All Chapters of 形見を壊した手で、私の足元にすがるな: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

秘書が言葉を詰まらせているのに痺れを切らし、宗司は苛立ちを露わにした。「もったいぶらずにさっさと話せ!クビになりたいのか!」青ざめた秘書が、震える声で事実を告げる。「お、奥様のお父様は、1ヶ月も前に手術台の上でお亡くなりになっています!骨髄移植の前処置で免疫を極限まで下げた後、ドナーが現れないまま時間が経過し、重度の感染症を併発されて……!」秘書の報告は、まさに寝耳に水だった。頭の中が真っ白になる。「そんなはずがあるか!どうして義父さんが死ぬんだ!?国内最高の医療チームをつけて経過を診させていたはずだぞ!前処置の後だって、無菌室で適切に管理していれば持ちこたえられたはずだ!一体どういうことだ……お前まで亜麻美に買収されて、口裏を合わせているのか!?ふざけるな、そんな茶番に付き合っていられるか!」目を血走らせ、怒声を張り上げる。突きつけられた現実を、頑なに受け入れようとしなかった。受け入れたくなかった。もしすべてが真実なら、1ヶ月前、自分があの駐車場で怜奈を優先したせいで、義父を死に追いやったことになる。そう考えただけで、発狂しそうだった。秘書は必死に弁明を重ねた。「滅相もありません!私は社長の部下です、買収などされるはずがありません!お父様が亡くなられたのは紛れもない事実です、私が嘘をつく理由など……」宗司は言葉を失い、全身から血の気が引いていくのを感じた。長い沈黙の後、掠れた声で通話を切った。いつの間にか、ゴミ箱から離婚届の受理証明書を拾い上げていた。印字された自分の名前を見つめたまま、茫然と立ち尽くす。結婚した日の光景が、鮮明に蘇ってきた。愛する亜麻美を妻に迎えた瞬間こそ、人生で最も幸福な時間だった。家柄の差などどうでもよかった。ただ愛していて、生涯を共に歩みたかった。二人の関係が、こんな最悪の結末を迎えるなど夢にも思っていなかった。「離婚」の文字が、胸を痛烈に抉る。スマホに残された亜麻美の写真に指を滑らせ、宗司は声を詰まらせた。「すまない……本当に悪かった……義父さんの容態がそこまで切迫していたなんて知らなかったんだ。知っていたら、こんなに延期させたりしなかった……頼むから許してくれ……」何度も、何度も虚空に向かって謝罪を繰り返した。だが、あの日、亜
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第12話

夕理子は呆れ果てたように鼻で笑った。「追い出した覚えなんてないわ。あの子の方から離婚して消えたいと言い出したのよ。ここまで愚かな真似をしておいて、まだ許してもらえると思っているの?冗談はやめなさい」ファイルから東都の名家から集めた令嬢たちの身上書を取り出し、テーブルへ乱暴に投げ出す。「あの子にはもう、あなたへの情なんて欠片も残っていないわ。二人の間で何があったのかは知らないけれど、すべては終わったこと。梶浦グループには相応しい家柄の令嬢が産む優秀な跡継ぎが必要なのよ。この中から選びなさい。厳選した素晴らしい令嬢たちばかりよ」厚みのある束の中には、多種多様な令嬢の写真が並んでいた。中にはどこか亜麻美の面影を感じさせる顔立ちも混ざっている。一瞥しただけで激しい嫌悪感が込み上げた。宗司は紙の束を力任せに引き裂いた。「何度も言わせるな。他の女なんて要らないし、他の女に俺の子を産ませる気もない。俺が家庭を持つのは亜麻美とだけだ。無駄な真似はやめてくれ!あいつが俺を愛していないはずがない。自分から別れを切り出すなんてあり得ないんだ。亜麻美がどこにいるのか教えろ!」「ふっ……」あまりの盲目さに夕理子は失笑し、タブレット端末を宗司の前に突きつけた。画面に再生されたのは、あの日カフェで亜麻美と夕理子が交わした密談の録画映像だった。映像を見ながら、宗司は言葉を失った。唇を固く結び、奥歯を激しく噛みしめる。「分かったかしら?二人の結婚を容認してあげたし、別れさせようと口を挟むのもとっくに諦めていたの。あなたに愛想を尽かして、自ら身を引いたのはあの子の方よ」夕理子は動じる様子もなく軽く眉を上げると、あらかじめ用意してあった予備の資料を再び突き出した。「何度破り捨てても無駄よ。どうせ選ぶことになるんだから。あの子はもうあなたを愛していないし、妻としても失格。いい加減に現実を見なさい。名家のお嬢様とお見合いをして再婚に同意しない限り、居場所は教えないわ。よく考えなさい」宗司の瞳にどす黒い陰りが落ちた。長い沈黙の末、夕理子を射抜くように睨みつけ、一言一言を氷のように吐き捨てる。「母さん……政略結婚をして、今幸せか?とてもそうは見えないがな。自分の生活すら破綻しているくせに、よく俺に結婚を強要できるな。今の
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第13話

宗司の顔色が暗く沈み、鋭い瞳がすっと細められた。「母さん、後悔することになるぞ」言い捨てるなり、背を向けて立ち去った。当てもなく車を走らせ、仲睦まじく歩く街の人々の姿を目にするたび、胸の奥を抉られるような虚無感に襲われた。そのとき、ポケットの中のスマホが甲高く鳴り響いた。期待に胸を跳ねさせて車を路肩に寄せ、画面を覗き込む。だが次の瞬間、瞳に宿った光は無残に潰えた。表示されたのは亜麻美ではなく、怜奈の名だった。眉をひそめ、やり場のない苛立ちを押し殺しながら通話ボタンを押す。「……何だ」冷淡な声に怜奈は一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐに気を取り直し、甘えるような声を漏らした。「あの……お父様の具合はどうですか?私の骨髄はもう必要ないんですよね?前におっしゃっていた、秘書見習いにしてくださるお話はまだ有効ですか?ここ数日お会いできていなくて、寂しくて……」かつてなら「俺も会いたかった」と優しく囁いただろう。だが今の宗司には、そんな甘えに付き合う余裕など微塵もなかった。苛立ちまぎれに目頭を押さえ、声を荒らげないよう言葉を絞り出す。「義父さんの件は……もういい。気にするな。秘書の話も一旦保留だ。今は立て込んでいて相手をしている暇がない。おとなしく休んでいろ」通話を切ろうとした瞬間、怜奈が慌てて声を張り上げた。「私、何か悪いことしましたか?それとも、亜麻美さんが何か……?何かおねだりしたいわけじゃないんです。ただ……宗司さんのそばにいたいだけで」粘りつくような声音には、どこか計算高い色が滲んでいた。無意識に眉をひそめる。その言い回しに妙な違和感を覚えたからだ。だが深く追及する気力もなく、そっけなく告げた。「亜麻美はお前のことなんて何も言っていない。仕事が立て込んでいるだけだ。切るぞ」一方的に通話を切ると、アクセルを踏み込み、亜麻美の捜索態勢を整えるべく動き出した。通常の手配だけでは手がかりすら掴めない。築き上げてきた人脈を総動員し、A国で絶大な権力を持つ槇原家の当主へと連絡を入れた。「梶浦宗司だ。頼みがある。国外にいるはずの妻、亜麻美を探してほしい。詳細なデータは送った。梶浦グループと母方の辻野(つじの)家が手を回して情報が遮断されている。お前を頼るしかない」電話の向
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第14話

怪訝そうに眉をひそめながら、宗司はノートパソコンを受け取って画面に視線を落とした。「この件なら、事情はすべて把握して――」言い終えるより早く、目に飛び込んできた映像に息をのんだ。一体どういうことだ。オークション会場の非常階段で、いつもしおらしく怯えていた怜奈が、これまで見せたことのない冷酷な笑みを浮かべて亜麻美を突き落としていた。地下駐車場では、怜奈がしつこく亜麻美に詰め寄り、自ら車の前へと立ちふさがっていた。病室では、怜奈が嘲笑を浮かべながら、亜麻美の亡き父の形見であるブレスレットを窓の外へ投げ捨てていた。一つひとつ、そのすべてが、これまで宗司が信じ込まされていた「事実」とはまるで正反対だった。驚愕に目を瞠り、画面に流れる防犯カメラの映像を何度も見返す。「よくも……やってくれたな……っ!」奥歯を激しく噛み締め、怒声を漏らした。デスクに置かれた拳にギリギリと爪が食い込む。これまでずっと、怜奈を純真でか弱い被害者だと思い込み、何から何まで庇い立てしてきた。だが、こいつがしてきたことは何だ。こんな風に亜麻美を追い詰めさえしなければ、彼女は絶望して去るはずもなかった。こんな女のために、義父の最期を看取る機会を奪い、死に追いやる結果になってしまったことが、悔やんでも悔やみきれなかった。何度も深く息を吐き、激しく逆巻く怒りを無理やり押さえ込む。怒りに顔を歪ませたまま、怜奈へ電話をかけた。その声は氷のように冷え切っていた。「今すぐ北村探偵事務所に来い。大至急だ」電話口で怜奈は一瞬言葉を失い、怪訝そうに尋ねてきた。「そんな場所に行って、どうするんですか?」胸騒ぎを覚えたのか、直感的に渋るような声を出す。「秘書見習いとして早くお役に立てるよう勉強中なんです。そこは遠いですし、行かなくてもいいですか?」「いいから来い。すでに迎えの車を出した」弁明する隙を与えず、一方的に通話を切った。ほどなくして、ボディーガードが怜奈を引き連れて現れ、床へと乱暴に突き出した。「社長、お連れいたしました」怜奈は擦りむいた腕を押さえ、一瞬だけ不満そうに顔を歪めたが、すぐに弱々しくうつむいて被害者のような態度を取り繕った。「痛いです……どうして急にこんな乱暴なことをするんですか?」赤くなっ
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第15話

だが宗司には、もはや言い訳に付き合う気力すら残っていなかった。そのまま床へ容赦なく投げ捨てる。「亜麻美を何度も陥れて傷つけた分、今から一つひとつ償ってもらう」「やれ」冷徹に言い捨てると、静かに目を閉じた。ボディーガードが無表情で怜奈に近づき、荒々しく両手を押さえつけて動けないようにした。続いて容赦のない力が何度も加えられ、怜奈は床にのたうち回りながら喉の奥から叫び声を上げた。「きゃあああああっ!」喉が張り裂けんばかりの絶叫が響き、激痛と恐怖に冷や汗を流しながら怜奈は身悶えた。鋭い痛みが体じゅうを走り、汗と涙で顔を濡らす。それでも宗司は背を向けたまま、聞こえないかのように微動だにしなかった。激痛で意識が霞む中、怜奈は震える手で床をはい回り、宗司の足元へ必死にしがみついた。「私……私が悪かったです……!本当に反省してます、魔が差しただけなんです、お願いだから許してください……!謝りますから!亜麻美さんのお父様のために、いくらでも骨髄を提供します!もうやめて……っ」すがりつく声は次第にか細くなり、見るも無残な有様だった。かつての宗司なら、かすり傷ひとつ負っただけで血相を変え、こんな風に懇願されればすぐさま抱き起こして優しくなだめていただろう。だが今の宗司に、そんな情けは微塵もなかった。こいつさえいなければ、亜麻美が絶望して去ることもなかった。怜奈があまりにも多くの苦しみを与えたからだ。すべて、こいつが悪い――そうやって怜奈を痛めつけることで、己が犯した大罪から目を背け、罪悪感を少しでも薄めようとしていたに過ぎなかった。どれほど泣き叫ばれようと、耳を貸す気はない。無残に打ち据えられる姿を、ただ冷酷に放置する。これは亜麻美を傷つけた代償だ。こうでもしなければ、許してもらえるはずがないのだから。どれほどの時間が過ぎただろうか。虫の息になるまで打ちのめされた怜奈は、全身血まみれになって床に倒れ伏していた。宗司の冷え切った背中を見つめながら、怜奈の胸中からは一切の希望が消え失せた。もはや懇願する気力すら残っていなかった。ほんの数日前まで、自分を愛おしそうに抱きしめて甘やかしてくれたはずなのに。あと一歩で妻の座を奪い取れるはずだったのに。亜麻美さえいなければ、完全に
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第16話

今でも鮮明に覚えている。初めて亜麻美の実家へ挨拶に訪れたとき、緊張のあまり生きた心地がしなかったことを。だが謙太郎は怒鳴りつけることもなく、ただ静かに、何度も娘を大切にしてやってくれと諭すように言った。もし不幸にしたら、この命に代えても絶対に許さない、と。あの時、宗司は迷うことなく頷いた。生涯亜麻美だけを愛し続け、大切にし抜く自信があったからだ。両親の冷え切った仮面夫婦という前例があったからこそ、結婚に対しては誰よりも慎重だったはずだった。それなのに、当時の真心はどこへ消えてしまったのか。怜奈に向けた優しさは、本当にただのドナーに対する同情や配慮だったのか。――違う。後から見つかった別のドナーには、金銭や立場の面で十分すぎるほどの補償をしただけで、怜奈に対するような執着や甘やかしは微塵もなかった。かつての誓いを、自らの手で無残に破ってしまった。亜麻美が完全に消え去って初めて、身を切り裂かれるような後悔に襲われた。行かないでほしい。離婚なんて絶対に嫌だ。これからの人生に亜麻美がいない未来など耐えられない。怜奈に一瞬でも心を奪われた己の浅ましさを、死ぬほど呪った。だが今や、すべてが手遅れだった。バチンッ、と鈍い音が墓地に響いた。再び自分の頬を力任せに張り飛ばし、宗司は自責の言葉を絞り出す。「お義父さん、これは亜麻美への謝罪です……俺の愚かさのせいで、あいつを失ってしまった。申し訳ありませんでした。必ずお義父さんにも、亜麻美にも生涯をかけて罪を償います。だからどうか、一日も早くあいつを見つけ出させてください。亜麻美を傷つけた奴らを、俺は一人たりとも許さない……」途切れ途切れに謝罪を口にし続け、ひざまずいた足の感覚が麻痺するほど時間が経ってから、宗司はようやく立ち上がって墓前を後にした。*屋敷に戻り、睡眠薬を数錠呑み込んだ。だが、眠気など少しも訪れない。目は血走り、目の下には濃い隈が張りついている。身体は限界まで疲れ果てているのに、どうしても意識を手放すことができなかった。焦燥に駆られて屋敷中を探し回る。亜麻美の残していった思い出を、ひとつでも手元に残そうとして。たったひとつでよかった。だが、どこを探しても見つからない。屋敷から亜麻美に関わるすべて
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第17話

「認めない」宗司は冷酷に撥ねつけた。かつて怜奈に向けていた憐憫も気遣いも、亜麻美を陥れて傷つけていた真実を知った瞬間、完全に消え去っていた。必死に逃げ惑う怜奈を見下ろす瞳には、冷徹な光だけが宿っている。「始めろ。亜麻美と義父さんに作った借りを、すべて身体で返してもらう」その一言が合図だった。控えていた梶浦専属の医師や医療スタッフたちが、一斉に怜奈を取り押さえる。一般の目が届かない私設クリニックの奥、暴れ狂う身体を容赦なく押さえつけて麻酔を打ち、そのまま手術室へと引きずり込んでいった。こうして、強制的な骨髄採取が始まった。*手術室に怜奈の絶叫が響き渡る。骨髄を抜き取られる激痛は凄まじく、身悶えするしかなかった。処置が終わる頃には全身の力尽き、体がバラバラに砕け散るような激しい虚脱感に沈んでいた。だが宗司は視線すら向けることなく、ボディーガードを引き連れて立ち去ろうとする。クリニックに置き去りにし、見殺しにするつもりだった。背中越しに、冷淡な声だけを投げ捨てる。「本日を限りに、井坂怜奈への支援はすべて打ち切る。今後、こいつの身に何が起きようと、梶浦グループとは一切無関係だ」その宣告に、怜奈は完全に絶望した。ベッドに横たわったまま、涙をボロボロとこぼす。「消えた……全部なくなった。玉の輿も、贅沢も、あの人の愛も……何一つ残っていない……」虚ろな瞳で、うわごとのように呟き続けた。その時、病室のドアが乱暴に開いた。「宗司さん……!」思い直して戻ってきてくれたのだと、すがるように顔を上げる。だが現れたのは宗司ではなく、安っぽい服を着崩した中年夫婦だった。実の両親だった。二人は駆け寄るなり、怜奈の肩を力任せに揺さぶった。「梶浦のところへ送り出したとき、何て言った!?大金を送って贅沢させてやる、あの御曹司と結婚するって大口を叩いていたじゃないか!なのに何なんだこれは!?全部台無しじゃないか!実家にはお前の金をアテにしてる家族が大勢いるんだぞ!弟の大学の学費はどうするんだ!?どう責任を取るつもりだ!?」プライドなど粉々に踏みにじるように、至近距離から怒声を浴びせかけてくる。役立たず、穀つぶし――ありとあらゆる罵詈雑言が叩きつけられた。罵声を浴びながら、怜奈の心は急速
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第18話

井坂夫妻は支払いを拒んで逃げ出そうとしたが、警備員に阻まれた。請求額を全額支払わされてようやく解放されたときには、骨の髄まで後悔を噛みしめていた。*一方、海外へ逃亡した怜奈は金もスキルも経験もなく、まともな生活すらままならなかった。アルバイトを転々としながら、日銭を稼いで食いつなぐのがやっとだった。そんな憐れな末路を知ったところで、宗司は欠片ほどの興味も示さなかった。すべての罪を償わせた以上、怜奈など赤の他人に過ぎない。宗司の望みは、ただ亜麻美を見つけ出すことだけだった。捜索に奔走し、手配された見合いをことごとく拒絶し続ける息子に、夕理子はとうとう痺れを切らした。そして杉山天美(すぎやま あまみ)という女性を会社へ送り込み、専属秘書として宗司の傍に置こうとした。高いヒールを鳴らし、ボディラインを強調したタイトなワンピースに身を包んだ女性が、コーヒーカップを手に社長室のドアを開けた。デスクへ歩み寄り、甘ったるい声をかける。「社長、新しく配属されました天美です。『あまみ』とお呼びくださいね」「あまみ」という響きを耳にした瞬間、執務に没頭していた宗司の手が止まり、反射的に顔を上げた。だが、喉元まで出かかった名前は即座に呑み込まれた。「誰だお前は。何をしに来た。専属秘書など頼んでいない。送り込んできた奴のところへ今すぐ消えろ」表情を険しく歪め、天美が持っていたコーヒーカップを乱暴に払いのけた。熱いコーヒーが手にかかって赤く爛れようと、一瞥すらしない。すぐさま内線で警備を呼び出し、力ずくで追い出そうとする。警備員が踏み込んできた瞬間、天美は顔色を変えた。宗司がここまで容赦のない男だとは思っていなかった。慌てて取り繕うように声を張り上げる。「お母様に頼まれて来たんです!お母様も私を気に入ってくださって、お似合いだから仲良くしなさいって……お母様の言いつけに背くおつもりですか?」宗司が押し黙ったのを見て、聞き入れたと勘違いした天美は、調子に乗って言葉を重ねた。「一度結婚されていたことなんて気にしません。とても魅力的な方ですから。私たちが結ばれたら、前妻のことなんて綺麗さっぱり忘れて、私だけを愛してくだされば十分です」「夕理子さんも、早く結婚してほしいとおっしゃっていました。いかがですか
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第19話

夕理子は冷ややかな笑みを浮かべたまま沈黙を守った。A国へ渡った後も、息子がその平然とした態度を保っていられるか見ものだと思いながら。亜麻美が海外でどう過ごしているかを知っていたが、教える気など毛頭なかった。スマホを操作し、宗司の端末へ位置情報を転送する。「今、あの子はA国のH市北区にいるわ。詳しい場所は自分で探しなさい。もう見合いを強要したりしないから、あなたが後悔して泣きつき、見合いを懇願してくる日を楽しみに待っているわね」面白がるように息子の表情を観察しながら、冷然と言い放った。「A国」という言葉を聞いた瞬間、宗司の眉間に深い皺が寄った。「なぜA国なんだ?母さん、冗談だろ。送り先を間違えたんじゃないか?人を使って調べさせたが、亜麻美がA国にいるはずがない。そうでなきゃ、槇原が見つけられないわけがない!」夕理子は鼻で笑った。「間違えるはずがないでしょう。嘘だと思うなら、自分で行って確かめればいいわ」「それに……あの槇原照隆が、本気であなたのために人を探しているとでも思っていたの?」嘲笑を浮かべ、愕然とする宗司を見つめた。これ以上話すこともないとばかりに、夕理子はバッグを手に取って部屋を出ていった。残された宗司は、底知れぬ疑惑の渦へと沈み込んでいく。あり得ないはずの疑念が脳裏をよぎった。照隆は最初から自分を欺いていたのではないか。あの男が引き受けたのは、提示した利権のためではなく、亜麻美自身に目をつけたからなのではないか……薄気味悪い胸騒ぎに背筋が凍りつき、それ以上考えるのが恐ろしくなった。打ち消すように、必死で己に言い聞かせる。――そんなはずはない。あり得ない。亜麻美が愛しているのは俺だけだ。心変わりなんてするはずがない。それに槇原と亜麻美は面識すらないはずだ。接点なんてあるわけがない。単に盲点だっただけだ。槇原の奴、無能で見つけられなかったに違いない。*無理やり自分を納得させると、宗司は最短のフライトでA国H市へと飛んだ。だが、H市は世界有数の大都市であり、広大な北区だけでも膨大な人口を抱えている。手掛かりもなく人を探すなど、砂漠で針を探すようなものだった。土地勘のない宗司は焦燥に駆られ、照隆にメッセージを送った。居場所を割り出し、槇原家の力を借りて捜索さ
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第20話

少しの沈黙の後、亜麻美は静かに首を横に振った。「……会いたくない。姿も見たくないわ。顔を見るだけで辛い記憶ばかり蘇る……宗司があの子を甘やかしたせいで、お父さんが死んだんだもの。最初から適合ドナーが見つからずに亡くなったのなら、まだ諦めもついた。残された時間を、お父さんと穏やかに過ごせたはずよ。なのにあの人は、せっかくドナーを見つけておきながら、命の危機にあった一番大事な時に提供を拒否させて、見殺しにしたの。これだけは……絶対に許せない!」語るうちに声を詰まらせ、亜麻美の瞳が赤く潤んでいく。宗司の顔を思い浮かべるだけで、絶望の中で息を引き取った父の姿が鮮明に蘇る。すべてを捨ててこの街へ逃げてきた。復讐する力などないし、二度と関わりたくもない。それなのに、なぜ今さら追ってくるのか。どうしても、会いたくなかった。亜麻美の拒絶の意志を感じ取り、照隆は静かに頷いた。億劫そうにスマホを操作し、一言だけ返信する。【今はA国を離れている。部下たちも別件で手一杯で、人を探す余裕はない。約束はいずれ果たすが、今は無理だ】メッセージを送るや、相手の反応など待たずに電源を切り、スマホをベッドへ放り投げた。そして亜麻美を強く抱き寄せ、そのぬくもりを確かめるように抱きしめる。「心配しなくていい。会いたくないなら、絶対に会わせないよ。もし復讐したくなったら、いつでも力を貸す。だから過去の辛いことばかり考えるのは、もうやめよう」「うん……」照隆の胸から伝わる規則正しい心音を聞きながら、乱れた呼吸を次第に整えていった。だが、ずっと胸に引っかかっていた疑問が唇をついて出た。「どうして……そこまで優しくしてくれるの?」A国へ渡った当初、言葉も通じず土地勘もない場所で、手切れ金はあっても将来への不安は拭えなかった。どこへ行っても異邦人で、他人の家に居候しているような居心地の悪さ。どれほど馴染もうと努力しても、いつも疎外感がつきまとっていた。そんなある日、隣室に住んでいた老人が退去し、入れ替わりに照隆が越してきた。そこから、生活は一変した。照隆はハーフで、目を奪われるほど端正な顔立ちをしていながら、驚くほど気さくだった。手料理をお裾分けしてくれたり、生活のちょっとしたトラブルを解決してくれたり、就職面接
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