Lahat ng Kabanata ng 氷室雪臣の環愛―契約結婚のはずですが、孤高の御曹司はマリッジリングを外さない―: Kabanata 1 - Kabanata 5

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第一話 『雨の記念日』 ◆珠希

 ――今日こそは、直人さんとお義母さんに赤ちゃんのことを伝えなければ。 乾 珠希(いぬい・たまき)は、今日で二十七歳になる。 同時に夫の直人(なおと)と一緒になって三年目の結婚記念日を迎えた。大学時代、同期として出会った彼と、まさかこんな未来を過ごすとは一度も想像したことがなかった。 そして――珠希の中には、いま、新しい命が芽吹いている。 けれど、その小さな命の存在を誰にも話すことができないでいた。 薄っすらと蝉の声が届く。窓から差し込む日差しが、瓶の中のオイルを光らせた。 ……白トリュフのオイル。 なんでも、乾家ではもう何年も前からサラダにはこの白トリュフのオイルを使っているのだと、結婚当初、義母が鼻を鳴らして言っていた。 この家に来たからにはマヨネーズなんてベタベタしたものを使わないでちょうだい、と一言添えて。「よし……急いで仕上げちゃお」 間に合わなければまた怒鳴られる。 珠希は台所で料理を進めながら時計を一瞥する。 十六時三十分。直人がルースの展示会から帰宅するのは十八時頃のはずだから、このまま順調に仕上げれば間に合う。サラダに白トリュフのオイルをかけ回しながら、小さく頷いた。 今日、珠希は仕事を休んで、普段よりも少し手の込んだ料理を作っていた。 誕生日だからではない。結婚記念日だからでも、ない。 そう、他でもない、やっと授かることができた子どものためにだ。 不妊治療は一年半続いた。直人はこの期に及んで医師の説明を鼻で笑っていたが、直人側の――男性不妊によって、人工授精を繰り返しても妊娠は一度も成立しなかった。 顕微授精まで進んで、ついに、赤ちゃんの心拍を確認することができたのだ。 お腹に手を当てると、少しだけ頬が緩む。 今日は、お腹に来てくれた赤ちゃんのために、腕を振るう。冷蔵庫を見ると、自然と目が細くなった。しかし珠希は、再びサラダボウルの中へ視線を落とす。 妊娠初期での流産のリスクは医師から聞いていたし、ぬか喜びをさせたくなくて、直人と義母に言い出せないでいた。 それでも、これ以上隠しておくのも厳しい。つわりが徐々に悪化してきているからだ。 そのとき、ガチャリ、と玄関の扉が開く音がした。 予定よりだいぶ早い帰宅に思わず肩が跳ねる。目を瞬かせる珠希は蛇口をひねって軽く手を洗った。 そして、パタパタ、とスリ
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第二話 『氷室雪臣』 ◆珠希

 赤ちゃんが助からなかったと告げられた瞬間から、記憶はほとんど残っていない。 診察してくれた女医の顔も、名前も思い出せない。そもそもあの夕立の中、誰が、どうやって病院まで連れてきてくれたのかも分からない。 気がついたときには、もう、珠希は病室のベッドの上にいた。 ただ一つ、言葉では表せない激情が、胸を締め付けるほどに渦巻いていたことだけが確かだった。泣き疲れて痺れている手で、ベッドのシーツを握る。「素敵な指輪ね。その、右手の薬指。ビーズ? 懐かしいわ、私も若いころよく作ったの」「…………」「なんて。おしゃべりする気持ちになんて、なれないわよね」 年増の看護師が、珠希の点滴を交換しながら掠れた声で言った。 気遣いのはずであるその一言が、流産したという事実を裏付けるようで、胸と鳩尾の間あたりが一層重苦しくなってくる。 さっきまで。つい、さっきまで。エコーの画面の中で小さな心臓がペコペコ、白い光を見せていたのに。そらまめみたいな体に、小さな丸い手足が、可愛くて……そして…………もう、どこにも、ないだなんて。「……私が……もっとちゃんと――」「先生も言っていたでしょう? まだ妊娠九週。この段階の流産はママの生活ではなくて、赤ちゃん側の都合のことが……とは言っても、すぐには整理できないのも分かってる」 珠希が視線をさまよわせていると、不意に病室のドアからノックの音が届いてくる。「氷室さん」 看護師が口にした名に、珠希はドアの方へ視線を流した。 そこに立っていた姿に息をのむ。 皺ひとつないシャツとベストを隙なく着こなした、見覚えのある長身の男。冬曇を思わせる静かな眼差しだけが、じっと珠希へ向けられていた。 カツ、カツ、カツ――。 男は後ろ手にドアを閉めると、杖をつきながら珠希の病床へゆっくり近づいてきた。その表情から感情を読み取ることはできなかった。「……加減は」「良い、とは言えませんけどね。状況的にも」 こちらの顔も見ずに看護師と話し始めた男に、珠希の動揺が深まっていく。 そのとき看護師が血圧計を用意して、横目で男を見ながら言った。「こちらね、氷室雪臣さん。この病院――氷室メディカルセンターの理事長のお孫さん。タクシーであなたをここまで連れてきたのも、彼なのよ」「――雪臣くんが……?」「あら? 知り合いだったの」 シュ、シ
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第三話 『お前を探していた』 ◆直人

 駒場産婦人科――ルリカの実家近くにある、先週彼女が初診で訪れたという病院に、直人は母と共に付き添っていた。 珠希を追い出してからすぐに、腹に違和感があると彼女が泣きだしたからだ。「わたしの不注意で……赤ちゃんになにかあったらどうしよう……」「大丈夫よ。ルリカちゃんは悪くないわ。あの嫁が、突き飛ばしたりなんてしなければ、こんな――」 ここに来るまでの道中も、雨の中で母はずっと珠希に対して文句を言っていた。 一方で直人は、自分とルリカの子どものことが心配で、ただ口が重くなっている。 診察室に呼ばれるまでの待合で、薔薇柄のネクタイを緩め、ソファーの背に肘を置く。受付のスタッフに見えるように、わざとらしく苛立ちを顕わにしていた。 ――遅せぇ。こうしている間になにかあったらどうする。 そのとき、ルリカが不意に直人の膝へ手を乗せてきた。  直人は彼女の柔らかい髪を、そっと撫でた。 いま一番不安なのはルリカだ。自分までここで取り乱すわけにはいかない。 そう。ルリカは、珠希ではない。ジュエリーデザイナーとしての才に恵まれ、なんでも卒なくこなしてきた珠希とは、根本的に違う。 ……ルリカは、守るべき存在なのだ。 一線を越えた日、ルリカは「社長が色々教えてくれたおかげで、無事に免許取れちゃいました」と笑った。あのときの彼女の瞳を、今でも鮮明に思い出せる。 わざわざ自動車免許の教本まで買ってきて、夜な夜な内容を頭に叩き込んでは、翌日、彼女に問題を出すのが楽しかった。 思えば、その頃から彼女は直人を頼り、必要としてくれる女だった。+   +   +「乾家の……私の初孫なのよ!? そんな数分の内診で、ちゃんと診たの!?」 検査を終え、診察室の中に母の怒鳴り声が響き渡る。 初老の医師は眼鏡をかけ直しながら「胎嚢も胎児も異常はありませんからなぁ」と、困惑したような表情を見せていた。 背中を強張らせているルリカの肩に手を置き、直人は彼女の顔を覗き込んだ。 なんとかしなければ。ルリカと、子どもを支えていかなければいけない。「ルリカ。まだ不安か?」「直ちゃんの赤ちゃんだから……大切にしたいから、心配なの……」 今にも泣きだしそうな声を絞り出したルリカに、母が鼻をすすりながらハンカチで目頭を押さえる。 直人が医師を睨みつけると、彼は溜息をつき、机上の棚
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第四話 『子どもに罪はない』 ◆雪臣

 電話を切ってから三十分ほどが経った頃、雨はすでに上がっていた。 氷室メディカルセンターの入り口で、腕を組んで待つ雪臣の瞳が、鈍い光を帯びる。 外来の受付時刻はとうに過ぎていたが、雪臣が事情を伝えて受け入れを頼むと、当直の職員たちは快く応じた。正面玄関の灯りも、自動ドアも、まだ電源を落とされてはいない。 目の前に停車したタクシーから降りてきたのは、直人と、直人の母親と、そして初めて見る二十代前半くらいの女。 電話で言っていた、田代に診察を依頼したいというのは、この女のことだろうか。 直人が女と母親を先にセンター内へ入らせた。二人の背を見送り、自動ドアが閉まると同時に、雪臣を睨みつける。「田代とやらに、すぐ診察できるように話は通したんだろうな? 氷室雪臣」「……お前か。彼女を放り出したのは」「相変わらず会話ができねぇ男だな。質問に答えろ」「タマはここへ一晩入院する。雨の中ひとりで倒れていた。僕が、連れてきた」 カツ、と小さく杖の音が鳴る。 雪臣は直人へ一歩近づき、わずかに顔を下げてその目を見据えた。「なぜ、タマをこんな目に遭わせた」「お前に関係ないだろうが、雪臣。珠希は、ルリカ――俺の子を孕んでいる女を突き飛ばした。自分が不妊だから、くだらない嫉妬でもしたんだろうな」 珠希が誰かを――まして妊婦を突き飛ばしたなど、にわかに信じられるはずがない。彼女自身が身ごもり、小さな命を何より大切にしていたからだ。失った直後でさえ、雪臣を気遣おうとした人間だ。 センター入口の照明を受けて、直人のゴテゴテした柄のネクタイがぬらりと光った。 雪臣の下瞼が小さく痙攣する。「心配ではないのか」「今日はよく喋るじゃねぇか。どうせちょっとすっ転んだだけってオチだろ。それに珠希は……あいつは一人でなんでもできる」 会話が途切れ、静けさが際立つ。コオロギの鳴き声だけがやたらはっきりと聞こえた。 小さく鼻を鳴らしてセンターへ入ろうとした直人。その腕を掴むため、雪臣は杖を取り落とした。カラン、と杖が地面を叩く。支えを失った右脚がわずかに揺らいでも、雪臣は直人から手を離さなかった。「しつけぇな。そもそも、氷室の人間がなんで珠希を助ける必要がある。……へっ。まさか、未だに珠希を俺から奪い返したいのか、お前」「……そういう話はしていない」 珠希は――いや、人は
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第五話 『氷室雪臣の環愛』 ◆珠希

「うん。体のほうは異常なさそうですね」「田代先生……本当にありがとうございました。それと、流産の診断を受けたときは取り乱してしまってすみません」 入院して一夜が明け、田代の最後の回診を受けた珠希は、病床に腰を下ろしたまま深く頭を下げた。 乾の商売敵であるはずの氷室が仕切る病院だというのに、ここのスタッフは終始、珠希に温かく接してくれている。「気にする必要はないです。今は自分自身を労わってあげてください」 田代のやさしい声が、珠希の胸の奥に染み込んでいく。 ふと窓の外へ目を向けると、淡い綿雲がいくつも空に浮かび、静かに流れている。直人もきっと、この同じ空の下にいるはずだ……それでも、彼の心はもうここにはない。 どうすれば自分を労われるのか、珠希にはその答えが見つけられずにいた。「それと、これは氷室さんに頼まれた伝言です。今日の十一時、大学近くのユイット珈琲で待っている――だそうです」+   +   + ユイット珈琲――ずいぶん懐かしい店の名前を思い出させられた。 通っていた神本芸術大学の裏門を出てすぐ。蜂蜜の入ったロイヤルミルクティーが看板メニューで、素朴な純喫茶だが珠希はその店が好きだった。 雪臣が珠希に何の用があるのかは分からない。けれど、時計を見ると時刻は十時を過ぎていて、今から向かえばまだ間に合う――そんな考えが、気づけば胸の奥で芽生えていた。 今、ひとりでいるのが怖かったのだ。誰でもいい、ただこの流産という深い喪失感を、ほんの少しでも紛らわせてくれる存在が欲しかったのかもしれない。 退院手続き中、スマホどころか手持ちが千円しかないことを思い出した珠希だったが、支払いの必要はないと告げられ、目を丸くする。「お支払いの件でしたら、すでに話は済んでおりますので。……氷室さんから」 退院後の書類を渡しながら言ってきた受付の女性の言葉に、珠希の動きが止まった。 ――どうなっているの。雪臣くんが、なんでそこまで……。「それから、別件になりますが……東京国際記念病院から、お急ぎのご連絡が入っています。珠希さんへお電話が繋がらないと……」「えっ……?」「先方がご主人へも何度かご連絡されたそうですが、『氷室メディカルセンターへ伝えておいてくれ』とお話があったそうで……」 珠希の鼓動が一つ跳ね上がる。体の末端から、さっと血の気が引いて
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