある使用人部屋へと案内した。 市川家には大小十五の部屋があるが、そのうち三つが地下にある。三帖一間の小さな和室で、ここを藤高以外の使用人が使っている。 「取り敢えず七岸さんはこの部屋を使ってくれ」 俺はドアを開け、七岸さんを中へと招いた。 七岸さんはトランクを置くと、驚いたようにキョロキョロと見回す。 「個室なんですね」 「ああ、うちの使用人には一応全員個室を与えている。まあ三帖しかないけど、そこは我慢して欲しい。君、学校とかは……」 「女学校は辞めました。言わなくてもわかるでしょ
その後、部屋や制服への着替えは後回しにし、まずは他の使用人たちに紹介をすることにした。場所は同じ応接室。使用人たちを呼び寄せる形だ。 「えー、みんな、今日から奉公して貰うことになった七岸さん。さ、ご挨拶を」 「七岸さつきです。それにしても成金趣味丸出しのクソ屋敷ですね。相当甘やかされて育ってきたのでしょう。クソですね」 (キャー! どうしてこんなこと言っちゃうのよ! 若様に失礼でしょうが! ああもうこんなこと言ったら嫌われちゃうじゃない! 大事な初日なのに!) 顔を真っ赤にさせ、両手で頬を押さえながら泣き叫ぶ七岸さん。 「「「………
結果を言うなら、俺の圧勝に終わった。 「ふん、他愛もない」 「馬鹿な……」「なんだ、こいつ……」 俺はマントをばさっと翻し、駆ける。こんな雑魚どもの相手などしてられないのだ。 「さて、これはいかん。大遅刻だ。急がねば!」 とはいえこれではどう考えても間に合わない。家につくとしたら四時十五分、いや、下手したら四時半くらいになる。 ちらりと、道の端に自働電話が見えた。自働電話とは道ばたに設置されている電話のことで、お金を入れることで通話が出来るという画期的なサーヴィスである。雨宿りも出来るよう小型のボックスに包まれていて、至れり尽