章臣は目の前に積まれた、早急に処理しなければならない書類を見つめながら、深く頭を抱えていた。彼にできるのは、優衣をなだめることだけだった。「先に母さんの面倒を見ていてくれ。仕事が片付いたら、すぐに向かうから」その言葉を聞いた瞬間、優衣の表情は曇った。まさか、錯乱している美代子の相手を、自分ひとりに押し付けるつもりなのだろうか。章臣も、優衣に負担をかけている自覚はあった。だが彼にとっては、家庭の事情よりも会社の仕事の方が、いつだって優先だった。甘い言葉をいくつか並べて優衣をなだめると、そのまま電話を切った。……鈴音は個室で十分あまり待たされ、ようやく姿を現したクライアントを迎えた。仕立ての良いスーツを隙なく着こなした男性の姿が目に入った瞬間、彼女の頭の中は真っ白になった。「鈴音、久しぶりだね」男は穏やかで品のある声とともに微笑み、手を差し出した。鈴音は引きつった笑みを浮かべながら、胸の奥から込み上げる恐怖を必死に押し殺し、挨拶を返した。「先輩……まさか先輩だったなんて」一条翔馬(いちじょう しょうま)。大学時代、同じサークルに所属していた先輩だ。そして、かつて鈴音に何度もセクハラを繰り返した張本人でもあった。翔馬は、絶大な権力を持つ名家の御曹司だった。当時、鈴音は何度も大学の教員に訴えたが、誰一人まともに取り合ってはくれなかった。彼女にできたのは、翔馬の姿を見かけるたびに逃げるように避けることだけだった。それでも警戒を続けていたにもかかわらず、防ぎきれないことも多く、何度も毒牙にかかりそうになった。翔馬がすぐに鈴音へ手を出さなかったのは、卒業を待ってから自分のものにした方が、余計な揉め事を避けられると考えていたからだった。卒業後まもなく鈴音が章臣と結婚すると、翔馬の姿を見ることはなくなった。鈴音の表情が強張っているのを見ると、翔馬はますます笑みを深めた。「そんなに緊張しなくていいよ。今日は純粋に仕事の打ち合わせに来ただけだから。君が結婚したことは知っているし、既婚女性に手を出すほど落ちぶれちゃいないさ」打ち合わせが終わると、鈴音は逃げるように個室を後にした。タクシーを拾って帰路についたものの、なぜか後ろを走る車にずっと尾行されているような気がしてならなかった。翔馬で
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