激しい雨が窓を叩いていた。 ソファーに腰を落として雨の音を聞きながら、桐生雪乃は頭の中で音符を組み立てる。指をぎこちなく動かして膝を叩いた。 ポツ、ポツ。(シ、シ、シ) 単発だった雨粒が、いつのまにか数を増している。(ソ・ファ・ミ・レ・ド) 一粒が高い空から地面まで落ちていく。その軌跡が、そのまま音階になる。 やがて、篠突く雨。(ドドドドドド……) 隣り合う鍵を重ねれば、濁って、止まない。低い一音を長く踏み込んで――そこへ、雷。(……っ) 雪乃から声にならない息が漏れた。 右手に激痛が走ったと同時に、頭の中の音楽は止み、周囲には、ただ雨音だけが残った。 雪乃は痛みが走った右手に視線を落とす。 中指に一筋残る白い傷痕。 あの日以来、この指は二度と、思うようには動いてくれない。 右手を広げたまま、無言で見下ろしていると、携帯電話が淡く光った。画面に浮かんだのは、夫・柊也の名前。 雪乃は右手を隠すように膝の上で握り、左手だけで通話ボタンをタップした。「雪乃、結婚記念日おめでとう。もう五年か……早いな」 雪乃は左の薬指の指輪に触れ、小さく頷いた。 画面越しの柊也は、目元をやわらかく緩め、人当たりのいい――芸能界の人間らしい、隙のない笑みを浮かべていたが、その表情がふっと翳りを見せた。「急な仕事が入った。今日の食事は行けそうにない」 結婚してから四年目まで、柊也が記念日を欠かしたことは一度もなかった。どんなに忙しくても、必ず時間を作ってくれていたのに――……。「すまない」と肩を落とす柊也を見て、雪乃は左手でノートとボールペンを手に取り、慌ててペンを走らせた。『気にしないで』 雪乃はそう書き綴ったノートを柊也に向けた。 それを見た柊也は、ふっ、と小さく笑った。「埋め合わせは必ずする。プレゼントも用意してあるから」 穏やかな声だった。 雪乃はもう一度、ノートに文字を書く。『たのしみにしてる』「良かった。じゃあ、また後で」 柊也がそう言うと、通話は切れた。 雪乃は息を吐き出すと、携帯電話をソファの上に置いた。 静寂が戻った部屋に、激しい雨音だけが響いている。 気にしないで、とノートに書いた文字をじっと見つめた。 嘘ではないけれど、本当でもない。 喉の奥がキュッと縮こ
Last Updated : 2026-09-01 Read more