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「成功率は、五割にも満たないのです」
担当の形成外科医に告げられた言葉が、何度も頭の中を巡っていた。
明日、神経修復手術を受ける。
うまくいけば、再び細かい作業もできるようになるかもしれない。
けれど失敗すれば――。
「……」
倫子はぎゅっと目を閉じた。不安で心臓が嫌な音を立てている。
倫子はスマートフォンを手に取った。
夫の名前を押し、通話ボタンをタップする。
呼び出し音が鳴る。
だが、智也が電話に出ることはなかった。
予想していたけれど、手術前日くらい甘えても許されるのではないかと思ったのだ。
倫子は通話を切り、メッセージ画面を開いた。
【明日、手術です。時間に間に合うように来てください】
送信。
しばらくして、既読がついた。
けれど、返信はない。
「……そう」
倫子は小さく息を吐いた。
万が一、手術中に予定外の処置が必要になった場合に備え、病院からは家族に待機してほしいと言われている。
実家の母に来てもらおうとしたら、智也は「俺がいるんだから」と難色を示した。
「でも、あなたは忙しいでしょう?」
「俺が社長なんだ。スケジュールくらい好きに決められる」
不機嫌そうに言う智也に、嬉しいというより複雑な気持ちになった。
それならば、なぜ他のお願い事のときは「忙しい」と話も聞いてくれないのか――
そんなことを思い出していると、病室のドアがノックされた。
「失礼します。桐生倫子さん、明日の手術について、最終確認をさせてくださいね」
看護師が書類を持って入ってくる。
説明を受け、倫子は必要な欄に目を通した。
そして、最後のページで手を止める。
緊急時の連絡先。
家族代表者。
そこには、桐生智也と署名してある。入院前に、署名してくれたのだ。
これがなければ、母に頼んで田舎から出て来てもらったのだが。
母を家に泊めるのが嫌で断ったのか――そんな、嫌な考えが頭をよぎった。
まさか、そこまで人でなしではないだろう。
……そう、思いたかった。
***
手術前夜である。
なんとなく不安になり、眠れない。
倫子は眠ることを諦め、病室を出た。
ナースステーションの近くの、見舞客用のスペースで一人の看護師が休憩している。
その人はスマートフォンを見ながら、楽しそうに声を上げた。
「花火が上がった!」
画面には、夜空いっぱいに広がる大輪の花。音声は切っているようだ。
「あら、眠れませんか?」
看護師が倫子に気づき、画面を少し傾けた。
「退院して元気になったら、こんな楽しみもありますよ」
「そうですね」
倫子は微笑んだ。
「ヘリコプターで花火を上から見るんですって」
画面に映った人物を見て、笑顔が凍りつく。
ヘリコプターの機内。
窓の外には、夜空を彩る花火。
そして、その前に寄り添う男女。
サングラスで顔を隠した男性。その隣に、
「……智也?」
美琴はカメラに向かって手を振っている。
『今日は、特別な夜になりそうです』
画面の下にそうテロップが流れた。
コメント欄には、すぐに祝福の言葉が並んでいく。
夫が、美琴の肩を抱いた。
『これからは、白木美琴と人生を歩んでいきます』
そんな言葉が画面に流れる。
倫子は、すっと血の気が引いた。
さらに、その隣には目元を隠す仮面を着けた小さな男の子がいた。
倫子が、自分の子として育ててきた子ども。
直也は満面の笑みで、手にした札を掲げていた。
【みことまま だいすき!】
「……っ」
息が止まった。
「大丈夫ですか?」
看護師の声が、遠く聞こえる。
***
白木美琴。
大学で出会った親友だ。
田舎から上京し、倫子には知り合いがいなかった。サークルに入る余裕がない中で、同級生は貴重な存在だった。
六年前。医学部の五年生が終わり、最終学年が目前に迫っていた。
美琴に、忙しくなる前に最後に遊ぼうと誘われた夜。
酒を飲み、急に意識を失った。
そして目を覚ましたとき――隣には、智也がいた。
それが、すべての始まりだった。
「友達の恋人を奪った女」
美琴は泣きながら、自分は裏切られたのだと周囲に訴えた。
一番味方になってくれそうな美琴を傷つけてしまい、倫子は途方に暮れる。
結局、倫子は医学部を休学した。
妊娠したからだ。
そして美琴は、倫子がいなくなった医学部で「天才」と呼ばれるようになった。
もしかしたら倫子が手にしていたかもしれない栄誉を、美琴が手に入れた。
今思えば、何かがおかしかった。
入籍してすぐに倫子は流産した。その数か月後に、智也は一人の赤ん坊を連れてきた。
「俺たちの子として育てよう」
そのときの倫子は、何も疑わなかった。
いや。
疑いたくなかったのだ。
夢を諦め、母を泣かせたのだ。その分、新しい家族と幸せにならなければと――
***
翌日。
麻酔が効いてくるまで、智也は現れなかった。
そして、手術が終わり、倫子が目を覚ましたとき、病室には誰もいなかった。
「……智也?」
声を出してみたが、返事はない。
右手はまだ、感覚がなかった。
枕元のスマートフォンを左手で取る。
個人的なメッセージは一件もない。
一瞬、自分が何のためにここに存在しているのか、わからなくなった。
美琴のSNSを開く。
そこには、数え切れないほどの通知が届いていた。
美琴と智也を祝福する投稿。
二人はお似合いだ。
そこに直也が自然と馴染んでいる。
顔立ちが、智也と美琴を混ぜ合わせたようだった。
もしかして、直也の生みの親は……美琴?
画面を見つめながら、倫子はしばらく動けなかった。
涙が出る。
けれど、それを拭う右手は動かない。
「……そう」
かすれた声で呟いた。
「私は……必要なかったんだ」
夫にも。
親友にも。
そして、息子にとっても。
「だったら……」
倫子はスマートフォンを膝の上に置き、左手で予定表に文字を打ち込んだ。
右手で打つより時間がかかる。
【離婚】
少し考えたあと、続ける。
【リハビリ】
そして――
倫子は、ゆっくりと最後の言葉を入力した。
【復学】
画面を見つめる。
六年前に諦めた、医師になるという夢。
「まだ……終わってない」
もし右手が元に戻らなくても、医師にはなれる。
夫も、家族も、親友もいらない。
「私の人生は……私のものだから」
今度こそ。
誰にも奪わせない。
倫子は、固定されて動かない右手をそっと見つめた。
そして、左手で予定表を閉じる。
――奪われた人生を、この手で取り戻す。
朝倉倫子は休日にショッピングモールに行った。 看護師のクララ・リムが服を選んでくれるというのだ。 ところが、クララは洋服店へ向かうのではなく、まずカフェに入ろうと言った。 アイスティーを注文して受け取ってから、空いている席に座った。「さて、ドクター・リン。いつもどんなふうに服を選んでますか?」 クララはシロップとミルクをたっぷり入れ、ストローでかき回す。「……動きやすくて、おかしくないもの?」「無難に、目立たず? どんなふうに見られたいとか、イメージしていないんですね」「あまり考えたことがないわ」 学生時代に、同級生たちがファッション雑誌を見ながらおしゃべりしているのを眺めていた。ある程度自分に自信がないと、着飾ろうと思わないのではないだろうか。 デザイナーのジュンコにコーディネートしてもらって、自分も捨てたものではないと知った。だが、それは特別な日のコスプレのような感覚で、日常の自分まで変えようとは思わなかった。「あの……今日は、似合う服を選んでくれるんじゃないの?」「似合う服かつ、着たい服を探しましょう」 クララはストローをくわえ、いたずらっぽく笑った。「それに加えて、イーサンさんのリクエストがあります。優しい感じではなく、キリッとした感じ。無茶なことを言われたら、撥ねのけられる強い女です。ドクター・リンはどんな『キリッ』がいいですか?」「え? どんな……? 強さに種類があるの?」「女優さんでもいろんな『キリッ』がありますよ」 クララはバッグの中からタブレットを取り出した。「キリッとしたイメージの女優さんです。 この人は知的で優雅な雰囲気、こっちは都会的でバリバリ仕事する女性、こちらは威厳ある完璧主義な女性。どういう方向を目指したいか考えてください」「どれも、私には無理だと思うけど……」 倫子は、正直面倒くさいと思った。たかが服だ。着ていておかしくなければいいじゃないか、と。 クララは倫子の表情をじっと見つめる。「イーサンさんが求めているのは、押せば譲る人だと思われる可能性を潰したいってことだと思うんです。その結果に繋がるなら、服装はドクター・リンが好きに選んでいいはず。 それに、自分が好きじゃないものを着るよりは、少しでも好きなものの方が気持ちが上がるでしょ。毎日のことですからね」
夕方のスタッフオフィスで、朝倉倫子は伸びをしながら呟いた。「夏にまとまった休みが取れたら、故郷の花火大会を見に行きたいな」 七年前に、桐生智也と白木美琴が堂々と花火デートをSNSに上げた。次の夏がきたら、八年になる。 もう花火大会と聞くだけで気が滅入るような状態を、やめたいと思った。 父や母と手を繋いで見た思い出の方が前面に出てくればいいのだが、気持ちを切り替えるのは難しい。 母を誘って、新しい思い出で塗り替えたい。声をかけたら、三枝哲郎も来るだろうか。同じ病院で働いているということで、仲良くやっているようだし。 テーブルに書類を広げて仕分けしていたイーサン・タンが、顔を上げた。「いいですね。私も同行していいですか?」 イーサンは医療コーディネーターとして倫子を担当しているが、他にも数名の医師を担当している。日本への出張ではつきっきりで世話をしてくれたが、倫子専用ではない。「休暇を取って? 気に入ってくれたのね。日本の雰囲気がよかった? それとも料理が口に合った?」 一緒にいてくれるなら心強い。倫子は嬉しくて、つい早口になってしまった。「いえ。すっぴんで人前に出ないか、迷子にならないか、監視しないと……」 イーサンがくくっと笑う。「ひどい。からかったのね」 倫子ははしゃいだ自分が恥ずかしくなり、目を逸らした。これだから、冗談が通じないと言われるのだと、軽く落ち込んでしまう。「半分は冗談ですけど、気をつけて欲しいのは本当ですよ。有名人になったのですから、イメージを崩さないよう少しは気遣っていただきたい。ドクター・リンのママさんと哲郎にもお願いしておきましょうか」「哲郎まで巻き込むつもり? 友達にそんなことを頼むなんて」 自分同様におしゃれに興味がなさそうな人たちに頼んで、何ができるというのか。倫子は内心おもしろくなかった。 かといって、おしゃれを教えてくれそうな知り合いなど、心当たりがない。デザイナーのジュンコは、日常遣いの服は扱っていないし。「今の状態がひどいと言っているわけじゃないですよ。シンプルで清潔感があり、お似合いです」 イーサンにそう言われて、倫子はほっとした。「どうやっていいかわからないから、無難にしているんだけど。ありがとう」 同級生の女の子たちがファッションで盛り上がっているときには、余裕がなかった。
三枝哲郎から朝倉倫子にメッセージが届いた。『もう、通常業務に戻った頃かな。手のリハビリはやっているか? 夜更かしはしていないか?』 まるで母親のようだ。大丈夫だと書いたあとに、こう付け加えた。『患者さんの奥さんにデザートを渡されて、袖の下は駄目って断ったの。私、頭が固いのかなぁ?』『疑われそうなことはやらないっていうのも、自己防衛だろ』 そんな返事を見て、倫子はほっとした。『倫子は再生の魔術師と言われて目立つのが嫌なんだろ? だから、ゲーム仲間と○○の魔術師っていうあだ名をあちこちで付けて、ネットミームになるように流してる』『どういうこと?』『以前、○○王子ってあだ名を付けるブームがあったじゃん。あれみたいに、たくさん魔術師が出てくれば埋もれるって』『あはは。それ、いいね。ちなみにどんなの?』『ゲームの魔術師、スポーツの魔術師、氷上の魔術師、キッチンの魔術師……』『なんでもあり、なのね』 倫子は哲郎とのやり取りを終えると、スマートフォンを置いた。いつの間にか眉間のしわが消え、笑顔になっていた。 *** その頃、美琴はSNSにこんな書き込みをしていた。『子どもが離婚した前妻を恋しがっています。 あちらはまったく未練がないみたいで、離婚後に一度も会ってくれません。 私は何をしてあげられるのか、毎日悩んでいます』 ほどなくして、期待していた反応が返ってきた。『優しいですね。Mikotoさんの気持ちは、お子さんに届いていると思いますよ』『その前妻もひどいですね。人の心がないみたい』 美琴は、満足げに画面を眺めた。 ちゃんと「子どものことを心配している愛情深い女性」だと思われた。 さらに、美琴は書き込んだ。『もし彼女から連絡が来たら、すぐに会えるようセッティングします。 だから、これを見たら連絡をしてきてほしいな』 その後、美琴はお風呂に入り、すっかりいい気分になってリビングへ戻った。「美琴ママ。僕、こんなこと言ってないけど」 直也がスマートフォンを、美琴の目の前に突きつけた。 美琴は、面倒なことになった、と舌打ちしたくなった。「朝倉倫子と接点を持ちたいのよ。連絡が来ても、直也に会えとは言わないから、安心して」「いや、別に……会ってやってもいいけど」「え……?」
白木総一郎は、娘の桐生美琴を自宅に呼び出した。「お前の子どもをダシに、朝倉倫子と連絡を取れないのか?」「無理よ。直也は私に懐いているから。倫子も離婚のときに『要らない』って言っていたもの」 はっきり言って、美琴も直也を可愛いとは思えない。生意気で可愛げがないのだ。「正攻法で国際医療グループに連絡を取ったのだが、門前払いを食らった。王族くらいの権力者じゃないと相手にしないとでも言うつもりか」 ウィスキーのグラスを、テーブルに乱暴に置いた。「もう、あんな子は放っておきましょうよ」 美琴は家政婦の田中を呼んで、自分の分のウィスキーの水割りを作ってもらった。「では、他に策があるのか。論文や研究発表で名を上げる? 牧野拓海が名を上げても、今は大学病院に所属しているから、白徳会には利がないぞ。 有名な医者を引き抜いたら、人件費が膨らむ。設備投資をして最新の機材を入れるにも金がかかる。赤字で潰れる病院だってあるんだぞ」 総一郎はぐいっとグラスをあおった。 美琴は考えた。「私が、倫子より有名になればいいんでしょ? みんなから羨ましいと思われるような、成功者として……」「インフルエンサーとやらは、もう充分だ。次に必要なのは『あの医師がいるから白徳会の病院に行こう』と思うくらいのネームバリューだ。それがお前にできるのか? もう、お前の贅沢のために金は出さんぞ」「なんでよ? ゴージャスな姿を皆に見せてあげなきゃ。インフルエンサーであり続けるための努力はしているわ」「やりすぎだ。ただの美人医師ではなく、『天才女医』なんて。天才という根拠を突っ込まれたらどうするつもりだ」「それは、マスコミが勝手に……」「否定せずにそれに乗っかったのはお前だろう。 着飾るのはいいが、一定のラインを超えたら信用をなくすことに気付いていないのか。本業を疎かにしているように見えたら、逆効果だ。お前が消化器外科でなく、美容整形だったら着飾るのも宣伝になるから、話は違っただろうが」 総一郎は「残念だったな」と笑った。「研修医時代には、そんなこと言わなかったじゃない。大腸がんが多いからって、消化器を勧めたくせに……」 美琴は父の態度を見て、欲しかった時計が買えそうにない
医療法人白徳会の理事長、白木総一郎は苛立っていた。 国際医療グループに朝倉倫子を指名して手術依頼を出したのに、断られたのだ。「日本で標準的に治療可能な症例であり、国外へ搬送する医学的メリットが乏しい」 そんな理由で―― 有名な女優の顔の傷跡を目立たなくする手術だ。 撮影中の事故で、額に3センチほどの傷跡が残った。 髪型やメイク、画像処理で対応できるが、やはり「なかったことにしたい」と願うのは普通だろう。 形成外科としては、一般的な手術の範囲だ。 その女優は、外国の映画に出演することが決まっていた。 世界進出に向けて、有名な医師に手術させる。 両者が相乗効果で名を上げられる。白徳会は手術する場を提供する。 誰にとっても、いい話のはずだ。 せっかく話を持ちかけてやったのに、「神経をつなぐ必要がない」からやらないだと? 総一郎は返信のメールに納得ができず、国際電話をかけた。「なぜだ。朝倉倫子ならできるのだろう?」 と、最初から責め立てるように、大きな声を出した。 電話を受けた医療コーディネーター、イーサン・タンは受話器を耳から離した。「技術的には可能です。しかし、ドクター・アサクラでなければならない医学的理由がありません。そのように回答いたしましたが?」 そのすました態度は、さらに総一郎を苛立たせた。 お高くとまったものだ。 ああ。日本にだって、有能な医師はたくさんいる。そんなことは百も承知だ。 だが、それでは話題にならない。 あの女優だって、「そこまでして、撮影に向き合うプロ根性」という評判が捨てがたく、傷を残しているのだ。 話題作り、話を振られやすいネタ作り。 彼女自身の意思かはわからないが、少なくとも事務所はそう考えている。――昔はよかった。 医師というだけで尊敬された。病院の経営が危ぶまれることも、医師の数が足りないなんてこともなかった。 今では、いつ、何を理由に訴訟を起こされるかわからず、赤字にならないよう経営に腐心する。 親から受け継いだものを守るだけでも大変な時代だ。 子どもたちがもっと頼りになればよかったが、どうも頼りない。まだまだ自分が踏ん張らないといけない。 医療法人や病院の名を上げ、価値を高めるのだ。 総一郎は、自らを奮い立たせた
できることを頑張っているだけなのに、誰かに「ずるい」と非難される。 そのことが、朝倉倫子を疲弊させた。 学生時代は、奨学金をもらっていることを、ずるいと言われた。学費を出してくれる親がいる方が、恵まれていると思う。 医師になり、手術をして、人を助けることができるのは嬉しい。 本来なら、そこには地元の患者であろうと、国外からの要人であろうと区別はないはずだ。 要人の手術をする機会が多いせいで、また、ずるいと言われた。 国際医療グループには、国外からの患者向けの紹介窓口がある。 紹介された患者については、紹介元の主治医と調整を行い、医療情報のやり取りなどをする必要がある。国際医療グループで担当する医師が、直接あるいは医療コーディネーターを介してやり取りすることになるのだ。 両者で治療方針を調整し、ときには共同で手術をすることもある。 そのため、医師としての技量はもちろんのこと、他の医師や医療スタッフと円滑に連携する能力も求められる。 自分のほうが上だと相手に思い知らせたい――そんなタイプは、連携に支障をきたしかねないため、敬遠される傾向にあった。 選ばれるのは光栄だが、手術以外に神経を使うことが多いのだ。「ずるい」と言われて、納得できない気持ちになった。 ***「ドクター・リン。この患者を担当してくれないかな?」 地元の患者を主に担当している医師が、外科医のスタッフオフィスにやってきて、倫子に声をかけた。 倫子はパソコンの前に移動し、患者の電子カルテを一緒に見ることにした。 舌がんで、舌の半分近くを切除する必要がある患者だった。「腫瘍を確実に取り切ることを考えると、かなりの範囲を切除する必要があるけれど、できるだけ残存部分を残したい。いい方法がないかも含めて、相談したいんだ」「悪性腫瘍の範囲想定は? ……ああ、これね。遊離皮弁による舌再建がいいかしら」 前腕や太ももなどから皮膚や軟部組織を採取し、移植する。そうして、舌の形と機能をできるだけ補うやり方だ。「この患者は、地元の屋台を営む男性なんだ。手術後に舌が動くようになればいいというだけじゃなく、味を感じるようにしたい」 思ったよりも、大きな問題だ。「そんな条件があるなら、話が変わってくるわ」「舌の再建部分は、ドクタ