All Chapters of 記憶を捨てた私は元婚約者の親友に溺愛される: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

瑠奈の一つ一つの言葉は、凌真の胸にこびりついて離れない悪夢となった。その声は一言ごとに魂を打ち、骨の髄までえぐられるような、果てしない苦しみを彼にもたらした。凌真は梨花の棺の前に崩れ落ち、両膝に顔を埋め、子どものように泣きじゃくった。こうして、梨花のために用意された世紀の結婚式は、世紀の葬儀へと変わった。「氷室様、お悔やみ申し上げます」「氷室様、ご愁傷様です」「氷室様、どうかお力を落とさずに」人気のない墓地では、弔問に訪れた人々の多くが一通りの儀礼を終えると、早々に立ち去った。最後に墓前に残ったのは、凌真と親しい仲間たちだけだった。全員が仕立てのいい黒いスーツに身を包み、黒い傘を差して、顔には深い哀悼の色を浮かべていた。友人たちは、すっかり変わり果てた凌真の姿に胸を痛め、ただ沈痛な面持ちで彼を見守るしかなかった。誰もが羨むお似合いの二人で、あと一日で晴れて夫婦になれるはずだった。それなのに、まさか死という残酷な形で別れることになるとは。土砂降りの雨の中、凌真は梨花の墓石の前に重々しくひざまずいた。墓石に美しい字体で刻まれた名前が彼の目を刺した。凌真は震える手を伸ばしてその文字をそっと撫で、全身を乗り出すように墓石を抱きしめ、額を刻まれた名前にそっと押し当てた。「梨花、ごめん……」突然、朔空は凌真の襟首をつかみ、顔面に力いっぱい拳を叩き込んだ。怒りに震えながら言った。「一生愛し、守り抜くと誓ったじゃないか!どうしてこんなことになったんだ!」凌真の両目はうつろで生気がなく、親友に殴られて口元から血を流しても、ただ痛ましく笑うだけだった。朔空の胸の内に名状しがたい怒りが湧き上がり、続けざまにもう1発、凌真を殴り倒した。朔空は17歳のとき、初めて梨花に出会って以来、彼女に想いを寄せていた。10年間ひそかに彼女を守り続けてきたが、梨花の目に映るのは凌真だけだった。2人が結婚するという知らせを聞いた時、朔空はついに耐えきれず、適当な口実を作って海外へ逃れた。今回帰国したのも、梨花の母の遺品であるあの数珠を、彼女のために落札してやりたかったからだ。オークションでのあの騒動を目にし、2人の間に危機が訪れているのかもしれないと察して残ることを選んだが、まさか梨花の死を知らされることになろうとは思いもしなか
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第12話

凌真はよろめきながら床から立ち上がり、すがるように目の前の体を強く抱きしめた。「梨花……梨花なのか?やっと、俺に会いに来てくれたんだな……俺がどれだけ……どれだけお前に会いたかったか、分かっているのか?」突然抱き寄せられた瑠奈は、あまりの力の強さに全身をこわばらせ、背筋に薄ら寒い恐怖を覚えた。彼女が小さく抗議の声を上げても、男の耳には届いていなかった。彼はただ狂ったように、死んだ女への後悔の言葉を紡ぎ続けていた。耳元で何度も「梨花」と狂おしく呼ばれるたび、瑠奈の瞳の奥で黒い憎悪がどろどろと渦を巻いた。彼が本当に愛しているのは、私のはずでしょう?なのに、どうしてあの女の名前ばかり呼ぶのよ!あんな女、とっくに死んで骨になったのに!どうしていつまでも執着するの?お腹にはあなたの子どもがいるのに……いったいいつになれば、私の凌真に戻ってくれるのよ!子どものことを思い出した瑠奈は、目に浮かんだ憎しみを隠し、猫撫で声を出した。「おじさま、私よ。瑠奈よ」その言葉は冷水を浴びせられたように凌真を幻想から現実へ引き戻した。彼は弾かれたように瑠奈を突き放し、目に浮かんでいた迷いが晴れ、嫌悪はやがてむき出しの憎悪へと変わった。次の瞬間、彼は瑠奈の首をつかんだ。その瞳は漆黒のように深く、すべてを呑み込む暗さを帯びていた。「瑠奈、お前は死にたいのか!」凌真は瑠奈を冷たい床へ力任せに叩きつけた。ドサッという鈍い音が響き、瑠奈は骨の砕ける音を聞いたような気がした。1歩ずつ近づいてくる男を見て、瑠奈は身をすくませ、無意識に腹部をかばった。「おじさま、私……」凌真は冷たい目で彼女を見下ろした。その眼差しには、かつての甘やかすような色はもう微塵もなかった。「失せろと言ったはずだ。梨花を死に追いやった張本人が、よくものこのこと俺の前に姿を現せたな。俺がこの手でお前の息の根を止めないとでも?」瑠奈は一瞬ぼうぜんとしたが、すぐに痛む体を支えて立ち上がった。目に恐怖を浮かべ、彼の前にすがりつくようにひざまずくと、その瞳にいっぱいの涙をためた。「お……おじさま、違うの、私だって、あんなことしたくなかったわ!あなたの子を身ごもった以上、私自身は一生日陰の女として生きていく覚悟はできていたのよ。でも……っ、私たちの子どもが世間から『
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第13話

凌真は瑠奈を冷たく見つめた。陰鬱な目つきは、彼女を切り刻もうとしているかのようだった。そのとき、再び大扉が押し開けられた。凌真の祖母・氷室友佳子(ひむろ ゆかこ)は、床にひざまずいていた瑠奈を引き起こすと、凌真の頬を力いっぱい平手打ちした。「あんた、気でも狂ったのかい?瑠奈はあんたの子を身ごもっているんだよ。もしこの子に何かあったら、どうするつもりだい?」友佳子がありったけの力で引っぱたいたため、凌真の頬はたちまち赤く腫れ上がり、ひりつくように痛んだ。凌真はしばらく呆然としていたが、ようやく我に返り、怒り狂った祖母を振り返った。「子どもだと?俺は梨花以外の女に、俺の子を産ませるつもりはない」それを聞いた友佳子はますます怒りを募らせたが、彼をこれ以上叱りつけることはできなかった。氷室家の莫大な財産を支えているのは、ほかならぬ凌真だったからだ。友佳子は顔をそむけ、執事に命じた。「この子を病院へ連れて行きなさい。腹の子は何としても守るんだよ」「待て!」瑠奈が連れて行かれようとしているのを見て、凌真はすぐに制止した。瑠奈との決着はまだついていない。逃がすわけにはいかなかった。凌真が瑠奈の手をつかもうとすると、友佳子が先に立ちはだかった。「何をぼさっとしているんだい!早く連れて行きな!」執事は仕方なく、急いで瑠奈を連れて立ち去った。凌真の尋常ではない顔を見た友佳子は、彼が瑠奈を見逃すつもりがないと悟った。そこで、きっぱりと言い渡した。「この件はこれで終わりだ。これ以上瑠奈に手を出したら、私は氷室家の先祖の位牌の前で首を吊ってやるよ」「だが、梨花を殺したのは瑠奈だ。どうして簡単に見逃せる!」友佳子は激昂し、容赦なくもう一度彼の頬を張り飛ばした。「梨花を殺しただなんて、馬鹿をお言い!あれはあの子の運命だったんだよ!それに、瑠奈はあんたが手塩にかけて育てた子じゃないか。今や氷室家の跡継ぎを身ごもってくれた大事な体なんだよ!無事に子が産まれたら、さっさと正式な妻として迎え入れなさい。氷室家の血を引く子を、世間に私生児だと後ろ指さされるわけにはいかないんだからね!」凌真は信じられないものを見るような目で友佳子を睨み、血が滲むほど拳を固く握りしめると、狂乱したように怒鳴り返した。「俺は認めない……絶対
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第14話

御景園(みかげえん)の2階にある個室に、朔空は革張りのソファに気だるげに深く腰を沈め、指の間にタバコを挟んでいた。疲労困憊の凌真がお茶を注ぎ終えるのを待って、朔空はようやくタバコを一口吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出した。白く立ち上る紫煙が、彼の端正な顔立ちを曖昧にぼやけさせる。「俺を呼び出したのは、氷室グループとの取引を再開してほしいからか?」朔空は鼻で笑うと、底冷えのするような声で言い放った。「氷室グループは今や風前の灯火だ。幼い頃からのよしみで、とどめを刺さずにいてやってるだけでもありがたく思え。これ以上、図に乗るな」そう言い捨てると、朔空はすっかり興味を失ったように立ち上がり、そのまま部屋を出て行こうとした。凌真は両拳を固く握りしめ、怒りと屈辱で顔を赤黒く染めながら表情を歪ませた。朔空が部屋を出る直前、凌真はついに堪えきれず吠えた。「お前がここまでやるのは、梨花のためなんだな……いつからだ?いつからあいつに、そんな汚い下心を抱いていた!?」怒り狂った獣のように、凌真は血走った陰鬱な目で朔空を睨みつけた。今にも飛びかかって、その喉笛に喰らいつきかねない勢いだった。梨花の名を出されたことで、朔空の冷酷な表情がようやく少し和らいだ。「お前に梨花は釣り合わない。まして、その名を口にする資格などない」そう言い捨てると、朔空は一片の迷いもなくドアを押し開けて出ていった。連番のナンバーをつけた黒いマイバッハに乗り込むと、朔空はネクタイを緩め、疲れたように眉間をもみほぐした。助手席の秘書は、最近の予定を読み上げていた。「明日の夜、白鳥グループの設立記念パーティーがあり、婚約者の白鳥柚乃(しらとり ゆずの)お嬢様もご出席になります」それを聞くと、朔空は眉間のしわをさらに深くし、苛立たしげに言った。「断れ」朔空の心には梨花しかいなかった。梨花が死んだ今、彼の心もまた彼女とともに死んだのだ。どうしてほかの女に会い、別の女を妻に迎えることなどできるだろう。秘書は、急に陰った主人の顔を見て、おずおずと言った。「ですが、お祖母様が必ず出席しろと厳命されていて……行かなければ医師を自宅へ向かわせて、体を診察させるそうです。お体が、その……」後半の言葉は口にできなかったが、朔空には秘書の言いたいことがすぐ
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第15話

午後6時、パーティーが正式に幕を開けた。朔空は祖母に急かされ、しぶしぶ会場に姿を現した。会場の入り口をくぐるなり、スタッフがうやうやしく抽選箱を差し出してきた。どうやら主催者側が用意した余興らしく、「当たり」を引いた者は、白鳥家の令嬢とファーストダンスを踊る栄誉が与えられるらしい。朔空はくだらないとばかりに鼻で笑うと、適当に一枚引き抜き、見もしないまま背後に控える助手へと投げ渡した。助手は慌ててそれを受け取ると、宝物のように恭しく内ポケットへしまった。何しろ、これは社長の生涯の伴侶を決めるかもしれない、一世一代の大チャンスなのだ。絶対に粗末に扱うわけにはいかない。立ち去り際、何かを思いついた助手はスタッフにもう1枚番号札を要求した。渡されたのは「8」という、縁起の良い数字だった。柚乃が会場に現れると、瞬く間に大勢の令嬢たちに囲まれた。誰もが口々に彼女を褒めそやし、機嫌を取ろうとした。白鳥家の当主がマイクを握ってようやく、会場のざわめきが静まった。短い挨拶を手短に済ませると、彼は待ちわびた出席者たちに向けて、もったいぶるように愛娘の「柚乃」を紹介した。ステージの下で、朔空は退屈そうに壇上へ視線を向けた。だが、次の瞬間、雷に打たれたような硬直へと変わった。桜井、梨花?幻などではない。今、ステージのスポットライトを浴びているあの女は、間違いなく「桜井梨花」だ。それなのに、なぜここにいる全員が、あいつのことを「白鳥柚乃」と呼んでいるんだ?朔空の漆黒の瞳は、壇上の彼女に釘付けになったまま一瞬たりとも離せなかった。目尻は赤く充血し、その胸の奥では、驚愕、歓喜、疑念、そして激しい混乱が荒れ狂う嵐のように渦巻いていた。彼は衝動のままステージに駆け上がり、今すぐ彼女を問い詰めようと足を踏み出したがすんでのところで助手に腕を掴まれた。助手は訳が分からないといった様子で、血相を変えて小声で言った。「しゃ、社長!何をなさるおつもりですか?白鳥様はまだご挨拶の真っ最中ですよ!」朔空は荒い息を吐き出しながら、壇上から目を逸らさずに低く唸った。「分かっている……だが、どうしても一つだけ、確かめなければならないことがあるんだ」それでも助手は彼を行かせなかった。これだけ多くの目が注がれる中で、社長が何か突拍子もない行動に出る
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第16話

曲が終わり、朔空が背を向けて立ち去ろうとしたその時、背後からふいに小さな悲鳴が聞こえた。かすかな声だったが、彼はすぐに振り返った。もしこの身の程知らずの女が、1度ダンスを踊ったくらいで自分にまとわりつこうとするなら、容赦するつもりはなかった。だが、彼が振り返って目にしたのは、ドレスがずり落ち、驚いて胸元を押さえる少女の姿だった。朔空は目を大きく見開き、すぐさま自分のスーツのジャケットを脱いで彼女の肩に掛けた。「歩けるか?」柚乃は頷いた。一瞬慌てたものの、すぐに落ち着きを取り戻し、彼のジャケットをしっかりと体に巻きつけた。そこからは、彼がまとう清冽な香りが漂ってきた。彼女は一言も発することなく朔空の後に続き、パーティー会場を後にした。地下駐車場。朔空が2本目のタバコを吸い終えた頃、ようやく柚乃が窓ガラスを2度軽く叩き、身なりを整え終えたことを知らせてきた。朔空はタバコを灰皿でもみ消し、車に乗り込んだ。「先に白鳥の家へ送ろうか?」彼が意見を求めると、柚乃は一瞬沈黙した後、淡々と答えた。「ええ」そして、付け加えるように言った。「ありがとう」朔空は唇の端をわずかに吊り上げた。この少女はひどく物静かで、そんな性格まで梨花にそっくりだ。車内は静まり返っていたが、不思議と気まずさはなく、朔空は理由もなく安らぎを感じていた。物静かで、聞き分けが良くて素直だ。このまま九条の家に妻として迎えるのも悪くないかもしれない。笑みがこぼれそうになった次の瞬間、朔空はハッと我に返った。まだ1度会っただけなのに、どうしてこんなことを考えているんだ?朔空は眉をひそめた。梨花が自分のもとを去ってから、まだどれほどの時間も経っていない。梨花を裏切るような真似はできない。そう自分を戒め、浮き立ちかけた心を再び深い底へと沈めた。白鳥家の本邸。柚乃は微笑みながら、黒いスリッパを彼のために差し出した。「どうぞ」清らかで無垢な少女の顔を見せられ、朔空は断る言葉を見つけられなかった。彼は靴を履き替え、リビングへと進んだ。柚乃は彼をソファーに座らせると、キッチンへ向かい、自家製の果実酒をグラスに注いで彼に手渡した。「私が漬けた果実酒です。お口に合うといいのですが」朔空は彼女の好意を無下にするわけにもいかず、グラ
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第17話

見慣れた姿が、彼女の一番好きだった白いワンピースを着て自分の目の前を揺らめいているのを見て、アルコールで麻痺していた彼の脳裏が一瞬クリアになった。彼はたまらず彼女を強く抱きしめ、温かい吐息が彼女の顔にかかった。柚乃はどうしてこんな状況になったのか分からず、心臓が激しく波打った。どうすべきか戸惑っていると、男は彼女を抱きしめたまま、愛おしげに別の女の名前を呼んだ。桜井梨花って、不慮の事故で映画界から姿を消した、あの国際的な大女優だ。私と彼女は、本当にそこまで似ているの?目の前の男に、これほど何度も間違えられるほどに。柚乃の瞳に一抹の嫌悪感が浮かんだ。彼には婚約者がいるのに、別の女に未練たらたらなのだ。おまけに、記憶が正しければ梨花の婚約者は氷室凌真であり、凌真は朔空の幼なじみで親友のはずだ。親友の女に横恋慕するなど、彼女にとっては何より軽蔑すべき行為だった。彼女が腕から抜け出そうとしたちょうどその時、時音が帰宅し、この光景を目の当たりにして、手にしていた高価な工芸品をガチャンと床に落として粉々に砕いた。「2人で何をしてるの?」柚乃はすぐさま朔空を突き飛ばし、彼にシワを寄せられた服をうつむき加減で整えた。朔空は目をそらして見ないようにし、柚乃が服を整え終えるのを待ってから、礼儀正しく謝罪した。リビングの空気が急激に冷え込んだ。後から入ってきた時音でさえそれを察知し、2人の間を不審げに視線を行き来させた。すでに夜も深まっていたため、朔空は席を立ち、帰る旨を告げた。時音はすぐさま愛想よく立ち上がった。「朔空さん、私がお見送りします」柚乃との初対面に比べれば、朔空は時音とはそれなりに見知った仲だった。だが、感情を隠そうともしないこの少女を、彼はいつも避けてきた。彼の心には梨花ただ1人しかおらず、まだ若い彼女のことは単なる妹分としてしか見ていなかった。だから、朔空は迷うことなく拒絶した。「いや、いい」最後に柚乃へと視線を向け、低く艶のある声で淡々と告げた。「おやすみ」白鳥家の門前には、1台の黒いマイバッハが静かに停まっていた。朔空は運転席に座り、半分下ろされた窓からは、彼の彫りの深い洗練された横顔が見えた。骨張った美しい手が窓枠に置かれ、指先にはタバコが挟まれている。男の薄い唇は固く結ばれ、
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第18話

柚乃はバランスを崩し、あわや階段から転げ落ちそうになった。幸いにも手すりを掴んだため、かろうじて難を逃れた。「白鳥柚乃、あんたどこまで恥知らずなのよ。パーティーの席でも男を誘惑するのを我慢できないなんて、そんなに男に飢えてるわけ?」時音は、一番大切なおもちゃを奪われた子どものように激昂し、手を振り上げて柚乃の頬を打とうとした。柚乃はその手首を空中で掴み、唇の端に面白がるような笑みを浮かべた。「妹がわざわざ用意してくれたドレスのおかげよ。お礼を言わなきゃ。でなきゃ、九条さんと2人きりになるチャンスなんてなかったもの」柚乃は鼻で笑い、その瞳にはありありと嘲りが浮かんでいた。時音は怒りで我を忘れた。彼女の計画では、柚乃をパーティーの席で大勢の面前でさらし者にするはずだった。女嫌いの朔空なら、あんな風に人前で肌を露出する女を絶対に嫌悪するに決まっている。それなのに、あの冷淡な朔空が、まさか自ら進んで彼女を庇うなんて思いもしなかった。柚乃も最初から彼女の企みを見抜いていて、男の態度の変化を察知した瞬間に、わざとドレスを滑り落としたのだ。時音は怒りで全身を震わせ、憎しみを込めて怒鳴りつけた。「朔空さんと幼なじみで一緒に育ってきたのは私よ!どうして、あんたみたいな女が来た途端に彼を奪おうとするの!?私から朔空さんを奪う人間は、誰だって殺してやるわ!」彼女は自分の悪意を少しも隠そうとしなかった。柚乃は彼女の手を乱暴に振り払い、冷笑した。「それだけ威勢がいいのに、どうしてこの10年間、彼はあんたに見向きもしなかったの?」柚乃は1歩ずつ時音に詰め寄り、圧倒的な威圧感を放った。「もしあんたに少しでも魅力があったら、お父様だって一族の政略結婚の重荷を私に押しつけたりしなかったはずよ。この18年間、彼の心を微塵も揺さぶれなかったなんて、あんたが無能だという何よりの証拠じゃない!」言い放つと、柚乃は興味を失ったように彼女を無視し、背を向けて自分の部屋へ戻っていった。取り残された時音は、その場に立ち尽し、柚乃に強く握られて赤く指の跡が残った自分の腕を、暗い目で見つめていた。雅美はパーティーから帰宅するなり、大喜びで柚乃の部屋に飛び込んできた。柚乃はシャワーを浴び、さっぱりとしたネグリジェに着替えていた。烏の濡れ羽色のような半乾き
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第19話

白鳥家のパーティーで息をのむほど美しい柚乃の姿が披露されて以来、北央市の年頃の男性を抱える名家は、こぞって柚乃の情報をかき集めていた。多くの名家の夫人たちが雅美に縁談をほのめかしてきた。北央の四大家族だけでも、橘家と桐生家の2つから雅美へアプローチがあった。慎重に吟味を重ねた結果、雅美は柚乃に、橘家と桐生家のどちらかを結婚相手の候補として選ぶよう提案した。柚乃は頷いて承諾した。翌日、柚乃は白鳥家が所有する乗馬クラブへ向かった。そこには富裕層の若者たちのほかに、橘家と桐生家の御曹司も姿を見せていた。洗練された乗馬服に身を包んだ柚乃が姿を現すと、瞬く間に全員の視線を釘付けにした。桐生蓮人(きりゅう れんと)は彼女と年齢が近く、端正な顔立ちをしており、自分から彼女に声をかけてきた。橘浩嗣(たちばな ひろつぐ)は彼女より数歳年上で、さらに整った顔立ちをしており、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。「君が乗馬を好むと聞いてね。ヨーロッパからウェルシュポニーを1頭取り寄せたんだ。今、引いてこさせよう」ポニーは乗馬を始めたばかりの子どもが乗る馬だ。柚乃は少し気まずく思いながらも、彼の厚意を無下にするわけにもいかなかった。浩嗣はその微妙な表情の変化にまったく気づかず、彼女が馬に乗るのを甲斐甲斐しく手伝った。馬にまたがると、彼女の視線は瞬時に周囲の人間より頭半分ほど低くなってしまった。柚乃は人目を引きたくなかったので、外周を2周ほど軽く流して終わりにしようと考えた。ところが、背後からアハルテケにまたがった時音が近づいてきて、彼女を見るなり容赦なく嘲笑した。「お姉様、馬術には自信があるって自慢してなかったかしら?それなのに、どうして子どもが乗るようなポニーなんかで遊んでいるの?」柚乃は少し気まずさを覚えつつも背筋を伸ばし、彼女を一瞥して淡々と言い返した。「私がどの馬に乗ろうと私の勝手でしょ。あんたには関係のないことよ」「あんた!」時音は悔しそうに歯ぎしりをした。橘家と桐生家という二人の御曹司が、まるで左右の騎士のように柚乃の脇に控えているのを見て、時音は嫉妬で顔を歪ませた。どうしてよ。柚乃なんて顔がいい以外に何があるっていうの?どうしてあの女ばかりこんなに運がいいのよ。これじゃあまるで、北央市の優秀な男たちが、みんなあ
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第20話

浩嗣と蓮人は、柚乃の馬が突然暴走したのを見ると、すぐに部下に追わせた。彼らが馬を引いてこさせた時、朔空は素早く馬に飛び乗り、ものすごい勢いで柚乃の方向へ向かって駆け出した。柚乃は馬上で必死に方向をコントロールしようとしていたが、どれだけ手綱を引いても、馬は興奮剤でも打たれたかのように狂乱状態に陥っていた。このまま走らせておけば、崖から転落して大惨事になる。パニックの中、かすかに自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、朔空の彫りの深い端正な顔が目の前に迫っていた。彼の声には焦りが滲んでいた。「柚乃、俺の手を掴め」柚乃はおそるおそる手綱から手を離し、片手を彼に伸ばした。何度か試みた後、朔空はようやく彼女の手をしっかりと握った。柚乃はタイミングを見計らって思い切り跳び移り、朔空は彼女をしっかりと受け止めた。朔空は馬を止め、柚乃を馬から下ろした。腕の中の温かく柔らかい体を抱きしめて初めて、朔空はようやく安堵の息をついた。あまりにも距離が近かったため、柚乃は男の心臓が早鐘のように高鳴っているのを聞き、顔を真っ赤にして耳の先まで染めた。「そんなに俺のことが気に入らないか?」彼の声には少しの苛立ちが混じっていた。柚乃はハッとし、先ほど自分が彼を賭けの対象にしたことを思い出した。彼女があれほどあっさりと承諾したのは、自分が負けるなど微塵も思っていなかったからだ。しかし朔空の目には、彼女が自分のことなど少しも気にかけていないように見えたのだ。柚乃が答えるより早く、男は怒りに任せて彼女の顎を強く掴んだ。その瞳は、底知れぬほど深く、暗く沈んでいた。「そんなに急いで俺との関わりを絶ちたがるなんて、いったいどいつに目移りしたんだ?」彼の手の力が強まり、柚乃は痛みにわずかに眉をひそめた。「同性愛者の界隈で遊び回っている橘のどら息子がお好みか?それとも、生きた人間の『標本』を鑑賞するのが趣味という、あの桐生にまで手を出す気か?命が惜しくないのか?」柚乃は大きく目を見開き、信じられないという顔で言った。「あなた……何てでたらめを!」「でたらめだと?ふん、男を選ぶ前にろくに身辺調査もしていない自分の愚かさを呪うんだな」先ほどまでが挑発されて逆上した男の詰問だったとするなら、今の言葉は赤裸々な冷笑と当てこすり以外の何
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