山荘は想像以上に広く、賑わっていた。車を降りてすぐ、ここでプライベートなフレグランスの新作発表会が開かれていることに気がついた。杏美は目立たないように人混みに紛れ込み、ムエットを手に取ってはあちこちの香りを試して回った。不意に、すっかり嗅ぎ慣れた香りが鼻腔をくすぐった。清冽さの中に、ほんのりと温かみのあるウッディな香りが混じっていた。「ソンジュ・ド・ニュイ」に似ているが、より複雑で深みのある、高級な香りだった。香りの元を辿って視線を巡らせた。体にフィットしたライトグレーのリネンジャケットを着こなし、誰かと談笑している男の横顔があった。長身で、知性と静けさを湛えた佇まい。横顔のラインは無駄がなく、すっきりと洗練されていた。あの独特の香りは、彼から漂っていた。杏美の心臓がトクンと跳ねた。もしかして、彼が「H.N」なのだろうか。彼女は息を潜め、これまでにH.Nがメールで語っていた言葉の欠片を頭の中で繋ぎ合わせた。調香への哲学、ある希少な花材への強いこだわり……目の前にいる男の何気ない振る舞いや話しぶりが、記憶の中のH.Nのイメージと奇妙なほどに重なっていった。我を忘れて見入っていた杏美のすぐ隣に、気づけば談笑を終えたその男が立っていた。「お目が高いですね。お手に取られているその『プリュイ・デテ』は、私が最も心血を注いで調香したものです。ベースノートには、私の一番のお気に入りを使用しておりまして……」「……『ソンジュ・ド・ニュイ』ですか」杏美は無意識に言葉を継いでいた。男は一瞬虚を突かれたような顔をし、やがて柔和な笑みを浮かべた。「お名前を伺っても?」「柳沼杏美です」「初期の頃から私の製品をご愛用いただいているのですね。おっしゃる通り……」その時、スーツ姿のウェイターが会話に割って入り、男の耳元で何かをそっと囁いた。彼は短く礼儀正しい謝罪を口にすると、優雅な足取りで前方にある小さなステージへと向かった。男はウェイターのトレイからシャンパングラスを取り上げ、スプーンで軽く叩いた。チリン、という澄んだ音が会場の視線を一手に集めた。スポットライトの下に立つ男は、穏やかな笑みを浮かべてフロア全体を見渡した。「皆様、本日は『ル・シヤージュ』の新作発表会にお越しいただき、誠に
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