All Chapters of クズ夫を捨て御曹司妻になった私は絶賛妊活中: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

巽は熱湯で濡れたコートを脱ぐと、傍らにいた駿へ手渡した。仕立ての良いオーダースーツに身を包んだ彼は、気品と洗練された雰囲気をまとい、氷のように冷え切った声で命じた。「この二人は病院で騒ぎを起こし、故意に人を傷つけようとした。駿、警察に通報しろ」駿はすぐにスマホを取り出し、通報しようとした。その瞬間、二人の男は腰を抜かさんばかりに青ざめ、慌てて頭を下げながら必死に謝罪を始めた。ベッドに横たわる老人は、先ほどまで自分の世話を押し付け合っていた二人の息子に腹を立てていたものの、彼らが警察へ突き出されそうになっているのを見ると、慌てて声を張り上げた。「そこまでしなくてもいいじゃないか!この子たちは少し気が短いだけで、わざとやったわけじゃないんだ。ほら、もう謝ってるんだから、どうか許してやってくれ。それに、この子たちが警察に捕まったら、誰が私の面倒を見てくれるんだい」巽は老人へ冷ややかな視線を向けた。「警察に捕まろうが捕まるまいが、彼らがあなたの面倒を見ることはない」老人は言葉を失い、目から光が消えたようにうつむき、何も言い返せなくなった。老後のために子を育てるものだ、とよく言われる。だが、彼には二人も息子がいながら、そのどちらも世話をしようとはしていなかった。騒ぎを起こした二人の男は、ボディーガードたちによって病室の外へ引きずり出されていった。ようやく病室には静けさが戻った。床に散乱した惨状を見渡した巽は、鈴音へ視線を向けて言った。「この病室では、おばあさんも落ち着いて療養できないだろう。VIP個室を手配する」その声を聞いた鈴音は、はっとした。やはり、この人が秋子の孫なのだ。彼女は慌てて口を開いた。「ありがとうございます、雨宮さん。でも、個室なんて今の私にはとても払えません。お気持ちだけで十分です。このままで大丈夫ですから」しかし巽は答えることなく、駿へ視線を送り、手配するよう静かに指示した。ほどなくして、幸子はVIP専用の個室へ移された。すると病院の院長をはじめ、数名の主任医師までもが自ら病室を訪れ、挨拶にやって来た。巽は院長へ向かって言った。「こちらの川澄さんは、雨宮家の恩人だ。ご家族の治療は、どうか最善を尽くしてほしい」院長は、雨宮家当主がこれほど穏やかな表情を見せる姿
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第12話

巽は真剣な面持ちで告げた。「川澄さん、うちの祖母はいつも俺の結婚のことばかり気にしていてね。もしあなたに余計なことを言っていたとしても、どうか気にしないでほしい。ひとつ覚えておいてほしいんだが、俺は結婚するつもりはない」鈴音がその言葉の意味を飲み込む間もなく、巽は軽く一礼すると、そのまま病室を後にした。そのとき、ベッドの方から祖母の咳き込む声が聞こえた。鈴音は巽の言葉の真意を考える暇もなく、慌ててベッドへ駆け寄った。幸子は鈴音の姿を見ると、安心したように穏やかな笑みを浮かべた。「大丈夫だよ。驚かせちゃったかい」鈴音は祖母の手をぎゅっと握り締め、失いかけた大切な宝物を取り戻したような安堵に胸をいっぱいにしながら、震える声で言った。「おばあちゃん、絶対に元気でいてね。もしおばあちゃんに何かあったら、私どうしたらいいの?お父さんもお母さんも、おじいちゃんももういないんだよ。私には、おばあちゃんしかいないの」幸子は目を潤ませ、優しく微笑んだ。「馬鹿な子だねえ。何をそんな弱気なことを言うんだい。あんたにはもう家庭があるじゃないか。章臣さんもそばにいてくれるんだし、私みたいな年寄りなんて、もう必要ないだろうに」ふと病室を見回した幸子は、申し訳なさそうに眉を下げた。「ここを手配してくれたのは章臣さんかい?こんな立派な部屋なんて、お金の無駄遣いだよ。章臣さんに伝えておくれ。おばあちゃんは普通の病室で十分だって」鈴音は、章臣にすべてのクレジットカードを凍結されたことを思い出し、胸の奥から激しい憎しみが込み上げた。それでも祖母を心配させまいと、そのことには一切触れなかった。体調の優れない祖母に、これ以上余計な心労をかけるわけにはいかなかったからだ。祖母の看病をするため、鈴音は会社を三日間休むことにした。……伊藤グループ・研究開発部可奈は鈴音が入社して早々に休暇を取ったと聞きつけると、すぐさまその話を優衣に耳打ちした。二人は学生時代からの同級生であり、親友同士でもあった。可奈は優衣の紹介でこの会社へ入社したため、すっかり優衣の言いなりだった。もっとも、優衣は鈴音と章臣の本当の関係を彼女には明かしていない。そのため可奈は、鈴音には会社の中に別の強力な後ろ盾があるのだと思い込んでいた。「優衣、あの
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第13話

鈴音は病室へ戻った。叔母の美咲と従妹の紗夜が、すでに見舞いに来ていた。美咲は幸子の髪を梳かし、顔や手を丁寧に拭いているところだった。八歳になった紗夜は、祖母とおしゃべりをしながら、怪我をした場所に向かってふうふうと息を吹きかけた。「おばあちゃん、痛いところにふうふうしてあげるね。そうしたら、もう痛くなくなるよ」幸子は孫娘の愛らしい仕草に目を細め、楽しそうに笑った。「まあ、この子ったら。もうおばあちゃんのお世話ができるようになったんだね」紗夜は得意げに胸を張って言った。「おばあちゃん、私が大人になって、お母さんみたいに働いてお金を稼げるようになったら、おばあちゃんの老後は私がちゃんと面倒を見るからね」幸子は小さくため息をついた。「お母さんの真似なんてしなくていいんだよ。女にとって一番大事なのは、やっぱり家庭を守ることなんだから……」美咲はその古い価値観に何か言い返したそうだったが、病人の前ということもあり、黙ったままだった。外はぽかぽかとした小春日和だった。鈴音は車椅子を借り、幸子を乗せて日向ぼっこに連れ出した。幸子はまだ先ほどの話が気になっているらしく、ぽつりぽつりと愚痴をこぼし始めた。「美咲も本当に意地っ張りでね。浩二さんとの最近のことを聞いても、あんな頑なな態度ばかり取るんだから。どうせ自分から頭を下げて仲直りする気なんてないんだろうけど、離婚したところであの子に何の得があるっていうの?夫婦っていうのは、お互いに譲り合ってこそ続いていくものなんだよ」鈴音は幸子の首元にマフラーを丁寧に巻きながら、思わず美咲をかばうように口を開いた。「でも、あの二人はずっと叔母さんばかりが譲ってきたのよ。叔父さんが許されないことをしたのに、おばあちゃんはまだ叔母さんに我慢しろって言うの?叔母さんだっておばあちゃんの娘でしょう。あんなにつらい思いをしているのに、平気なの?」「結婚した女が我慢しなくていいことなんてあるもんかい!みんな家庭を守るために耐えているんだよ。一歩譲ったくらいで何だっていうんだい?あの子には兄弟もいなければ、甥っ子もいない。離婚して、この先誰を頼りに生きていくっていうんだい?そもそも、男の子を産まなかったあの子が悪いんだよ」その言葉を聞いた瞬間、鈴音の脳裏に章臣の顔がよぎった。
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第14話

「最近は少し立て込んでいる。また今度にしてくれ」鈴音が先日、美代子に反発する態度を取ったこともあり、今の章臣は彼女の家族にまで気を配る気はなくなっていた。彼は一方的に通話を切った。鈴音の胸の奥は、深い闇に沈んだようだった。祖母の期待に満ちた眼差しを前にして、鈴音は何もなかったかのように微笑んだ。「分かったわ。数日後、出張から戻ってきたら、一緒におばあちゃんのお見舞いに来てね」そう言ってスマホを耳から離すと、鈴音は祖母へ向かって穏やかに告げた。「章臣、急に出張が入ったみたい。戻ってきたら、また一緒に連れてくるね」幸子の瞳の奥には、さらに不安の色が浮かんでいた。だが、それ以上何も口にすることはなかった。翌日、鈴音は幸子の検査結果を受け取るため、病院を訪れた。長い廊下を歩いていると、彼女の目に章臣と優衣の姿が飛び込んできた。優衣は不安そうに顔をこわばらせていた。「弟がレース中の事故で怪我をしてしまって……今回の手術、本当に成功するのかな」章臣は優しい声で彼女を慰めていた。「心配するな。海外から腕のいい外科医を呼んで執刀してもらう。弟は絶対に大丈夫だ。この二日間は俺も病院に残って、手術が終わるまで付き添うから」優衣は小さく頷いた。二人はそのまま歩き出した。寄り添うように並んだ背中は少しずつ遠ざかり、やがて鈴音の視界から消えていった。通りかかった看護師たちは、小声で噂話をしていた。「さっきの伊藤さん、奥様に本当に優しいのね。弟さんが事故に遭ったって聞いて、海外から専門医を呼んだだけじゃなくて、VIP病棟のフロアまで貸し切って、朝早くからずっと付き添っているんですって」「これが本当の愛っていうものなのかしらね。男って、本当に大切に思っている女性のことなら、その家族まで自分の家族みたいに大事にするものなのよ」鈴音の瞳は、深く沈んだ。彼への想いから少しずつ離れていかなければならない。そう自分に言い聞かせているのに、胸の奥から込み上げる切ない痛みを、どうしても抑えることができなかった。……雨宮邸秋子は、北都へ戻る準備をしている孫の姿を見て、不満そうに眉をひそめた。「この数日間、あの子のことを気にかけてあげなさいって言っておいたのに、どうして一度も顔を出さなかったの」巽は
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第15話

病院を出てすぐのところで、鈴音は秋子とばったり出くわした。秋子は彼女の姿を目にした瞬間、ぱっと表情を明るくした。「あら、鈴音ちゃんじゃない」鈴音は感謝の気持ちを込め、深々と頭を下げた。「おばあさん、雨宮さんをよこして助けてくださって、本当にありがとうございました。このご恩は必ずお返しします」秋子は目を細め、優しく微笑んだ。「恩返しだなんて、そんなこと気にしなくていいのよ。あなたは前に私を助けてくれたでしょう?だから巽に手を貸させるのは当然のことなの」秋子はこの二日の間に、すでに人を雇って鈴音の身元を調べさせており、彼女が独身であることも把握していた。こんなにも理想的な孫嫁候補を、何としてでも逃したくない。そう考えた秋子は、ポケットから先ほどの高級腕時計を取り出し、鈴音の手のひらへそっと握らせた。「これはうちの孫からあなたへの結納品よ。受け取ってちょうだい」「ゆ、結納品……ですか?」手のひらに残された見るからに高価な腕時計を見つめ、鈴音は驚きに目を見開いた。秋子は得意げな表情で説明する。「うちの孫はね、経済力も容姿も人柄も、どこへ出しても恥ずかしくない一流の男なのよ。もし、あの堅物で少しばかり面白みに欠けるところが気になるなら、結婚してからあなた好みにゆっくり変えていけばいいじゃない」しかし、鈴音は真剣な表情のまま、その腕時計を静かに秋子へ返した。「おばあさん、お気持ちは本当に嬉しいです。でも、この時計を受け取ることはできません」あの雨宮巽という男性は、身にまとった服装から漂う気品まで、何もかもが普通の人間とは別格だった。それどころか、章臣よりもはるかに高貴で、圧倒的な存在感を放っている。もし彼と結婚すれば、今よりもずっと裕福で恵まれた暮らしが手に入ることなど、火を見るより明らかだった。けれど、もう二度と結婚のために自分自身を見失うようなことはしたくなかった。まずは自分の力で自立する。愛を求めるのは、その後でいい。鈴音の決意は、すでに固まっていた。経済的な自立を果たすまでは、もう二度と結婚などしない。「もしかして、私の言うことが信じられないの?」秋子は焦ったように身を乗り出した。鈴音はそんな秋子の手を優しく包み込み、誠実な声で言葉を紡いだ。「おばあさん、私は以前、あ
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第16話

章臣は、自分が十分に譲歩し、鈴音が戻ってくるためのきっかけまで用意してやったのだから、鈴音が分別のある人間なら、これで素直に仲直りを受け入れるはずだと思っていた。しかし、鈴音は彼を一瞥しただけで、何も答えなかった。そのとき、エレベーターの扉が開き、優衣が書類を手にして降りてくる。「章臣、鈴音さん」優衣の首元で輝くダイヤモンドのネックレスを目にした瞬間、鈴音の目がわずかに見開かれた。それは五年前、章臣が彼女への誕生日プレゼントとして贈ってくれたものだった。彼自身がデザインしたと言っていた、永遠の愛の証。鈴音はもったいなくて一度も身につけることができず、大切にジュエリーボックスの中へしまっていた。彼女は迷うことなく歩み寄ると、優衣の首元からそのネックレスを一気に引きちぎった。優衣の首筋には、たちまち血の滲む傷が浮かび上がる。彼女は痛みに悲鳴を上げ、その場で泣き出した。恐怖に染まった瞳で、鈴音を見つめる。章臣は眉をひそめながら近づき、責めるように問いかけた。「鈴音、何をするんだ?」鈴音はネックレスを手に、彼へ問いかけた。「これ、あなたが彼女に贈ったの?」章臣はそのネックレスを見て、鈴音が怒っている理由を理解した。だが、たかがネックレス一本ではないか。これまで鈴音に贈ってきたジュエリーは、数え切れないほどある。それなのに、なぜここまで激しく怒る必要があるのか、彼には理解できなかった。「鈴音、たとえ優衣に落ち度があったとしても、こんな乱暴なことをするべきじゃないだろう。見ろ、首を怪我しているじゃないか」優衣は涙を流しながら、鈴音へ謝罪した。「ごめんなさい、鈴音さん。ただ、このネックレスがあまりにも綺麗で、少しだけつけてみたかったの。でも、あなたにとってそんなに大切なものだなんて知らなくて……」章臣は自分のハンカチで優衣の首元を押さえ、なかなか血が止まらない様子を見ると、心配そうに口を開いた。「まずは病院へ行く」そう言い残すと、彼は優衣を抱きかかえ、その場を離れていった。鈴音は、血の付着したネックレスをじっと見つめた。すると突然、それがひどく汚らわしいものに感じられた。彼女はゴミ箱のそばまで歩いていき、そのネックレスをためらいなく投げ捨てた。……その日の夜、鈴音は
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第17話

「鈴音、確かに私はあなたを育ててこなかった。それでも、あなたは私がお腹を痛めて産んだ子なのよ。その産んだ恩くらい、返してくれてもいいじゃない!宗太はあなたの異父弟なのよ。見殺しにするつもりなの!?」痛みに耐えきれず、鈴音の顔色はみるみる青ざめていく。振りほどこうとしても、美津江の指は食い込むほど強く手首を掴み、決して離そうとしなかった。ちょうどその時、章臣が通りかかり、鈴音の青白い顔を見て慌てて割って入った。「美津江さん、鈴音から手を離してくれ」章臣の姿を見た美津江は、仕方なく鈴音の手を放した。だが、息子の命がかかっている今、そんなことを気にしている余裕などなく、今度は章臣にすがりつくように訴えかける。「章臣さん、もう時間がないの。宗太の体は限界なのよ。お願いだから、鈴音を説得してちょうだい!」章臣は迷いを滲ませた目で鈴音を見つめた。鈴音もただ黙って彼を見返し、彼がどんな答えを出すのかを待っていた。自分でも知りたかったのだ。彼が、いったいどんな選択をするのか。また優衣のために、自分の体を差し出せと言うのだろうか。章臣は苦しそうな表情で口を開いた。「鈴音、一度だけでいい。適合検査を受けてくれ。宗太の怪我は本当に深刻なんだ……」鈴音の表情から、少しずつ温もりが消えていく。「章臣、私に貧血があることは、あなたも知っているはずよ」「ただの軽い症状じゃないか。骨髄を提供したって問題ない。その後は栄養士を雇って、しっかり体調を戻せるようにするから」彼は必死に言い訳を並べた。鈴音はあまりにも現実離れした言葉に、眩暈すら覚えた。「断るわ。他の人を探してちょうだい」他人を助けるために、自分のお腹に宿る子どもを危険にさらすことなど、絶対にできない。鈴音は背を向け、その場を立ち去ろうとした。だが、章臣が彼女の腕を掴んで引き止める。「鈴音、どうしてそこまで冷たくなれるんだ?人の命がかかっているんだぞ」彼には、鈴音があまりにも思いやりのない人間に見えていた。優衣もその場にひざまずき、涙ながらに訴えた。「鈴音さん、お願いだから弟を助けて!」結局、章臣は半ば強引に鈴音の手を引き、適合検査室へと連れて行った。椅子に押さえつけられ、冷たい注射針が腕へと近づいたその瞬間、鈴音はそっと目を閉じ
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第18話

幸子はなだめるように優しく言った。「章臣さんを責めないであげておくれ。さっき電話に出るために席を外したんだもの。きっと仕事で急な用事があったのよ。おばあちゃんはちゃんと分かっているからね」鈴音は唇を強く噛みしめ、何も言わなかった。その夜、鈴音はホテルへ戻ることなく、病室に残って祖母の付き添いを続けた。翌朝になってようやく、章臣は朝食を手に病室へ戻ってきた。そして鈴音へ向かって、申し訳なさそうに口を開く。「鈴音、すまなかった。昨夜はどうしても外せない用事があったんだ。おばあちゃんの世話をしてもらうために、佐藤には介護士を手配するよう頼んだはずなんだが……来ていなかったのか?」その後ろに控えていた健は、病室の中に介護士の姿がないことに気づき、血の気が引くような焦りを覚えた。昨夜、彼は介護士を手配しようとしていた。だが、その時、優衣から「知り合いに腕のいい介護士がいるから、自分が連絡しておく」と言われたのだ。まさか優衣が、結局介護士を寄越していなかったとは思いもしなかった。鈴音は章臣の言葉を完全に聞き流し、そのまま病室の奥へと歩いていった。章臣は冷たい視線を一瞬だけ健へ向けると、朝食を手に病室へ入っていく。章臣は年配者の心を掴むのがうまかった。幸子は彼を責めるどころか、逆に体調を気遣い、無理をしないよう優しく声をかけた。その後、介護士が幸子の世話に来てくれたため、鈴音は章臣とともに会社へ向かうことになった。車内では、鈴音は終始一言も発しなかった。章臣はそんな彼女へ、静かに謝罪の言葉を向ける。「鈴音、俺が悪かった。許してくれ。償いなら、お前が望むことなら何でもするから」鈴音はゆっくりと顔を上げ、彼を見つめながら尋ねた。「本当に、どんな償いでもいいの?」章臣は小さく頷いた。会社へ到着すると、鈴音は彼とともに社長室へ入った。「あなた名義の会社株式のうち、2%が欲しいわ」突然、会社の株式を要求された章臣は、呆気に取られて言葉を失った。彼の中で、鈴音は会社や金銭にそれほど執着する女性ではなかった。まさか彼女が、いつかこんな大きな要求を突きつけてくるとは夢にも思っていなかったのだ。鈴音は静かな目で彼を見据える。「株式を手放すのが惜しいの?」章臣は、ここ最近の鈴音がどれほど苦
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第19話

「どうしてそんな風に考えるんだ」優衣は自分の子どもを身ごもっていることもあり、章臣は何をするにも、まず彼女の意思を優先してきた。「君とはもう婚姻届まで出しているんだ。どうして大切に思っていないなんてことがある」優衣はさらに言葉を重ねる。「私はあなたのために、結婚を公にしないことも受け入れた。それだけじゃない。海外の大学院で学位を取る道まで諦めて、ここであなたの秘書を務めて、あなたの子どもまで産もうとしているのよ。私があなたのためにしてきたことは、鈴音さんより少ないとでも言いたいの?」章臣は黙って彼女を見つめた。「じゃあ、どんな償いを望んでいるんだ」彼が再び折れたことを感じ取り、優衣は心の奥で密かに喜んだ。「鈴音さんにはジュエリーショップを二店舗も譲ったんでしょう?なら、私には何をくれるの?私のお腹の中には、あなたの子どもがいるのよ」章臣は少し考えた後、口を開いた。「君は俺の妻なんだから、俺の財産は実質的に君のものでもあるだろう。どうしてあいつと張り合う必要があるんだ?……分かった。夕凪小路にある店舗は、すべて君に譲る。それでいいだろう」優衣はようやく満足したように、怒りを収めた。「やっぱり、あなたが一番愛しているのは私なのね」二人でしばらく甘い時間を過ごした後、優衣は気遣うような口調で提案した。「章臣、雨宮グループとの提携プロジェクトのことで、ずっと悩んでいたでしょう?私、少し調べてみたの。雨宮グループの担当者って、鈴音さんの大学時代の先輩らしいわ。もし彼女を担当にすれば、話もずっと進めやすくなるんじゃないかしら」章臣も彼女の意見はもっともだと思った。昔からの知り合いなら、このプロジェクトを早い段階で勝ち取れる可能性もある。何しろ、現在は競合企業も多く、伊藤グループが勝てる見込みは決して高くなかったのだ。「分かった。君の言う通りにしよう」鈴音がデスクへ戻ると、突然、社長室から一通のメールが届いた。内容は、とあるプロジェクトの担当を命じるものだった。思わず苦笑を漏らす。自分は研究開発部長なのに、なぜ営業まで担当しなければならないのだろうか。鈴音は業務用のLINEを開き、どういうことなのかと彼に尋ねた。章臣から返ってきた返信は、極めて事務的なものだった。【このプロ
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第20話

鈴音はそう言い捨てると、迷うことなく電話を切った。思い通りにならず、電話の向こうで博美が怒りに任せて地団駄を踏んでいる姿が容易に想像できる。だが、そんなことは今の自分にはもう関係のないことだった。一方、突然通話を切られた博美は、怒りのあまり握りしめたスマートフォンを床に叩きつけそうになっていた。隣に座っていた妹の伊藤裕美(いとう ゆみ)は、その険悪な様子を見かねて声をかける。「お姉ちゃん、どうしたの?まさか、あの女、看病に来ないって言ったの?」博美はギリッと奥歯を噛みしめた。「最近、本当に生意気になったものね。いい度胸じゃない!子ども一人産めないくせに、まだそんな大きな顔をするつもりなの?今すぐ章臣に電話して、あんな女とはさっさと別れさせてやるわ。どうせ婚姻届だって出していないんだから、何も持たせずに追い出せばいいのよ。そんなこと、簡単な話だわ」そう言うなり、彼女はすぐに章臣の番号を呼び出した。ちょうど会議中だった章臣は、電話に出ると簡潔に答えた。「姉さん、今は仕事が立て込んでいるんだ。三十分後にこちらから掛け直す」それだけ言うと、彼は博美の電話を切った。弟を溺愛している博美は、彼に対して怒りをぶつけることなどできなかった。ただ、過酷な仕事をこなしている弟の体調を気遣うばかりだった。「鈴音ったら、家で弟を支えようともしないくせに、外で働くだなんて言い出して……本当に厚かましいにもほどがあるわ!いつか必ず痛い目を見せてやるんだから!」その時、美代子の部屋から、再びガラスのコップが投げつけられ、粉々に砕け散る激しい音が響いた。家政婦は恐怖で体を震わせ、とてもではないが部屋へ入ることができない。そんな母親の逆鱗に触れることを恐れ、裕美も今この状況で部屋に入って様子を見る勇気はなかった。ちょうどその時、優衣が本邸へ姿を現した。彼女は少しでも時間が空けば本邸へ足を運び、美代子に気に入られるための努力を欠かさなかった。美代子を完全に味方につけ、一刻も早く鈴音をこの家から追い出したかったからだ。そんな優衣の姿を見て、博美は渡りに船とばかりに、美代子の看病を押しつけることにした。優衣は、頭痛の発作を起こした美代子がどれほど恐ろしい状態になるのかを知らなかった。そのため、親孝行をするつもり
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