七年尽くした婚約者に、法廷で引導を渡す のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

14 チャプター

第1話

電話を切り、ドレスのキャンセル明細をゴミ箱へ放り込んだ。新居のドアを開けると、結花が好む甘ったるいピーチウーロンの香りが鼻をついた。玄関には、ピンク色のウサギ耳がついた彼女のスリッパまで置いてあった。つま先は当然のように家の中へ向いており、ここが自分の居場所だと主張しているようだった。私は目をそらし、裸足のままリビングへ入った。ローテーブルには、案件の記録ファイルが何冊も広げられていた。一番上にあったのは、私が半月かけて書き上げた準備書面だ。ところが作成者欄から私の名前が消され、赤いペンで「倉橋結花」と書き換えられていた。その脇には付箋が貼られていた。【颯斗、正式採用のお祝いありがとう!大好き!】踊るような文字の横には、ハートまで描かれていた。私は不格好に書かれた名前へ指を置いた。腹は立たなかった。ただ、あまりの馬鹿らしさに笑いそうになった。付箋を剥がそうとした時、玄関のドアの鍵が開く音がした。颯斗が入ってきて、その後ろから結花が姿を見せた。裸足で立っている私を見た颯斗は、わずかに眉を寄せた。「どうして裸足なんだ。風邪でもひいたら、また世話が焼けるだろ」「私のスリッパが見当たらないの」颯斗が言葉に詰まった。すると結花が彼の背中から顔をのぞかせ、いたずらっぽく舌を出した。「涼音さん、ごめんなさい。昨日、資料を取りに来た時にコーヒーをこぼしちゃって、クリーニングに出すほどのものでもないって颯斗が捨てたんです。怒ってませんよね?」私は首を横に振った。「別に」どうせ、もう私が片づける必要もないのだから。私のあまりに淡々とした返事が意外だったのか、颯斗は怪訝そうに私を見た。彼は高級ブランドの紙袋をテーブルに置き、私の額に触れようと手を伸ばした。「今日は妙におとなしいな。ドレスの試着はどうだった?結花が司法試験に受かったから、お祝いを買ってきたんだ」そう言ってから、ポケットから小さなベルベットの箱を取り出し、私に差し出した。「これはついでに買ってきた。気に入るといいんだが」箱を開けると、入っていたのは飾り気のない銀のネックレスだった。小さな石すらついていない。一方、結花の首元では、同じブランドの限定品らしいダイヤのネックレスが輝いていた。値段は軽く300万
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第2話

翌日、私は退職届を出すため事務所へ向かった。執務室のドアを開けると、颯斗がトリュフクロワッサンを結花に手渡しているところだった。机の端には、私の分らしいコンビニのお弁当が置かれていた。フタの裏にはびっしりと水滴がつき、すっかり冷めている。「涼音さんは甘いものが苦手だからって、颯斗がわざわざ買ってきたんですよ」結花は素直そうに笑いながら、クロワッサンをかじった。冷え切ったコンビニの弁当を見ただけで、胃の奥が鈍く痛んだ。7年前、私が何気なく「駅前の焼きたてのミートパイが食べたい」と言った時、颯斗は土砂降りの中で2時間も並び、冷めないよう箱を胸に抱えて持ち帰ってくれた。今では、私が胃を悪くしていて、冷たいものが食べられないことすら忘れている。お弁当には手をつけず、自分のデスクへ行き、私物を片づけ始めた。私が何も言わないので、結花は金色の文字が印刷された席次表を持って近づいてきた。「涼音さん、披露宴の席順、少し調整しておきましたよ」彼女はメインテーブル周辺を指し、楽しそうに説明する。「颯斗のお友達と私は、メインテーブルのすぐ近くの一番いい席にまとめました。涼音さんの会社の方や恩師の皆さんは、少し後ろの方へ移動させてもらいました。やっぱり堅苦しい方々より、若い私たちが前列にいた方が会場が盛り上がりますから」席次表に目を走らせると、結花の席が最前列の上座に配置され、私の大切な主賓たちの席が会場の隅へと追いやられていた。それだけではない。司会進行表では、私が頭を下げてお願いした主賓の祝辞が消され、結花の「幼なじみからのメッセージ」が堂々とねじ込まれている。私は颯斗を見た。「式の進行まで結花に変えさせたの?」「結花は気が利くんだよ。準備で疲れているお前を手伝おうとしてくれたんだ」7年も愛したはずの男が、ひどく見知らぬ人に思えた。「そう。じゃあ全部、そのとおりにすればいいわ」どうせ結婚などしないのだ。今さら一つ一つ腹を立てても、自分が疲れるだけだった。引き出しを開け、自分の私物を1つずつ段ボール箱へ入れていった。そこでようやく、颯斗は何かがおかしいと気づいたらしい。視線を落とし、指輪のない私の左手を見た。「指輪はどうした?」大股で近づいてきた彼は、箱を上から押さえた。声には、本人さ
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第3話

「涼音、結花は不整脈だと診断されたんだ。いつ意識を失ってもおかしくない!こんな時に、どうしてお前まで体調を崩すんだよ」「嘘じゃない。本当に……」最後まで言う前に電話を切られた。耳に残る無機質な音に、喉の奥までこみ上げてきた血の味が重なった。引き裂かれるような痛みに耐えながら、震える指で配車アプリを開いた。救急外来に着くと、私は受付で意識を失った。次に目を覚ました時には、もう深夜だった。「ひどい胃出血でした。あと30分遅かったら、命に関わっていましたよ」担当医は、厳しい顔で点滴を交換した。「ご家族は?手続きに来てくれる方もいないんですか」青白い手の甲を見つめた。点滴の針の周りが紫色に腫れていた。「家族はいません」乾いた喉でそう答え、スマホを手に取った。事務所のグループLINEには、ひっきりなしに新しいメッセージが流れていた。きっかけは結花の投稿だった。【来週の披露宴で、颯斗が私にもウェディングドレスを着せて、先に入場させてくれるんだって。私の夢をかなえてくれるって!】同僚たちは口々にはやし立てていた。【結花さんだからそこまでしてもらえるんだね。颯斗先生、甘やかしすぎ!】【涼音先生は心が広いから、きっと気にしないよ】画面の目に刺さるような文字を見ても、心はもう、少しも動かなかった。グループの通知を切り、スマホをベッドサイドテーブルへ放り出した。その時、病室のドアが勢いよく開いた。颯斗が大股で入ってきて、結花もその後ろに続いていた。紙のように青白い私の顔を見た瞬間、颯斗の目にわずかな気まずさがよぎった。「仮病で俺を呼び戻そうとしているのかと思った。本当に入院していたんだな。悪かった」結花は目を赤くして言った。「涼音さん、颯斗を責めないでください。私が無理を言って、検査が終わるまで付き添ってもらったせいなんです。そうでなければ、すぐ涼音さんのところへ来られたはずで……怒っているなら、私を叱ってください。ご自分の体を痛めつけるようなことはしないで」私は枕に寄りかかったまま、彼女が芝居を終えるまで黙って見ていた。「大丈夫。怒っていないから」颯斗は思い出したように話を続けた。「そうだ。結花は昔から体が弱くて、ウェディングドレスを着るのがずっと夢だ
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第4話

「サプライズ」と聞き、颯斗は明らかに表情を変えた。血の気を失った私の顔を見ながら、その目には期待すら浮かんでいる。「何を用意したんだ?涼音、もう機嫌を直せよ。来週の披露宴が終わったら、オーロラを見に連れていく。ずっと行きたがっていただろ?」彼は口調を柔らかくし、施しを与えるかのように少しばかりの優しさを見せた。私は彼を見つめたが、心の奥底は完全に冷え切っていた。「颯斗、これが最後よ。もし今、来週の披露宴をキャンセルして、私を連れてここを出てほしいと言ったら……そうしてくれる?」この7年間の関係に、私が残した最後のチャンスだった。颯斗の目から、その優しさが一瞬にして消え去った。彼は眉をきつくひそめ、顔を険しくした。「柊涼音、正気か?招待状は全部送ったんだぞ。今すぐここを離れろだと?お前はどうしていつも、肝心な時に水を差すんだ!」傍らにいた結花が、絶妙なタイミングでよろめいた。青白い顔で壁にもたれかかった。「颯斗、ごめんなさい。全部、私のせい……涼音さんがそんなに嫌なら、私、ドレスなんて着ないよ。ごほっ、ごほっ……」胸を押さえ、今にもこぼれそうな涙を目に浮かべた。「結花!」颯斗は反射的に彼女を抱き寄せた。「見ただろ。彼女は体が弱いのに、俺たちの結婚式のためにこんなに無理をしてくれてるんだ。こんな時に変な風に考えるな。バージンロードを歩かせてやって、夢を叶えさせてやるだけじゃないか。いいだろ?涼音、こんな時に俺を追い詰めないでくれ」結花をかばうように抱きしめる彼の腕を見つめた。胃をえぐるような痛みさえ、もう感じなかった。代わりに胸を満たしたのは、ようやく重荷を下ろせるという、空っぽの安堵だった。「わかった。もう追い詰めない。あなたたちは、ただ幼い頃から兄妹のように育っただけだものね。あなたが彼女の面倒を見るのは当然よ」私は視線を戻し、静かに横になって目を閉じた。「2人とも出ていって。休みたいの」颯斗は安心したようだった。「わかってくれたならいい」結花を抱き上げると、迷いもなく病室を出ていった。翌朝。私は手の甲に残っていた留置針を一気に引き抜いた。指先を伝って血が落ちても、顔色一つ変えなかった。退院手続きを済ませ、タクシ
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第5話

退院から3日後、私は正式に橘総合法律事務所へ移籍した。午前8時半。仕立てのいい黒のスーツに8センチのヒールを合わせ、都心の高層ビル最上階にある事務所へ、時間どおり足を踏み入れた。うわべだけの挨拶も、煩雑な雑用もなかった。受付で本人確認を済ませると、廊下の突き当たりにある個室へ案内された。大きな窓から、街を一望できる部屋だ。扉の金色のプレートには、すでに新しい名が刻まれていた。【シニア・パートナー:柊涼音】橘宗人が入ってきて、淹れたばかりのブラックコーヒーを私に渡した。続いて、分厚い書類袋をデスクに置いた。「移籍に必要な手続きはすべて終わっている。君がうちへ来たと知った主要クライアントも、昨夜のうちに顧問先をこちらへ切り替えたよ」宗人は笑い、向かいの椅子へ腰を下ろした。「君の元婚約者の事務所は、今頃パニック状態だろうな」ほろ苦いコーヒーを一口飲み、パソコンの画面へ目を向けた。宗人の言うとおりだった。その頃、冴島法律事務所の業務は完全に止まっていた。午前9時、事務所の経営を支えてきた4社の主要顧客から、颯斗のもとへ一斉に顧問契約の解約通知が届いたのだ。理由は、どの通知にも同じ一文だけだった。【貴所の法務対応能力は当社の求める水準に達していないと判断し、本日付で一切の委任関係を終了します】4社とも、この3年間、私が接待で胃を壊すほど酒を飲み、幾晩も徹夜を重ねながら、大手事務所から勝ち取った顧客だった。そこから得る顧問料と代理業務の報酬は、冴島法律事務所の売上の8割を占めていた。すべてを失えば、来月の賃料さえ払えない。颯斗は執務室でパソコンにかじりつき、狂ったようにキーボードを叩いていた。「あり得ない!どうして解約なんだ?須藤社長は先週、契約を更新すると言っていたじゃないか!須藤社のM&A案件を出せ!俺が直接会いに行く!」充血した目で、デスク前に並ぶ職員たちを怒鳴りつけた。佐々木真由(ささき まゆ)が恐る恐る手を上げた。声まで震えている。「颯斗先生……システムに、須藤社の案件データが残っていません」「何だと?」颯斗は勢いよく立ち上がった。別の職員が、泣きそうな声で続けた。「須藤社だけではありません。郷田社の株式紛争も、財前社の海外商標案件も……主要クライア
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第6話

「ねえ、これどこの国の法律なの?涼音さんが残してくれてたメモも全部消えちゃってて……颯斗、一緒に見てくれない?」結花は泣きそうな顔で颯斗の袖をつかんだ。「離せ!」颯斗はその手を強く振り払った。結花はよろめき、ドア枠へ肩をぶつけた。今の彼には、結花をいたわる余裕などなかった。頭にあるのは、私を見つけ出すことだけだ。デスクのスマホをつかみ、私の番号へ何度も電話をかけた。【おかけになった電話番号にはおつなぎできません】【おかけになった電話番号にはおつなぎできません】無機質なアナウンスが繰り返された。37回かけても結果は変わらなかった。完全に取り乱した颯斗は、上着も持たずに車の鍵をつかみ、事務所を飛び出した。30分後、車が新居の前で急停止した。エレベーターに飛び乗り、玄関の暗証番号を入力すると、エラーが表示された。ドアを蹴りつけてから、自分がスペアキーを持っていることを思い出した。扉を開けた先には、息苦しいほどの静けさしかなかった。床一面に敷かれたピンク色のラグが、ひどく滑稽に見えた。寝室へ駆け込むと、ベッド脇の棚に整然と並んだ品が目に入った。飾り気のない銀のネックレス。事務所の利益配当カード。新居のスペアキー。ベルベットの箱に収められたダイヤの婚約指輪。そして一番下には、くっきりと印字された「婚約解消通知書」があった。末尾には、流れるような、それでいて力強い筆跡で私の署名が入っている。颯斗は「婚約解消」の文字をじっと見つめた。全身の血が逆流するのを感じ、背筋の芯から、かつてないほどの冷たい悪寒が駆け抜けていった。そこで初めて、涼音が機嫌を損ねたわけでも、自分を屈服させようとしているわけでもないと悟った。本当に、自分を捨てたのだ。震える手でその紙を裏返すと、右下に黒いペンで見覚えのない番号が書かれていた。私の新しい電話番号だ。あえて彼に残しておいたものだった。息を止めるようにして、颯斗はその番号へ電話をかけた。呼び出し音が2度鳴り、つながった。「もしもし」受話口から、私の静かな声が響いた。「涼音……」颯斗の声はかすれ、これまでにない恐怖と怒りを帯びていた。「どういうつもりだ?システムのデータを消したのはお前か?クライアントの
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第7話

日曜の朝、降り続く秋雨が街を冷たく洗っていた。私は早起きし、7時半には事務所へ着いた。誰もいない広いフロアで、私の個室だけが明かりを灯していた。8時ちょうど、宗人が2杯のホットコーヒーと分厚い案件ファイルを持って現れた。デスクへ資料を置き、向かいの椅子に座った。「相手方が提出した答弁書と証拠説明書は、これですべてだ。もともと君が担当していた案件だろう。冴島は、君が途中で捨てた原案を使って君に勝てると思っているのか。大胆なのか、愚かなのか」一番上にあったのは、被告側の主任弁護人である結花名義の答弁書と準備書面だった。宗人はコーヒーを飲み、面白そうに私を見た。「ただの思い上がりよ」私は赤いペンのキャップを外した。「7年間、私が何でも彼の言うとおりにしてきたから、離れても法廷で敵に回るはずがないと思っているのよ。結花だって、名の通った大学を出てさえいれば、私の代わりが務まると思ったのでしょうね」結花が書き換えた書面を、1枚ずつ確認した。3ページ目まで読んだところで、思わず笑いそうになった。穴だらけなどという程度ではない。訴訟実務を少しでも知る者なら、目を覆いたくなる内容だった。原告の債務不履行を主張する時期は、事実と3か月もずれている。互いに内容の食い違う2通の追加合意書を、何の説明もなく有利な証拠として提出していた。消滅時効の援用を見落とし、国際契約で最初に整理すべき準拠法と裁判管轄まで混同している。私は1文字も直さなかった。手を入れる価値すらない。ただ、致命的なミスがあるページをスマホで撮影し、証拠として残した。「笑わせるわね」書面をデスクへ戻した。「颯斗は、自ら負け犬になりに法廷へ来るようなものね」同じ頃、冴島法律事務所の会議室には、爆発寸前の重い空気が立ちこめていた。結花は青白い顔で会議卓の端に座り、山積みのファイルを前に手を震わせていた。「颯斗……相手の最新の主張読んでも、どこから反論すればいいのか全然わかんないよ……」涙を浮かべ、声を震わせた。「涼音さんが原告側に回るなんて、あんまりだよ。私のこと潰す気なんだわ!」目の下に濃いクマを作った颯斗は、しわだらけのシャツを着ていた。一睡もしていないのだろう。噴き出しそうな怒りをこらえ、案件ファイルを
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第8話

私が持ち去ったのは、この案件で勝つための唯一の道筋だった。「もう駄目だ」颯斗は椅子の背にもたれ、頭を抱えた。「この案件は勝てない」「そんなの困る!どうすればいいの?」結花は慌てて颯斗の腕をつかんだ。「正式採用されて、初めて私が主担当になる大きな案件なのに……負けたら、業界中で笑い者にされちゃうよ!助けて、颯斗!」「助ける?俺に何ができる!」颯斗は突然怒りを爆発させ、目の前の案件ファイルを払い落とした。書類が宙を舞うなか、血走った目で結花を指さした。「消滅時効すらまともに計算できないのか!ロースクールでいったい何を学んできた!涼音の原案があれば、形だけでも真似できると思った。お前は写すことさえできないのか!」結花は呆然と椅子へ座り込み、顔を覆って泣きだした。午後2時。私が翌日の口頭弁論に備えて主張を整理していると、デスクのスマホが震えた。グランドロイヤルホテルの宴会担当、井上翔(いのうえ しょう)からだった。「柊様、お世話になっております」電話の向こうから、翔の丁重な声が聞こえる。「明日の会場設営が完了いたしました。念のため確認させてください。披露宴ではなく、柊様の送別会へ変更するということで間違いございませんか?進行も予定どおりでよろしいでしょうか」コーヒーカップを置き、落ち着いて答えた。「予定どおり進めてください。会場は、私が指定した最上級プランのまま。招待客も変更しません」翔は少しためらった。「ですが、先週倉橋様から、メインテーブルの席次を変更したいとのご連絡がありまして……」「結花に決める権限はありません」私は言葉を遮った。「残金を支払い、会場を押さえたのは私です。メインテーブルは、私が指定した方のために空けておいてください。それから、明日は結婚式用の曲を流さず、企業の懇親会に合うBGMに変更してください」「承知いたしました、柊様」電話を切り、引き出しから金文字の新しい招待状を取り出した。昨夜のうちに、本当に来てもらうべき人々へ私自身が届け終えている。大学時代の指導教員、新しい事務所の同僚、颯斗との契約を打ち切った主要クライアント、そして私の両親だ。颯斗の取り巻き連中には、彼がすべてを失う様を特等席で見届けてもらえばいい。パソコンで「
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第9話

月曜午前9時。地方裁判所の第1法廷。私は黒のスーツ姿で、原告代理人席で背筋を伸ばして開廷を待っていた。向かいの被告代理人席には、颯斗と結花が並んでいる。結花はサイズの合わないスーツに身を包み、ひどく居心地が悪そうだった。答弁書を握る指の関節が白くなるほど力が入っており、視線は定まらない。こちらを一度も見ようとしなかった。颯斗の顔色は、さらに悪い。充血した目に、伸びたままの無精髭。焦りと疲労を隠しきれていない。私が落ち着いて訴訟記録を開くと、彼は奥歯をきつく噛み締めた。裁判長の松本隆(まつもと たかし)が入廷し、開廷を告げた。「それでは、原告代理人、請求の趣旨を陳述してください」私は立ち上がり、はっきりとした声で原告側の請求と理由を述べた。手元の起案を見る必要はない。必要な条項も時系列も、すべて頭に入っている。松本裁判長はわずかにうなずき、被告側へ目を向けた。「被告代理人、答弁書の陳述を」結花は慌てて立ち上がった。震えた手から、数枚の書類が床へ落ちた。急いで拾い集め、つかえながら読み始めた。「被告は……原告の請求の棄却を求めます。根拠は……その……」言葉が止まった。役に立たない書面の束を必死にめくり、額に大粒の汗を浮かべていた。「準拠法に定める、外国企業との取引に関する規則では……」ようやく見つけた一文にすがるように、読み上げた。私はすかさず手元のマイクのボタンを押し、容赦なく相手の言葉を遮った。「異議あり。裁判長、今の主張について意見を述べます。被告代理人が挙げた規則は昨年10月に廃止され、すでに新しい規定へ移行しています。現行法ではない規定を根拠として述べても、本件の争点に対する答弁にはなりません」松本裁判長は眉を寄せ、結花を厳しく見た。「被告代理人は、引用した規定が現在も有効か確認してください。そのうえで、本件の主な争点である債務不履行の時期について、端的に答えてください」「時期は……昨年の5月です……」結花は目を赤くし、声を小さくした。私は再びマイクのボタンを押し、刃のような視線で彼女を射抜いた。「異議あり。被告代理人。被告側が一方的な契約解除を通知したメールは、昨年3月15日付です。記録上、争いようがありません。ご依頼者による一
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第10話

それは、私が提出した電子記録の保全結果だった。債務不履行の時期を裏づける証拠だけではない。私はその一式に、ひそかに公証済みのアクセスログまで添えていた。私はマイクに向かい、声を法廷全体へ響かせた。「裁判長、証拠一覧の第3群にご注目ください。被告側の主張の組み立てが、数か月前に原告側が事務所の内部システムで作成した機密資料と大部分で一致しています。被告代理人の冴島颯斗弁護士と倉橋結花弁護士が、原告代理人の中核となる起案を不正に流用した疑いがあります。ここに、公証を受けたシステムのアクセスログがあります。被告側がこの答弁書を提出する3日前、冴島弁護士がシステムにログインし、もともと『柊涼音』名義だった原案を複製し、起案者名を書き換えたうえで本件の書面として提出したことが、明確に記録されています。これは原告側への不誠実な対応にとどまらず、弁護士の職責を踏みにじる行為です」法廷内が一気にざわめいた。相手方代理人の起案を盗用して、その相手方と法廷で争う。弁護士業界でも前代未聞の不祥事だった。颯斗は手元の証拠を握りしめ、紙をくしゃくしゃにした。正確なアクセス日時を突きつけられ、反論の一言すら出てこない。自分で承認したログが、今は自分の首を絞める縄になっていた。「ここで10分間、休廷します」松本裁判長が告げ、法廷は休憩に入った。扉が開くと、颯斗は制止する法廷警備員を振り切り、怒りに駆られたように原告側の席まで来て私の前をふさいだ。充血した目。激しく上下する胸。押し殺した声が震えている。「柊涼音!いったい何がしたいんだ!あの案件は、お前が自分から俺のために書いたんだろう!原案だって、お前がパソコンに残していたじゃないか!それを今さら法廷で盗まれたように言って、俺を潰したいのか!」私は記録をまとめていた手を止め、横目で彼を見た。7年間愛した顔が、今はひどく醜く見える。思わず笑いが漏れた。「颯斗。一つ、勘違いしているわ」私は取り乱した様子を見つめ、まるで路傍の石でも見るような冷ややかな声で言った。「私があなたに渡したのは、私がそうしたかったからよ。もう渡さないと決めたものを、勝手に奪う権利なんてあなたにはない。法廷で問われるのは証拠だけ。あなたが自分で書いたと証明できるなら、ここで反論す
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