冬物の服をすべて引っ張り出し、次々とたたんでスーツケースに詰めていく。不意に玄関の扉が開く音がして、足音を忍ばせて誰かが近づいてくる気配がした。背後から大きな両手が伸びてきて、外気で冷えきった指先が私の両目を塞ぐ。「だーれだ」わざと低く抑えた声だった。出張から帰るたびに私をからかう、あの艶のある低音のままだった。以前の私なら「もちろん英輔でしょ」と笑って答え、甲斐甲斐しくその冷えた手を温めてあげていただろう。けれど今の私に、あの頃のような甘い感情はもうない。彼とじゃれ合う気分にもなれなかった。私はその手をそのまま外し、俯いたまま服をたたみ続けた。英輔は面食らったように固まり、冷えた指を握りしめると、眉を下げ、しゅんと肩を落とした。雨に濡れた子犬のように、哀れっぽく尋ねてきた。「嘉音、どうしたんだよ。1ヶ月も口をきいてくれないなんて、まだ拗ねてるのか?この前だって、お前が急に結婚式場に乗り込んできたせいで、俺が招待客への説明にどれだけ苦労したか分かってるのか」私は口元に、皮肉めいた笑みを浮かべた。1ヶ月前、親戚や友人全員の前で、私はすっかり笑いものになってしまった。新郎だったはずの彼が、大勢の参列者の前で別の女と結婚式を挙げたせいだ。それを見た母は心臓発作を起こし、私は惨めにも英輔の手で会場から追い出された。母の葬儀の日になっても、地元の人々は嘲るような目で私を指差した。「あの人でしょ、結婚式当日に旦那に逃げられたって。いい大学出てるくせに、30手前で独り身だなんてね」「本当にみっともないわね。お母さんまでショックで死なせちゃったんでしょう?昔から言うじゃない、娘なんて育てたって、いざというとき親の役には立たないって」母を見送った日の、あの胸にまとわりつくような重苦しさが再び私を包み込む。けれど涙は、とっくに涸れ果てていた。意識を現実に引き戻し、私は静かに口を開いた。「口をきいてないんじゃなくて……」別れましょう。その一言を言い切る前に、英輔は先回りするようにうなずき、大げさにため息をひとつ吐き出すと、まるで気にも留めていないように言った。「へー。口をきいてないんじゃなくて、俺に怒ってるんだろ?だから、ちゃんとメッセージで説明したんじゃないか。綾夏の新郎が逃げたんだよ。うちとあ
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