愛なき結婚三年、御曹司と再婚したら元夫は後悔の末にICUへ

愛なき結婚三年、御曹司と再婚したら元夫は後悔の末にICUへ

By:  星野栄美(ほしの えみ)Updated just now
Language: Japanese
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結婚して三年。桐生琴音(きりゅう ことね)は、EDに悩む夫とともに病院を巡り、少しでも良くなる方法を探し続けてきた。夫婦の営みがない生活にも文句ひとつ言わず、ただ彼を支え続けていた。 それなのに、桐生湊(きりゅう みなと)は悪びれるどころか、自分を担当する心理カウンセラーと不倫関係に陥った。 琴音に愛の言葉を囁く一方で、愛人と体を重ねる快楽に溺れている。 しかも彼はそれを浮気だとは微塵も思っておらず、ただ「治療の一環だ」と本気で信じ込んでいる。 さらには、琴音が自分から離れるはずがないと、疑いもしなかった。 だが彼は知らなかった。琴音がとうの昔に彼を騙して離婚協議書に署名させ、さらに彼と愛人を社会的に失墜させるための証拠を水面下で集めていることを。 調香を愛する琴音にとって、香水づくりは彼女の夢そのものだ。だが湊は、それを「本業そっちのけの道楽」だと見下している。 やがて、琴音は調香師として一躍脚光を浴び、メディアがこぞって取り上げるほどの存在となった。同時に、これまで隠されていたもうひとつの顔も明るみに出た。 ——これまで見下してきた妻こそ、自分が何度も協業を持ちかけながら一度も相手にされなかった謎の投資家だったのだと、湊はようやく知った。 激しい後悔に苛まれ、彼は琴音の前にひざまずいて懇願した。 「琴音、悪かった。もう一度だけ、チャンスをくれ」 琴音は冷たく笑った。「裏切ったときより、後悔してる今のほうが、ずっと見ものね」 それでも湊は諦めず、琴音のスタジオの隣の物件を買い取り、毎日手作りの朝食を持って現れるようになった。 「一年でも、二年でも、一生でも君を待つ!」 だが一流実業家の東雲玲司(しののめ れいじ)は、湊が持ってきた朝食をためらいなくゴミ箱へ放り込んだ。 彼は琴音の腰を引き寄せると、湊を鋭く睨みつけて言った。 「負け犬はすっこんでろ。俺の女を待つ資格なんて、お前にはない」 愛のない結婚で、見捨てられたも同然の日々を送ってきた琴音は、やがて誰よりも大切にされる女王へと変わっていく。傷だらけの結婚を終えたその先で、琴音は自分の夢を誰よりも信じ、その実現を支えてくれる男と出会う。 そこで琴音はついに理解した。 ――本当に愛してくれる人は、過去に戻ることを求めたりしない。

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Chapter 1

第1話

桐生琴音(きりゅう ことね)は書斎の前に立ち尽くし、室内から漏れてくる夫・桐生湊(きりゅうみなと)の苦しげな呻き声を聞いていた。

しばらくして、書斎の扉が開き、湊が頬を赤らめたまま出てきた。

琴音は、掌に食い込みそうなほど握りしめていた拳をゆっくりと開き、気持ちを落ち着かせて彼に近づいた。

「治療、終わった?」

湊は手を伸ばし、琴音の長い髪をやさしく撫でた。「ああ」

「どうだった?」

「いつもと同じだよ。温井先生に過去のことを思い出すように導かれると、どうしても怖くなる。でも、治療中はつらくても、終わったらすごく楽になるんだ」

確かに、彼の顔には全てから解放されたような安堵が浮かんでいた。

「琴音さん、湊さんのうめき声を聞いて、さぞご心配なさったでしょう?」

湊の担当カウンセラー・温井若菜(ぬくい わかな)はそう言いながら書斎から出てきた。潤んだ目を細めて微笑むその姿は、妙に色っぽい。

琴音は薄く笑って答えた。「まさか。温井先生は業界でも有名な心理カウンセラーですからね。夫の治療にここまで熱心に付き合っているんですもの、安心していますわ」

「湊さんがきちんと協力してくださるから、治療も順調に進むのです」

若菜は湊をちらりと見やり、意味深な笑みを浮かべた。

湊は一瞬だけ表情を強張らせ、すぐに目を逸らした。「汗をかいたから、シャワーを浴びてくる」

「私も栞菜の様子を見てきますね」

二人の姿が視界から消えると、琴音は冷めた目で書斎に入り、まっすぐ奥の休憩室へ向かった。

部屋の隅のゴミ箱へ目をやると、琴音はためらいなくそれを逆さにした。

丸められた紙くずが床に散らばる中、使用済みのコンドームがひとつ、生々しく目に飛び込んできた。

その裏切りの証拠をじっと見つめ、琴音は自嘲気味に笑った。

笑っているうちに、目頭が熱くなった。

浮気されたこと自体が皮肉なのではない。

本当に皮肉なのは、妻とはできないことを、彼がほかの女とは平然とできることだ。

三年前、二人は海外のリゾート地で結婚式を挙げた。

新婚初夜、湊は「ホテルじゃ味気ない」と言って、無理に車を出して山頂のコテージに向かおうとした。

ところが、湊は車の中で琴音を抱こうとした。

琴音に断られ、湊は機嫌を損ねた。腹いせに車を飛ばした結果、山道でスリップし、衝撃で腰椎を痛めた。

二人とも命は助かったが、湊はそれ以来EDを抱えることになった。

琴音を抱こうとしても、湊の身体はまるで反応しない。彼女が近づくだけで恐怖に襲われる。頭の中に、あの夜の凄惨な出来事が蘇るのだという。

もう普通の男として生きることすらできなくなった。

琴音は長い間、湊に付き添って治療を続けた。

最終的に医師は、湊のEDは腰のけがが原因ではなく、心の傷によるものだと診断した。

事故による心的外傷後ストレス障害に近い症状だという。

それ以来、若菜は湊の専属心理カウンセラーになった。

若菜はバツイチのシングルマザーだ。毎日二時間に及ぶ治療に加えて、通院にも時間がかかる。そこで半年前、湊は若菜に、娘と一緒にこの家で暮らさないかと持ちかけた。

琴音も、最初は深く考えていなかった。

しかし三日前の夜、水を飲むために一階に降りたとき、彼女は偶然二人の会話を耳にした。

「湊、毎回声を漏らしてるけど、琴音に聞かれて怪しまれない?」

ソファに腰を下ろした湊は、気のない様子で答えた。

「琴音はまだ処女だ。経験もないし、男女のそういうことには疎いから、深く考えたりしないさ」

「でも、あなたはもう普通にできるんでしょう?琴音と……試してみるつもりはないの?」

若菜はそう言うなり、湊の体に手を伸ばした。

湊は目を閉じた。「試した。でも、あいつとは無理なんだ……」

「私とだけ、できるってこと?」

若菜は猫のように、湊の耳たぶに噛みついた。「お前みたいな女に誘われたら、誰だって抗えない。どんな男でも、簡単に降参するさ……」

やがて二人の身体がぴたりと重なった。

階段の踊り場に立っている琴音は、全身の血が一瞬で凍りつくのを感じた。

底知れない寒気が手足の先まで駆け巡り、こめかみが激しく脈打つ。頭が何かに締めつけられているようで、今にも割れてしまいそうだった……

――その瞬間、彼女はようやく理解した。

湊の呻き声は、辛い記憶を思い出した苦しみから漏れていたのではなく、若菜と身体を重ね、快楽に酔って漏らしていた声だったのだ。

翌日、琴音はゴミ箱からコンドームをひとつ見つけた。

そして今日で三つ目だ。

結婚して三年、自分とは一度も夫婦らしいことができなかったのに。あの女とは、たった三日でコンドームを三つも使っていた。

この三つ目のコンドームが、ついに琴音の心を折った。

吐き気を催すような証拠をゴミ箱に戻し、琴音は感覚を失ったように書斎を出て、リビングのソファに腰を下ろした。

ほどなくして、湊は着替えを済ませ、すっきりした顔で降りてきた。

「話があるんだ」

「相談したいんだけど」

二人の声が重なった。

琴音は一瞬きょとんとしたが、口元をわずかに上げて言った。「先にどうぞ」

「これから栞菜の送り迎え、温井先生の代わりに君がやってくれないか。どうせ君は暇なんだし、温井先生は忙しいだろ。少しくらい助けてあげてもいいんじゃないかと思ってな」

愛人に夫を奪われたうえ、その子どもの世話まで押しつけられるというのか。

「どうして私が?」琴音は冷ややかに問い返した。

湊は眉をひそめた。

琴音の反応が不満なのだろうが、それでも辛抱強く宥めようとした。

「琴音、少しは俺の立場も考えてくれ。君は毎日家で何もせず、気楽に暮らしていられるからいい。でも、俺が会社でどれだけ苦労してるか、分かってるのか?」

「東栄グループの社長だって、安泰なもんじゃない。この一年は業績もぱっとしないし、株価も上がらない。副社長は何人かの取締役を抱き込んで、次の株主総会で俺を引きずり下ろそうとしてる。今の俺には、この局面を切り抜けるための切り札がどうしても必要なんだ。

温井先生は、謎の大口投資家・Zとは知り合いらしい。彼女に紹介してもらえれば、俺は勝てる」

「つまり、私に彼女の機嫌を取れってこと?」

湊は琴音をちらりと見た。

その眼差しは冷ややかで、明らかに軽蔑の色が混じっている。

「ほかに君にできることがあるのか?これくらい、君にとって一番簡単なことだろ。俺がZを紹介してくれと言ったところで、君にそんなことができるのか?」

琴音は黙って、まっすぐ彼を見つめ返した。

Zを紹介してもらう必要など、最初からない。

なぜなら、彼女自身がそのZだから。

かつて琴音は大学で金融を専攻していたが、卒業後は金融の道には進まなかった。

周囲は皆、彼女がろくに勉強もせず四年を無駄に過ごしたから、今もぱっとしないのだと思っていた。

しかし実際、琴音は金融の分野でずば抜けた才能を持っている。

しかし、才能があるからといって情熱を持てるとは限らない。

金融を専攻したのは家族に強く勧められたからで、彼女が本当に好きなのは調香だった。

いつか調香師になりたい。

そのために小さなスタジオを立ち上げ、毎日調香に打ち込み、いつか自分だけの香水ブランドを立ち上げることを夢見ている。

海外の一流メゾンにも引けを取らない、そんなブランドを。

琴音が投資家Zとして動き始めたのは、湊が会社のために必死に働く姿を見ていたからだ。

いつか湊の会社が窮地に立たされたとき、自分が彼の支えになれるように、琴音は正体を隠したまま、密かに資金を蓄えてきた。

琴音だって、この家庭を守るために、できる限りのことをしてきた。

それなのに、湊はそんな琴音の思いを踏みにじるように、彼女を裏切った。

そして何より滑稽なのは、若菜が自信満々に「Zを知っている」と言っていることだ。

「湊、そこまで私を見下しているの?」琴音は嘲るように笑った。

湊は本心を取り繕うように言った。

「そういう意味じゃない。ただ、この病気の治療に三年もかかっただろ。ずっと家にいて、変なことを考えるんじゃないかと心配しただけだ」

「変なことって、何を?」

二人が話しているところに、若菜が笑顔で歩いてきた。

湊はすぐに立ち上がった。

「先ほど琴音と話していたんです。これから栞菜の送り迎えを、琴音が代わりにしてくれることになりました」

若菜はわざと驚いたように目を丸くした。「そんな、琴音さんに迷惑をかけてしまいますよ……家政婦さんに頼めばいいです」

「気にしなくていいです。琴音は細かいところによく気がつくし、家政婦より安心でしょう」

「でも、琴音さんは……」

「もう引き受けてくれましたよ」

琴音は、掌に爪が食い込むほど拳を握りしめた。

「引き受けてない。これからも、引き受けるつもりはない」と、立ち上がってはっきりと言い切った。

この瞬間、琴音は決めた。

もう湊と穏便に別れるつもりはない。

最初は、波風を立てずに離婚を切り出そうと思っていたが、今は考えを変えた。

真心を踏みにじった人間が、何事もなく済むなど許さない。

湊の顔色が悪くなった。

今日の琴音は、いつもと違う。

普段の物分かりのよさも、細やかな気遣いも、従順さも、今日はどこにもない。

張り詰めた空気が二人の間に漂っている。

そのときだった。

「バン、バン、バン!私、銃を持ってるのよ!みんな、降参して~!」

若菜の五歳になる娘・温井栞菜(ぬくい かんな)がピンク色のある物を握りしめ、楽しそうに三人へ向けて振り回している。

栞菜の手にある物を見た瞬間、若菜は顔色が変わり、鋭い声で叱りつけた。

「それ、どこから持ってきたの?」

いくら琴音がそういうことに疎いとはいえ、形を見ればそれが何なのか分かった。

栞菜は突然琴音を指さして言った。「琴音おばさんの部屋から持ってきた」

湊は目を見開いた。

その目に、じわりと怒りの色が浮かんだ。

まさか、自分の言ったことが当たっていたのか。

自分が満たしてやれないせいで、妻がこんな物に頼っていたのだとしたら――男として、これほど屈辱的なことはない。

湊はその「おもちゃ」を乱暴に取り上げると、苛立ちを隠せない声で問い詰めた。

「琴音、そんなに男に飢えてたのか?」

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第1話
桐生琴音(きりゅう ことね)は書斎の前に立ち尽くし、室内から漏れてくる夫・桐生湊(きりゅうみなと)の苦しげな呻き声を聞いていた。しばらくして、書斎の扉が開き、湊が頬を赤らめたまま出てきた。琴音は、掌に食い込みそうなほど握りしめていた拳をゆっくりと開き、気持ちを落ち着かせて彼に近づいた。「治療、終わった?」湊は手を伸ばし、琴音の長い髪をやさしく撫でた。「ああ」「どうだった?」「いつもと同じだよ。温井先生に過去のことを思い出すように導かれると、どうしても怖くなる。でも、治療中はつらくても、終わったらすごく楽になるんだ」確かに、彼の顔には全てから解放されたような安堵が浮かんでいた。「琴音さん、湊さんのうめき声を聞いて、さぞご心配なさったでしょう?」湊の担当カウンセラー・温井若菜(ぬくい わかな)はそう言いながら書斎から出てきた。潤んだ目を細めて微笑むその姿は、妙に色っぽい。琴音は薄く笑って答えた。「まさか。温井先生は業界でも有名な心理カウンセラーですからね。夫の治療にここまで熱心に付き合っているんですもの、安心していますわ」「湊さんがきちんと協力してくださるから、治療も順調に進むのです」若菜は湊をちらりと見やり、意味深な笑みを浮かべた。湊は一瞬だけ表情を強張らせ、すぐに目を逸らした。「汗をかいたから、シャワーを浴びてくる」「私も栞菜の様子を見てきますね」二人の姿が視界から消えると、琴音は冷めた目で書斎に入り、まっすぐ奥の休憩室へ向かった。部屋の隅のゴミ箱へ目をやると、琴音はためらいなくそれを逆さにした。丸められた紙くずが床に散らばる中、使用済みのコンドームがひとつ、生々しく目に飛び込んできた。その裏切りの証拠をじっと見つめ、琴音は自嘲気味に笑った。笑っているうちに、目頭が熱くなった。浮気されたこと自体が皮肉なのではない。本当に皮肉なのは、妻とはできないことを、彼がほかの女とは平然とできることだ。三年前、二人は海外のリゾート地で結婚式を挙げた。新婚初夜、湊は「ホテルじゃ味気ない」と言って、無理に車を出して山頂のコテージに向かおうとした。ところが、湊は車の中で琴音を抱こうとした。琴音に断られ、湊は機嫌を損ねた。腹いせに車を飛ばした結果、山道でスリップし、衝撃で腰椎を痛めた。
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第2話
琴音は呆れてものも言えなかった。ずいぶん前から、若菜の娘には同年代の子どもらしい無邪気さがないことに気づいていた。栞菜は湊の機嫌を取るのがとてもうまい。その一方で、琴音に対する態度はまるで違っていた。まだ二人の不倫に気づいていなかった頃は、琴音もそれほど深く考えてはいなかった。だが今になって思えば、この子の振る舞いはすべて、母親に言い含められたものなのだろう。五歳の娘にこんな「おもちゃ」を持たせて自分を陥れようとするくらいだ。若菜には、きっと何か企みがある。それが何なのかは、今の琴音にはまだ分からなかった。琴音は平然と嘘をつく栞菜を冷ややかに見つめ、問いかけた。「栞菜ちゃん、本当にそれ、私の部屋から持ってきたの?」「うん。琴音おばさんの枕の下にあったよ」栞菜は瞬きひとつせず、しれっと嘘をついた。「それは私のものじゃないわ。どこから出てきたものなのかは、温井先生に聞いたほうがいいんじゃないかしら」琴音は鋭い視線を若菜に向けた。若菜は慌てて娘を背中にかばった。「子どもは嘘なんてつきませんよ。琴音さんも、そんなに必死に否定しなくても……湊さんの事情は私たちも分かっていますし、そういう欲求があるのは普通のことですから」「私には欲求があって、温井先生にはないんですか?私の夫はできない。先生には夫がいない。それなのに、どうして私のものだと決めつけられるんです?」「私は必要ありませんから……」若菜の睫毛がわずかに揺れた。「どうして必要ないんです?誰かにたっぷり満たしてもらってるから?」琴音は一歩も引かず、畳みかけるように問い詰めた。ついに湊が苛立った声を上げた。後ろめたさに耐えられなくなったのだろう。「もういい。今は君の話をしてるんだ。なんで温井先生まで巻き込むんだよ?」漆黒の瞳に苛立ちが滲んでいる。「君は暇すぎるから、そんなことばかり考えるんだ。温井先生は専門性を高めるために努力してる。君とは違うんだよ」そう言うと、湊は栞菜の手を取った。まるで本当の家族のように連れ立って去っていく三人の後ろ姿を、琴音は黙って見つめた。視界が滲み、琴音の脳裏に、初めて湊と出会った日の光景が蘇った。騒がしい大学の食堂。大勢の学生が行き交う中、湊は片手を無造作にズボンのポケットへ入れ、友人たちと話していた。真っ白なシ
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第3話
琴音は監視カメラ越しに、湊と若菜が相次いで書斎へ入っていくのを見ていた。昼間に一度したばかりだというのに、夜になればもう我慢できないらしい。――ずいぶんお盛んなことで。若菜はトレンチコートを羽織っていた。一見しただけでは何もおかしなところはない。だが湊の前でコートを脱いだ瞬間、その下の肌が惜しげもなく露わになった。二人が向かい合うと、若菜は長いスカーフを手に取り、湊の目を覆った。ところが次の瞬間、湊が取った行動に、琴音は目を疑った。彼は香水のボトルを手に取ると、若菜の身体に吹きかけたのだ。それは琴音が自ら調香し、普段から愛用している香水だった。琴音には、気に入った香りを一度に何本か作り、家にストックしておく習慣がある。まさか湊がその一本を持ち出し、若菜につけるとは思いもしなかった。一体、何のために?だが、その答えは二人の会話ですぐに分かった。若菜は片腕を湊の首に絡ませ、もう片方の手を彼の胸元に這わせて言った。「私たち、ずっとこんなことを続けてて大丈夫?琴音さんに知られたらどうするの?」湊はまるで恐れる様子もなかった。「知られたって構わないだろ。浮気してるわけじゃない。これは治療なんだから」そう言って、若菜の丸みを帯びた顎をつまむ。「目隠しをして、琴音の香りを嗅いで、若菜を琴音だと思い込む。全部、一日でも早く治すためだ。そもそも琴音が妻として役目を果たせず、俺を満足させられないから、仕方なく若菜に代わってもらってるだけだろ」「そうは言っても、女ってそういうところは気にするものよ。たとえ手だけでも、琴音さんが知ったら受け入れられないんじゃないかしら……」「琴音なら分かってくれる。分からなくても、少し宥めればそれで済む」湊の声には、揺るぎない自信が滲んでいた。「若菜は、琴音がどれだけ俺を好きなのか知らないんだよ。昔、あれだけ大勢いた俺狙いの女たちを押しのけて、どうして最後に琴音が俺と付き合えたと思う?ほかの女は一度振られれば諦めた。でも琴音だけは、何度拒まれても懲りずに俺を追いかけてきたからだ。二年も必死に追いかけて、ようやく手に入れた男を簡単に手放せると思うか?琴音は一生俺から離れない。あいつは俺に惚れきってるんだよ」その瞬間、琴音はようやく理解した。あの頃、愛のために勇気を振り絞ってきた自分の
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第4話
昨夜とまったく同じ流れだった。琴音は、湊が若菜に香水を吹きかけたことを確認すると、スマートフォンの画面を閉じた。昨日は吐くほど気分が悪くなった。あんな思いは、もう二度としたくない。……書斎では――若菜が湊を「熱心に」治療していた。その最中、突然身体に痒みを感じ、若菜は思わず肌を掻き始めた。まるで正体の分からない無数の虫が全身を這い回っているかのように、痒みはどんどん強くなっていく。とうとう我慢できず、あちこちを掻きむしり始めた。「湊、身体が痒い……」湊がからかうように言った。「そんなに疼くのか?」若菜は身体を起こし、胸元を強く掻いた。「違うの。本当に身体が痒いの。もう耐えられない……!」書斎の照明は消され、キャンドルだけが灯り、淡い光が艶めいた雰囲気を醸し出していた。湊が好む空間だった。若菜の様子がおかしいと気づいた湊は、目を覆っていた長いスカーフを外し、部屋の照明をつけた。次の瞬間、二人とも息を呑んだ。「湊、こ、これ……どういうこと?」雪のようになめらかだった若菜の肌一面に、赤い発疹が浮かんでいた。びっしりと広がった赤い斑点は、まるで無数の赤い蟻が肌に食らいついているかのようで、見るに堪えないほど痛々しい。「何か食べてアレルギーが出たんじゃないのか?」湊が驚いて尋ねる。「違うわ。変なものなんて何も食べてない!」若菜は必死に記憶を辿った。やがて何かに気づいたように、テーブルの上に置かれた香水へ目を向ける。「もしかして、新しく変えた香水が原因なんじゃない?湊、考えてもみてよ。琴音さんが作ったものなんて、まともなはずがないでしょう?きっとあの粗悪な香水のせいでアレルギーが出たのよ!」若菜は耐え難い痒みに襲われ、すでに全身を掻きむしっていた。発疹はさらに広がり、胸元から首へ、そしてとうとう顔にまで達している。見るも無惨な姿だった。「とにかく病院へ行くぞ!」湊は琴音の香水について何も言わず、慌てて若菜を病院へ連れていった。……その夜、琴音はぐっすりと眠った。よく眠れたおかげか、食欲も戻っていた。翌朝は、いつもより多めに朝食をとった。予想どおり、湊も若菜も食卓には現れなかった。琴音が朝食を終え、仕事場へ向かおうとした頃になって、ようやく若菜が人目を避けるよう
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第5話
桐生家の裏庭には、広い花園がある。そこには琴音が調香に使うため、さまざまな珍しい花が植えられていた。普段から手間暇をかけ、まるで我が子を育てるように大切に世話をしてきた花々だ。階下へ駆け下りながら、琴音の頭にはいくつもの可能性が浮かんでいた。もしかして、香水に細工したことを若菜が恨んで、栞菜に花を摘ませた?だが、現場に着いた琴音は愕然とした。事態は、想像していたよりはるかに深刻だった。栞菜は花を摘んだだけではなかった。琴音の花園に火をつけたのだ。三年もの歳月をかけ、一株ずつ大切に育ててきた珍しい花々が、炎に呑み込まれ、跡形もなく焼け落ちていた。ダチュラ、ローズマリー、黒薔薇、カルダモン、ゼラニウム、クラリセージ……名前を知っているものも、そうでないものも、すべてが黒焦げの枝と化し、無残に地面へ横たわっている。まるで、声なき惨劇の跡だった。傍らでは、栞菜がわんわん泣いていた。泣きながら、必死に謝っている。「ごめんなさい、琴音おばさん。わざとじゃないの。お庭で卵を焼いて、虫が出てくるか見てみたかっただけなの。こんなことになるなんて思わなくて……」すぐそばにいた家政婦も続けた。「奥様、栞菜ちゃんが裏庭で遊びたいと言うので……まさか火を使うなんて誰も思わなかったんです。今日は風も強くて、あっという間に燃え広がってしまって、私たちも消火が間に合わず……」全身の血が逆流していくようだった。激しい耳鳴りがした。琴音の脳裏に若菜の顔が浮かんだ。今すぐ、その顔を引き裂いてやりたい。栞菜は琴音の服の裾を掴んだ。「本当にごめんなさい、琴音おばさん。私……」「本当に、わざとじゃないの?」栞菜が言い終えるより早く、琴音の怒声が響いた。琴音はもともと感情の起伏が穏やかで、滅多に声を荒らげることはない。そんな琴音が突然子どもを怒鳴ったものだから、家政婦まで驚いて固まった。栞菜はさらに大声で泣き出した。もう何も言わず、ただひたすら泣き続ける。怒りは檻に閉じ込められた獣のように、琴音の胸の中で暴れ回っていた。今にも身体を引き裂いて飛び出しそうなほど激しい怒りだった。それでも最後には、必死に押さえ込んだ。目を閉じ、深く息を吸った。そしてゆっくりとしゃがみ込み、一番大切にしていた黒薔薇へ手を伸ばした。来月の調香コ
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第6話
俺は本当に見る目がなかった。琴音はその言葉をじっくり噛みしめると、ふっと笑い声を漏らした。冷ややかな眼差しのまま湊の前へ歩み寄る。その言葉に腹を立てるでもなく、淡々と言った。「なら、今から後悔しても遅くないわよ。離婚する?私はいつでも構わないけど」湊は呆気に取られ、その場に固まった。琴音は彼から視線を外し、そばにいた家政婦へ声をかける。「クローゼットにしまってあるウェディングドレスを持ってきて」家政婦は意図が分からないまま、それでも言われたとおりにした。しばらくして……家政婦は、かつてF国の有名メゾンに特注した高価なウェディングドレスを抱え、慎重な足取りでリビングへ戻ってきた。腕の中のドレスを大切そうに守っている。かつての琴音が、そうしていたように。琴音がどれほどこのウェディングドレスを大切にしていたか。それは、この家の誰もが知っていた。もちろん、湊も。琴音にとって、このドレスは二人が長い年月をかけて育んできた愛の証だった。けれどこれからは、二人の過去が灰となって消えていく、その瞬間を見届ける証になる。琴音はもう何の未練もなく、家政婦からウェディングドレスを受け取ると、そのまま裏庭へ向かった。そして、腕を振り上げ、真っ白なドレスをまだ完全には消えていない灰の中へ勢いよく放り込んだ。燻っていた火の粉が一瞬にして燃え上がる。激しい炎が純白のドレスを包み込み、二人が共に過ごした青春までも、瞬く間に呑み込んでいった。後を追ってきた湊は、その光景を目にした瞬間、大きく目を見開いた。我に返ると、声を荒らげる。「琴音、正気か!?」すでにドレスが炎に包まれていなければ、今すぐ飛び込んで取り戻していただろう。だが琴音は動じなかった。静かな瞳には、未練など微塵もなかった。「あなた自身が『見る目がなかった』って言ったんでしょう?だったら私だって、こんな馬鹿げた思い出の品を残しておく意味なんてないわ」そう言い残し、琴音は何事もなかったかのように立ち去った。湊はその場に立ち尽くしていた。消え残った炎が、その瞳を赤く染めている。その瞬間、突然、胸を締めつけられるような痛みが走った。息さえうまくできない。若菜も後を追ってきた。湊の前まで来ると、固く握りしめられた拳を包み込むように手を重ねた。「湊、怒らないで。
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第7話
湊は隠しカメラを指先でつまんだまま、頭を殴られたような衝撃を受けていた。頭の中が一瞬にして真っ白になる。カメラ?自分の書斎に、隠しカメラが仕掛けられていた?だとすれば、若菜とこの部屋でしてきたことは、すべて……激しい恐怖が一気に押し寄せた。湊は必死に自分を落ち着かせた。今、真っ先に確かめなければならないのは、このカメラを誰が仕掛けたのかということだ。真っ先に頭に浮かんだのは琴音だった。まさか、琴音が?だが冷静に考えてみれば、このカメラが琴音の仕業だとは限らない。ここで自分からボロを出すわけにはいかなかった。もし琴音が二人のことを知ったのなら、何の反応も示さないはずがない。湊はまた、以前と同じように自分に言い聞かせた。琴音は自分を愛している。真実を知れば、嫉妬して騒ぐに決まっている。乱れた気持ちをどうにか整えると、湊はスマートフォンを取り出し、琴音へメッセージを送った。【書斎に来てくれ】ちょうど仕事場へ向かおうとしていた琴音は、そのメッセージを見ると足を止め、書斎へ向かった。扉を開けると、湊が書棚のそばに立っていた。その手には、小さな黒い円形の物体が握られていた。琴音は一目で状況を察した。それでも何食わぬ顔で湊へ近づく。「何か用?」「これ、君が仕掛けたのか?」湊は単刀直入に隠しカメラを突きつけた。琴音はこのカメラを仕掛けたときから、いつか湊に見つかる可能性も想定していた。だから実際に発見されても、少しも慌てなかった。「違うわ。それ、何?」「隠しカメラだ。本当に君じゃないのか?」「どうして私があなたの書斎にカメラを仕掛けるの?もしかして、この書斎には何か秘密でもあるの?」その一言に、湊は一気に後ろめたさを覚えた。視線を泳がせながら呟く。「君じゃないなら……誰が?」「仕事上のライバルじゃない?もし機密情報を盗むのが目的なら、カメラが仕掛けられているのは書斎だけじゃないかもしれないわよ」琴音は意図的に、湊の思考を別の方向へ誘導した。案の定、湊はすぐに秘書へ電話をかけた。険しい顔で命じる。「社長室に盗撮カメラが仕掛けられていないか、今すぐ調べろ」琴音は平然としていた。こう誘導した以上、もちろん抜かりなく準備はしてある。ほどなくして、秘書から連絡が入った。「社長、
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第8話
「もう一度警告するわ。馬鹿な真似はやめなさい。私に手を出したら、本当にただじゃ済まないわよ!」琴音は再び男に警告した。だが男はもう我慢できないとばかりに、服を脱ぎながら舌なめずりをする。「安心しろよ。お前に手を出しても、後始末してくれる奴がいるからな」「誰?誰に頼まれたの?」琴音は怒りに目を見開き、男を睨みつけた。「お前が知る必要はねえよ。俺はシャワー浴びてくるから、あとでたっぷり遊ぼうぜ」男には、無理やり琴音を押さえつける必要などなかった。琴音の身体にはすでに薬が回っている。しばらくすれば薬が効き始め、向こうから求めてくる。そのほうがよほど楽しめるというものだ。男に必要なのは、ただ辛抱強く待つことだけだった。男がバスルームへ入ると、やがてシャワーの音が聞こえてきた。琴音は必死に身体を動かし、懸命に抵抗を続けるうちに、少しずつ身体に力が戻ってきた。よろめきながらも、どうにか上体を起こす。考えていることは、ただひとつ。絶対に、あの男の思いどおりにはさせない!残った力を振り絞り、琴音はドアへ向かった。ドアノブを掴んで開けようとするが、外から鍵がかけられていた。何度力いっぱい引いても、びくともしない。琴音は仕方なくベッドへ戻ると、自分のバッグを漁ってスマートフォンを探した。しかし、スマートフォンが見当たらない。今度は部屋に備えつけられた電話へ向かう。だが、そのコードまで切断されていた。あの男……!最初から逃げ道をすべて塞ぐつもりだったらしい。一刻を争う中、琴音はふと開け放たれた窓に気づいた。力の入らない身体を引きずるようにして、窓辺へ向かい、窓から下を覗き込むと、壁沿いにエアコンの室外機と雨どいが見えた。そのときにはもう、体内に入った薬が効き始めていた。身体がどんどん熱くなっていく。皮膚を無数の細い針で同時に刺されているような感覚に襲われた。今ここから逃げなければ、本当に取り返しのつかないことになる。ここが何階なのかも分からない。無謀に降りれば、命を落とすかもしれない。それでも、あんな男に穢されるくらいなら、死んだほうがましだった。いつの間に着替えさせられたのか、琴音はキャミソール姿になっていた。服を着替え直している時間などない。琴音は歯を食いしばり、窓の外へ身を乗り出した。両
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第9話
琴音がここまで降りてくる途中の窓は、どれも固く閉ざされていた。唯一開いていたのが、この部屋の窓だけだった。すでに琴音の体力は限界に達している。窓辺で身体がぐらりと揺れ、今にも落ちそうになった、その瞬間……男が手を伸ばし、琴音をぐっと引き寄せた。全身から力の抜けた琴音は、そのまま糸が切れたように崩れ落ち……男の胸元へ倒れ込んだ。玲司にとって、母親が隙あらば自分のもとへ女を送り込んでくるのは、もはや珍しいことではない。だが、こんな奇抜な登場の仕方は初めてだった。玲司は鼻で笑い、口元をわずかに吊り上げた。「よくもまあ、次から次へと考えるものだな」琴音は玲司の肩に身体を預けている。まるで柔らかな子猫のように力なく、抵抗する気配すらない。「お前が、母さんの送り込んできた女か?」低く響く玲司の声には、温度というものがまるでなかった。氷の下を流れる仄暗い水のように、冷たく静かだ。琴音の意識は、遠のいては戻り、また遠のいていく。薬が全身に回り、視界も次第にぼやけていった。今の琴音に見えるのは、自分を見下ろす淡い色の瞳だけだった。「ち、違う……」力のない声で、かろうじて否定する。自分が置かれている状況を説明したいのに、舌はもつれ、喉から漏れるのは途切れ途切れの曖昧な息だけだった。玲司は琴音が身につけている露出の多いキャミソールに目をやると、冷たい指先でその顎を持ち上げた。「違う?そんな格好で?」どうやら美佐子も、ますます手が込んできたらしい。以前送り込まれてきた女たちは、会った途端に抱きついてくるか、あの手この手で玲司を誘惑しようとする者ばかりだった。玲司にとっては、どれもひどく不快だった。ところが今度は、清楚で純真そうな女を送り込んできた。か弱く哀れで、今すぐ誰かに守ってもらわなければ壊れてしまいそうな姿。何かを訴えたそうなのに、口にできずにいる様子まで、妙に人の心を揺さぶる。「無駄なことはやめろ。俺は女に興味がない。帰れ」そう言うと、玲司は琴音を自分から引き離そうとした。だが、倒れそうになった琴音が本能的に玲司の襟元を掴み、その勢いで二人はそろって床へ倒れ込んだ。玲司の身体が琴音の上に重なり、二人の唇が触れた。その瞬間、玲司の鼻先を淡い香りがかすめた。海塩と赤いベリーが溶け合ったような
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第10話
玲司はバスルームへ駆け込むと、シャワーヘッドを掴んで水を出し、冷水を何度も顔に浴びせた。すると、ようやく、混乱していた思考が少しずつ落ち着いてきた。玲司自身が直接薬を飲まされたわけではないため、作用もそれほど長くは続かなかった。頭も徐々に冴えてくる。先ほど理性を失った自分を思い返し、玲司は堪えきれないように目を閉じた。どうかしてる。俺は絶対に、どうかしていた……ドンドンドン!扉の外では、まだ激しくドアを叩く音が続いている。ひとまず乱れた気持ちを押し殺し、呼吸を整えると、玲司はドアへ向かい、扉を開けた。そこに立っていたのは、玲司のアシスタント・佐伯航平(さえき こうへい)だった。その後ろには、大きな段ボール箱が置かれている。「何だ?」玲司は不機嫌そうに尋ねた。「社長、こちらは美佐子様からお届けするように言われたものです。どうしますか?このまま置いておきますか、それとも処分しますか?」「何が入ってる?」玲司はまだ状況をのみ込めていなかった。航平は困ったような顔をする。「美佐子様から社長への贈り物ですよ。ほかに何が入ってると思います……?」玲司の胸に、途端に嫌な予感がよぎった。箱の隅を適当に開け、中を覗き込む。そこには、一人の女が入っていた。頭の中で耳鳴りのような音が響き、玲司は数秒間固まった。そして突然、何かに気づいたように部屋へ引き返すと、ベッドにいたはずの女が、消えていた。玲司は顔色を一変させ、すぐさま踵を返し、窓辺へ向かった。玲司の部屋はちょうど二階にある。しかし、窓の下に見えるのは、青々とした芝生だけで、人影はどこにもない。何が起きたのか分からない航平も後を追ってきた。「社長、何かあったんですか?」玲司は険しい顔のまま答えず、すぐにスマートフォンを取り出して美佐子へ電話をかけた。美佐子が電話に出るなり、玲司は苛立った声で問い詰める。「今夜、俺のところに女を何人送り込んだ?」「一人よ。どうしたの?一人だって嫌がるあなたに、何人も送るわけないでしょう。できることなら何人でも送りたいくらいだけど……」「じゃあ、窓から降りてきた女は何なんだ?」「窓から降りてきた女?」美佐子には、玲司が何を言っているのかさっぱり分からなかった。玲司は深く息を吸い、できるだけ
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