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All Chapters of 徒然奇縁堂日和: Chapter 11 - Chapter 20

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伍、住めば都

 洗い物を終えて居間に戻る途中、凛寧は「ノートと鉛筆、取ってくる」と心なしか足早に階段を上がって行った。 それに返事をしてから一人で居間の戸を開けると、途端に酒の匂いが鼻を刺激した。「だからさあ、狐はやっぱりロクでもないんだよ」「んふふ、まあ飲めよぅ」「店主、隠神そっちじゃないよ。……あっ、お帰り成海。お皿洗いありがとう」 振り向いた伊織の手にもコップが握られている。ほんのり顔が赤いから、おそらくその中身は水ではない。「あれ、凛ちゃんは?」「未成年は今から料理研究の時間だ。こいつら出来上がるの早くねぇ?」 こいつら、とは当然のごとく、壁に向かって話し続ける店主と、狐の悪口を延々と語る隠神だ。「あはは……。まあ、天狗仕込みの霊酒だからね。度数は結構キツいんじゃないかな」 そう言いながら水を飲むかのように酒を流し込む伊織。俺はまだ酒が飲めないからよく分からないが、祭りの時にそんな飲み方をしてぶっ倒れた大人を見たことがある。 店主たちが弱いのか、伊織が強いのか。答えは明らかに後者だ。「……お待たせ」 後ろから声が掛かる。凛寧は俺の後ろから室内を覗き込んで、その目がすっと冷めた。「……二階、行こ。酔ってる隠神はちょっと面倒」 名指しで言われるあたり、相当なんだろう。凛寧にダル絡みする隠神の姿がめちゃくちゃ想像できる。 俺は居間の隅っこに置いた学生鞄を手に取ると、戸をそっと閉め、並んで二階へ向かった。 トン、トン、と音を立てながら上がっていくが、その時ふと違和感に気付いた。「あれ?」「……どうしたの?」「この階段、こんな低かったか……?」 昨日、階段を上がった時よりも足を上げる感覚が違うような気がする。心なしか段差も多いような。気のせいだろうか。 しかし凛寧はそんな俺の違和感を笑うことなく頷いた。「……多分、私の足に合わせてくれてる」「合わせてくれるって、何が?」「奇縁堂が」「……は?」 また、主語がおかしい。玄関の開け閉めといい、まるで建物が勝手に操作しているかのような言い方だ。 ……いや、ちょっと待て。そういえば今朝もおかしかった。泊まった部屋の広さが夜と朝で違っていたような違和感も、もし違和感でなかったのだとしたら——。「……そうだよ。この家もアヤカシなの。奇縁堂って名前の、迷い家のアヤカシだよ」「い、家がア
last updateLast Updated : 2026-08-03
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伍-②

 呼吸が深くなった。閉じた瞼から瞳の色は見えず、そのあどけない寝顔は年相応の子供のものだった。「……おやすみ、瑞波の子」 鼻で顔にかかった前髪を払ってやるが、身じろぎひとつしない。深く眠れている証拠だ。 夢が食べ頃になるのは、もう少し後だろう。 私は一先ず居間に戻ることにした。散々飲んで騒がしい店主と隠神の様子を見に行くためだ。 このカラダは小さいから、こんな大きな戸は開けられない。奇縁堂とも相談した結果、わざわざ開けてもらうのも申し訳ないので、私がすり抜けることになった。 ちょっと息を止めて気配を消せば、するり、この通り。 一段ずつ登ると長く感じる階段だって、ふわりとひとっ飛び。 さっきまで賑やかだった居間は静まり返っていた。「おい、二人とも。生きているのかい」 部屋の中から、返事はない。私は戸をすり抜けて中へと入り、ちゃぶ台を挟んで横になっている二人の姿を発見した。 規則正しい寝息を立てて、穏やかというにはあまりにも間抜けな寝顔を晒している。店主など涎を垂らしている。「まったく、羽目を外しすぎだよ。……さて、天下の大妖怪二人を酔い潰すほどの美酒のお味はいかがなものか」 私は内心、胸を踊らせながら、二人の夢の中へ飛び込んだ。煩雑としたいくつかの夢の水泡を無視して、その中でいっとう輝く喜びの感情を見つける。 美味しいものを体内に入れた時、喜びの感情が色濃く残るのは、人もアヤカシも同じだ。 私はその水泡を長い鼻で吸い込んだ。「ほう、これは中々……!」 まず最初に感じたのは、その独特な香りだ。木の皮を削った時の青い匂い、雨上がりの山道。熟れすぎる直前の柿みたいな甘さと、その奥に、少しだけ鉄と煙のような気配が混ざっている。 口当たりは驚くほど柔らかい。水みたいに軽いのに、舌の上では妙に重く、飲み込むと胸の奥がじわりと熱くなる。焼酎とも日本酒とも違って、最初は果実酒のように甘く感じるのに、後から山椒に似た痺れが追いかけてきて、喉の奥に長く残る。「成程、確かにこれは相当……ふは、うーん美味いっ!」 店主は元から酒に強いわけではないが、隠神はザルだ。なのに彼もまた酔い潰れてしまったということは、ペースを忘れるほど美味しかったということだ。 そして私にとっては味もさることながら、その時に感じた感情もまた、こうして夢を介して味わうことがで
last updateLast Updated : 2026-08-03
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陸、郷に入れば郷に従え

 翌朝、頬を小突くような感触に目を覚ました。押されているような感覚に近く、痛みは全くない。「ムーン、ムニムニ」「んん、ムコ……?」 心地良い布団の温もりから這い出て、欠伸をしながら、ぐっと身体を伸ばす。すっきりとした目覚めに、しっかりと休めたことがわかる。「今何時だ?」「ムムン!」「ふはっ、わかんねぇし」 ムコが自信満々に答えてくれたみたいだが、あいにく俺にはそれが聞き取れない。そばに置いていた携帯を引き寄せて画面をつけると、六時過ぎを示していた。 寝る寸前に頼んだモーニングコールはバッチリだったようだ。携帯のバッテリーは、残り九パーセントを知らせていた。「ありがとな、ムコ」 柔らかい頭を撫でると、ムコは嬉しそうに赤ちゃんみたいな声を出した。 俺は着崩れた浴衣を脱ごうとして、着替えが無いことに気が付いた。制服しかないが、流石に二日も洗っていないYシャツは着れない。 仕方なく俺は、浴衣を着直してそれで動くことにした。後で伊織が起きてきたら何か借りよう。 五月ともなれば、朝の冷え込みはほとんどない。白むような柔らかな光が廊下を包んでいて、俺が歩く度に、ほとんど音のない清涼な空間に床が軋む小さな音が響く。 その静けさにまだ誰も起きていないようだったから、俺は慎重に足音をなるべく立てないように階段を降りた。 その足で向かうのは台所だ。その理由はもちろん、朝飯を作るために。「……さて、まずは米を炊くか」 やり方は凛寧と復習して、もうバッチリだ。 まずは鍋に水を入れて、沸騰させるべくコンロに設置。それを待っている間に、ボウルに米と水を入れて研ぎ始めた。研ぎ終わったら、昨日と同じように湯で浸水させる。 沸かしていた鍋がシュワシュワと音を立て始め、俺は一度その火を止めた。鍋に蓋をして湯が冷めないようにしてから、勝手口から外へ出た。 外に出てすぐのところに、簡素な家庭菜園が広がっていた。これが凛寧の畑か。植えてあるのはきゅうりと小松菜、それ以外にも若葉がいくつか。 俺も施設にいた頃、育てたことがある。建物の裏に小さな畑があって、そこで毎日当番制で水遣りをするのだ。 俺は少し考えた後に、小松菜を数束だけ拝借した。凛寧も本当はもう少し大きくなるまで待ってから収穫したかっただろうが、そこは申し訳ない。また植える時は誠心誠意手伝おうと誓った。 
last updateLast Updated : 2026-08-10
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陸-②

「行ってきまーす」 からり、玄関がひとりでに開いた。あれから店主と凛寧が身支度するのを待って、俺は奇縁堂を後にした。「行ってきます」 昨日みたいに目の前で戸が閉められたら困る。だから俺はいっそ堂々とその決まり文句を口にして、玄関を通ることに成功した。「……んだよ」「べっつに〜?」 店主がなにやらニヤニヤとこちらを見てくるが、目の前でまた閉められる方が恥ずかしい。「店主、そういうの子供みたいだしやめなよ」「……見てるこっちが恥ずかしい」「何だよ、二人とも嬉しくないのかよ〜」「そりゃ嬉しいけど」 伊織の言葉に凛寧も頷いている。……何だこれ、共感性羞恥? いや違うか、公開処刑だ。 俺と店主は、俺の自宅のアパートへ。凛寧と伊織は、近所の商店街へ買い物へ。隠神も何やら依頼があるとか言って午後から出掛けるようだし、ムコは姿が見当たらなかった。「じゃあ、僕らはこっちだから。成海、またね」「……欲しがってた調味料、買っておく」「ああ、また」 去って行く二人に手を振って見送る。面倒ごとに巻き込まれるのはお断りだが、凛寧と伊織は別だ。この妙な関係を抜きにしても、自然とまた会いたいと思う。「よーし、じゃあ俺らも行くぞー」 ……こっちの謎の男は、まだそうは思えない。というか今すぐその和服を現代服に着替えてきてほしい。 伊織と凛寧はパッと見、髪や目の色に目を瞑れば普通の若者に見える。だが店主は明らかにコスプレだ。いや、実際似合ってはいるし、これ以上ないほど着こなしてはいるのだが。 その背には商品が入っているのだろう、大きな縦長の木箱を背負っている。かの有名な二宮金次郎の銅像みたいだ。だが俺の懸念に反して、意外と人目は集めていない。すれ違う人たちも特にこちらに関心を寄せる人はいないようだった。「何か怪しい術でも使ってんの?」「いんや、単純に見えてないだけだと思うぜ」「は? じゃあ俺ひとりで話してるだけじゃねーか。話しかけんなよ」「理不尽!」 危ない危ない。俺が変質者になるところだった。というか、やっぱりこいつは人間じゃないのか、と納得できてよかった。 見知った道まで出てくれば、あとは迷うことなく戻れる。この二日間があまりにも濃すぎて、何だかこの道も久しぶりに通るような気持ちだ。 しばらく歩くと、住んでいるアパートが見えてきた。アパートの入
last updateLast Updated : 2026-08-10
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漆、蛇の道は蛇

 炊飯器が無機質な電子音を鳴らした。蓋を開けると、ふわっと米の良い匂いと共に舞い上がった水蒸気が、顔にほのかな水滴を残した。 何を言うでもなく、濡らしたしゃもじで軽くかき混ぜて、フライパンに意識を戻すべく再び蓋を閉じた。 炊飯器の良いところは途中で炊き具合を確認しなくて良いことだ。でも、便利である一方で楽しみがない。 土鍋を使うまではわからなかった感覚に、俺は成長を実感すると同時に物足りなさを感じた。「………」 朝六時三〇分、ただいま絶賛、弁当を作成中だ。 本日の弁当メニューは、卵焼きとアスパラガスのベーコン炒め。そこに昨日の夕飯の残りのもやし炒めと豚の生姜焼きを追加。そして仕上げにプチトマトを添える。 おにぎりを四つ作ったところで、何で俺が米まで準備しないといけないんだと気付いた。明日から、それくらいは自分で用意してもらおう。 その片手間で自分の朝ごはんを作る。何となく、おにぎりを作った。「……いただきます」 静かな朝飯だった。テレビを点けると、いつものニュース番組が始まっていた。合間に挟まる天気予報によると、午後から夕方にかけて雨が降るそうだ。バイトの時間には止んでいたら嬉しいが、望み薄だろうなと思った。 食べ終えたら食器を洗って、歯を磨く。制服に着替えて準備を終えたら、学校へ行く。 今日も一日、何でもない日が始まる。「行ってらっしゃい、小鳥遊君」「……っす。行ってきます」 一昨日の店主を連れていた件で、顔を合わせるのが微妙に気まずい。そう思っているのは俺だけなのか、片寄さんはいつもの穏やかな笑みを浮かべて手を振っている。 もし奇縁堂に引っ越しをしてこのアパートを出るとしたら、この道はきっと通ることはなくなる。そうなると、片寄さんに会う機会はどのくらい減るのだろう。 それは少し、寂しい気がした。 商店街に続く通りを曲がらずに真っ直ぐに進むと、小さな郵便局のある交差点に出る。信号のないそこには、電柱の陰から右手のない男の子が覗いている。 そこを渡って少し歩くと、川沿いの道へと続く。川の中には、流れを無視してうつ伏せに浮かんでいる人の姿が視える。遊歩道には入らず、そのまま堤防沿いの細い道路を歩くと、住宅街へ。いつも俺を後ろから追い抜かすように足早に歩くサラリーマンは、一定の距離を歩くと急に引き返して戻って行く。 小さな駄菓子
last updateLast Updated : 2026-08-16
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漆-②

 昼休憩に突入するなり、晴己は「弁当」とだけ呟くと、俺を連れてものすごい勢いで屋上へと移動した。 四限目なんかもう、ずっと前の席から腹の虫が鳴り止まなくて、こっちは笑いを抑えるのに苦労させられた。「うっま……」 そして今、目の前で噛み締めるように卵焼きを味わっている。恍惚と言っても差し支えのない顔かもしれない。かなりだらしがない。「そうかよ。雪子さんに謝れ」「母さんの飯は家で食うから良いんだよ。てか、話したら母さんも羨ましがってた」「何でだよ……」 雪子さん、とは晴己の言う通り、こいつの母親だ。いつも優しい笑みの絶えない、少しのんびりとした雰囲気の人で、俺も何度も世話になっているから頭が上がらない。「そっちの弁当はどうするんだよ」 俺が指差したのは、雪子さん作の大きい弁当だ。「これは部活前に食う。いつも購買のパンだからな。それが弁当にアップグレード、最高」 どんだけ食うんだよ、この食欲大魔神め。それだけ食って全く太らないあたり、本当に全て消費されているんだろうけど。「母さんも成海に会いたがってた。またうちに来いよ。あんな変な連中ばっかつるんでないで」「そのうちな。バイトで忙しいんだよ」 実際、今日だって放課後はバイトだ。ちなみにバイト先は商店街のスーパーの裏方と、夕刊配達を週五で掛け持ちしている。大変と言えば大変だが、夕刊配達は給料が良いし、スーパーの裏方はたまに廃棄食材が貰えるから助かっている。「弁当作ってやるのは、まあ良いんだけどさ。食費とか色々払えよ、お前」「でもそれ、俺のバイト代だし。店主に貰えよ」「……確かに」 言われてみればそうだ。何で俺がこいつの食費まで負担しなきゃならねーんだ。伊織に服を返さなきゃならないし、今度会ったらまとめて請求しよう。じゃないと厳しい、マジで。「ごちそーさまでした! サンキュー、ホントに美味かった」「お粗末さん。そりゃ何よりだよ」 米粒ひとつ、食べかすひとつ残っていない弁当箱を見て、俺も悪態を吐く毒気を抜かれた。 奇縁堂の人々といい、こいつといい、気持ちよく食べる奴らが多すぎる。だから嫌いになれないし、突き放せない。そう思う俺も、大概甘い。まあ目下の悩みはいつだって生活費と、どうやったら普通の暮らしが送れるかどうか、それだけの話だ。「そろそろ戻ろうぜ。雨降りそうだし」「だな。五限
last updateLast Updated : 2026-08-16
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漆-③

 臨時下校が行われてから、およそ六時間後、俺は桐ヶ谷神社の鳥居の前に居た。 理由は至極単純で、奇縁堂に行こうとトークアプリで晴己から誘いがあったからだ。ついでに伊織に返す服を持って、俺はひと足先に神社の前で待っていた。「悪い、待たせた」 鳥居の奥の長い階段を、安定した足音が一段飛ばしで駆け降りてくる。ガサガサと紙袋が揺れる音が目立って、そんなに揺らして大丈夫なのかと訝しむ。 半袖Tシャツに学校の長ジャージという出立ちで現れた晴己は、雨が降る日暮れ後の寒暖差など物ともしないらしい。 短い袖から伸びる筋肉質な腕が別に羨ましいとは思わないが、俺ももう少し筋トレをした方が良いだろうか。自分の日に焼けていない細い腕を揉んでいるのを見られて、お前じゃ無理だよと断言してきたのが無性に腹が立つ。隣に立った晴己の横腹を少し強めに殴ったが、なんかもう板みたいだった。「奇縁堂って行ったことないんだよな。どこ?」「知らねー。いつの間にか着いてる」「はあ、何だそれ? あー、でも爺ちゃんが似たようなこと言ってたような……。ま、いいか」 何か勝手に納得している。ならまあ、いいか。「親に学校からメールが来てたらしい。けど詳しいことはよく分からないって」「俺にも来たぞ。明日、保護者説明会だって」 俺は保護者が居ないから、こういう案内は直接俺に来る。ただ一応施設の職員にも送ったようで、ここへ来る直前に竜にいから心配する電話が来ていた。『成海、ええから何かあったらすぐに顔見せにきいや。皆も会いたがっとるし、ツツジも綺麗に咲いとるし、な?』 心配の色を隠しもしない、優しい声音。それが有難いと思う一方で、俺はまだまだ誰かに迷惑をかける未熟な存在だと思い知らされる。「飛び降りたのは三年C組の畑本愛理って女子らしい。直前の授業でも、特におかしな様子はなかったってクラスメイトの証言有りだ」「三年生か……学年が違うと調べにくいな……」「その辺は生徒会で探ってみる。会長のクラスメイトらしいから」 生徒会長といえば、黒く長い髪が特徴的な、いかにも優等生ですと言わんばかりの姿が思い浮かぶ。受験の準備やら何やらで大変だろうに、こんな事件に巻き込まれて御愁傷様だ。「……お前、あれが事故だと思うか?」 晴己に尋ねる。「思わない。あれは絶対『アイツ』の仕業だ」 思ったよりはっきりと否
last updateLast Updated : 2026-08-16
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漆-④

「ごちそうさまでした」 明日は何を作ろう。まさか日中に臨時休校になっている校舎へは行かないだろうから、昼間は凛寧にだし汁の作り置きでも教えようか。 時計を見ると、夜八時を指していた。 隣の凛寧も食べ終わり手を合わせたのを見て、俺は空いた食器をお盆に乗せて台所へと向かった。働かざるもの食うべからず。皿洗いはやらせてもらおう。 歩く度に、カチャカチャと食器が音を立てる。基本的に高そうな陶器の食器を使っているようだが、伊織のものだけプラスチック製なのは、あの怪力で割ってしまうからだろうか。 台所の電気を点けると、黒い小動物みたいな影が、飛び上がってシンクや冷蔵庫の下に姿を隠した。普通に町中でも見かけるそれが何なのかは知らないが、それにこちらが気付いているフリをしなければ、向こうから何かしてくることもない。「っし、始めるか」 シンクに水を少し溜めて、そこに使い終わった食器を投入していった。さっと水で濯いだあとは、あのヘチマのスポンジの出番だ。「これ、店主に言えばくれんのかな」 洗剤がなくても大体の汚れが落ちるというのは有り難いもので、慣れてしまえば百均そこらのスポンジよりずっと優秀だ。 俺は皿洗いが嫌いじゃない。汚れたものが綺麗になるのは、何だか嬉しくて気分が良い。 先に食べ終わった俺や凛寧の分を洗い終わり、シンクを掃除しながら追加が来るのを待っていると、姿を現したのはなんと隠神だった。 数人分の食器をお盆に乗せて、台所に降り立った隠神は、流れるように俺の隣に並んで立った。 ……今日の皿洗い担当、アンタかよ。「何、俺じゃ不服?」「いや別に……」 隠神はつんとした顔で俺の方を見ずに聞く。 人に不服か、と尋ねるのなら少なくとも多少の不機嫌さは隠すべきだろ。何でこいつはこんなに俺に突っかかるんだ。また泣くぞ、クソが。いや泣かないけど。「俺は人間が嫌いなんだ」 俺の心を読んだ故なのか、唐突に、謎のカミングアウトをかましてきた。……てことは、俺自身がどうこうってわけじゃないのか。「……何で人間が嫌いなんだ?」「人間は卑怯だからね。本能で存在するアヤカシとは違って、しっかり熟慮した上で残虐非道なことをすることができる。気色悪いったらありゃしない」 ああ、なるほど。そういう意味か。途端に脳内に溢れる様々な記憶に、俺自身が呆れてしまうくらいだ。
last updateLast Updated : 2026-08-16
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捌、類は友を呼ぶ

翌日、夕方になるまで、俺は奇縁堂で過ごした。断腸の思いでスーパーの品出しのバイトを休む連絡を入れると、店長はどうやら学校で起きた事故を知っていたようで、俺が気を病んだと思い込んだのかあっさりと休ませてくれた。 そして今、夕焼けに赤く染まる校舎の前に立っている。「……静かだな」 隣に潜む晴己が囁くように呟いた。 俺たちは今、校舎の裏手にあるゴミ捨て場の辺りにいる。ここから校舎に入るドアの鍵が壊れたまま放置されていることを知っているからだ。「あとは見張りがいるかどうかだな」「……格好付けてんのは分かるんだけどさ、それ何?」「ん、護身用?」 何でお前が疑問形なんだ。俺の視線の先にあるのは、晴己のナップサックから飛び出ているプラスチックのおもちゃの刀の持ち手部分だ。晴己はドヤ顔でそれを引き抜くと、俺の前で軽くブンブンと振った。「俺と言えば刀だろ。剣道の竹刀持ってくるわけにもいかないし」「どこでそんなの買ったんだよ」「京都」 まあ、そうだろうな。俺は会話を続けるのも馬鹿らしくなって溜息を吐いた。 するとその時、かさりと草が揺れる音がして、近くの茂みから一匹の黒猫が現れた。「隠神」 俺はその名前を呼ぶ。黒猫は綺麗な毛並みを瞬く間に人の姿へと変えた。「中に人はほとんどいなかったよ。いても二、三人程度だけど、もう帰るってさ」 俺と晴己は同時にほっとした。 臨時休校だったとしても、教師たちは休みにはならない。まして、あんな事故があった後なら尚更。だから懸念点は巡回している教師だったわけなんだが、どうやらクリアできそうだった。「入る前に依頼の内容の確認をするよ。まず最初に、学校に紛れ込んだ厄介物と、君たちが探そうとしている『黒い霧』が同一存在かを確かめる」 俺は頷いた。そうだ、まずはそこからだ。「次に、それがこの場で『祓える』存在なのかどうかを見定める」「……なんか引っかかる言い方だな?」「そもそも幽霊騒ぎじゃない可能性があるってことと、仮にそうだったとして、祓うことで何か弊害がある場合があるって意味か?」「そういうことだ。……晴己、もしかして頭良い?」「まあ、それなりに」 晴己は無表情でピースをした。褒められて喜んでいるのかいないのか分からないリアクションが腹立つ。「学年三位だよ、コイツ」「えっ、めちゃくちゃ頭良いじゃん。やる
last updateLast Updated : 2026-08-30
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捌-②

「……お願いします!」「よしきた!」「おい、成海……!」「仕方がないだろ。隠神とは逸れちまったんだし」 晴己はそれきり黙って、俺の前から渋々といった様子で退いた。花子さんはその様子を見て、苦笑いを浮かべた。「……さ、じゃああたしの目を見て?」 恐る恐る言われたままに赤い目を見つめ返す。 その目が閉じた、次の瞬間。「ッぅ……⁉︎」「成海!」 突然、胸を掻きむしるようにして尻餅をついた俺に、晴己が駆け寄る。 ——寒い。冷たい。まるで心臓を鷲掴みにされたような。俺は尻餅をついたまま、花子さんを見上げた。「……キミ、これ、なに?」 花子さんは無表情で俺を見下ろしていた。前に突き出した右手が、何かを持っているような動きに変わった。しかしその手の中は見えない。「あ、そういうこと……なるほどね。……うーん、それなら……はいっ、これでオーケーよ!」 ふと、心臓を掴まれたような冷えた感覚が無くなった。寒気も感じなくなって、総毛だった鳥肌が徐々に落ち着いていく。「ごめん、ちょっと普通と違ってたから手こずっちゃった! 痛くしないって言ったのに……平気?」「び、ビビった……! 殺されるかと思った……!」「こ、殺さないわよ! キミもその刀構えるのやめて! 多分すっごく痛いからそれ!」 花子さんは悲鳴を上げて、何故か俺の背後に隠れた。やめてくれ、頼むから。俺はバクバクと五月蝿い心臓を落ち着けようと深呼吸をした。「成海、本当に大丈夫なのか? 後遺症的なものとか、呪いとかそういうのは?」「いや……わからない」「失礼ね。あたしはそんな三流じゃないわ」「でも何かさっき手こずってませんでした?」「あれはキミの中身がおかしかっただけ!」「俺の中身が⁉︎」 まさかの衝撃のカミングアウトだ。お、俺の中身がおかしいってどういう意味だよ。そういえばさっきも「これなに?」って言われたような。「び、病院行った方が良いですか?」「そういうのじゃないわ。なんて言うか……魂の形が、もう誰かに弄られたあとみたい」「い、いじ……⁉︎」「あ、諦めるな成海!」 駄目だもう、死ぬ。俺はここまでだ。全てを諦めたような顔をした俺を、晴己が激しく揺さぶる。吐きそう。 今日は一体何なんだろう。かの有名なトイレの花子さんに取り憑かれて、中身がおかしいとまで言われて。この依頼が終
last updateLast Updated : 2026-08-30
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