Tous les chapitres de : Chapitre 11 - Chapitre 20

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第11話

琴音は険しい表情のまま若菜へ歩み寄り、若菜が反応するより早く、手を振り上げた。鋭い平手打ちを喰らい、若菜は顔色を一変させた。電話を切ると、熱を持った頬に手を当て、冷たい声で問い詰めた。「どうして私を叩くんですか?」「自分がどんな卑怯な真似をしたか、私が気づいてないとでも思いました?この前は娘にあんなおもちゃを持たせて、私のものだと嘘をつかせた。それも全部、昨夜のための仕込みだったんでしょう?私が寂しさに耐えきれず、外で知らない男と関係を持ったことにする。先にあのおもちゃがあって、そのあとに浮気の証拠まで出てくれば、私には言い逃れできない。そういう筋書きだったんじゃないんですか?」琴音は激しく問い詰めた。しかし、若菜はまるで動じず、鼻で笑った。「琴音さんは、私があなたを陥れることしか考えられないんですね。じゃあ、もしあなたを陥れたのが湊さんだったと教えたら……かなりショックなんじゃないですか?」琴音の瞳が大きく揺れた。一瞬にして、世界からすべての音が消えたように感じた。もともと青ざめていた顔から、残っていたわずかな血の気まで引いていく。琴音は震える指先を強く握りしめた。「そんなはずない……!」「湊さんには、あなたを陥れる理由がないと思ってるんでしょう?でも、あなたが浮気した証拠を握っておけばどうです?いずれあなたが、私と湊さんのことを知ったとしても、自分にも後ろめたいことがある。だから強く責めることもできず、黙って飲み込むしかない。それなら、十分理由になるんじゃありません?」琴音の頭の中が、一瞬にして混乱した。そのとき、真衣から電話がかかってきた。琴音は込み上げる怒りと衝撃を必死にこらえ、若菜に背を向けて電話に出る。「真衣、どうしたの?」「琴音、私さっき知ったんだけど、編集長が急に私を夜中のうちに海外支社へ戻らせたのは、別に何かあったからじゃなかったの。何度も問い詰めたら、ようやく白状した。東栄グループの社長に頼まれたんだって。湊って、なんであんなに気持ち悪いの?私が昔、二人が付き合うのに反対したからって、ずっと私のこと嫌ってたじゃない。昨日、私が帰ってきたってSNSに載せたのを見たんでしょ。それで私たちを会わせないために、こんな陰湿な真似したんだよ。ほんっと最低。もうブロックしたから……」そのあと真衣が何を話し
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第12話

琴音が振り返ると、そこには家政婦に支えられながら入ってきた義母の桐生千鶴(きりゅう ちづる)の姿があった。琴音はすぐに若菜から手を離し、顔に浮かべていた冷たさを消すと、いつもの穏やかな表情に戻った。「お義母さん、お帰りなさい」琴音が離婚する前に大きな騒ぎを起こさずにいるのは、一つには、滞りなく離婚を成立させたうえで、あの二人に痛烈な一撃を食らわせるためだった。そしてもう一つは、義母の千鶴を気遣ってのことだった。琴音が桐生家へ嫁いでからの三年間、千鶴はずっと琴音を大切にし、実の娘のように接してくれていた。息子の病気のこともあり、千鶴は常に嫁である琴音へ申し訳なさを感じていた。湊にも、「琴音につらい思いをさせてはいけない。桐生家はただでさえ彼女に申し訳ないことをしているのだから、その分もっと大切にしなければならない」と何度となく言い聞かせてくれていた。二か月前、千鶴は中期から末期に差しかかった肺がんと診断された。今月末には手術を控えている。こんなときに、息子たちがしている醜いことを知れば、大きなショックを受けるに違いない。琴音は千鶴に余計な負担をかけたくなかった。まずは無事に手術を終えてもらいたい。危険な時期を乗り越えてからなら、自分と湊が離婚したことを知っても、今ほど身体に響くことはないだろう。「琴音、あなたと温井先生は……」千鶴が不思議そうに琴音を見つめた。手術前の放射線治療を受ける必要があり、この二日間はずっと病院へ通っていたため、千鶴は二人の間に何かあったのかまでは知らない。「何でもないですよ。ちょっとふざけていただけです」千鶴が入ってきたときには、若菜はすでに自室へ戻っていた。だから、頬に残った平手打ちの跡も見られてはいない。琴音が曖昧にごまかすと、千鶴もそれ以上追及しなかった。放射線治療を受けたばかりで、身体もかなりつらそうだ。細かいことまで気にかける余裕もないのだろう。琴音は千鶴を支えながら部屋へ連れていった。「お義母さん、つらいですか?お腹は空いてませんか?家政婦さんに何か作ってもらいましょうか?」「いいの。食欲がないから、少し眠りたいわ」心配そうな琴音の顔を見ると、千鶴はその手を軽く叩いた。「あと一回で放射線治療も終わるから。心配しなくていいのよ」「分かりました。じゃあ
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第13話

琴音は両手で顔を覆った。自分にあれほど大胆な一面があったことを、どうしても受け入れられずにいた。幼い頃から古風で堅苦しい家庭で育った琴音だが、束縛されていたわけではない。湊のことだって、自分から追いかけるほど大胆だった。けれど、男女の営みとなると、どうしても大胆にはなれない。昨夜のように激しく求め合うことなど、湊とでさえ一度もなかった……シャワーを浴び終えると、琴音は疲れ果て、そのまま眠りについた。目を覚ましたのは夕方だった。瞼を開けた瞬間、ベッドのそばに湊が座っているのが目に飛び込んできた。一瞬、怒りが込み上げたが、琴音はすぐに冷静さを取り戻した。あらゆる感情を悟られないよう胸の奥へ押し込み、淡々と尋ねた。「どうしてここにいるの?」「琴音、その腕どうしたんだ?怪我したのか?」知っているくせに、何も知らないふりをして尋ねる。若菜が言っていたように、琴音がほかの男と関係を持ったように見せかける計画を立てたのは、確かに湊だった。ただし、実際の事情は若菜が話したものとは少し違っていた。隠しカメラを発見したことで受けた衝撃。そして、ここ最近の琴音の明らかな変化。さらに若菜が傍らで不安を煽り続けたことで、湊は考えるようになった。もし琴音が真実を知って、自分を許してくれなかったら?そんなとき、若菜がある提案をした。先に琴音を浮気させればいい、と。自分にも非があれば、相手だけを一方的に責めることはできない。湊は長い間葛藤した末、賭けに出ることを決めた。とはいえ、琴音を本当にほかの男に抱かせるつもりなど、湊には一切なかった。そんな折、真衣がSNSに投稿した内容を偶然目にした。それを見て、二人が夜にバーで会うのではないかと察した湊は、ある計画を思いついたのだ。まず真衣を遠ざける。そのうえで、琴音の酒に睡眠薬を混ぜさせる。そしてEDを患っている男を用意し、眠った琴音をホテルへ運ばせる。あとは男を琴音の隣で一晩寝かせ、二人が酔った勢いで関係を持ったように見せかける。それが湊の計画だった。事が済んだあとも、琴音は後ろめたさから誰にも言えないはず。そうなれば湊は、その弱みを握ることができる。そしてこれからも、何の後ろめたさもなく若菜に「治療」を続けてもらえる。二人の関係が露見することを、も
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第14話

琴音は湊の実力を甘く見ていた。何の後ろ盾もない状態から、大企業の社長にまで上り詰めた男だ。その実力を侮れるはずもない。朝、琴音が投稿した内容は確かに大きな波紋を呼んだ。だが騒ぎが広がったのも、ほんの数時間。湊はすぐさま、迅速かつ強硬な反撃に出た。午後二時、東栄グループは緊急声明を発表した。内容は、ネット上で拡散されている仕入れ契約書については、社員による偽造だとし、警察に被害届を提出済みであるということ。銀行口座の取引明細の画像は加工されたものであり、会社側は鑑定機関の意見書を取得して反論したということ。そして、録音データには技術的な分析によって編集の痕跡が確認されており、証拠としての効力はないことを主張した。同時に会社は、最大百億円分の自社株買いを実施し、第三者の監査機関を招いて財務状況を全面的に精査すると発表した。矢継ぎ早に打ち出された対策によって、流れは一気にひっくり返った。本来ならストップ安に張りついていてもおかしくなかった株価は、下落するどころか、安値で始まったあとに上昇し、終値では八パーセント高となった。琴音はタブレットを閉じ、冷ややかに目を細めた。そして、皮肉げに笑った。女が絡んでいないときなら、湊も少しは頭が働くみたいね。まあ、いい。今はもう少し息をつかせておけばいい。あの男を叩き潰す方法なら、いくらでもあるのだから。琴音が二階から下りてくると、リビングのソファに座る千鶴の姿が真っ先に目に入った。その隣には、若菜の計算高いあの娘、栞菜もいる。栞菜は今、甲斐甲斐しく千鶴の脚を軽く叩いていた。嫁が下りてきたことに気づくと、千鶴は親しげに声をかけた。「琴音、こっちに来て座りなさい」琴音は千鶴の隣に腰を下ろした。「お義母さん、少しは楽になりましたか?」「ひと眠りしたら、ずいぶん楽になったわ。それより見て、この温井先生の娘さん。本当に気の利く子でしょう?どうしても脚を揉んでくれるっていうのよ。いいって言っても、聞かなくて」すると栞菜が無邪気そうな顔を上げた。「おばあちゃん、ママが、おばあちゃんは病気だからちゃんとお世話しなきゃって言ってたの。栞菜、脚をトントンしても全然疲れないよ。おばあちゃんが楽になってくれたら、それでいいの」ほんの数言で、千鶴の顔には満面の笑みが広がった。
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第15話

「お母さんが放射線治療を受けてる間、私と祐希は娘に会いにA国へ行ってたから、病院にも顔を出せなかったでしょ。だから飛行機を降りてすぐ、祐希を連れてきたの」千鶴は娘を睨んだ。「あなたもまったく。祐希さんは忙しいのに、無理を言って」口では叱りながらも、その顔はやはり嬉しそうだった。「大丈夫ですよ、お義母さん。お見舞いに伺うのは当然のことですから」祐希がそう答えた。凛は今年三十四歳。湊の姉だ。義母である千鶴が穏やかで情に厚いのとは対照的に、琴音にとってこの義姉は、かなり意地が悪く辛辣な人物だった。「あなた、桐生家が自分に申し訳ないことをしたと思ってるの?」案の定、腰を下ろすなり琴音に突っかかってきた。琴音は、手入れの行き届いた凛の顔を見つめた。高い頬骨に、刃物のように薄い唇。目尻はわずかにつり上がっている。琴音を見る目には、いつだって露骨な蔑みが滲んでいた。琴音は落ち着いた声で答えた。「誰が誰に申し訳ないなんて思ってません。すべて運命だったんです」「何が運命よ!」凛は荒々しく吐き捨てた。「湊が今こんなことになってるのに、あんたに責任がないとでも思ってるの?あのとき、あんたが貞淑ぶったりしなければ、湊だって車ごと山から転落するようなことにはならなかったでしょう!」「凛!琴音にそんなことを言うんじゃない!」千鶴が怒って娘を叱りつける。感情が高ぶったせいか、その直後、激しく何度も咳き込んだ。傍らにいた祐希は、桐生家の揉め事に口を挟むつもりはないようだった。立ち上がると、義母の身体を支える。「お義母さん、部屋で休みましょう。僕が連れていきます」「凛、何度言ったら分かるの。琴音を責めるんじゃない。あれは湊自身が衝動的になって起こしたことなのよ。誰かのせいにすることじゃ……」「はいはい。もういいから、部屋で休んでなさいよ。部外者一人のことでそんなに腹を立てて、どうするのよ」凛は苛立たしげに目をそらした。千鶴は咳き込みながら、祐希に支えられて部屋へ戻っていった。すると栞菜はすかさず様子を窺い、白湯の入ったコップを凛のもとへ運んできた。「おばさん、喉、渇いたでしょ?どうぞ」「あらまあ、栞菜ちゃんは本当に気が利くわねえ」凛はたちまち表情を変え、栞菜の髪を優しく撫でた。そして横目で琴音を睨む。「どこかの気
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第16話

凛は自分の目を疑った。自分が今手にしているものは、一体何なの……?なんとそこには、琴音が見知らぬ男と激しくキスを交わす姿が写っていた。男の顔までははっきり見えない。だが体格から見ても、弟の湊でないことだけは明らかだった。「琴音!あんた、湊に隠れて浮気してたの!?」凛の甲高い怒鳴り声が響き渡った。琴音も写真を目にした瞬間こそ動揺したものの、すぐに冷静さを取り戻した。そもそも、すべて湊が仕組んだことではないか。自分が後ろめたく思う必要など、どこにもない。琴音は平然と凛の手から写真を抜き取り、一、二秒眺めると、呆れたように突き返した。「こんな加工写真、本気で信じてるんですか?」「加工?浮気の証拠がこうして私のところに届いてるのに、まだ言い逃れするつもり?」凛が平手打ちしようと腕を振り上げる。だが琴音は冷ややかな表情で、その手を受け止めた。「何をしてるんだ?」一触即発となったそのとき、湊が帰ってきた。部屋に戻った千鶴は、娘が嫁に難癖をつけるのではないかと心配し、息子に電話をかけていたのだ。湊は姉の前まで歩み寄ると、眉をひそめた。「なんで琴音を叩こうとしてるんだ?」「なんでって?これを見なさいよ!清楚な女を装って、裏では男遊びしてるような妻に浮気されてるのよ!それなのに、あんたは何も知らずに騙されてるんだから!」怒りに震えながら、凛は写真を弟へ突きつけた。写真を受け取った湊は、瞳を大きく見開いた。そこに浮かんだのは、驚きと戸惑い、そして抑えきれないほどの怒りだった。琴音は内心で冷笑した。本当に演技が上手ね。まるで何も知らなかったみたい。だが、すぐに思い直す。考えてみれば当然だ。写真に写っている男は、湊が用意した男ではない。自分がこの男と出会ったこと自体、湊にとっては完全な想定外だったのだから。だからといって、何だというのだろう。あなたに、私を責める資格がある?琴音は変わらず平然としていた。「湊、この写真は加工されたものよ。写ってる女は私じゃないわ」「この顔のどこがあんたじゃないっていうのよ!加工でこんな写真まで作れるわけ!?」「それなら、湊が財務諸表を偽造したって告発された件はどうなんですか?湊だって、画像は加工されたものだと声明を出したでしょう。今は技術が進んでるんだから、加
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第17話

若菜は写真を受け取ると、もっともらしく数秒間眺めた。「凛さん、これは加工された写真に見えますね」そう言ってから、琴音へ視線を向ける。「琴音さんは湊さんのことをとても愛しています。裏切るなんてありえません。きっと何かの誤解ですよ」「何が愛してるよ。本当に愛してたなら、あれだけ長く付き合っておきながら、結婚するまで身体に触れさせないなんてことあると思う?」「身体を許さなかったら、愛してないってことですか?」琴音は冷ややかに問い返した。「当たり前でしょ。本当に愛してる相手なら、一緒に寝たいって思うものよ!」「それなら、私はお義姉さんには敵いませんね。結婚する前から、ちゃっかりお腹に子どもまでいたんですから」「あなた……!」凛は怒りで卒倒しそうになった。以前は何を言っても低姿勢で、言い返すことさえなかった女が……どうして突然、こんなにも口が達者で気の強い女になったのか。凛はますます確信した。琴音には、外に男がいる。長い間、夫婦生活のない結婚に耐えてきたものの、自分から離婚を切り出すのは気が引ける。だから桐生家のほうから離婚を言い出すよう、わざと仕向けているのだ。琴音の狙いをそう決めつけた凛は、もう浮気の件を追及しなかった。絶対に思い通りになんてさせるものか。弟をEDにした女。離婚なんてしてやらない。この家に一生縛りつけてやる!凛はどうにか怒りを鎮めると、琴音を憎々しげに睨みつけ、若菜の手を親しげに取って隣へ座らせた。「もういいわ。あなたみたいな品のない人と話しても仕方ないもの。本当に、人ってこんなにも違うものなのね。桐生家には見る目がなかったとしか言いようがないわ。まさか、こんな女を嫁にもらうなんて。それに比べて温井先生は、教養もあって礼儀正しく、自分を大切にしてる。それに仕事もできて向上心もあって、キャリアだって順調。本当に好感が持てるわ」若菜は謙遜するように笑った。「まあ、凛さん。そんなに褒めないでください。私なんて、そこまでの人間じゃありませんよ……」「お義姉さんが温井先生を気に入るのも当然ですよね。だって、お二人には同じ経験がありますもの。共通の話題も多いでしょうし。似た者同士って、自然と惹かれ合うものですから」琴音は皮肉を込めて言った。若菜もかつて、結婚前に妊娠している。そして子ど
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第18話

若菜の目に動揺が走った。慌てて周囲を見回すと、そばにいる男を押しのける。「祐希さん、奥さんがまだ家の中にいるのよ。やめて」「久しぶりにその呼び方を聞いたな。こうしてまた聞くと、昔のことを思い出すよ……」若菜は力いっぱい祐希を押し返した。その目にはまだ狼狽が残っていたが、口調を鋭くして言った。「祐希さん、自分の立場を忘れないで。女関係で弱みを握られるような真似はしないほうがいいわ。昔のことなんて、とっくに終わった話でしょう。今はそれなりの地位にいるんだから、もっと言動に気をつけるべきよ」祐希は鼻で笑うと、再び若菜を壁際へ追い込み、片手でその腰をなぞった。「確かに、ずいぶん昔の話だ。けど、男を踏み台にしてのし上がる癖は……」そう言いながら、その手はゆっくりと下へ移っていく。「今も変わってないみたいだな」……寝室では。凛が母親のベッド脇に座り、琴音への不満を延々と並べ立てていた。琴音はもう浮気している。湊は妻に裏切られているのだと、何度もしつこく訴える。千鶴はすっかり腹を立てた。「湊のことで余計な心配をするのはやめなさい。それより、自分の家庭を大事にしなさいよ。祐希さんはどんどん出世してるんだから、ちゃんと旦那さんの心をつなぎ止めておかないと。いつか自分が浮気されても、何も知らなかったなんてことになるわよ」凛はまるで気にする様子もなく、得意げに言った。「誰が浮気したって、うちの祐希に限って絶対にしないわ。私のことを一番愛してるんだから。他の女なんて見向きもしないもの」「あなた、自信を持ちすぎるのも考えものよ。昔だって、女子大生を囲ってたって話が……」凛の顔が一瞬で曇った。「お母さん、何度言ったら分かるの?あれはただのデマよ。女子大生を愛人にして、海外留学までさせてやったなんて、全部祐希のライバルが評判を落とすためにでっち上げた話なの。私、祐希と結婚してもう十年以上よ?どんな人か、一番よく分かってるわ」「はいはい。何を言っても聞く耳を持たないなら、もう言わないわ。せいぜい気をつけなさい」「ふん。上流階級の奥様方の中に、私を怒らせたらどうなるか知らない人なんていないわよ。もし本当に私の夫に手を出す女がいたら、ただじゃおかないんだから!」二階では、湊と琴音がまだ向かい合っていた。湊は姉から渡された写
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第19話

翌日の夜。海美市にある高級ホテルの正面に、一台の黒い高級車が闇に紛れるように停まっていた。後部座席には、一人の男が座っている。仕立てのいい黒のスーツを身にまとい、シャツの袖口からはプラチナのカフリンクスがわずかに覗いていた。窓の外から差し込む淡い光が端正な横顔を照らし、完璧な輪郭を浮かび上がらせている。玲司は目を細め、片手で額を支えていた。もう片方の手は肘掛けに置かれ、長く骨張った指がときおり軽くそこを叩いている。「航平。理屈じゃなく、身体が相手を求めるって感覚を味わったことあるか?何の感情もない相手に、身体だけが反応することってあると思うか?」運転席に座る航平は、その質問を聞いても、もはや何の感情も湧かなかった。昨夜から今まで、社長に同じようなことを聞かれるのは、これでもう何度目か分からない。一体、どこから現れた女なんだ?これまで女性には冷淡で、まるで興味を示さず、仕事一筋だった社長を、ここまで骨抜きにするなんて。今やすっかり、女に心を乱された男そのものではないか。昨夜までの冷淡で禁欲的な社長なら、こんな浮ついた質問など絶対にしなかった。恋愛経験の乏しい航平には、どう答えればいいのかさえ分からない。真剣に考えた末、航平は言った。「社長、欲なんて結局、形のないものですよ」自分の悩みに沈んでいた玲司は、突然飛び出した的外れな答えに、呆れたように航平を睨んだ。「頼んでた調査はどうなった?」航平はため息をついて言った。「社長、あのホテルの裏手には防犯カメラがなくて、追えなかったんですよ。社長の部屋より上の階に泊まってた客も全員調べましたけど、社長が言ってた特徴の女性はいませんでした。年齢が近い女性ならいましたけど、その人は一晩中、彼氏とその……『お楽しみ中』で……」「見つからなかったから、それで終わりか?」「いや、そう言われても、これ以上どうしろっていうんですか。それより社長、縁ってものを信じましょうよ。道端の石ころだって、縁がなきゃ蹴飛ばすこともないんですから」航平はもっともらしい顔で続ける。「一度蹴飛ばす縁があったなら、きっとまた……」「見つけた」航平の言葉が、不意に遮られた。玲司の鋭い視線を追って、航平も窓の外を見る。「何を見つけたんです?」玲司の目は、ちょうど車から降り
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第20話

晩餐会は、千平方メートル近い広さを誇る大宴会場で開かれていた。玲司が会場へ足を踏み入れた途端、すぐさま人々が集まってくる。「東雲社長、まさかいらっしゃるとは思いませんでした。これまで、このチャリティー晩餐会にはほとんど参加されていませんでしたよね?」一人の有力者が、媚びるような笑みを浮かべて話しかけた。それを皮切りに、次々と人が玲司の周りへ集まってくる。だが玲司には、彼らの相手をする気などまるでなかった。その視線はずっと、琴音の姿を追い続けている。昨夜は辺りが暗く、彼女の顔をはっきり見ることができなかった。煌びやかな照明に照らされた今、ようやくその姿をじっくりと目にすることができた。透き通るように白い肌。鎖骨から肩、腕へと続くラインは、滑らかで美しい。淡い亜麻色の長い髪がふわりと肩にかかり、顔には濃い化粧もない。唇に淡いローズベージュの色が添えられているだけだった。琴音を目にした者は、誰もが同じ印象を抱いた。凛とした、涼やかな美人。その美しさは、決して華やかさで人目を引くものではない。静かで、控えめで、どこか近寄りがたい。まるで冬の雪のようだった。音もなく降り積もり……気づいたときには、目の前の世界をすっかり変えている。一方、琴音は誰かに見つめられていることなど、まったく気づいていなかった。そもそも、こういう場はあまり好きではない。湊が有力者たちと愛想よく名刺を交換し、人脈を築こうと心にもない言葉を並べている。その姿を眺めているだけで、退屈で仕方がなかった。「琴音」不意に背後から呼ばれた。振り返った琴音は、そこに立つ人物を見てわずかに目を見開く。叔父の笹原信彰(ささはら のぶあき)だった。琴音は彼のもとへ歩み寄ると、さりげなく周囲を見回した。どうやら、ここにいる笹原家の人間は信彰だけらしい。「叔父さん、ここって財界の晩餐会でしょう?どうして叔父さんが?」琴音が生まれ育ったのは、代々学問を重んじてきた家庭だった。家族のほとんどが教育に携わる仕事に就くか、学術研究の道へ進んでいる。この叔父も、大学教授だ。そして笹原家には、暗黙の掟とも呼べるものがあった。政界へ進むことは許されても、商売にだけは手を出してはならない。琴音の祖父は、商売人というものをひどく嫌っていた。その
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