All Chapters of お腹の子を奪った夫を捨てて、人生を取り戻した: Chapter 1 - Chapter 10

20 Chapters

第1話

澪花が反応するより早く、どこか見覚えのある女性が診察室から出てきた。その女性は親しげに晴臣の腕に絡みついた。目には涙が浮かんでいる。「陽向が無事でよかった。もしものことがあったらって、怖くてたまらなかった」そこでようやく、その女性が上司・篠宮香澄(しのみや かすみ)だと気づいた。香澄は1年前に帰国し、澪花の勤める会社へ入社した。二人はすぐに打ち解け、何でも話せる友人になった。陽向は、香澄の5歳になる息子だ。初めて会った頃、香澄は、陽向の父親とはちょっとした誤解で別れたと話していた。それから間もなく、香澄は嬉しそうに澪花を食事へ誘い、元夫とよりを戻して再婚したと報告した。それ以降、香澄は家族3人で過ごした楽しい出来事や、夫との幸せな時間をよく話すようになった。だから妊娠が分かったとき、晴臣との間に子どもができたら、今よりもっと幸せになれると思った。以前、澪花は「今度は旦那さんも連れてきてよ」と冗談を言ったことがある。香澄は笑い、いつか必ず会えると答えた。まさか今日、本当に会うことになるとは思わなかった。香澄が話していた夫は、澪花が自分の夫だと信じていた晴臣だった。次の瞬間、兄・水瀬智紀(みなせ ともき)と、何人かの友人まで姿を現した。「陽向はどうなんだ?」「大丈夫よ」香澄は一度言葉を切り、声を詰まらせた。「でも先生に、病気の進行が早いって言われたの」友人の一人が口を開いた。「澪花が羊水検査を受ければ、陽向は助かるかもしれない。父親が同じきょうだいなら、型が合う可能性も高いって先生が言ってた」別の友人がちっと舌を鳴らした。「澪花はまだ何も知らないんだろ。知ったら、絶対に同意しない」香澄の目から、たちまち涙があふれた。「じゃあ、陽向がこのまま死んでもいいっていうの?まだ5歳なのよ!」そばにいる智紀が眉をひそめ、低い声で言う。「澪花だって、事情を話せば理解する。それに、陽向のこともかわいがってる。きっと協力してくれる」頭の中が、一瞬で真っ白になった。背筋が凍りついた。腹をかばうように手を当て、後ずさる。まさか、この人たちは、お腹の子を陽向の骨髄ドナーにするつもりなのか。看護師が出てきて、香澄に声をかけた。「陽向くんが目を覚ましました。会いたいって泣いていますよ」
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第2話

澪花は振り返り、静かに答えた。「お腹の子」晴臣の顔からさっと血の気が引いた。一歩近づき、澪花の手をつかむ。「どういうことだ?」胸の奥が鈍く痛んだ。澪花は冷たく笑った。「私がこの子を中絶せずに産んだら、晴臣の大切な息子のドナーにするつもりだったの?」その場にいた全員が、驚いた顔で澪花を見た。晴臣の目に動揺が走った。「全部、聞いたのか?」「聞いた」「澪花、誤解だ」晴臣は焦ったように言葉を重ねる。「ただ、陽向を救いたかっただけだ。俺は陽向に償わなきゃならないことがあるんだ。陽向を救えるかもしれないのは、俺たちの子だけなんだ。もし型が合えば、骨髄移植が終わったあと、香澄たちとは縁を切る」澪花は鼻で笑い、その言葉を遮った。「だからって、どうして私の子で埋め合わせるの?」晴臣は言葉に詰まり、喉仏が大きく動いた。「でも、陽向の命がかかってるんだ!」陽向の命は大切で、澪花のお腹の子の命はどうでもいいのか。もし型が合っても、生まれたばかりの赤ん坊が、骨髄を採られるのに耐えられるはずがない。晴臣の手を振り払い、立ち去ろうとした。だが足に力が入らず、後ろへよろめいた。そばにいた智紀がすぐに支え、困ったように言った。「澪花ちゃん、本当に陽向が死んでもいいのか?」周りの友人たちも、次々と口を挟んだ。「そうだよ、澪花。晴臣が愛してるのは澪花だけだって、みんな知ってる。澪花のためなら、何だってするだろ」「香澄と再婚したのだって、陽向を救うためだけだ」友人たちの言葉を聞いているうちに、胸の奥が痛み、息ができなくなった。晴臣は確かに、澪花を愛していた。澪花がバラ好きだと知ると、バラ園まで買い取った。季節外れの果物が食べたいと言えば、翌日には空輸で取り寄せた。澪花が望むものなら、晴臣は何でも用意してくれた。晴臣の過去なら受け入れられる。だが、嘘は許せない。まして、ほかの女と結婚している男とは、一緒にいられない。なら、澪花が晴臣から離れればいい。あの人たちの生活には、もう関わらない。全身を震わせながら、頬の内側を強く噛み、どうにか冷静さを保った。「私たちはもう終わり。今から、この子は晴臣と何の関係もない!」そのまま立ち去ろうとしたが、晴臣に抱きすくめられた。声がかすれている
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第3話

晴臣が言い終えると、ボディーガードたちはすぐに澪花の両脇を抱え、処置台へ連れていった。体を押さえつけられた。どれだけ泣き叫んでも、晴臣も智紀も止めようとはしなかった。看護師が服をまくり上げ、冷たい消毒液を腹に塗った。長い針が腹に刺さり、そのまま子宮へ入っていく。鈍い痛みが全身へ広がり、思わず息をのんだ。澪花は抵抗するのをやめた。処置台に横たわったまま、声もなく涙を流す。どれほど時間が過ぎたのか分からない。とうとう耐えきれず、視界が暗くなって意識を失った。次に目を開けると、病室のベッドに寝かされていた。看護師が晴臣に注意事項を説明している。「久世さん、検査の結果、型は適合しました。ただ、奥様は今、かなり体力が落ちています。しばらく無理をさせず、しっかり休ませてあげてください」澪花はどうにか上半身を起こし、冷たい声で告げた。「違います。私はこの人と結婚していません」晴臣は小さく息をついた。澪花を抱き寄せ、額にそっと口づけた。「澪花、もう少し待ってくれ。陽向の骨髄移植が無事に終わったら、香澄とはきっぱり離婚する。そのあと、澪花と正式に結婚して、盛大な式を挙げよう」澪花は黙って聞いていた。その目に期待は残っていない。「そのために、私たちの子の命と引き換えに、陽向を救うつもりなの?」晴臣は一瞬黙ったあと、言い切った。「そんなことにはならない。腕のいい医師たちをそろえてある。俺たちの子は絶対に大丈夫だ」澪花は力なく笑い、それ以上は何も言わなかった。翌日、晴臣は澪花を家へ連れ帰り、ずっとそばを離れようとしなかった。澪花なら、本当に家を出ていく。晴臣はそれを分かっている。玄関を入った途端、澪花は足を止めた。リビングでは、香澄が陽向とおもちゃで遊んでいる。まるで自分の家のようにくつろいでいる。「どうして二人がここにいるの?」澪花の声を聞くと、香澄はすぐに立ち上がった。「澪花、邪魔するつもりはなかったの。陽向の手術が終わったら、私たちはもうここには来ないわ。それまでの間だけ、晴臣と3人で過ごして、家族の温かさを感じさせてあげたいの」澪花は隣にいる晴臣へ目を向けた。晴臣は不機嫌そうに眉を寄せている。澪花がわがままを言っているとでも思っているようだ。「ただ、陽向の最後の願いをかなえて
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第4話

香澄の叫び声を聞き、晴臣が部屋から出てきた。息苦しそうな陽向を見た途端、顔色を変えた。香澄は取り乱し、床に倒れた陽向を抱き上げた。澪花に向かって声を張り上げた。「澪花、陽向がヘーゼルナッツアレルギーだって知ってるのに、ヘーゼルナッツ入りのケーキを食べさせたのね。型が合ったから、陽向を殺そうとしたんでしょう?」その言葉に、晴臣の表情が険しくなった。怒りに満ちた目を澪花へ向け、冷たい声で言った。「どれだけわがままを言っても、5歳の子を傷つけるなんて許されない!」澪花は全身をこわばらせ、必死に首を横に振った。「違う。私もヘーゼルナッツアレルギーなの。家にヘーゼルナッツ入りのケーキを置くはずがない。それで陽向を傷つけるなんて、絶対にしない」澪花はわがままなところがあっても、子どもを傷つけるようなことは絶対にしない。そう言いながら救急箱へ駆け寄り、アレルギーの薬を探した。薬を見つけると、急いで陽向のそばへ戻った。飲ませようと手を伸ばす。陽向に触れた瞬間、香澄が突然悲鳴を上げた。「陽向に触らないで!また傷つけるつもりなの?」香澄は澪花を突き飛ばした。澪花はバランスを崩し、そのまま後ろへ倒れた。晴臣は陽向を抱き上げ、玄関へ向かいながら叫んだ。「車を出せ!すぐ病院へ向かう!」澪花は腰と腹をローテーブルに強く打ちつけた。鋭い痛みに、思わず悲鳴を上げた。玄関まで来ていた晴臣の足が止まった。振り返ると、顔から血の気が引いた澪花が床に倒れていた。晴臣の目に動揺が走った。反射的に戻ろうとしたが、香澄が涙を浮かべて袖をつかんだ。しゃくり上げながら訴えた。「晴臣、早く陽向を病院へ連れていって。もう息ができなくなりそうなの!」晴臣は我に返り、足早に家を出た。そばにいたボディーガードへ命じた。「澪花も病院へ連れてこい」澪花はボディーガードに車へ乗せられ、病院で検査を受けた。大事には至らなかった。陽向も救急処置を受け、意識を取り戻した。顔から血の気が引いている。晴臣が病室へ入ってくると、陽向は大声で泣き出した。「パパ、澪花お姉ちゃんに無理やり食べさせられたの!僕なんか早く死ねばいいって言われた。澪花お姉ちゃんの部屋を取ったせいだって。でもパパは、僕のこと大好きだよね?」晴臣のこめかみに青筋が
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第5話

その言葉を聞いた瞬間、澪花はその場に立ち尽くした。信じられない。晴臣を見つめたまま、動けない。モモは澪花の愛猫で、晴臣と二人でわが子のようにかわいがってきた存在だ。3年前、澪花は母・水瀬美佐子(みなせ みさこ)が交通事故で亡くなるところを目の当たりにした。その出来事をきっかけに、心的外傷後ストレス障害と診断された。そんな澪花のために、晴臣が贈ってくれたのが1匹の子猫だった。モモは、絶望しかなかった日々を乗り越えるまで、ずっと澪花に寄り添ってくれた。いつしか、かけがえのない心の支えになっていた。まさか晴臣が、モモを使って無理やり謝らせようとするとは思わなかった。全身の震えが止まらない。胸の奥が引き裂かれるように痛み、息が詰まった。香澄は陽向を抱きしめ、すすり泣いた。「晴臣、もういい。澪花が謝りたくないなら、無理に謝らせなくてもいいの。澪花は、陽向がどうなってもかまわないみたいだし」その言葉を聞いた晴臣は、怒りをあらわにした。玄関に控えていたボディーガードへ、冷たく命じる。「モモをここから連れ出せ」「やめて!」澪花は一瞬で取り乱した。晴臣へ駆け寄り、その腕をつかむ。「謝る。晴臣、お願い。モモを連れていかないで」香澄と陽向へ目を向け、口の中に血の味が広がるほど唇を強く噛みしめた。震える声で謝る。「ごめんなさい。私が悪かった。陽向を傷つけてしまって、本当にごめんなさい」ようやく澪花が折れると、晴臣の表情が緩んだ。ボディーガードへ言った。「モモは動物病院に預けろ」「謝ったのに、どうしてモモを連れていくの?」晴臣は澪花をなだめるように答えた。「心配するな。きちんと世話をしてもらえる。陽向の手術が終わったら、俺たちで迎えに行こう」澪花は力が抜けたように壁へもたれた。もう、期待する気持ちは残っていなかった。黙って背を向け、家を出た。スマホの画面が光った。友人からのメッセージだ。【必要な手続きは全部済んだ。2日後に迎えに行く】頬に残る涙を拭った。あと2日。そうすれば、モモを連れて、ここを出ていける。翌日、澪花は会社へ向かった。退職届を出し、私物を片づけるためだ。ところがオフィスへ入ると、自分の荷物が床一面に散らばっていた。同僚たちの悪意に満ちた声が、次々と耳へ飛び込んでくる
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第6話

澪花は何も答えず、そのまま2階へ上がった。翌日、眠っていた澪花は、突然ベッドから引き起こされた。目を開けると、険しい顔をした晴臣が腕を強くつかんでいる。晴臣は怒鳴った。「陽向をどこへ連れていった?」状況をのみ込めないまま、目の前にスマホの画面を突きつけられた。動画の中では、香澄が床にひざまずき、大粒の涙をぽろぽろこぼしている。「会社の人たちに話したのは私じゃない。澪花が不倫してるなんて言ってないし、動画を撮ってネットに載せるよう頼んだこともない。私が憎いなら、私を責めればいい。お願いだから、陽向だけは傷つけないで。プライベートな動画も、自分からネットに上げた。これで気が済んだなら、陽向を返して。お願い……」晴臣は怒りに顔をゆがめ、歯を食いしばって怒鳴った。「澪花、一体何がしたいんだ?会社の同僚に少し何か言われたくらいで、香澄にこんな動画まで公開させて、陽向を隠したのか。よくそんなひどいことができるな!」腕をつかむ手に力がこもり、痛みが走った。澪花は抵抗しながら、必死に首を横に振る。「違う。何を言ってるのか分からない」ドアが開き、入ってきた智紀が焦った声で尋ねた。「どうだ?陽向は見つかったか?」晴臣は首を横に振った。智紀は失望と怒りをにじませ、澪花を見た。「澪花ちゃん、いつからこんなことをするようになったんだ。どうして、ここまでひどいことができるんだ。子どもを死なせようとするなんて!」そこへ香澄がドアを押し開けて入ってきた。澪花の足元にひざまずき、今にも倒れそうなほど泣いている。「澪花、言われたとおり、動画はもうネットに上げた。お願いだから、陽向がどこにいるのか教えて。あの子は今、少しの無理もできないの!」晴臣は香澄を抱き寄せ、優しい声でなだめた。「心配するな。俺がいる。陽向はきっと無事だ。澪花、言え。陽向はどこだ?」澪花はかすれた声で答えた。「知らない」「まだ言わないつもりか」晴臣はとうとうしびれを切らし、ドアの外にいるボディーガードを呼びつけた。すぐに、ボディーガードがスマホを手にして入ってきた。画面の中で、モモがケージに閉じ込められ、怯えきって震えている。別のボディーガードが、注射器を手にモモへ近づいている。晴臣は澪花を冷たく見据え、ゆっくりと言った。
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第7話

全員がすぐに病院へ向かった。澪花は全身から力が抜け、その場で肩を上下させながら荒い息を吐いている。残った力を振り絞って立ち上がった。よろめきながら家を飛び出し、無我夢中で動物病院へ向かった。病院では、先生がため息をついて首を横に振った。「陽向くんの状態は急速に悪化しています。今は胎児細胞を予定より早く採取して、病気の進行を一時的に抑えるしかありません」晴臣は一瞬、ためらった。「ほかに方法はないんですか?」香澄の目が赤くなった。晴臣の手をつかむ。「私たちの子を見殺しにするつもりなの?」晴臣はベッドに横たわる陽向を見つめ、一度、目を閉じた。やがてうなずいた。「分かった」澪花が動物病院の前まで来たとき、突然数人のボディーガードが現れた。無理やり車へ押し込まれ、陽向のいる病院へ連れていかれた。手術室へ押し込まれる直前、外から智紀と晴臣の声が聞こえた。「晴臣、本当に澪花ちゃんとお腹の子は無事なんだな?」「大丈夫だ。俺は誰よりも澪花とお腹の子を愛してる。絶対に二人を危険な目に遭わせない」手術台に縛りつけられた。激しい痛みが全身へ広がり、腹の中を押し潰されるようだった。耐えきれず、意識を失った。どれほど時間が過ぎたのか分からない。目を覚ますと、腹の中から何かがなくなったような感覚だけが残っていた。看護師たちの話し声が耳に入る。「一度にあれだけ胎児細胞を採取したんだから、流産は避けられなかったのね」澪花は虚ろな目をしたままベッドを降り、ふらつく足で病室を出た。今の澪花には、もうモモしかいない。モモを連れて、今度こそここを離れる。タクシーで動物病院へ向かった。道路の向こう側に、ケージの中で丸くなっているモモが見えた。澪花の姿に気づくと、モモはすぐに立ち上がり、澪花のもとへ走り出した。「モモ、止まって!」澪花は目を見開き、声を振り絞った。次の瞬間、激しい衝突音が響いた。走ってきた車にはねられ、モモの小さな体が宙を舞った。数回けいれんしたあと、動かなくなった。モモの体から流れ出た血が、路面を赤く染めた。激しい耳鳴りがして、周りの音が遠のいた。母の事故の光景が、一瞬でよみがえった。全身を激しく震わせ、澪花は我を忘れて駆け寄った。血だまりの中にひざまずき、震える腕でモモを抱き上げた。そのま
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第8話

病院の特別個室に、手術を終えた陽向が運ばれてきた。晴臣は真っ先に先生へ駆け寄り、焦った声で尋ねた。「どうでしたか?手術はうまくいったんですか?」先生は晴臣の肩を軽くたたき、うなずいた。「手術は無事に終わりました。陽向くんの状態も、まもなく安定するでしょう。今後は定期的に検査を受け、薬を続ければ問題ありません」その言葉を聞き、晴臣はようやく肩の力を抜いた。もし澪花があんなことをしたせいで、陽向の病状がさらに悪化していたら、陽向には一生かけても償いきれなかっただろう。幸い、陽向は無事で、手術も成功した。あと数か月もすれば元気になる。そうなれば、香澄たちとは完全に縁を切れる。二人に渡してある金だけで、この先の生活には困らない。そのあとは澪花とずっと一緒にいられる。もう誰にも邪魔はさせない。先生の話を聞いた香澄は目を真っ赤にし、声を詰まらせながら晴臣の胸に飛び込んだ。「よかった、晴臣。本当によかった。陽向が無事で……怖くてたまらなかった。このまま陽向を失うんじゃないかと思ったの」香澄は晴臣の胸に顔を埋め、息もできないほど泣きじゃくった。晴臣はすぐに体をこわばらせた。肩をたたいて慰めようとしたが、その手は動かなかった。少しためらったあと、香澄を引き離した。「陽向が無事なら、それでいい」晴臣に引き離され、香澄は泣くことも忘れた。晴臣は香澄をじっと見つめ、冷え切った声で告げた。「澪花の様子を見てくる。手術を受けたばかりだし、目を覚まして俺がいなかったら、きっと不安になる」そう言うと、晴臣は急いで澪花の顔を見ようと、病室へ向かいかけた。澪花はとても痛みに弱い。以前は手にほんの小さな傷ができただけでも、泣きながら晴臣に甘え、慰めてもらい、傷口に息まで吹きかけてもらっていた。今回は胎児細胞を採取されたうえ、あれほど長い針まで刺された。きっと怖くて泣いている。だから、一刻も早くそばへ行かなければならない。背後で香澄の表情がこわばったことに、晴臣は気づかなかった。香澄は慌てて晴臣の手首をつかみ、目に涙をためて訴えた。「晴臣、澪花にはきっと智紀さんがついてる。でも、晴臣がいなくなったら、目を覚ました陽向は泣いてしまう。今日は怖い思いをしたうえに、手術まで受けたのよ。パパがそばにいなかったら、きっと泣いて騒
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第9話

30分後、陽向が目を覚ました。晴臣の姿を見つけると、すぐに両手を広げて泣き出した。「パパ!」晴臣はベッドへ駆け寄り、陽向を腕の中へ抱き寄せた。「もう大丈夫だ、陽向」陽向は唇を尖らせ、涙を次々とこぼした。「澪花お姉ちゃんが、僕を捨てようとしたの。僕が死んだら、パパは澪花お姉ちゃんだけのものになるって。パパは僕のこと、もう大事じゃないし、好きでもないって。本当なの?」晴臣は眉を寄せた。口を開いたものの、何を言えばいいのか分からなかった。「違う。澪花お姉ちゃんも、わざとやったわけじゃない」陽向の背中を優しくたたきながら、晴臣は眉間にしわを寄せた。自分たちは、澪花を甘やかしすぎた。どれほど腹を立て、皆を嫌っていても、陽向はまだ5歳で、しかも病気を抱えている。そんな子に八つ当たりするなんて許されない。陽向をなだめたあと、晴臣は病室を出た。スマホを取り出し、澪花から返信が来ていないか確かめた。だが、画面を開いても、澪花からは何の返事もない。理由もなく不安が押し寄せ、スマホを握る手に力がこもった。そばにいた香澄が近づき、晴臣の腕に絡みついた。「澪花はまだ拗ねてるだけよ。しばらくそっとしておきましょう。今はまだ怒ってるし、会いに行けば、私と陽向をもっと嫌いになるわ」晴臣は眉を寄せ、苛立たしげにネクタイを緩めた。「悪いのは澪花だろ!」香澄の目に、一瞬だけ得意げな色が浮かんだ。だが、すぐに弱々しい表情を作った。「晴臣、陽向が家に帰りたいって泣いてるの。病院にいるのが怖いみたい。でも、澪花は私たちが家へ戻るのを嫌がるでしょう?」晴臣は黙り込んだ。ふと、誰も住んでいない家がもう1軒あることを思い出した。澪花に贈った家だった。いつか晴臣が澪花を怒らせたら、そこへ移って暮らせばいい。以前、そう話したことがある。今は澪花も入院している。香澄と陽向が数日住むくらいなら、問題はないはずだ。「空いている家がある。しばらく、陽向とそこで暮らせばいい。かかりつけの先生にも、すぐ来てもらえる」香澄は遠慮がちにうなずいた。「分かった」晴臣が背を向けた途端、香澄の顔から弱々しさが消えた。口元に勝ち誇った笑みを浮かべた。翌日、晴臣は陽向の退院手続きを済ませ、その家へ連れていった。智紀やほかの親しい友人た
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第10話

重くなった空気を和らげようと、そばにいた友人が慌てて口を開いた。「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。澪花は昔から意地っ張りだろ。まだ二人に腹を立てて、黙って退院して家に帰っただけだよ」ほかの友人たちも、次々と口を挟んだ。「そうだよ。澪花はいつもこうだろ?明日、好きなものをいろいろ買って持っていけば、すぐ機嫌も直るよ」晴臣と智紀も、澪花が怒ると電話に出なくなることを思い出した。今までにも何度もあったことだ。二人はようやく少しだけ胸をなで下ろした。その場には、再び笑い声が戻った。夕方になり、友人たちはようやく帰っていった。晴臣が皆を見送ると、広い家には3人だけが残った。晴臣も帰ろうとしたとき、香澄が寝室から出てきた。黒いレースのネグリジェに着替え、晴臣のそばまで来ると、柔らかな声で言った。「陽向はもう寝たわ」晴臣がうなずいた次の瞬間、香澄は突然足元をふらつかせ、そのまま晴臣の胸へ倒れ込んだ。甘ったるい香りが鼻をつき、大きく露出した肌が目に飛び込んできた。「ずっと私を信じてくれてありがとう。晴臣がいなかったら、どうすればいいのか分からなかった」だが、香澄が待っていたハグは返ってこなかった。晴臣はその体を勢いよく突き放した。「陽向は俺の息子だ。助けるのは当然だ。だが、一つだけはっきりさせておく。俺は香澄を好きになったことは一度もない。昔も、今もだ」香澄の笑みが凍りついた。瞳を揺らし、信じられないように晴臣を見つめている。晴臣はそれ以上何も言わず、背を向けて立ち去った。一刻も早く、澪花のもとへ戻りたかった。食事は取ったのか。体調は悪くなっていないか。早く帰って、澪花のそばにいなければならない。車を飛ばして家へ戻った。玄関の扉を開けると、広い家の中に人の気配はない。急いで階段を上り、寝室の扉を開けた。「澪花、ただいま」言い終わらないうちに、誰もいない寝室が目に入り、恐怖が一気に込み上げた。晴臣は使用人を大声で呼び、焦った声で尋ねた。「澪花は?」「奥様は、一度もお戻りになっておりません」その答えを聞いた瞬間、何も考えられなくなった。病院では、もう退院したと言っていた。それなのに、どうして帰っていないのか。晴臣はすぐにスマホを取り出し、智紀へ電話をかけた。水瀬家へ戻ったのかもしれ
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