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All Chapters of 見間違えられた双子: Chapter 1 - Chapter 10

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第1話

澪が画面の一文を見つめたまま動けずにいると、颯真から電話がかかってきた。「悪い、澪。玲奈をお前だと思って、そのまま連れてきちゃった」受話口から聞こえるのは、いつもと変わらない穏やかな声だった。「もうスタジオに入っちゃってるし、カメラマンにも急かされてる。今から迎えに戻る時間はないんだ。お前たち、顔はそっくりなんだから、黙ってれば誰にも分からないよ」澪は何も返せず、スマホを握りしめた。指の関節が白く浮く。――また、この言葉。もう20年以上、聞かされ続けてきた。幼い頃、賞を取ったのは澪だったのに、両親は玲奈だと思い込み、旅行へ連れていったのも姉だけだった。中学では玲奈の無断欠席が澪のものとして処理され、処分まで澪の記録に残った。高校では寝る間も惜しんで勉強し、難関大学のサマープログラムへの参加枠を勝ち取った。それでも両親が連れていったのは玲奈で、帰ってきてからも悪びれもせず言った。「間違えたのよ。玲奈を澪だと思ってたの」その夜、澪は階段の踊り場にうずくまり、息ができなくなるほど泣いた。見つけてくれたのは颯真だった。まだ少年だった彼は澪を抱き寄せ、頭に顎をのせるようにして、迷いなく言った。「澪。俺だけは絶対、お前を誰かと間違えたりしない」その言葉どおり、颯真はどんな人混みの中でも真っ先に澪を見つけた。玲奈を澪と呼ぶことも、一度もなかった。――ある学校行事の日までは。澪と玲奈がたまたま同じ白いワンピースを着ていたその日、颯真は初めて玲奈に向かって「澪」と呼びかけた。それを境に、人違いは少しずつ増えていった。初めのうちは、そのたびに真剣に謝っていた颯真も、いつしか「ごめん」のひと言で済ませるようになり――今日に至っては、前撮りの相手を姉と間違えても、「顔は同じなんだから、黙っていれば分からない」と言うだけだった。澪が何も言えずにいると、受話口の向こうから玲奈の声がする。「颯真、ちょっと来て」「うん、今行く」玲奈に返した声だけが、ひどくやさしい。けれど澪に話を戻したときには、もう何事もなかったような調子だった。「じゃあ澪、もうすぐ終わるから。終わったら帰る。玲奈はお前の代わりに1日付き合ってくれたんだ。今夜はちゃんと飯を作って、礼くらい言えよ」そこで通話は切れた。暗くなった画面に、澪の顔
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第2話

颯真の顔が、目に見えて険しくなった。眉間に皺を寄せ、そのまま澪の手首をつかむ。「澪、どうしたんだよ。前はこんなことで意地張ったりしなかっただろ」澪は答えず、手首をつかむその手へ目を落とした。節の整った、長い指。街を歩けば何度もこの手に引かれ、泣いた夜には涙を拭ってもらった。どれほど人がいても、颯真だけは真っ先に澪を見つけてくれた。かつては、触れられるだけで安心できた手だった。「意地になってるわけじゃないよ」静かに返すと、颯真は澪の顔をしばらく見つめ、やがて手を放した。声も少しだけやわらぐ。「……分かった。今日は気が立ってるんだろ。先に休めよ。勢いで決めないで、話は明日にしよう」澪は何も言わず、その脇を抜けて階段を上がった。あれは、腹立ちまぎれに口にした言葉ではない。自分を大切にしない家族も、もう自分を見ようとしなくなった恋人も――これ以上、手放せずにいる理由がなくなっただけだ。翌朝、澪は市役所の人事委員会事務局へ向かった。市職員の採用試験では、筆記も面接も1位。すでに最終合格し、採用候補者名簿の上位に載っている。あとは正式な採用連絡を待つだけのはずだった。実家の会社へ入れば、働き口そのものには困らない。けれど、そこへ戻れば玲奈の尻拭いを押しつけられ、結局は家族の都合から逃れられない。だからこそ澪は、ずっと前から市職員の採用試験に向けて準備を続けてきた。ここだけは、自分の力でつかんだ居場所。今度こそ、玲奈には奪われない――そう思っていた。窓口で名前を告げると、担当の職員は手元の書類と画面を何度も見比べた。やがて眉間に深い皺を刻み、小さく息をつく。「藤宮澪さんですね?」「はい」「……少し、こちらを確認していただけますか」机の上へ差し出されたのは、採用手続きの保留を知らせる文書だった。【藤宮澪氏について、飲酒運転による交通事故および事故後の立ち去りに関して捜査を受けていることが確認されたため、事実関係が明らかになるまで採用手続きを保留する。採用予定日までに確認が取れない場合は、採用を見送ることがある】末尾には、市の公印が押されている。澪は文字を追ったまま、しばらく顔を上げられなかった。「……私、飲酒運転なんてしていません。最近は車にも乗っていません」自分でも分かるほ
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第3話

颯真の言葉はあまりにも軽く、その軽さがかえって澪の胸に重く沈んだ。澪は奥歯を噛みしめる。「でもあの日、私は大学の図書館にいるって、ちゃんと話したよね?」問いかける澪の頬を、颯真は宥めるように折った指の背でそっと撫でた。「急だったんだよ。お前かもしれないと思ったら焦って、そこまで頭が回らなかった。あとで玲奈だって分かったけど、今さら言い直すのも気が引けたし。ほら、実の姉だろ?もう必要なことは俺が済ませたんだから、どっちだっていいじゃないか」わずかに間を置き、さらに声を和らげる。「心配するな。お前に影響が出るようなことにはしてないから」澪は思わず笑いそうになった。この採用のためにどれだけ時間と労力を費やしたかも、それが澪にとってどれほど大切なものかも、颯真は知っている。それでも彼は、玲奈をかばうことを選んだ。表情の変化に気づいた颯真は、今度は澪の肩を抱き寄せる。「もういいだろ。こんなことで大騒ぎするなよ。仕事が1つ駄目になったくらいで、俺がお前を養えないとでも思ってるのか?」澪はひとつ深く息を吐くと、その手を肩から静かに払った。颯真を見ないまま、踵を返す。「澪――」呼び止める声を背に、歩みは緩めなかった。ポケットのスマホが何度か震えても、そのままにする。2つ先の通りへ出る頃には、胸の奥で荒れていたものも、ようやく少しだけ静まっていた。そこでタクシーを拾い、法律事務所へ向かう。必要な委任手続きを済ませ、不服申立てに必要な証拠の整理と提出は弁護士に任せた。結果が出るまでには時間がかかる。今回の採用に間に合わないことは、もう分かっていた。それでも、玲奈が起こした事故の責任まで、自分の名前に残すわけにはいかない。事務所を出てスマホを開く。颯真から届いていた何通ものメッセージには触れず、連絡先から1つの番号を選んだ。呼び出し音が2度鳴り、受話口から聞こえてきたのは、落ち着いた年配の女性の声だった。「当ててみましょうか。やっと気が変わって、こちらへ来る気になったのね?」声の主は、以前から澪を自分の学生にと声をかけていた久我由紀子(くが ゆきこ)教授だった。喉がかすかに詰まる。「先生。以前お声をかけていただいた件……まだ、間に合いますか?」電話の向こうで、由紀子が笑った。「もちろん。前は、
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第4話

颯真はソファに深く身を預け、すっかりくつろいでいた。その隣には、玲奈がいる。澪の足が、ほんの一瞬だけ止まった。けれど何も見なかったように窓際の席へ向かい、近くの同級生と何気ない言葉を交わす。ほどなくして、今度は颯真がやってきた。迷う様子もなく澪の隣へ腰を下ろし、少し顔を覗き込む。「澪、この2日、メッセージ送ってもほとんど返さないけど、何してたんだ?」澪が黙っていても、颯真は気に留めた様子もない。「お前も、こういう集まりにはもう少し顔を出したほうがいい。玲奈は誰とでもすぐ仲良くなれるだろ。少し見習ったら?」澪は目を伏せ、こみ上げた皮肉を飲み込むように、唇の端だけをかすかに上げた。「そうだね」食事も半ばを過ぎたころ、誰かが場を盛り上げようと、二択の質問に即答するゲームを始めようと言い出した。何人かが順番に答え、笑い声が重なっていく。やがて次の回答者に颯真が選ばれると、玲奈が楽しそうに身を乗り出した。「じゃあ颯真。猫と犬なら?」「犬」「鍋とお寿司?」「寿司」「夏と冬?」「冬」どの問いにも、颯真はほとんど考える間を置かない。そのうち、近くで見ていた誰かが不思議そうに首を傾げた。「あれ?澪って猫派じゃなかった?」「うん。生ものが苦手で、お寿司もあまり食べないって言ってたよね。好きなの、玲奈じゃなかった?」「冬が好きなのも玲奈だった気がする」声を潜めたやり取りが、聞くつもりのない澪の耳にも届く。澪はグラスに添えた指を動かすこともなく、表情にも何も出さなかった。玲奈だけが、楽しげな笑みを崩さない。「じゃあ最後。澪と玲奈なら?」「玲奈」あまりにも自然に、その名前がこぼれた。さっきまで笑い声に満ちていた個室が、ほんの一瞬だけ静まる。颯真自身も口にしてから気づいたらしい。すぐに笑って片手を振った。「今のなし。名前を続けて聞かれて、つられただけ。もちろん澪だよ。俺の彼女なんだから」それで場の空気もほどけ、周囲からまた笑い声が上がった。「篠崎、こういうの弱いな」「危なかったね。彼女の前でそれはまずいでしょ」誰も本気には受け取っていない。隣に座っていた友人だけが、そっと澪へ顔を寄せた。「澪、大丈夫?」澪は小さく笑い、何でもないと首を振る。けれ
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第5話

酒のせいなのか、それとも、さっきまで思い返していたことのせいなのか。澪の胃の奥が、急に大きく波打った。洗面台の縁に手をつき、身を屈めて何度かえずく。それでも何も出てこない。蛇口をひねり、冷たい水を頬へ当てて、ようやく込み上げる吐き気を鎮めた。そのとき、背後から靴音が近づいてきた。顔を上げると、鏡の中に玲奈がいた。扉の枠にもたれ、腕を組んでいる。その顔に浮かんでいたのは、澪がこれまで見たことのない表情だった。いつもの穏やかで上品な微笑みではない。隠す気さえない、得意げな笑み。「吐いたの?」玲奈は軽く口元を歪めた。「このくらいで参っちゃった?」澪は答えず、ペーパータオルを1枚取り、濡れた手を拭った。「まだ分からないの?颯真は、私たちを見分けられないんじゃない。見分けようとしてないだけよ」玲奈は2歩ほど距離を詰め、声を落とす。「彼が覚えてる好みは、全部私のもの。咄嗟に選ぶのだって、いつも私」手を拭いていた澪の指が、ほんの一瞬止まった。それを見逃さなかった玲奈の笑みが、さらに深くなる。「ついでに教えてあげる。前撮りだって、私が一度ウェディングドレスで写真を撮ってみたいって言ったから、颯真が連れていってくれたの」そこで言葉を切ることもなく、玲奈は続けた。「市役所の採用を潰したのも私よ。あなたに責任がいくように、わざと問題を起こしたの」そして、澪を見つめたまま言い切る。「澪。あなたはずっと、私の引き立て役なのよ」澪は小さく息を吐き、使い終えたペーパータオルをゴミ箱へ落とした。それからゆっくり振り返り、洗面台に軽く背を預ける。「玲奈。誰かを踏み台にしないと、自分のほうが上だと思えないなら――ずいぶん惨めだね」声には、怒りさえ滲まなかった。「颯真が欲しいなら、持っていけばいいよ」ほんの少し間を置いて、静かに続ける。「ちょうど私、もういらないから」玲奈の笑みが、一瞬だけ固まった。澪はそれ以上何も言わない。玲奈の肩を押し退けて洗面所を出ると、個室へは戻らず、そのまま階下へ向かった。店の外へ出た途端、夜風が火照った頬を撫でる。ようやく胃のむかつきも少し和らいだ。澪は歩道をゆっくり進み、角を曲がった。その瞬間、脇の路地から人影が飛び出してきた。何が起きたのか理解するよ
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第6話

一瞬、何を言われたのか分からなかった。澪は乾いた喉を鳴らし、かすれた声を絞り出す。「……何?」「お手洗いの前だよ」颯真は眉を寄せたまま、澪を見ていた。「お前が玲奈を突き飛ばして、あいつは転んで足をくじいた。それでも、お前の様子が気になって追いかけたんだ。そしたら下で、お前が誰かと揉めてた」そこでいったん言葉を切り、声を低くする。「玲奈はお前をかばってけがをした。今もまだ意識が戻ってない。そこまでして守ってくれた姉に、どうしてあんなことしたんだ?ゲームで俺が玲奈を選んだからか?あれはただの遊びだろ。澪、お前、いつからそんなふうになったんだよ」そして最後には、何の疑いもなく言った。「玲奈が目を覚ましたら、ちゃんと謝れ」澪はしばらく声が出なかった。何を言われたのか理解するにつれて、胸の奥にあった怒りが、かえって静かに冷えていく。気づけば、口元にはかすかな笑みさえ浮かんでいた。「私を襲った人が、誰か知ってる?」颯真は答えない。「玲奈の事故で、お母さんを亡くした人の息子だよ」澪はひとつずつ、言葉を置くように続けた。「玲奈が飲酒運転をして逃げたのに、あなたは私だって言った。そのせいで、採用手続きまで止められた。恨まれて殴られたのは私。今ここに寝てるのも私。それでも、私が玲奈に謝るの?」澪は颯真をまっすぐ見た。「謝るなら、玲奈のほうじゃないの?」颯真の表情が険しくなる。「澪。玲奈はけがをして、まだ目も覚ましてないんだぞ。こんなときに、よくそんなこと言えるな」澪は口元だけで笑い、布団を胸元まで引き上げた。「自業自得でしょ」颯真は言葉を失い、顎を強く噛みしめたまま立ち尽くしていた。やがて椅子から立ち上がる。「澪。お前がこんな人間だったとは思わなかった」声には、もう温度がなかった。「おじさんとおばさんが玲奈ばかり可愛がるのも、分かる気がする」それだけ言い残し、颯真は病室を出ていった。扉が閉まり、足音が廊下の向こうへ遠ざかっていく。澪はゆっくり布団へ顔を埋めた。目の奥が、じわりと熱くなる。いちばん近くにいた人ほど、どんな言葉なら深く傷つけられるのかを知っている。それから数日、澪は病院で傷を癒やしながら過ごした。看護師が処置に訪れるたび、ときおり廊下か
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第7話

澪の署名が入った書類を手に、颯真は玲奈の病室へ戻った。ベッドの背にもたれていた玲奈は、颯真を見るなり尋ねた。「署名してくれた?」「ああ」颯真は短く答え、書類をベッド脇の台へ置いた。「もう心配しなくていい。澪が署名した」玲奈はほっとしたように息をつくと、やがて視線を落とした。「私も、別に気分がいいわけじゃないの。澪も私もけがをしたけど、あの人だってお母さんを亡くしたばかりでしょう?気持ちは分からなくもないし、そこまで追い詰めたくないわ」颯真は曖昧に相槌を返しただけだった。頭に浮かんでいたのは、さっきの澪だった。ひと言も口にせず、迷うこともなく名前を書き、最後まで顔さえ上げなかった。あまりにも静かだった。その静けさだけが、妙に胸に残っている。けれど、ここ数日は立て続けにいろいろなことが起きた。澪にも、気持ちを整理する時間が必要なのだろう。そう考えると、颯真はわずかに眉間の力を抜いた。数日もすれば結婚する。そのあとで、ゆっくり機嫌を直してやればいい。「颯真?」玲奈の声に、意識を引き戻される。見ると、玲奈が少し身を乗り出し、颯真の手に自分の手を重ねようとしていた。「澪が心配なんでしょう?私なら1人で大丈夫だから、見に行ってあげたら?」颯真は差し出された手へ目を落とした。細く白い指は、澪の手とよく似ていた。けれど、触れられるより先にさりげなく手を引いた。「いい。もう退院してるはずだ」それから少し間を置き、玲奈を見た。「玲奈。もうすぐ俺は澪と結婚する。だから、俺たちも少し距離を置いたほうがいい」玲奈の手が宙で止まった。一瞬だけ目を見開いたあと、ゆっくりと手を引き戻す。伏せたまつげの下に、わずかな寂しさが滲んだ。「そうね。私が考えなしだったわ。2人は結婚するんだもの、ちゃんと線を引かないとね」その声に滲む落胆を感じ取り、颯真の胸にかすかな罪悪感が差した。玲奈が自分に好意を寄せていることには、以前から気づいていた。はっきりと言葉にされたことはない。それでも、ふとした拍子に距離を縮めてくる仕草や、何かを言いかけては飲み込む眼差しを見ていれば、分からないはずもなかった。そして颯真自身も、玲奈を完全には拒みきれずにいた。澪と同じ顔をしているのに、玲奈のほうがずっ
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第8話

式の準備に追われる数日間、颯真は澪と一度も顔を合わせないままだった。何度電話をかけてもつながらない。それでも、まだ怒りが収まっていないだけだろうと考えていた。美沙子からも、澪はきちんと結婚の準備をしていると聞かされていたし、何より颯真自身、澪が自分から離れられるはずがないと信じていた。だから、連絡が途絶えていることにも、別の意味を疑おうとはしなかった。式場を変え、花を選び直し、司会の進行にも手を入れる。ひとつひとつ自分の目で確かめながら、できる限りの準備を整えていった。そうして迎えた、結婚式当日。よく晴れた空の下、会場には白い薔薇が咲き並び、招待客が次々と席を埋めていく。グラスの触れ合う音に笑い声が重なり、辺りは華やかな空気に包まれていた。祭壇の前に立った颯真がバージンロードの向こうへ目を向けると、やがて音楽が流れ始め、会場中の視線が入口へ集まった。ベールに顔を隠した花嫁が、白いウェディングドレスをまとい、一歩ずつこちらへ近づいてくる。その姿を見つめるうち、颯真の胸にかすかな高鳴りが広がった。思わず数歩迎えに出て手を差し伸べると、花嫁はその前で足を止める。颯真は胸に残る高鳴りのままベールへ手をかけ、そっと持ち上げた――その瞬間、浮かんでいた笑みが消えた。そこにいたのは、澪ではなく玲奈だった。丁寧に化粧を施した玲奈は、穏やかな笑みを浮かべたまま颯真を見つめている。言葉を失った颯真は、しばらくしてようやく声を絞り出した。「……どうしてお前なんだ。澪は?」「澪、まだ怒ってるみたいで帰ってこなかったの。でも、今日はもう式の日でしょう?お父さんとお母さんが、私が代わりに出ればって。皆さんを待たせるわけにもいかないし」玲奈が微笑んだまま答える一方で、客席にはすでにざわめきが広がっていた。「あれ、澪さん?何か違わない?」「澪さんって、髪をブロンドにしたんじゃなかった?」「それに、澪さんのほうが少し細かった気がする」周囲のささやきには構わず、颯真は玲奈を見据えた。「澪が来てないなら延期する。俺の花嫁は澪だけだ」きっぱりと言い切られ、玲奈の笑みが一瞬だけこわばる。それでもすぐに表情を整えると、なだめるように言葉を重ねた。「颯真、もう皆さん来てるのよ。準備だって全部終わってる。今さら中止にしたら、篠
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第9話

そのとき、会場の扉が開き、制服姿の警察官が2人入ってきた。まだざわめきの残る会場を見渡した視線が、やがて祭壇に立つ玲奈の上で止まる。「藤宮玲奈さんですね。お話を伺いたいことがあります。署までご同行いただけますか」思いがけない言葉に、会場の空気が一変した。玲奈の顔からさっと血の気が引き、逃れるように颯真の背後へ身を寄せる。「な、何ですか……どうして私が?」颯真も眉を寄せ、玲奈をかばうように半歩前へ出た。「何かの間違いではありませんか?」先頭の警察官は手元の書類へ目を落とし、落ち着いた口調で告げた。「藤宮玲奈さんが、飲酒運転で死亡事故を起こし、その責任を別人に負わせた疑いについて、新たな証拠が提出されています。詳しいことは署で伺いますので、ご同行ください」その言葉を境に、抑えられていたざわめきが一気に広がった。「飲酒運転で人が亡くなったって……しかも、別の人に責任を押しつけたの?」「別の人って……まさか、澪さん?」「じゃあ、澪さんの採用手続きが止まったっていうのも……」囁きが次々と重なるなか、玲奈は真っ青な顔で何度も首を振った。「違います!本当に私じゃありません!何かの間違いです!」「詳しいことは署で確認します。ご同行ください」警察官の口調は変わらなかった。とうとう取り乱した玲奈は、縋るように颯真の袖をつかむ。「颯真、助けて!」そのまま両親へ振り返り、声を張り上げた。「お父さん!お母さん!何とか言ってよ!」美沙子も顔色を変え、警察官の前へ進み出る。「待ってください!何かの間違いです。玲奈がそんなことをするはずありません!」「お下がりください。これ以上は公務の妨げになります」なおも何かを訴えようとする玲奈は、そのまま警察官に促され、会場をあとにした。扉が閉じても、騒ぎは収まらない。荷物を抱えて席を立つ者もいれば、スマホを向けたまま成り行きを見守る者もいる。あちこちで声を潜めた囁きが交錯した。「……これ、さすがにやばいんじゃないか?」颯真はその場に立ち尽くし、鈍く脈打つこめかみを指先で押さえた。込み上げる混乱をどうにか鎮めると、すぐにスマホを取り出して電話をかける。「澪がどこにいるか調べてくれ。それから弁護士にも連絡して、玲奈の件を頼む」それから数日、
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第10話

「まさか、あの人と一度関係を持っただけで妊娠するなんて思わなかったのよ」玲奈の声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。「体のこともあって、中絶は難しいって言われたし。ここまで来たら、父親になってくれる人を見つけるしかないでしょう」悪びれる様子もなく、そのまま言葉を続ける。「ちょうど颯真もいるし。最初は、颯真が澪の支えになってるのが気に入らなくて、少し気を引いてやろうと思っただけ。でも今なら、このまま結婚してしまえばいいじゃない。お金はあるし、扱いやすいし。私が少し弱ったふりをすれば、すぐ情に流されるもの」扉の向こうでその言葉を聞いていた颯真は、胸の奥からすっと熱が引いていくのを感じていた。玲奈は、自分を好きだったわけではない。澪のそばから、自分という支えを引き離したかっただけなのだ。意味ありげな言葉や視線で距離を縮められるたび、颯真は玲奈を拒めば傷つけてしまうのだと思い込み、いつの間にか罪悪感まで抱いていた。次の瞬間、颯真は扉を蹴り開けていた。扉が壁を打つ大きな音に、玲奈と美沙子がそろって息を呑む。「そ、颯真……」玲奈は弾かれたように立ち上がり、震える声で尋ねた。「いつから、そこにいたの?」颯真は答えなかった。ただ玲奈を見据え、低い声で問う。「妊娠してるんだな」玲奈の顔から血の気が失せ、唇がかすかに震えた。「誰の子だ?」「違うの、颯真。話を聞いて……」「誰の子か聞いてる」詰め寄られるたびに、玲奈は一歩ずつ後ろへ下がっていく。やがて唇を噛み、涙を滲ませながら声を絞り出した。「私だって、仕方なかったの……酔ってて……」「だから澪を追い出して、俺に父親役を押しつけるつもりだったのか?」低く抑えた声だからこそ、その奥に沈む怒りがはっきりと伝わった。逃げ道を失った玲奈はしばらく言葉を詰まらせていたが、やがて開き直ったように顎を上げる。「それが何?あなたにだって、私への気持ちはあったでしょう?そうじゃなきゃ、どうして何度も私を澪と間違えたふりをしたの?」言葉を重ねるにつれ、玲奈の声は鋭さを増していった。「あなたは私の好きな食べ物も、好きな季節も、嫌いなものも覚えてる。じゃあ澪は?澪が何を好きで、何が嫌いか、ちゃんと知ってる?」玲奈はまっすぐ颯真を見た。
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