All Chapters of 愛し尽くした私が、あなたを捨てるまで: Chapter 11 - Chapter 20

22 Chapters

第11話

智也は口元から血を流したが、動かなかった。ただゆっくりと目を上げ、菜月を見た。「自分から望んだんだろ。俺が無理やりしたわけじゃない。菜月の望みを叶えてやったつもりだった。それに俺も初めてだったんだから、菜月だけが損をしたわけじゃない」彼女は信じられない思いで、目の前の智也を見つめた。菜月にとって智也は、清潔感があり、穏やかで品のある人だった。智也と一緒にいられることが、この世でいちばん幸せだと思っていた。それだけの価値がある人だと信じていたからだ。それなのに、智也は菜月に向かって、こんなことを言った。「智也、どうしてそんな言い方ができるの?私は女なんだよ。女にとって初めてがどれだけ大切か、分からないの?」「俺だって、初めては紬のために取っておくと約束してた。それなのに、菜月としたんだ!菜月、俺が付き合うことを承諾したのは、傷つけるのがかわいそうだったからだ。でも今、俺は紬を傷つけた。これ以上、紬を傷つけるわけにはいかない。だから俺たちは、ここで終わりにするしかない」「嫌。終わりになんてしたくない」菜月は泣き崩れながら、智也に抱きついた。「お願い、私を捨てないで。智也、ごめんなさい。こんなことを言って、怒らせるべきじゃなかった。もう二度と言わないから、今までどおりでいい。紬と付き合っていてもいいから。私は待ってる。智也に時間があるときだけ、会いに来てくれればいい。年に4回……ううん、年に1回だけでもいいから。お願い」「無理だ」智也は冷たく菜月を押しのけた。「終わりだと言っただろ。明日の朝、青陵市へ紬を迎えに行く。何としても、もう一度やり直してもらう。それから菜月は、二度と俺の前に現れないでくれ。紬が嫌がるから」そう言い残し、智也は振り返ることなく歩き出した。だが、そこでクラスメイトたちと鉢合わせた。智也を心配してあとを追ってきた彼らは、二人の会話を聞いてしまったのだ。彼らの目には驚きと軽蔑、そして菜月への同情が浮かんでいた。「智也、いくら何でも、そんな扱いはひどいんじゃないか?」「そうだよ。ここまでしたなら、ちゃんと責任を取るべきだろ」「お前たちには関係ない」智也は彼らを一瞥すると、そのまま立ち去った。菜月はあとを追おうとしたが、寮の管理人に止められた。「何をしてるんで
Read more

第12話

智也は何通もLINEを送ったが、紬からは一度も返信がなかった。電話をかけても、電源が切れたままだった。智也は紬との過去のトークを遡った。最後のやり取りは、連休が始まる前日の夜で止まっていた。紬は智也に尋ねていた。【明日は何するの?私に会いたい?顔を見たいって思わない?】智也はこう返していた。【最近、毎日遅くまで実験してて疲れてる。休み中は何もせず、寮でずっと寝ていたい】紬はスタンプを送ってきた。【もう、私の彼氏は本当に大変だね。突然目の前に現れて、肩でも揉んであげたいな!】【馬鹿だな。こんなに遠いのに、紬をわざわざ来させられるわけないだろ。冬休みになったら、俺が会いに行くよ】だが智也は、一度も紬に会いに行こうとしたことがなかった。休みになるたび、菜月と一緒に過ごしていた。あのメッセージを送ったときでさえ、南陵市へ向かう新幹線の中にいた。考えれば考えるほど後悔が募り、自分の頬を何度も殴りつけたい気分になった。自分は何を考えていたのだろう。どうして、あれほど優しい紬を傷つけることができたのか。8時間後、智也はようやく青陵市に着いた。すぐに地下鉄へ乗り換え、さらに1時間以上かけて青陵大学へ到着した。遠距離恋愛になってからの4年間で、智也が紬の暮らす街まで会いに来たのは、これが初めてだった。もうすぐ紬に会える。そう思うと、胸が高鳴った。青陵大学の構内には、卒業を控えた学生たちの姿があふれていた。智也は一人の女子学生を呼び止めた。「すみません、医学部はどこですか?」「医学部ですか?この道をまっすぐ進めば着きます」女子学生は智也の整った顔を見て、頬を赤らめた。「あの、よかったらLINEを交換しませんか?」「ごめん。俺には彼女がいるから」「あ……そうですか」女子学生は残念そうに立ち去った。智也は笑みを浮かべ、教えられた方向へ歩き出した。間もなく医学部に着いた。学生たちは卒業写真を撮っており、大勢の人が行き交っていた。だが、どこを見ても紬の姿はなかった。「すみません。小宮山紬を知っていますか?」「あなたは?」運よく、智也が声をかけたのは紬のクラスメイトだった。彼女たちは集まってくると、目の前の見知らぬ男性を興味深そうに眺めた。「
Read more

第13話

「い、今……何とおっしゃいましたか?」智也は動きを止めた。聞き間違いではないかと思った。「海外へ?いつのことですか?」「もう3か月前に出発しましたよ」教員は事情を説明した。「大学に海外交換留学の枠がありましてね。小宮山さんは医学部でも特に優秀な学生ですから、当初から推薦する予定だったんです。ところが本人は、恋人と離れたくないから国内に残ると言っていました。それが3か月前、何があったのかは知りませんが、突然留学したいと言ってきたんです。それで推薦者名簿に入れました。空港まで送ったのも私ですよ。あなたは恋人なのに、何も知らなかったんですか?」知るはずがなかった。3か月前、紬が南陵市を離れた日から、智也は一度も連絡を取れていなかった。紬は腹を立てているだけだと思っていた。3か月後の卒業式に自分が現れれば、紬は心を和らげ、また自分のもとへ戻ってくると信じていた。だが紬は、3か月も前にすでに旅立っていたのだ。あの別れのメッセージは、智也を困らせるためではなかった。紬は本気で別れを告げていた。智也の目が次第に赤くなった。教員の腕をつかみ、取り乱した様子で尋ねた。「先生は、紬の連絡先を知りませんか?何度も電話をかけて、LINEもたくさん送りました。でも、一度も返事がないんです」「それは私にも分かりません」教員は遠回しに断ると、智也から離れた。「すみませんが、少し場所を空けてください。まだ撮影が残っていますので」「先生、それなら、どの国へ留学したのかだけでも教えてください!」「イギリスです」教員が立ち去っていくのを見ても、智也には追いかける勇気がなかった。その場に立ち尽くした。卒業写真の撮影が終わり、学生たちが一人、また一人と帰っていっても、智也は動けなかった。そしてようやく我に返ると、その場に崩れ落ちた。自分が最も大切な人を失ったのだと、初めて悟った。それでも、何としても紬を連れ戻すつもりだった。イギリス、ロンドン。紬は一日の授業を終え、鞄を背負ってアパートへ向かっていた。ロンドンは曇りの日が多く、今にも雨が降り出しそうだった。寒さが苦手な紬は、ここへ来てからずっと寒さと息苦しさを感じていた。昼間の授業が終わると、一人で家へ帰り、一人で食事をした。
Read more

第14話

【もちろん大丈夫。私たちが代わりに散々言ってやったよ!】【もしイギリスまで来ても、絶対に情にほだされちゃ駄目だからね、紬!】【腰はまだ痛む?ちゃんと湿布を貼ってね】ほんの短い気遣いの言葉だったが、紬の目には涙があふれた。目を赤くしながら返信した。【ありがとう。もうだいぶよくなったから、生活に支障はないよ】スマホを置き、窓の外の木々を眺めた。少しずつ寂しさが胸に広がった。以前の紬には、大切なものがたくさんあった。だが今は、勉強以外には何も残っていないように思えた。それでも悪くはなかった。これからは医学の勉強だけに集中できる。その後の2か月間、紬は変わらない毎日を過ごした。大学へ通い、授業が終われば帰宅し、ときには買い物や散歩に出かけた。もう二度と智也に会うことはないと思っていた。だがある日、アパートへ帰ると、玄関の前に見覚えのある人影が立っていた。紬が見間違えるはずのない姿だった。智也だ。本当にここまで捜しに来たのだ。その日のロンドンには、細かな雨が降り続いていた。空気は重く、紬の腰にはまだ鈍い痛みが残っていた。智也を見た瞬間、喉が締めつけられたように息苦しくなった。紬は背を向け、その場から立ち去ろうとした。だが、智也が紬に気づいた。「紬!」智也は駆け寄ると、紬を強く抱き締めた。「やっと会えた。俺がこの間、どれだけ苦労して紬を捜したか分かるか?」智也は紬の肩に顔を埋めた。声を詰まらせ、つらそうに泣いていた。以前なら、智也がこれほど泣けば、紬も胸が張り裂けそうになっただろう。だが今は、何も感じなかった。紬は智也を押しのけ、赤くなった目を無表情に見つめた。「智也、私に何か用?」紬のよそよそしく冷淡な態度に、智也は一瞬言葉を失った。「紬、俺にそこまで冷たくする必要があるのか?」「だったら、どうすればいいの?」紬は笑いながら聞き返した。「大喜びで智也の胸に飛び込んで、どうしてここまで会いに来てくれたのって聞けばいい?それとも、会いたかった、ずっと待ってたって、泣きながら言えばよかった?」智也は眉を寄せた。実際、そのとおりになると思っていた。紬の心には、まだ自分がいると信じていたからだ。紬は今も、自分を愛しているはず
Read more

第15話

智也の目から、急に光が消えた。紬を離そうとしなかった手も、少しずつ力を失っていった。智也は何も答えなかった。だが、その反応だけで十分だった。「やっぱり寝たのね。菜月と寝たくせに、私のところまで来て、もう一度やり直したいって言ったの?」紬は目の前の男を見つめた。人として、すっかり腐りきっているようにしか思えなかった。「智也、本当に後悔してる。どうしてあのとき、あなたなんかと付き合ったんだろう。私は4年間、心からあなたに尽くしてきた。それで返ってきたのがこれなんだから、私が馬鹿だった。でも、もう二度と同じ間違いはしない」紬はアパートに入ると、迷わず扉の鍵をかけた。智也は帰らなかった。一晩中、紬の部屋の前に立っていた。翌朝、紬が外へ出ると、智也はすぐにあとをついてきた。「紬」「智也、いったいどうしたいの?」「紬と一緒にいたい」「無理よ」「どうすれば、もう一度だけ機会をくれる?本当に悪かった、紬!」「もうつきまとわないで!」ここは大学が紬のために用意したアパートだった。近隣に住んでいるのは、同じ大学の学生や教員ばかりだった。路上で紬が見知らぬ男ともめているのを見て、周囲の視線が二人に集まった。紬がどうすればいいか分からずにいると、同じ医学部の男子学生が歩み寄ってきた。「小宮山さん」男子学生は紬を一度見てから、隣にいる智也へ視線を移した。「助けが必要?」紬はこの男子学生と同じ医学部に所属していたが、二人はほとんど話したことがなかった。どちらも交換留学生としてロンドンへ来ていた。紬が知っているのは、彼の名前が坂口航平(さかぐち こうへい)で、自分と同学年だということくらいだった。航平は医学部でもよく知られた学生だった。顔立ちが整っており、学部一のイケメンと言われていた。一方、紬は学部一の美人と呼ばれていたため、二人はよく並べて噂されていた。ロンドンへ来た日も同じ飛行機に乗っていたが、一度も会話を交わさなかった。紬は航平を、冷たく無口な人だと思っていた。そのため、向こうから助けが必要かと声をかけてくるとは、考えたこともなかった。「この人につきまとわれているの」「紬——」智也は眉をひそめた。紬がそんな言い方をするとは思わなかった。航平は
Read more

第16話

智也の顔色はさらに悪くなった。「紬のご両親に会って、何をするつもりなんだ?」「分からないの?菜月は幼い頃に両親を亡くして、紬のご両親から実の娘のように可愛がられてきたでしょ。今は妊娠して、紬は海外、智也にも相手にしてもらえない。紬のご両親を頼って、智也を呼び戻す以外にどうしろっていうの?」彩乃は深いため息をついた。「智也、私も聞きたいんだけど。菜月には同情しているだけで、卒業したら別れるって言ってたよね?だったら、どうして菜月に手を出したの?そんなことをしたら、紬が許してくれるわけないでしょ!」「最初にお前たちが菜月と付き合えって言わなければ、紬との関係がここまで壊れることもなかった!紬のそばには別の男がいるんだぞ。俺の顔を見るだけで吐き気がするって言われたんだ!」「智也、本気で言ってるの?その気になったのは自分でしょ。それなのに、今さら私たちに責任を押しつけるつもり?もういいから、今すぐ帰ってきて、菜月とのことを解決して。菜月は、智也が戻らなければ、お腹の子の父親が誰なのか紬のご両親に話すと言ってる。そんなことになったら、紬とやり直すなんて絶対に無理になるよ!」彩乃は一方的に電話を切った。智也はスマホを握る手に、少しずつ力を込めた。彩乃の言うとおりだった。菜月の問題は、どうしても解決しなければならない。智也は最も早い便を予約し、桜野市へ戻った。空港に着いて最初にしたのは、両親へ電話をかけて金を頼むことだった。「400万円?そんな大金を何に使うんだ?」「必要なんだ」「簡単に出せる金額じゃないぞ、智也。卒業したら就職するって言っていたのに、まだ就職先も決めていない。それなのに突然そんな大金が必要だなんて、父さんたちは心配なんだ」「前から、地元へ戻って家業を継いでほしいって言ってただろ?400万円を出してくれたら、近いうちに戻る」「分かった。自分で言ったことを忘れるなよ」電話を切ると、両親はすぐに智也の口座へ金を振り込んだ。智也はタクシーに乗り、小宮山家が住むマンションへ向かった。高校時代、智也は毎晩のように紬を家まで送っていた。マンションの前に立つクスノキの下まで送り、紬が建物の中へ入るのを見届けた。3階の部屋に明かりがつき、紬が窓を開けて手を振るのを見てから、ようやく帰ってい
Read more

第17話

マンションの屋上。菜月は智也の手を振りほどき、強くつかまれて赤くなった手首を見た。少し傷ついたような顔をした。「智也、痛いよ!」「聞きたいのはこっちだ。紬のご両親を訪ねて、何をするつもりなんだ?」「会いに来たらいけないの?」菜月は何も知らないふりをした。「おじさんたちは、私を実の娘みたいに可愛がってくれてるの。紬が海外にいるんだから、親友の私が代わりに様子を見に来ても、何もおかしくないでしょ?」智也は険しい顔で菜月を睨んだ。「正気か?俺たちのことを紬のご両親に話すつもりなのか?」「そうだよ。それが何か?話してほしくないの?」菜月は自分の腹部に手を当てた。「智也、私、もう妊娠2か月なの。私たちの赤ちゃん、触ってみない?」菜月は智也の手を取り、自分の腹部に触れさせようとした。だが智也は嫌悪をあらわにして、その手を振り払った。「もういい、菜月。はっきり言え。いったい何が望みなんだ?」「私にも、お腹の子にも責任を取ってほしい!」菜月は智也に近づき、思いつめた顔で訴えた。「智也、この子は神様が私にくれた贈り物なの。私が幼い頃に両親を亡くして、ずっと自分の家族が欲しかったことを神様は知っていた。だから、たった一晩で私たちに赤ちゃんを授けてくれたの。智也だって、喜ぶべきでしょ?どうして少しも嬉しそうじゃないの?分かった。紬のせいなんだね?私が智也の子を妊娠したと知られたくないんでしょ。紬に一生許してもらえなくなるのが怖いんだよね?」智也は菜月を見つめ、一言ずつ区切るように告げた。「菜月、自分で病院へ行くか。それとも、俺が連れていくか」「え?」菜月は一瞬、意味が分からなかった。智也が本当にそこまで冷酷になれるとは思っていなかった。「どういう意味?智也、まさかこの子を中絶しろっていうの?」「この子は、最初から生まれてくるべきじゃなかった!菜月、中絶するなら400万円を渡す」「そう」菜月はあまりの言葉に笑い出した。「智也、一つだけ聞かせて。もし紬が智也の子を妊娠したら、中絶させる?」「させない」智也は即座に言い切った。その答えを聞き、菜月は完全に失望した。「よく分かった。だったら、私が何をしても恨まないでね、智也!」菜月は踵を返し、階段へ向かって走
Read more

第18話

「言うなって言っただろ!」もみ合っているうちに、菜月は足を滑らせ、階段を転げ落ちた。床に倒れた菜月の身体の下に、赤い血が広がっていった。智也も紬の父も、動けなくなった。物音を聞いて出てきた紬の母は、その光景に息を呑んだ。「いったい何があったの?何をぼんやりしてるの!早く病院へ連れていかないと!」三人は菜月を病院へ運んだ。医師から流産の危険があると告げられ、菜月は緊急処置のため手術室へ入った。手術室の前で、紬の両親は険しい表情を智也へ向けた。先に口を開いたのは、紬の父だった。「いったい何があったんだ?さっき菜月が言ったことは本当なのか?お前はずっと菜月と付き合っていて、お腹の子も……お前の子なのか?」「え?」紬の母は、これほど馬鹿げたことが起きているとは思わず、信じられないという目で智也を見た。「あなたは紬と付き合っていたんでしょう?それなのに、どうして菜月とも付き合って、子どもまでできたの?」智也はその場に膝をつき、二人に謝った。「おじさん、おばさん、本当にすみません。あのときの俺はどうかしていました。でも、わざとこんなことをしたわけじゃないんです!俺が愛しているのは紬だけです。菜月のことは、ただかわいそうだと思って、少しでも優しくしてやりたかっただけで……それに菜月も、大学の4年間が終わったら別れると約束していました。卒業したのに、菜月が別れようとせず、ずっと俺につきまとってきたんです。お腹の子を使って、俺を引き止めようとまでしました。中絶してほしいと言ったのに拒まれて、それで言い争いになって——」智也が最後まで言い終える前に、紬の母がその頬を平手で打った。「私の娘を裏切ったうえに、いちばんの親友まで妊娠させて、紬がどう思うか考えたことはあるの?卒業しても帰ってこず、海外留学を続けると決めたのは、あなたのせいだったのね!」「この馬鹿者が!紬が何をされても黙っていると思って、菜月には頼れる親がいないからと、二人を好き勝手に扱ったんだろう!あまりにもひどすぎる!」紬の父も智也へ詰め寄り、力いっぱい殴った。「紬がお前と付き合いたいと言ったとき、私は反対したんだ。こんな命に関わる事態まで起こしておいて、まだわざとではなかったと言うのか?もう救いようがない!」「もういいわ。これ以上殴った
Read more

第19話

「そうなの?」紬は眉をひそめ、表情を曇らせた。「お母さん、私と菜月はもう友達じゃないの。また来ても、家に入れずに帰して」「智也のことが原因なの?智也が菜月と浮気したんでしょう?」紬は驚いた。「どうして知ってるの?菜月から聞いた?」「今日は智也くんも来たの。言い争いになって、誤って菜月を階段から転落させたのよ。菜月のお腹にいた赤ちゃんも、助からなかった」「え?」紬は聞き間違いではないかと思った。「赤ちゃん?二人には子どもまでできてたの?」「知らなかったの?紬、お母さんは本当に見る目がなかったわ。前は智也くんをいい子だって褒めていたのに、見かけだけの最低な男だった。あなたに許してもらうとも言ってたわ。あの男が何をしても、情にほだされて許したりしないでね!」「心配しないで、お母さん。許すつもりはないよ。一度決めたことを変えるつもりもないから」「それなら安心したわ。もう邪魔しないから、勉強に戻りなさい」電話を切ったあとも、紬の心は複雑だった。数日前まで、智也はアパートの前に立ち続け、自分を許してほしいと訴えていた。だがその一方で、菜月との間には子どもまでできていたのだ。紬は川沿いまで歩いていき、腰を下ろした。涙が一滴ずつ頬を伝った。以前の紬は、本当に智也が好きだった。授業中でさえ、こっそり横顔を見つめてしまうほどだった。智也は容姿が整っており、クラスの女子たちもよく集まって彼の話をしていた。成績もよく、顔も格好いい智也は、将来どんな女性と付き合うのだろう。そんな話を耳にするたび、紬は一人で笑いをこらえていた。二人はすでに付き合っていたからだ。ただ周囲には内緒にしており、知っているのは菜月だけだった。大学入試が終わったあと、一人の女子生徒が智也に告白した。すると智也は大勢が見ている前で紬の手を取り、全員に告げた。「俺にはもう彼女がいる。紬が俺の彼女だ」その瞬間、クラス中から大きな歓声が上がった。「クラス一の美男美女が付き合ってたなんて、やっぱりお似合いだよ!」「結婚するときは、絶対に招待してくれよ!」「友人代表のスピーチは俺にやらせろよ!」「でも、二人が別の相手と結婚するなら、俺たちを呼ぶなよ!」冗談のつもりだったその言葉は、現実になった。紬
Read more

第20話

紬の胸は激しく高鳴った。航平が自分を好きだとは、一度も考えたことがなかった。二人には、ほとんど接点さえなかったのだ。「小宮山さんが突然イギリスへ行くと決めなければ、俺も来なかった。先生から、小宮山さんが留学を断ったと聞いて、俺も断った。そのあと、小宮山さんが行くことにしたと聞いて、俺もすぐに承諾した」航平は、熱を帯びた強い眼差しで紬を見つめた。紬は唇を噛み、航平の身体を押して離れた。「ごめん。今は少し混乱してる」「分かってる。告白したのは、今すぐ返事をさせたいからじゃない。ただ、いつまでも瀬川のことばかり考えないでほしかった。周りを見れば、ほかにもいい男はたくさんいる」「坂口くんも、その一人ってこと?」紬はまた笑わされた。「前は、すごく冷たい人だって聞いてた。まさか、こんな人だったなんて……」「好きな相手には優しくする。冷たくする理由がない」航平の目には、紬が今まで見たことのないほど強い想いが浮かんでいた。以前の瞳は、冷たく、温度を感じさせなかった。だが今は、氷が陽光に溶かされたように、柔らかく澄んでいた。紬は、その眼差しに引き込まれそうになった。「私、先に帰る!」紬は逃げるように立ち去った。航平はその背中を見つめ、口元に優しい笑みを浮かべた。まるで、すぐに怯えて逃げるウサギのようだった。一方、国内の病院では。目を覚ました菜月は、真っ先に自分の腹部へ手を当てた。「赤ちゃんは?私の赤ちゃんは無事なの?」智也は首を横に振った。「助からなかった」「あなたが私たちの赤ちゃんを殺したのよ!智也、どうしてそこまで残酷になれるの!」菜月は感情を抑えきれず、何度も智也の身体を拳で叩いた。智也は避けなかった。ただ400万円の小切手を取り出し、ベッド脇に置いた。「身の回りの世話をする人は手配した。入院費も支払ってある。これが前に話した400万円の小切手だ。受け取ったら、俺たちはもう何の関係もない」また同じ言葉だった。しかも菜月が最も悲しみ、絶望しているときに、智也はこれほど残酷なことを口にした。菜月は唇を噛み、全身を震わせながら泣いた。「智也、あなたは人間じゃない!本当に後悔してる。どうして私は、馬鹿みたいにあなたなんかと付き合ったの!」「後悔するなら
Read more
PREV
123
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status