All Chapters of 離婚?上等!――クズ夫と裏切った親友を捨てた私は、世界一の外科医になって御曹司に溺愛されます!: Chapter 1 - Chapter 10

61 Chapters

1.手術前夜、夫は愛人と花火を見ていた

「成功率は、五割にも満たないのです」担当の形成外科医に告げられた言葉が、何度も頭の中を巡っていた。桐生倫子は病室のベッドに横たわり、傷跡が残る右手を見つめた。明日、神経修復手術を受ける。うまくいけば、再び細かい作業もできるようになるかもしれない。けれど失敗すれば――。「……」倫子はぎゅっと目を閉じた。不安で心臓が嫌な音を立てている。倫子はスマートフォンを手に取った。桐生智也。夫の名前を押し、通話ボタンをタップする。呼び出し音が鳴る。だが、智也が電話に出ることはなかった。予想していたけれど、手術前日くらい甘えても許されるのではないかと思ったのだ。倫子は通話を切り、メッセージ画面を開いた。【明日、手術です。時間に間に合うように来てください】送信。しばらくして、既読がついた。けれど、返信はない。「……そう」倫子は小さく息を吐いた。万が一、手術中に予定外の処置が必要になった場合に備え、病院からは家族に待機してほしいと言われている。実家の母に来てもらおうとしたら、智也は「俺がいるんだから」と難色を示した。「でも、あなたは忙しいでしょう?」「俺が社長なんだ。スケジュールくらい好きに決められる」不機嫌そうに言う智也に、嬉しいというより複雑な気持ちになった。それならば、なぜ他のお願い事のときは「忙しい」と話も聞いてくれないのか――そんなことを思い出していると、病室のドアがノックされた。「失礼します。桐生倫子さん、明日の手術について、最終確認をさせてくださいね」看護師が書類を持って入ってくる。説明を受け、倫子は必要な欄に目を通した。そして、最後のページで手を止める。緊急時の連絡先。家族代表者。そこには、桐生智也と署名してある。入院前に、署名してくれたのだ。これがなければ、母に頼んで田舎から出て来てもらったのだが。母を家に泊めるのが嫌で断ったのか――そんな、嫌な考えが頭をよぎった。まさか、そこまで人でなしではないだろう。……そう、思いたかった。   ***手術前夜である。なんとなく不安になり、眠れない。倫子は眠ることを諦め、病室を出た。ナースステーションの近くの、見舞客用のスペースで一人の看護師が休憩している。その人はスマートフォンを見ながら、楽しそうに声を
last updateLast Updated : 2026-08-21
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2.離婚します

手術から数日後。桐生倫子は、予定より早く退院した。右手にはまだ包帯が巻かれている。医師からは無理をしないようにと言われていたが、一刻も早く離婚を成立させ、復学に備えたかった。タクシーを降り、自宅の前に立つ。ここはもう、自分の帰る場所ではない。最後の一仕事をするのだ。夕日が、沈もうとしていた。玄関のドアを開けると、リビングから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。「ただいま」声をかけても、返事はない。倫子がゆっくりとリビングへ入ると、ソファに座っていた桐生智也が顔を上げた。その隣には、直也がいる。「……もう退院したのか」智也の第一声は、それだった。右手のことを気遣う言葉は、一つもなかった。「ええ。問題なく終わったから」「そうか」たった一言、それだけだった。智也は、すぐにスマートフォンへ視線を戻した。倫子はしばらくその姿を見つめていたが、意を決して口を開いた。「花火は、楽しかった?」智也の指が止まる。「……何の話だ」「つい、五日前の話よ。ヘリコプターで花火を見るのって、楽しいんでしょうね」智也の表情が変わった。直也はようやくゲーム機から顔を上げた。「美琴さんを悪く言うな!」「悪くなんて言っていないわ。事実を確認しただけよ」直也は口を尖らせた。「僕、美琴さんと一緒に暮らしたい。こんなママ、いらないよ」躾のために叱る倫子と、会うたびに甘やかす美琴。まるで、心臓が握り潰されたように痛い。すると、智也が面倒そうに口を開いた。「子どもの前で変な話をするなよ」「変な話?」智也が何を言おうとしているのか、理解できなかった。「あのSNSのことを言っているなら、仕事の付き合いだ」「人生を一緒に歩むっていうのが?」「演出だよ」智也は眉をひそめた。「お前も、もう少し妻としての自覚を持ったらどうだ」倫子は思わず笑いそうになった。妻としての自覚。手術前日に連絡を無視され、当日にすっぽかされ、夫が親友と新しい人生を歩むと発表する。そんな状況で、自分に足りないのは妻としての自覚なのだろうか。倫子はバッグから一枚の書類を取り出し、テーブルの上に置く。「何だ、これ」智也が書類を見る。そして、表情が変わった。「離婚届?」「ええ」倫子はまっすぐ夫を見つめた。「署名して」智也は呆然としながら、倫子の顔を眺めた。
last updateLast Updated : 2026-08-21
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3.パーティーの前に

空港のVIPゲートから出てきた女を見て、桐生智也は足を止めた。「……倫子?」隣にいた桐生美琴は、顔をしかめた。「まさか。似ているだけよ」六年前に離婚されて、何も持たずに自分たちの前から去った女だ。さらに言うなら、結婚する前に医学の道から転げ落ちた、目障りな存在。そんな負け犬が、このような場所にいるはずがない。けれど……。長身の男性の隣を歩く女性は、倫子に似ている。智也は、その女と目が合った気がした。ほんの一瞬。だが、まるで見知らぬ他人を見るような視線は、智也を素通りした。そのまま隣の男の腕に自然と手を添える。濃紺のスーツと紺色のワンピース。まるで最初から対になるように選んだ装いだった。二人は親密そうに囁き合い、警備員にガードされたまま通路の先へ消えていった。「……何なんだ、あいつ」智也の胸に、理由の分からない苛立ちが湧いた。「あの男性が『再生の魔術師』なのかしら?」と、美琴が呟いた。それからしばらく様子を見ているが、他にVIP扱いされる人は出てこなかった。智也はスマートフォンを取り出した。「今夜のパーティーに入れるようにしろ」電話の向こうへ命じる。「俺と妻の二人分だ」「いえ。うちの白木家の伝手の方が確実だわ」   ***倫子たちは空港を出て、タクシーに乗った。「桐生夫妻が、今夜のパーティーに出席するそうです」長身の男――イーサン・タンがスマートフォンを見て、倫子に告げた。「元の招待客から横取りしたようです。出席を阻止しますか?」隣に座る朝倉倫子は、窓の外を眺めていた。懐かしい日本語が、車窓の向こうに溢れている。「いいえ。そのままで」倫子は淡く微笑んだ。「よろしいのですか?」「せっかく自分から来てくれるんですもの」イーサンはぴくりと眉を上げたが、それ以上は何も言わなかった。今回の来日で彼は、倫子のアシスタントとして同行している。その実、彼女を守るボディガードでもあった。「あの二人が来るなら、ビジネス用のパンツスーツという訳にはいかないわね」「だから、ドレスを用意した方がいいと……」イーサンは小言を途中で切り上げ、運転手に高級ブランド店へ向かうよう指示を出した。「パーティー用のドレスなんて、その場に馴染めればいいのよ」倫子はそ
last updateLast Updated : 2026-08-24
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4.パーティーが始まる前に

パーティーが行われるホテルの前に、一台の黒い車が滑り込んだ。助手席から、ミッドナイトブルーのスーツを着た長身の男が降りてきた。周囲を素早く確認してから、後部座席のドアを開ける。「どうぞ。ドクター・リン」 朝倉倫子は、差し出された手を借りて車を降りた。 白を基調としたシンプルなドレスで、サイドには縦にターコイズブルーの太いラインが走っている。 スタイルの良さを強調するデザインだ。 その姿を見かけた桐生智也は、思わず足を止めた。「……倫子?」 六年前に離婚した元妻。 顔立ちは似ている。背格好も。 しかし、倫子は田舎から出て来た苦学生で、洗練された立ち居振る舞いとは無縁だった。本人なら、右手の甲に傷があるはずだ。 女性の手元に目をやると、手袋をしている。 隣にいる桐生美琴も、倫子の顔を凝視している。倫子は立ち尽くす二人の前を通り過ぎようとした。「ちょっと待ちなさいよ」美琴は倫子に手を伸ばそうとする。すかさずイーサンがその手をたたき落とした。「この方に何か?」「いえ、知人に似ていたものですから」美琴はイーサンの精悍な顔に一瞬怯んだが、負けずに答えた。「我々は急いでいますので、失礼」イーサンは倫子を庇うように、美琴たちに背を向けた。まるで相手にされていない屈辱に、智也と美琴は苛立ちを隠せなかった。智也たちがエレベーターで会場へ向かうと、受付の前にいるイーサンたちが見えた。「あなたたち、こんなところで何をしているのかしら?」 美琴が声を上げた。 倫子が振り返る。「……何のご用でしょう」 ようやく向けられた視線は、驚くほど冷たかった。「ここ、誰でも入れる場所じゃないんだけど?」 周囲にいた招待客がこちらを見る。「医学界の重鎮ばかりが集まるパーティーよ。医学部を卒業していない人間がいていい場所じゃないわ。あなた倫子でしょ?」 倫子は返事をしなかった。 美琴はイーサンが取り出した招待状に目を向けた。「その招待状、本物かどうか、きちんと確認した方がいいですよ」 周囲の視線が、倫子へ集中する。「この人、昔からそういうことをするのよ」 美琴は声を大きくした。「智也に取り入って、私から妻の座を奪った女なんですから」「美琴……」 智也が止めようとした。 だが、美琴は止まらない。「あなたたち、騙されないで。大し
last updateLast Updated : 2026-08-25
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5.元夫の苛立ち

「お前は、倫子の愛人なのか?」 桐生智也の声に、周囲のざわめきがぴたりと止まった。 特に、朝倉倫子のいるテーブルに同席している人たちの視線が、険しくなる。 イーサン・タンは、感情の読めない目で智也を見た。「違います」 智也は、わずかに表情を緩めた。「ですが、元夫だからといって、朝倉先生に何をしても許されるわけではありません」 低く、はっきりとした声だった。「何だと?」 智也の眉が跳ね上がる。「俺は倫子の夫だったんだぞ」「元、ですよね」「だから何だ!」 思わず声を荒らげると、桐生美琴が慌てて駆け寄ってきた。「あなた。こんな所で大きな声を出さないで」 智也はそれに構わず、イーサンを睨みつける。「俺たちの問題に、部外者のお前が口を出すな」「朝倉先生が不快な思いをされている以上、部外者ではありません」「昔は医者になりたいって騒いでいたくせに。今じゃ男に囲われているのか?」 倫子は、無言で智也を蔑むように見た。「その男に毎月いくらもらっているんだ?」 智也の発言に、イーサンのこめかみに青筋が浮かんだ。「俺なら倍出してやる。お前、養生食の腕はよかったからな」 そのテーブルの周囲に沈黙が降りた。 倫子は小さく息を吐いた。「あなたは六年経っても、何も変わっていないのね」 智也の顔が引きつる。「……何だと?」「人の話を聞かない。相手が何を望んでいるのか考えない。そして、自分が与えてやれば、誰もが喜ぶと思っている」「俺はお前のためを思って――」「頼んでいないわ」 静かな一言だった。 智也はその拒絶に、言葉を続けられなくなった。「倫子。あなたってひどい人ね」 美琴が智也の腕に手を添えて、涙ぐんでみせる。「桐生様ご夫妻」 イーサンが一歩前に出る。「これ以上、朝倉先生に絡まれるようでしたら、会場から退出していただきます」「俺を追い出す?」 智也が唇の端を上げて笑った。「俺が誰だか分かっているのか? 大手IT企業の社長だぞ。医学会の重鎮にも知り合いがいる」「そうですか」「俺を追い出したら、お前の方が終わるぞ」 その台詞を聞いて、倫子がくすりと笑った。「もういいわ、イーサン」「……朝倉先生」「いい加減、わかってもらった方がいいと思うの」 倫子は
last updateLast Updated : 2026-08-26
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6.再生の魔術師とは

「それでは皆様に、お知らせがございます」 司会者の声が会場に響いた。 イーサン・タンが壇上に立ち、マイクを受け取った。「今回、日本で行われる特別手術につきまして、簡単にご説明させていただきます。 日本の大学病院の教授が考案した術式に、我が国際医療グループが技術提供をするという形で行われます」 会場がざわめいた。やはり、この男が再生の魔術師なのかと。「残念ながら教授は都合がつかずに、本日は欠席されています。 手術の依頼および各種調整は、私、イーサン・タンが担当いたします。医師に直接接触しないよう、よろしくお願いします」 その挨拶に、落胆する雰囲気が漂った。「では、あの男性が、『再生の魔術師』本人ではないということか?」 誰かが呟く。 視線が、自然と朝倉倫子へ集まった。 イーサンのすぐそばにいて、医学界の重鎮たちと同じテーブルに座っている女性。 しかし、倫子は何も答えない。 その沈黙を破ったのは、美琴だった。「皆さん、騙されないでください」 桐生美琴は慌てたように手を自分の胸に当てた。「その人、私の知り合いなんですけど」 周囲が美琴を見る。「昔は、医師になりたいって頑張っていたんです。でも……途中で挫折してしまって」 悲しそうに眉を下げる。「今でも諦められなくて、こんなところに来てるのかな」「美琴、そんな言い方をするな」 桐生智也が口を挟んだ。「だって……私、倫子のことが心配なの」 美琴は不安そうに倫子を見て、そっと智也の腕に寄り添った。「私が『天才外科医』なんて呼ばれるようになったから……自分もなれるって夢を見ちゃったのかな」 美琴は優しく諭すような笑顔を浮かべた。「イーサンさんのおそばにいられるのはすごいと思う。でも、『再生の魔術師』だなんて嘘を吐かない方がいいよ」 美琴は広い会場の後方の席から、前方の倫子の方へと歩き出した。「私は一度も、自分が『再生の魔術師』だと言っていないわよ」 倫子は素っ気なく言った。「それから、私は復学して、医師免許を取得しているわ。さっき言ったのに、もう忘れた?」「……え?」「最終学年を残すだけだったもの。卒業試験と国家試験がメインでしょ」 美琴が目を丸くする。「……復学したって、聞いていないわ」「離婚の原
last updateLast Updated : 2026-08-26
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7.パーティーのあと

 桐生智也は、愛車に乗り込んだ。 パーティーで恥をかかされ、実に腹立たしい。 助手席に座った妻の美琴は、すぐにスマートフォンを取り出した。 今夜のパーティーについて、SNSに投稿する。『医療界の重鎮の先生方が集まる、素敵なパーティーにご招待いただきました 尊敬する先生方とたくさんお話しさせていただいて、本当に勉強になる一日でした いろいろな方に声をかけていただいて、気づけばずっと引っ張りだこ…… こうして可愛がっていただけることに感謝です』 添えたのは、会場の重厚な扉の前で微笑む自分の写真だった。「……完璧」 投稿して間もなく、通知が鳴り始める。『Mikoto先生、さすが天才美人女医!』『医学界の重鎮にも愛されてるんですね』「ほらね。みんな、ちゃんと分かってくれてるのよ」 美琴は満足そうに笑った。 運転席の智也は、美琴を横目で見た。「……やっぱり倫子だったわね」 美琴は急に不機嫌な顔になった。「大人しい顔をして、あんな性格を隠していたなんて」 智也は答えなかった。 五年間の結婚生活を思い出していた。 倫子は従順だった。 口答えもせず、食事を作り、家を整え、自分が仕事に集中できる環境を作ってくれていた。 ――あんな女ではなかった。 だが、今日の倫子は……一度も自分を相手にしていなかった。   *** 翌朝、ホテルの部屋では、ルームサービスの朝食がテーブルに並んでいた。 スクランブルエッグに、温かいスープに、焼きたてのパン。 焼き魚に、味噌汁に、白米。「ああ、美味しい」 朝倉倫子は味噌汁をすすり、幸せそうに頬を緩めた。 食後の珈琲を飲みながら、倫子はスマートフォンを手に取った。 三枝哲郎からメッセージが届いている。『パーティーはうまくいったみたいだな。右手の具合は大丈夫か?』 倫子は微笑んだ。『緊張して、もうへとへと。でも、テーブルタップはやったわ』 テーブルに手を置いて、指を一本ずつ上げ下げするリハビリだ。「きちんとやったんですね」 横から声がした。 イーサン・タンは二杯目の珈琲を注ごうとして、ついでにのぞき込んだようだ。「覗き見しないで」「無防備なドクター・リンにも問題があると思います」 イーサンがついでのよう
last updateLast Updated : 2026-08-27
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8.美琴の思惑

「朝倉倫子……また私の邪魔をしようというの」 桐生美琴はスマートフォンを握りしめた。 父の白木総一郎からは、医療法人白徳会と朝倉倫子の共同手術の話を進めろと言われている。 仕方なく、昔から知っている電話番号にショートメールを送った。『倫子、久しぶりに二人で会えないかな? 昨日は私も少し感情的になってしまって……ごめんなさい。 昔みたいに、仲良くしようよ』 しばらくして、返信が届く。『仕事が忙しいので、難しいと思います』「……は?」 せっかく、こちらから連絡してあげたのに。「私だって忙しいわよ。……倫子のくせに」 しかし、怒っている場合ではなかった。 自分は「天才美人女医」としてテレビや雑誌に出ている。 だから、それより目立つ目障りな存在なんて、いらないのだ。*** パソコンの画面の向こうで、女性誌の記者が目を輝かせた。「桐生先生。朝倉先生と大学の同期って本当ですか?『再生の魔術師』本人は、正体を明かさない。でも、その相棒が日本人女性だなんて、ドラマチックですよね!」 美琴の顔が引きつる。 しかも、自分が受けた『今を輝く女性たち』のインタビュー記事は、朝倉倫子の記事を優先するため、次号に回されるという。「二か月連続で美人女医の特集です。絶対に話題になりますよ!」「……楽しみにしています」 美琴は笑うしかなかった。自分がコツコツと積み上げてきた評判を、たった一夜で塗り替えられた。 ならば、倫子を自分の舞台に引きずり出せばいい。マスコミという、また別の世界へ――*** 取材当日。 その記者が使うホテルは、美琴もよく知っている。その廊下で、美琴は倫子たちを待ち伏せした。「倫子!」 美琴は親しげに片手を挙げた。 倫子の隣には、イーサン・タンが控えている。彼はさりげなく倫子の前に立った。「何かご用かしら」「そんな冷たい態度を取らなくてもいいでしょ。昔みたいに仲良くしたいだけよ」「わざわざ待ち伏せして?」 倫子は淡々と聞き返す。とても親しい人同士の会話には聞こえない。。「倫子、こういう取材は不慣れでしょう? 私、取材には慣れているから。サポートしてあげたいなって」「桐生先生はお優しいですね」 記者が微笑んだ。 その呼び方に、倫子がわずかに反応
last updateLast Updated : 2026-08-27
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9.変わらない男

 桐生美琴が、自分のスマートフォンに飛びついた。 夫の桐生智也からメッセージが届いている。『倫子のご機嫌は直ったか?』『智也。助けて。倫子がひどいことを言うの』そんなやり取りを、その場の誰も気に留めなかった。「さあ、ドクター。着替えて帰りましょう」 朝倉倫子の護衛も兼ねているイーサン・タンは、守り切れなかったことに悔しさを滲ませる。「着替え終わったら、先に戻っているわね」「いけません!」「ここは日本だし、私の顔も知られていないから大丈夫よ」 倫子の返事は軽かった。「ミスター・イーサン・タン。どうか、先ほどまでのインタビューだけでも、掲載の許可を!」 記者に縋られて、イーサンは動けない。 朝倉倫子は脱いだ服をカメラマンに手渡すと、廊下へ出た。「倫子。待ってよ」 すかさず美琴が追いかけてきた。 驚いたことに、前方に桐生智也がいる。「倫子。また美琴の邪魔をしているのか」 やれやれというような上から目線に、倫子は眉を寄せた。前後を挟まれて、倫子は足を止めざるを得ない。「……邪魔したのかですって?」「美琴を泣かせるなよ」 振り返ると、美琴の目は潤み、今にもこぼれ落ちそうだ。「……器用ね」「お前が何かしたんだろう」 あまりにも迷いのない決めつけに、倫子は思わず笑いそうになった。「この人が、取材に割り込んできたのよ。自業自得だわ」「心の狭いことを言うなよ。美琴は、お前と仲直りしたいと言っているだけだろう」 智也は、子どもに言い聞かせるように声を和らげた。 倫子は、しばらく智也の顔を見つめた。「……本気で言っているの?」「何だ」「じゃあ、聞くけど。さっき美琴が私に珈琲を掛けようとしたことは?」「美琴がそんなことをするはずがない」 即答だった。 倫子は乾いた笑いを漏らした。「さっき汚した衣装、一点物だったんですって。損害を請求されたら大変よ」 そのまま立ち去ろうとすると、智也が手を広げて通れないようにした。「お前は、金、金、金と相変わらず品がないな。逃げるのか?」「不愉快だから『お前』なんて呼ばないで。私は忙しいのよ」「昔からそうだ。美琴はお前のことを心配しているのに、お前がそれを拒絶する」「へえ。『心配』ねぇ」 倫子が美琴を振り返る
last updateLast Updated : 2026-08-28
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10.白木家の関係者

 朝倉倫子は、大学病院のカンファレンスルームへ向かった。 その傍らには、医療コーディネーターのイーサン・タンがついている。 再生医療の権威として知られる中井教授が、笑顔で倫子を迎え入れた。「初めまして。中井です。先日はパーティーを欠席して、すみませんでした」「いえ。見苦しいところをお見せしないですんで、よかったです。中井教授の論文を、とても興味深く拝見しました」 あのパーティーでは、桐生智也と美琴夫妻に絡まれて、散々だった。「日本には、僕なんかよりずっと優れた再生医療の権威がいますから。僕はその弟子の末席にいるだけですよ」「まあ、ご謙遜を」 この腰の低さに、倫子は日本に帰ってきたと実感した。「患者さんの主治医は、当院の形成外科医、山本です」 中井教授に紹介されて、山本准教授が立ち上がった。「朝倉先生。お会いできて光栄です」「こちらこそ」 二人が握手を交わす様子を、周囲の若手医師たちは面白くなさそうに眺めていた。 ――なぜ、大学病院内でもトップクラスの医師たちが、帰国したばかりの医師にあそこまでへりくだるのか。 そんな視線が、倫子にも伝わってくる。「事前にいただいた資料を拝見しました。事故直後の山本准教授の処置が、とても素晴らしいと思いました」「……え?」 山本准教授は目を瞬いた。 傲慢で、自己顕示欲の強い女医という噂を聞いていた。 しかし、目の前の倫子は、資料を読んだうえで自分の処置を好意的に評価している。 一体、何が本当なのだろう。「患者さんは、まだお若いお嬢さんなのですよね」「ええ。今どき珍しい話ですが……旧家の血筋で、政略結婚も予定されているそうです」「手術が成功しても、リハビリが必要になります。それは、ご本人も承知されているんですか?」「がんばり屋さんですから。大丈夫でしょう」 山本准教授がそう太鼓判を押した。 その直後。「本当に、そんなポッと出の人に任せて大丈夫なんですか?」 室内の空気が変わった。「年はいってても、キャリアは短いって聞いていますよ」 若手医師の一人は、不満を隠そうともしなかった。 倫子は、その彼を見る。「私が執刀するとは限りません」「……はい?」「患者さんの自家培養表皮が生着したことを確認
last updateLast Updated : 2026-08-29
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