Masuk東都でその名を知らぬ者はいない。 梶浦グループの御曹司、梶浦宗司(かじうら しゅうじ)が愛するのは18歳の若い女だけだ、と。 どの子も朝露をまとった蕾のように瑞々しく、宗司の傍らで一季節だけ咲き誇り、やがて散っていく。 高級ホテルのアルバイトで給仕をしていた米田亜麻美(よねだ あまみ)と出会うまでは。 当時、彼女もまた18歳だった。 綺麗に洗濯されてはいるものの、どこかサイズの合わないぶかぶかの制服を着た亜麻美から、宗司は目を離せなくなった。 「あの御曹司もついに狂ったか」――のちに誰もがそう噂した。 宗司は亜麻美を丸2年追いかけ回した。 花を贈り、バッグを贈り、果ては家までプレゼントした。 彼女のために煙草すらやめ、何より信じられないことに、亜麻美を妻として迎えた。 以来、他の女には一切目をくれなくなった。 結婚5年目、亜麻美の父・米田謙太郎(よねだ けんたろう)に白血病が見つかった。 宗司は二つ返事で動くと、多額の資金を投じて適合ドナーを探し回った。 そうして見つけ出したのが、貧しい女子学生の井坂怜奈(いさか れいな)だった。 義父のために適合検査に応じ、骨髄提供を承諾してくれた礼として、宗司は彼女に多額の資金援助を行った。 だが、手術当日。 怜奈は姿を消した。 手術台の上に横たわる謙太郎の生命反応が、刻一刻と弱まっていく。 亜麻美は取り乱しながらスマホを握りしめ、実に52回も発信を重ねて、ようやく怜奈に電話をつなげた。 「もしもし……亜麻美さん?」 電話口から届いた怜奈の声は、どこか怯えているようだった。 「どこにいるの?」 亜麻美は叫ぶように問いかけた。 「手術はもう2時間も遅れてるの!父さんが……!」 「ごめんなさい……」 小さくすすり泣く声が漏れる。 「私、どうしても怖くて……行けそうにありません……」 亜麻美がさらに言葉を重ねようとした、そのときだった。 電話の奥から、聞き覚えのある低い男の声がかすかに聞こえてきた。 「よしよし、泣くな。痛いのが怖いなら、無理して提供しなくていい」 宗司の声だった。 雷に打たれたような衝撃が亜麻美を襲い、握りしめていたスマホが床に音を立てて落ちた。
Lihat lebih banyak案の定、少し離れた場所に宗司の車が停まっていた。泣きながら駆け出してきた亜麻美を見るや否や、宗司は強引に腕を掴んで車内へ引きずり込んだ。「あいつが何かしたのか!?言え、今すぐ叩きのめしてやる!だから言ったんだ、あんな男はお前にふさわしくないって!」激しい怒りを露わにして叫ぶ。亜麻美は両手で顔を覆い、低くすすり泣いた。「でも……今の私は、照隆しか愛せないの。ごめんなさい。あなたを愛することは二度とないし、今すぐ照隆を諦めることもできないわ」その言葉に宗司は絶句し、胸の奥の怒りをいっそう激しく燃え上がらせた。「ふざけるな!俺が別の女に少し気を取られたことすら許さなかったくせに、あいつの浮気は許せるっていうのか!?たった数ヶ月であいつにそこまで惚れ込んだのか!?なら、お前と過ごした5年間は一体何だったんだよ!」怒りに目を血走らせ、激しく奥歯を噛み締める。亜麻美は自嘲の笑みを浮かべた。「あなただって、何年も一緒にいたのにあの子が現れた途端に変わってしまったじゃない。私だって同じよ。頑張って照隆を忘れるわ。でも、今すぐには無理」絶望したように目を閉じ、口を閉ざした。長い沈黙の後、深く息を吐き出す。「最後にもう一度だけ照隆に会って、すべてを清算したいの。お願い、ついてきて」宗司は疑う余裕もなく、湧き上がる歓喜に目を眩ませて力強く頷いた。案内された先は、市内屈指の高級ホテルだった。怪訝に思って口を開きかけた瞬間、背後から夕理子の部下たちに取り押さえられ、あっという間にロープで縛り上げられた。「母さん、一体何の真似だ!?亜麻美を連れて帰るんだ、早く解け!」夕理子は息子の怒声を一蹴し、亜麻美へ目配せを送った。亜麻美は先ほどまでの悲痛な表情を一変させ、迷うことなく踵を返した。一度も振り返ることはない。遠ざかる背中を見送るうち、宗司の脳裏にもようやく事態の真相が浮かび上がってきた。目を真っ赤にし、絶望の涙が頬を伝って零れ落ちる。「ハッ……はは……」宗司は乾いた笑いを漏らした。「みんなで俺をハメていたのか。あいつが戻ってきてくれるなんて、全部ただの思い上がりだったんだ……」夕理子は冷ややかにため息をついた。「仕方ないでしょう。あなたが不甲斐ないせいで取り戻せなかったのだから、
一部始終を目撃していた亜麻美が、誤解するはずもなかった。静かに頷き、路上に倒れ込む女性の顔を凝視して眉をひそめる。確かに自分と面影は似ているものの、明らかに不自然な美容整形の痕跡があり、表情の作り方にもぎこちなさが滲んでいた。だが、深く詮索することなく淡々と言った。「あの動きを見る限り、ぶつかってはいないわね。ただの当たり屋よ。人を呼んで病院へ運んでもらいましょう」照隆は短く頷くと、誤解の余地を生まないよう、すぐさま処理のための電話をかけた。しかし、女性はなおもしつこく照隆にしがみついてくる。「車で轢いておいて見捨てる気!?ちゃんと責任取ってよ!行かないで……私だって隣の女に負けてないわ。あんな女捨てて、私を選びなさいよ!」身勝手にまとわりつく女。だが、この女は知らなかった。照隆という男が、決して温厚な人間ではないということを。柔和な顔を見せるのは、亜麻美の前だけなのだ。骨肉の争いが絶えない槇原家を力ずくで掌握し、頂点に君臨する現当主が、生半可な男であるはずがなかった。照隆の表情から一瞬で温もりが消え失せ、瞳に暗い影が落ちた。女の首元を乱暴に掴み上げると、路上へ激しく叩きつける。「病院へ運ぶ必要ないんだな。誰に雇われて俺を誘惑しに来た?当たり屋の真似事か」いつもの柔らかな眼差しは跡形もなく消え去り、氷のような眼差しで女の手の甲を踏みつけた。靴底にじわじわと体重をかけていく。「ぎゃあああっ!」激痛に悲鳴を上げ、女は錯乱して必死に哀願した。「離して!もうしません、二度としませんから……っ!誰に頼まれたかも知らないんです、匿名の口座からまとまったお金が振り込まれただけで……!」言葉に嘘はないと察し、照隆は足を退けた。と同時に、隣で亜麻美が見ていることを思い出す。冷酷な本性を見せてしまったのではないかと、恐る恐る視線を向けた。亜麻美はすべてを察したように、ふっと微笑んでみせた。「心配しないで。無差別に暴力を振るったわけじゃないことくらい、ちゃんと分かっているわ」胸を撫で下ろす照隆だったが、このタイミングで刺客を送り込んでくる黒幕など、考えるまでもなかった。二人は視線を交わし、思い浮かべた同一の男の名に行き着く。宗司だ。亜麻美は心底うんざりしたように眉を寄せた。「こ
「じゃあ……お風呂はどうする?」照隆はわざと語尾を伸ばし、からかうように囁いた。亜麻美は微かに唇を噛み、一瞬ためらったものの、小さな声で応じた。「それも……呼んでくれていいわ。いまさら見慣れた身体だし」少し離れた場所にいた宗司の耳に、そのやり取りが残酷なほど鮮明に届いた。胸を刺し穿つような激痛がみぞおちから広がり、一瞬で全身を駆け巡る。必死で舌を噛み締め、口内に広がる鉄の味と鋭い痛みで、かろうじて正気を保った。二人は……もうそこまで進んでいるのか。「どうして……たった数ヶ月で、そんなにあっさり別の男を受け入れられるんだ。俺ですら、怜奈と最後の一線は越えなかったというのに。俺を罰したいなら、どんなやり方だってよかったはずだ。なぜ、よりによってこんな真似をするんだ……」掠れた声から、底知れぬ悲痛が漏れ出る。だが亜麻美は振り返ることもなく、照隆と共に車へ乗り込み、そのまま走り去っていった。遠ざかるテールランプを虚ろに見つめながら、宗司は胸を切り刻まれるような苦痛に苛まれていた。足が地面に縫い付けられたように動かず、全身の感覚が麻痺するまで立ち尽くした後、ようやく重い足を引きずって歩き出した。その背中はあまりに惨めで、まるで魂の抜け殻のようだった。そこへ追い打ちをかけるように、スマホが鳴り響いた。画面に表示された夕理子から、嘲笑交じりの声が響く。「どう?あの子が別の男と睦まじくしている姿は見られたかしら」宗司の沈黙から察しがついたのか、電話の向こうで夕理子の笑い声がいっそう高くなった。「あの子はもうあなたを吹っ切ったのよ。あなたじゃなきゃ駄目なんてこと、端からなかったの。今さら何に執着しているの?戻ってきてくれるなんて本気で思っているのかしら。そもそもあの子を取り戻す資格なんて、あなたにあると思う?傷つけるような真似をしたのは、すべてあなた自身よ。誰かに強要されたわけでもないでしょう。そろそろ現実を見なさい。これ以上見苦しくつきまとっても、惨めになるだけよ。良家のお嬢様を何人か見繕っておいたから、帰国したら会いなさい」言い終えると、夕理子は返答すら待たずに一方的に通話を切った。要件さえ伝えれば十分だった。どうせ遅かれ早かれ、打ちのめされて帰国するに決まっているのだから。宗司は重苦
宗司は目を血走らせ、亜麻美をじっと見つめた。「いいだろう。これが望みなら抵抗はしない。好きに殴ればいい。俺からの罪滅ぼしだと思ってくれ」静かに目を閉じ、ボディーガードたちが手を下すのを待った。亜麻美は宗司の胸元を強く掴み上げると、冷ややかな声を叩きつけた。「勘違いしないで。私が痛めつけたいから殴らせるのよ。勝手に罪滅ぼしなんて自己満足にすり替えないで。不愉快だわ」言い捨てるなり手を離し、床へ乱暴に突き飛ばした。宗司に抵抗する気など微塵もなかった。短く「ああ」とだけ呟くと、降り注ぐ拳と蹴りをなされるがまま受け入れた。「くっ……!」あまりの痛みに身体を丸め、低く呻き声を漏らす。それでも強がりを貫き、決して身を守ろうとはしなかった。雨あられと降り注ぐ容赦のない打撃が、絶え間なく叩きつけられる。どれほどの時間が過ぎただろうか。激しい暴力がようやく終わりを告げた。亜麻美は冷淡な眼差しで見下ろすと、静かに言い放った。「これであなたが私に負わせた傷の分は清算よ。あなたが甘やかさなければ、あの子だってあんな真似はできなかった。次に私の前に現れたら、この程度じゃ済まさないわ。もうあなたを愛していないの。追いかけてきたって無駄よ」言い終えるなり、迷うことなく照隆と連れ立って踵を返した。去り際、照隆が振り返り、宗司へ嘲笑を投げかけてくる。そして声を出さず、口の動きだけで告げてみせた。(お・ま・え・の・ま・け・だ)それだけに留まらず、宗司の目の前で見せつけるように亜麻美の額へ口づけを落とした。見せかけの演技ではないと証明するかのように。「ゴホッ……!」怒りと屈辱が胸に逆巻き、宗司の口から生温かい血が噴き出した。そのまま激しく咳き込み、肺腑を吐き出さんばかりに身体を震わせる。「カハッ、ぐっ……」目に涙が滲み、凄まじい激痛と絶望が全身を駆け巡った。なぜ槇原なんだ。あいつのどこが俺より優れているというのか。理解できなかった。ほんの少しの掛け違いだった。最初から義父を死なせるつもりなんてなかった。こんな最悪の結末になるなんて、誰が想像できただろうか。宗司は痛みに顔を歪め、苦い悔恨を噛み締めた。どれほど床に倒れていただろうか。必死に身体を起こすと、足を引きずりながら