All Chapters of 忘れ形見は、今日も星を探している: Chapter 1 - Chapter 10

14 Chapters

第1話

神代涼真(かみしろ りょうま)が全てを失ったとき、私は逃げ出した。彼が再起を果たしてから、毎年欠かさず訪ねた。一年目ーー娘を連れて行くと、涼真は100万円を投げつけた。「消えろ」と。二年目ーー末期がんの診断書を手に現れると、涼真は一瞥もせず、200万円を突きつけた。「二度と来るな」と。三年目、四年目ーー私は彼の望み通り、消えた。そして五年目。涼真のもとに、娘から電話がかかってきた。「ママ、ごはんいつ持ってきてくれるの?おなかすいちゃった」施設から抜け出してきた娘・久世恩美(くぜ めぐみ)は、私が使っていたスマホを探し出し、充電してから、私がよくやっていたように電話をかけようとしていた。病気が悪化してからというもの、Uber Eatsで一番安いメニューしか頼めなかった。配達員はいつも私の注文を後回しにした。恩美がお腹を空かせると、私は配達員に電話して催促したものだった。だから恩美は、電話をかければ何か食べられると思っているのだ。そして今、私の真似をして緊急連絡先の人物——涼真へと電話をかけた。何度も、何度も。薄明かりの画面が、幼い顔を照らしていた。止めようとしたが、手は恩美の体をすり抜けてしまう。少し情けなかった。三年も経つのに、どうして自分がただの魂だということを忘れてしまうのだろう。「恩美、もうかけないで。あの人は出ないから」きっと涼真は今でも、私のことをただの金の亡者だと思っているのだろう。「テーブルの上の小箱を開けてみて。中にお金を入れてあるから」涼真から受け取ったお金のほとんどは、恩美が学校に通い始めた後の生活費として、信託に預けられた。箱にはいざというときのために、2万円入れてある。テレパシーが通じたのかどうか、恩美はその小箱を抱き上げた。そのとき、受話器の向こうから澄んだ低い声が聞こえてきた。「朝妃(あさひ)?」はっとして画面を見ると、通話はすでに1分以上続いていた。「消えろって言ったよな?」穏やかで、相変わらず冷酷な声だった。指先をきつく握りしめながら、恩美の目の前で涼真にそんなことを言われて、少し気まずかった。お互いの存在を知らないとはいえ。嘲るような口調が続く。「また金が欲しいのか?いいぞ、頭でも下げに来いよ」恩美は嬉しそうに
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第2話

「あの女」とは、私のことだった。目を伏せる。涼真にとって私は、名前を呼ぶ価値すらない存在になっていた。ボディガードが事実をありのままに報告した。「到着時、室内にいたのはこのお子さんだけでした」恩美は彼らの手を振りほどき、涼真の足にしがみついた。「お兄さん、悪い人に捕まえられた!」思わず目を見開いた。恩美が涼真に会うのは、まだ三度目のはずなのに。涼真が自分の父親だとは、恩美は知らない。でも血のつながりとはおそろしいもので、恩美は涼真に本能的に引き寄せられていた。突然しがみつかれた涼真は少し戸惑ったようで、眉をひそめて嘲った。「冷たい女だ。自分が産んだ隠し子を盾にして、俺の怒りをかわそうとは」私は慌てて首を振る。「違う、恩美は隠し子なんかじゃない」あなたの子なのに。信じてもらえるはずがない。恩美を産んで間もなく、神代家の遺伝性心臓疾患が発覚したとき、私は涼真のもとを訪ねた。あのときの言葉が、今でも耳から離れない。「朝妃、俺をまだ昔のままだと思ってるのか?一度騙されて、またお前に騙されるわけがないだろ。どこの男とも知れない奴との子を、俺の子になすりつけようってか?消えろ。50万やる。五年分の手切れ金だと思え」「足りない」と私は答えた。涼真に恩美を認めてもらうつもりはなかった。ただ、恩美の治療にはお金が必要だった。涼真は歯を食いしばった。「やっぱり金しか頭にないのか。いいぞ、100万やる。それがお前の値段だ」五年間の絆が、値札のついた商品に成り下がった。そうすることで涼真に軽蔑されるのは分かっていた。でも、それでよかった。恩美はそのお金で手術を受けられたのだから。これから元気に生きていける。それで十分だった。今、涼真は恩美に冷たく問いかけた。「お前のお母さんはどこだ。言え!」恩美が涙をためた目で見上げる。その顔立ちが、私にそっくりだった。涼真は、一瞬ぽかんとした。「ママはね、昼間はお昼寝して、夜になったらお星さんになるんだよ」その言葉を聞いた途端、涼真の表情が冷え固まった。足を引いて恩美から離れる。「そんな手まで覚えたか」恩美はそのままドスンとお尻をついて床に落ちた。飛んでいって受け止めようとしたが、腕は恩美の体をすり抜けるだけだった。ぎゅっと抱えてい
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第3話

いつの間にか、そこに立っていたのは涼真だった。私でさえ、気づかなかった。泥だらけの恩美を見て、涼真は歯を食いしばった。「朝妃、娘をこんなざまにしておいて……やっぱりそういう女か」恩美を傍らに停めていた車へと連れていく。恩美は泣きじゃくりながら、もうすっかり懐かなくなっていた。「なんで食べさせてくれないの!お兄さん、悪い人だよ!」そう言ってから、手についた残りを舐めようとする。涼真はその手を掴み、嫌そうな顔をしながらも、ウェットティッシュで丁寧に拭いてやった。「地面に落ちてるものを食べちゃいけないって、お母さんに教わらなかったか?」その手つきは優しく、細やかだった。付き合っていた頃、涼真はいつも私のことを細かいところまで気にかけてくれた。友人には、大人っぽくてどっしりしてて頼りになる——そういう彼氏だって言われてた。恩美の気の強さは、私によく似ている。涼真を押しのけようとした拍子に、小さな手が彼の頬をぺちんと叩いた。「お兄さんみたいな悪い人に世話されたくない!」思わず固唾を呑んだ。涼真がどんな顔をするか、恐る恐る見やると、怒っていなかった。涼真はまつげを伏せ、ウェットティッシュを捨てると、私にそっくりな恩美から目を逸らすように、窓の外へと顔を向けた。嘲るような口調で言った。「負けん気まで朝妃そっくりだな。俺の子じゃなくて、本当によかった」苦笑いするしかなかった。悪いけど、そうはいかないのよ。恩美の腕から、小箱が滑り落ちた。涼真が腰をかがめて拾い上げる。汚れた木箱を眺め、どこか見覚えがあるような顔をした。私は思わず手を伸ばしかけた。もし開けたら、あの頃の真実を知ることになる。涼真は一生、罪悪感を抱えて生きることになるだろう。罪悪感を背負わせるくらいなら、憎まれたままでいい。でも恩美のことを思うと、この子の父親に守ってほしいとも思ってしまう。葛藤しながら息を詰めていると、涼真は木箱を無造作に恩美の腕へ押し返した。「ゴミ拾いするな」喜ぶべきなのか、がっかりすべきなのか、しばらく分からなかった。涼真は恩美を家へ連れて帰った。家政婦に何か作るよう言いつけながら、恩美のガリガリに痩せた体を一瞥して付け加えた。「食べやすいものにしてやれ。子どもの育て方も知らないの
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第4話

「嘘つき。ママじゃない」恩美は口を尖らせた。現れたのは、赤いワンピースをまとった華やかな女の子だった。涼真と恩美が二度目に顔を合わせた日、私も一度見かけたことがある。あれは病院でのことだった。恩美が手術を終えたばかりの頃。涼真はこの子を連れて産婦人科から出てきて、ふたりはとても親しそうだった。彼女は恩美をちらりと見て、首をかしげた。「この子は?」涼真は淡々と答えた。「拾った」女の子は目を丸くした。「子どもまで拾ってきたの?」ふと何かを思い出したように、庭の花壇を指さした。「誰が私のバラを抜いたの!」胸がじわりと痛んだ。もう同棲しているのか。涼真は自分の膝丈にも届かない恩美をちらりと見た。恩美は気まずそうに視線を逸らし、そそくさとソファへ戻っていく。涼真は興味なさそうに言った。「花くらい、また植えればいい」それを聞いて、女の子はそれ以上何も言わなかった。涼真の後について家へ入り、ソファに腰を下ろした途端、女の子は鼻を押さえた。「なんか変な匂いしない?妊娠してから、そういうのにすごく敏感になっちゃって」まだ目立たない彼女のお腹を、思わずまじまじと見つめた。ここ数日の涼真と恩美のやり取りを見ていて、涼真が恩美を自分の娘だと気づいてくれたら大切にしてくれるかもしれないと、かすかに期待していた。でも別の女性との間に子どもができたなら——恩美は、いったいどうなるのだろう。涼真も漂う匂いに気づいたのか、ソファに座る恩美へと目を向けた。歩み寄って恩美を持ち上げ、クッションをめくり上げる。ビニール袋に包まれた食べ物の山と、枯れ果てた七本のバラが、床に散らばった。ふたりとも、ぽかんと口を開けた。涼真のこめかみに青筋が浮いた。「恩美、これはどういうことだ」恩美は泣きながら叫んだ。「触らないで!全部、ママのためにとっておいたの!」小さな恩美がひとりでゴミを漁る姿が浮かんだ。心の優しい人が可哀想に思って食べ物を買ってくれることもあった。恩美は一口も食べず、いつも持って帰ってきた。私に食べさせるために。施設長に何度か注意されて、恩美はやがて自分が先に食べてから、一番おいしいと思ったものだけを取っておくことを覚えた。他の子どもたちは恩美のことを臭いと言って、一緒に遊ぼうとしなかった。涼真の
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第5話

【恩美ちゃんへこの手紙を開いてくれたね。読んでる恩美ちゃんの顔が、目の前に見えるみたいだよ。笑顔でいてくれてるといいな。今ごろは、少し大きくなってるかな?ごめんね、ママは嘘をついてたよ。恩美ちゃんが大きくなるのを、そばで見ていてあげられなくて、ごめんね。ママはね、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行ったんだよ~】涼真は重々しく手紙を閉じた。虚ろな目で恩美を見つめ、静かに言った。「お前への手紙なら、俺が読むべきじゃない」そして呟いた。「あいつ、気が強いから、怒るだろうし」そう言いながら、手は手紙をきつく握ったまま、放そうとしなかった。私は黙っていた。たった一目でも読んでくれたら、あの頃なぜ私が去ったのか、分かるのに。でも彼のそばにはもう好きな人がいる。あの頃のことは、もう乗り越えられたのだろう。真実を知っても、そこまで傷つかないはずだ。ただ、これから恩美をちゃんと大切にしてくれるなら、私はそれでいい。どうなっても、かまわない。赤いワンピースの女の子が、ちらりと手紙を盗み見た。「ねえ、『あいつ』って、お金のために別の男と逃げて、あなたを捨てた女のこと?」そんな噂が広まっていたのか。でも、全くの嘘というわけでもない。涼真と別れるために、ひどい言葉をたくさん言ったのは本当だから。あの頃、涼真は突然すべてを失った。それでも、身を顧みず、私の家の前で一晩中、大雪に打たれながら立ち尽くした。私は二階の窓から冷たく見下ろして言った。「お金がなかったら、使用人みたいな男と5年も付き合ったりしなかったわよ。ちょうどよかった。次はもうとっくに決まってるの。さっさと消えて」地震で私をかばって腹部に鉄骨が刺さっても、涙一つ見せなかった男が、みっともないほど泣いた。「一生愛するって言ったじゃないか。なんでそんなに冷たくなれるんだ。捨てないでくれ。お金が好きなんだろ。これから絶対稼いでみせる。だから俺を見捨てないでくれ。下に降りてきてくれないか。お願いだから」そう言って、膝をついた。すぐにでも飛んでいって抱きしめたかった。でも、そうするわけにはいかなかった。一番ひどい言葉をぶつけても、涼真はその場を離れなかった。結局、路上で凍えたまま倒れ、通りかかった人たちに病院へ連れて行ってもら
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第6話

恩美は当然、何も知らない。涼真は部下に調査させて突き止めた手がかりをもとに、恩美を連れて、かつて朝妃が暮らしていた部屋へと向かった。路地が狭すぎて、車は外に停めるしかなかった。敷地に入った途端、涼真は排水溝から這い出てくる大きなネズミを目にし、とっさに恩美をかばう。ところが恩美の方が涼真の手をとんとんと叩いた。「お兄さん、怖くないよ。噛まないから」涼真はしばらく呼び方を直せなかった。恩美を見つめるその目に、言いようのない切なさがあふれていた。「お前と……お前のお母さんは、ずっとここに住んでたのか?」恩美は軽い足取りで涼真を奥へ引っ張っていく。「一番奥まで行くとあるよ」恩美は涼真を上の階へ連れていった。古い建物で、エレベーターはなく、あちこちに蜘蛛の巣が張っていた。天井が低く、涼真は何度も身をかがめなければならなかった。チラシだらけのドアの前まで来ると、恩美は背伸びをして、首からぶら下げた鍵でドアを開けた。涼真はドアノブをきつく握りしめ、何度か深呼吸してから、ドアを押し開けた。10畳ほどのワンルームが、一目で見渡せた。唯一の大きな家具は、壁際に置かれた色褪せた赤い中古ソファだった。恩美は私のために持ってきた食べ物と小さな木箱をテーブルに置いた。そのままソファへ駆け寄り、ぽすんと横になった。ようやく巣に帰り着いた鳥のように。恩美が占めるのはほんの端っこだけで、空いたスペースがちょうど大人の女性一人分になっていた。涼真はやっと分かった。なぜ恩美がソファで眠りたがるのかを。それでも信じられないのか、掠れた声で言った。「全部嘘だろ。あんなに金にしか興味のない女が、こんな暮らしに耐えられるはずがない」「朝妃、出てこい!」涼真は部屋中をくまなく探し回った。脚の壊れたローテーブルの引き出しまで一つ残らず探したが、どこも、からっぽだった。涼真は苦笑いをひとつこぼした。「また黙って逃げやがって。一生逃げ続けてみろよ」
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第7話

年配の女性が、ドアが開け放たれているのを見て、慌てて部屋に飛び込んできた。恩美の顔を見るなり、太ももをぽんと叩いて声を上げた。「恩美!やっと見つかった。見つからなかったら、朝妃さんにどう顔向けすればいいか……この数日、どこに行ってたの?どれだけ探したか分かる?」来たのは施設の施設長だった。以前、恩美の手術のために病院へ行ったとき、施設長が施設の子どもたちを連れて診察に来ているところで出会った。とても優しく、責任感の強い人だった。施設も近くにあり、恩美を施設長に預けて逝けたのは、心から安心できたからだ。恩美は施設長に笑顔を向けた。「おばちゃん、ママを探しに行ってたの」「もう、見つけられないわよ。さあ、帰りましょ」涼真は我に返り、警戒した顔で言った。「お前は誰だ?」「施設の施設長をしております。朝妃さんに頼まれて、この子の面倒を見ていました。失礼ですが、あなたは?」涼真は目を細めた。「施設?あの女、子どもを施設に預けていたのか……」「なんで俺のところへ来なかったんだ。俺こそが、この子の父親なのに……」何かに気づいたように、声が低くなった。最初に恩美を連れて押しかけてきたとき、朝妃が男に捨てられ、子どもを連れてより良い生活を求めて戻ってきたのだと思っていた。怒りが込み上げ、ひどい言葉を散々ぶつけた。朝妃のことも、子どもが自分の娘だということも、何一つ信じなかった。ふっと風が吹き込み、老朽化した窓を揺らした。その風が、涼真の背中まで押しつぶしていくようだった。施設長は首をかしげた。「この子にお父さんがいらっしゃるんですか?朝妃さんから何も伺っていなかったもので……」それから二人の顔を見比べ、ほぼ即座に確信した。この二人は親子だ。施設長は眉をひそめた。「では、朝妃さんはなぜ亡くなる前に、この子を施設にお預けになったんでしょう?」「何?」涼真の目が鋭く細くなった。施設長の肩をつかんで詰め寄った。「今、何と言った?朝妃が……死んだのか?」
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第8話

「ご遺体をお引き取りしたのは私です。知らないわけがありません」「そんな……おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行ったはずじゃないか。なんで死ぬんだ」施設長は少し憐れむように言った。「ご両親はずいぶん前に亡くなっているんです。この町に来たとき、心臓病の赤ちゃんを抱えて、たったひとりで。子どもの治療費のために働き続けて、ご自身が病気になってしまって……でも、治療するお金もなかったんです。亡くなる前に、この子を私に預けていかれました。後のことも頼まれて……可哀想で、断れませんでした」施設長は笑顔の恩美をちらりと見て、涙をこぼした。「朝妃さんが亡くなったとき、恩美ちゃんはまだ朝妃さんの腕の中で眠っていたんですよ。連れていこうとしても、どうしても離れようとしなくて……ただ眠ってるだけだって、ずっと言い張っていたんです」その後施設長が何を言ったのか、涼真には何も聞こえなかった。施設長が帰っていくと、涼真は足から力が抜けて、その場にへたり込んだ。抜け殻のように、ぼんやりと座り込んでいた。震える手で、胸元に大切にしまっていた手紙を取り出した。続きを読む。【恩美ちゃん、前に聞いてきたよね。『どうして恩美にはパパがいないの?パパは恩美のことが嫌いで、一緒にいてくれないの?』って。あのとき恩美に『パパはちょっとしたことで怒る人で、ママが怒らせたから出ていった』って言ってたの、覚えてる?あれはね、あの頃パパのことが少し嫌いだったから、ついひどいことを言ってしまったの。だって、ママがあんな言葉をぶつけたとき、パパはそれをそのまま信じて、ちゃんと話を聞いてもくれなかったから。でも本当はね、パパはとってもいい人なんだよ。色々なことがあって、どうしても一緒にいられなくなっちゃっただけ。パパが恩美のそばにいられなかったのは、恩美のことを知らなかったから。だから、パパのことを怒らないでね。ママがいなくても、恩美はきっと強く育ってくれる。ママはそれを信じてるよ。ごめんね。ママが一緒にいられるのは、ここまでなの。元気で、幸せでね。ママが見られなかった分まで、たくさん笑って生きていってね。永遠に恩美を愛してるママより 久世朝妃】
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第9話

たった数行の文字だった。涼真は黙ったまま、それを見つめ続けた。恩美が眠りにつくほど長い時間だった。そして、部下に電話をかけた。「ここ数年の朝妃の生活を調べて送れ」涼真は無表情で資料をめくっていく。最初に恩美を連れて会いに来たとき、私は重度のうつ病を抱えて仕事もできない状態で、恩美の心臓病が発覚したばかりだった。追い詰められて、だから彼にお金を求めた。二度目に訪ねたとき、恩美の手術は終わっていたが、私には末期胃がんが見つかっていた。残された時間は、もう少ししかなかった。だから恩美の未来のために、もう一度だけ頭を下げた。資料には、私の診断書がはっきりと残っていた。バーから出てきた直後、血を吐くほど飲み続けていた写真まで添付されていた。写真の中の私は、どれだけ濃いメイクをしていても、血色のなさは隠せていなかった。涼真の指が、写真を名残惜しそうになぞった。ふっと、冷たい笑いが漏れた。両目を手で覆い、笑い声がだんだんと大きくなっていく。指の隙間から、涙がこぼれ落ちた。「朝妃、どこかで幸せにやってんじゃなかったのか。なんでこんなざまになってるんだ。俺を捨てたお前が悪い。自業自得だろ!」私は涼真のそばへ漂い寄り、隣に腰を下ろした。「自業自得なら、なんで泣いてるの」涼真は何かに気づいたように、素早く電話をかけ、目が鋭く光る。「調べろ。朝妃を捨てた男は、いったい誰だ」電話の向こうで、少し間があいた。「社長、すでに調べてありますが……朝妃さんが離れてから、他の男性とお付き合いされたことはございませんでした」思わずため息をついた。たった一つの嘘を、一生信じ続けていたのか。涼真は、その場で固まった。頭が、真っ白になっていくようだった。電話の向こうでは、もう切れたのかと思ったようだった。やっと口を開いた。声が掠れていた。「じゃあ……彼女の両親のことを調べてくれ」資料はすぐに涼真のスマホへ届いた。涼真は一目見て、崩れ落ちそうになった。
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第10話

涼真と別れたあの年、父が凶悪犯に殺された。母は精神的に不安定になり、半年後に亡くなった。私はひとり、貧しい街で暮らした。涼真は犯人の顔を見て、息をのんだ。見知らぬ顔ではなかった。かつて神代家を壊滅させた、張本人だった。当時、神代家には涼真ひとりが残され、しかもその涼真も倒れていた。犯人は涼真をおびき出すために、私の家に押し込み、私を人質にしようとした。あの日のことは、今でも忘れられない。病院で涼真の看病をして、夜になって家に帰ると、父と母が血の海に倒れていた。逃げようとした瞬間、犯人に足をつかまれ、引きずり戻された。犯人は私のスマホを使い、涼真に【うちに来て】とLINEを送った。涼真は言われた通りにやって来た。犯人はナイフを私の背中に突きつけ、涼真を上の階へ連れていくよう命じた。私は窓際に立ち、涼真にひどい言葉を浴びせて追い返した。その行動が犯人を怒らせた。犯人がナイフを振り上げたとき、母が目を覚まし、犯人を気絶させた。すぐに警察を呼んだ。犯人は目を覚ますと、私たちに瀕死になるほどの暴行を加えて逃げた。父の葬儀を終えてから、また犯人が来るのが怖くて、母を連れて家を出た。涼真に電話してあの男に気をつけるよう伝えようとしたが、母に見つかった。母は狂ったように涼真を責め続けた。あいつのせいだ、あいつが父を殺した、あいつのせいで家族がめちゃくちゃになったと、泣き叫び続けた。あちこちを転々としながら、母の治療を続けた。手持ちのお金は全て使い果たしたのに、母は良くならなかった。母が逝ってから、私はうつ病になった。全てを終わりにしたいと思ったこともあった。三度、死のうとした。三度とも、助けられた。後になって、妊娠七ヶ月だと分かった。子どもはもう産まれてくる直前だった。それでも、あの子はちゃんと生きていた。私はまた、必死に生きようと思えた。その後、犯人が涼真によって刑務所に送られたと知った。やっと、逃げ続ける日々が終わった。子どもがいなければ、涼真に会いに行くことは、一生なかったかもしれない。でも、涼真、生きることって、こんなにもつらい。結局、私は三年前のあの冬を、乗り越えることができなかった。
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