カフェを出た杏美は、あてもなく歩道をさまよっていた。街のネオンがひどく滲み、冷たい光の輪となって視界を揺らす。春彦が最後に放った言葉が、蠅のように耳元で羽音を立ててまとわりついていた。吐き気を催すほどの白々しさだ。大切にするだと?あの男にそんな言葉を使う資格があるのか。彼が大切にするのは、真理奈ただ1人だろうに。一刻も早くホテルに戻り、この息の詰まる街から完全に立ち去りたかった。人通りの少ない通りを抜け、タクシーを拾おうとした。その時、斜め後ろから、タイヤがアスファルトを激しく擦る悲鳴のような甲高い摩擦音が耳を劈いた。1台の車がコントロールを失い、杏美が立つ歩道のガードレールへと猛烈な勢いで突っ込んでくる。杏美の頭は真っ白になり、体が石のように硬直して動かない。危機一髪――斜め横から黒い影が猛然と飛び出してきた。凄まじい衝撃とともに、杏美の体は弾き飛ばされた。ドンッ!ガシャアアアアンッ!巨石がぶつかったような激突音。金属がひしゃげる不快な音と、ガラスが粉々に砕け散る音が同時に弾けた。強い力で突き飛ばされた杏美は、数メートル先の地面に激しく叩きつけられた。肘と膝に、焼け焦げるような激痛が走る。目眩に襲われながら、なんとか顔を上げた。暴走した車は、つい先ほどまで杏美が立っていた場所のガードレールに深々と突き刺さっていた。フロント部分は無惨にひしゃげ、ねじ曲がったボンネットから白煙を噴き上げている。そして、杏美と大破した車の中間地点。そこに、1人の男が横たわっていた。春彦だった。彼は身を丸くしたまま、ピクリとも動かない。その体の下から赤黒い血流が急速に広がり、冷たいアスファルトの上を蛇のように這い進んでいく。目を背けたくなるような光景だった。「春彦……っ!」呆然と声が漏れた。彼の顔色は紙のように白く、息をしているかどうかも分からないほどに弱々しい。体からは絶え間なく血が流れ出していた。「救急車!誰か、救急車を呼んで!」数秒遅れてようやく我に返った杏美は、恐怖で立ち尽くす通行人たちに向かって絶叫した。震える手でスマートフォンを取り出し、自らも119番を通報する。口から出る言葉は、ひどく支離滅裂だった。……病院の救急外来。
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