澪花が反応するより早く、どこか見覚えのある女性が診察室から出てきた。その女性は親しげに晴臣の腕に絡みついた。目には涙が浮かんでいる。「陽向が無事でよかった。もしものことがあったらって、怖くてたまらなかった」そこでようやく、その女性が上司・篠宮香澄(しのみや かすみ)だと気づいた。香澄は1年前に帰国し、澪花の勤める会社へ入社した。二人はすぐに打ち解け、何でも話せる友人になった。陽向は、香澄の5歳になる息子だ。初めて会った頃、香澄は、陽向の父親とはちょっとした誤解で別れたと話していた。それから間もなく、香澄は嬉しそうに澪花を食事へ誘い、元夫とよりを戻して再婚したと報告した。それ以降、香澄は家族3人で過ごした楽しい出来事や、夫との幸せな時間をよく話すようになった。だから妊娠が分かったとき、晴臣との間に子どもができたら、今よりもっと幸せになれると思った。以前、澪花は「今度は旦那さんも連れてきてよ」と冗談を言ったことがある。香澄は笑い、いつか必ず会えると答えた。まさか今日、本当に会うことになるとは思わなかった。香澄が話していた夫は、澪花が自分の夫だと信じていた晴臣だった。次の瞬間、兄・水瀬智紀(みなせ ともき)と、何人かの友人まで姿を現した。「陽向はどうなんだ?」「大丈夫よ」香澄は一度言葉を切り、声を詰まらせた。「でも先生に、病気の進行が早いって言われたの」友人の一人が口を開いた。「澪花が羊水検査を受ければ、陽向は助かるかもしれない。父親が同じきょうだいなら、型が合う可能性も高いって先生が言ってた」別の友人がちっと舌を鳴らした。「澪花はまだ何も知らないんだろ。知ったら、絶対に同意しない」香澄の目から、たちまち涙があふれた。「じゃあ、陽向がこのまま死んでもいいっていうの?まだ5歳なのよ!」そばにいる智紀が眉をひそめ、低い声で言う。「澪花だって、事情を話せば理解する。それに、陽向のこともかわいがってる。きっと協力してくれる」頭の中が、一瞬で真っ白になった。背筋が凍りついた。腹をかばうように手を当て、後ずさる。まさか、この人たちは、お腹の子を陽向の骨髄ドナーにするつもりなのか。看護師が出てきて、香澄に声をかけた。「陽向くんが目を覚ましました。会いたいって泣いていますよ」
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