All Chapters of 私が愛したのは、面影だけだった: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

式場へと向かう車の中、遊助の脳裏には絶えず、真里亞の姿が浮かんでは消えていった。いつも心からは笑っていない作り笑い、自分を見つめる時に浮かべる、どこか放心したような表情、バーで酔ってぽつりと呟いた「優馬」という名、そして幾度となく、2人が深く重なり合った時に見せた、突然虚ろになるあの瞳。これまで意図的に見て見ぬふりをしてきたそれらの些細な違和感が、今、怒涛のように押し寄せ、胸を締め付けた。「早く、もっと早く!」遊助は運転手を急き立てた。胸の中の不安が、今にも彼を呑み込みそうだった。やがて、車は急ブレーキの軋む音を立てて、ホテルの前で止まった。遊助がホールに飛び込むと、そこに広がっていたのは、静まり返った空気だった。招待客たちは互いに顔を見合わせ、牧師は壇上で気まずそうな表情を浮かべている。遊助の姿を見つけると、牧師はほっと息をつき、スタッフが慌てて彼を祭壇へと案内した。「どうなってるんだ?新婦は?」遊助は隣のスタッフに顔を寄せ、低い声で尋ねた。スタッフは声を潜めて答えた。「三宮さん、いらっしゃるのが遅すぎますよ。予定では20分前にご到着のはずでしたよ。新婦様は今頃控室にいらっしゃるはずです。まだ登場まで数分ありますから」言い終わる前に、スタッフは遊助を祭壇の前へ案内し、牧師も予定どおり式を進め始めた。ざわついていた会場も、次第に静けさを取り戻していく。やがて、新婦入場の時間になった。参列者たちが一斉に後方の扉へ目を向ける。けれど、本来ならそこで開くはずの扉は、固く閉ざされたままだった。牧師の表情が一瞬だけ曇った。しばらく待っても扉が開かないため、会場には小さなどよめきが広がっていく。牧師は落ち着いた声で告げた。「少々お待ちください」すぐに式場スタッフが後方へ確認に向かった。会場にはざわめきが広がったが、目の前の扉は、それでも開かなかった。式場に着いてからようやく落ち着きかけていた遊助の心臓が、再び激しく高鳴り始めた。遊助はスタッフが止めるのも聞かず、大股で扉へ向かうと、そのまま勢いよく開け放った。牧師も参列者たちも、思わずそちらへ目を向ける。けれど、扉の向こうに新婦の姿はなかった。そこには、入場を待っていたフラワーガールたちだけがいた。会場は一瞬にして静ま
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第12話

「結婚式は一旦中止だ」遊助は牧師にそう言い捨てると、足早にホテルを飛び出した。耳の奥ではざわめきが響き、招待客たちの囁き声が刃物のように胸に突き刺さる。「新郎が、新婦にすっぽかされたってこと?」「もともと結婚する気なかったらしいよ。これで思い通りに逃げられたってわけだ」「まったく、恥ずかしい話だな……」「まあ自業自得だろ。船越家のお嬢様なんて、誰もが縁を持ちたがるような相手なのに、それを嫌がるなんてな。俺だったら、金さえ積まれりゃ何だってするけどな」遊助は、関節が白くなるほど強く拳を握りしめた。胸には巨大な岩が乗っているかのようで、息をするのさえ苦しかった。駐車場へと向かう足取りはどんどん速くなり、頭の中には、もはやひとつの考えしかなかった。真里亞を見つけ出し、何を考えているのか、直接問いただしたい。だが、車のドアに手をかけたその時、見覚えのある人影が目の前に立ち塞がった。「遊助さん!」園子は嬉しそうな笑みを浮かべ、無意識に両腕を広げて抱きつこうとした。「本当に逃げたのね?やっぱり好きなのは私だって分かってた。私を絶対に失望させないって……」だが遊助は身を翻して園子の手を避け、冷たく硬い声で言葉を遮った。「どけ」「……どうしたの?」素っ気ない言葉と冷たい表情に、園子の動きはその場で固まった。ほんの一瞬のうちに、瞳がみるみる赤く潤んでいく。「真里亞が消えた」遊助の声は掠れ、瞳の奥では焦燥が渦巻いていた。園子が目の前で傷ついた顔をすることなど、今の彼にはもう構っていられなかった。「探しに行く」「え?」園子は目を見開き、信じられないという顔で遊助の腕を掴んだ。「あの人が消えたことが、あなたに何の関係があるの?逃げてくれてちょうどいいじゃない。もともと結婚したくなかったんでしょ!?」遊助はその言葉には取り合わず、眉をきつく寄せたまま、迷いもなくその手を振り払うと、車のドアを開けて乗り込んだ。それを見た園子は、すぐさま助手席のドアを開け、無理やり乗り込んできた。「何のつもりだ?」「私も一緒に行く!」園子は意地になってシートベルトを締めた。今にもこぼれ落ちそうな涙を湛えた瞳は、いかにも傷ついた様子だった。「あの人が一体何を企んでるのか、私も見てやるんだから!」遊助
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第13話

「後悔してるんじゃないの?遊助さん、私を愛してるんじゃなかったの?なんで、なんで今さらあの人を探しに行くの!あの人のこと好きになったの?そうなんでしょ!」ハンドルを握る遊助の手にさらに力がこもった。重い溜息を吐き出し、低い声で答えた。「……無事かどうか確かめたいだけだ」「はっ。あの人に何かあるわけないでしょ」園子は冷ややかに笑った。「ああいうタイプの人間が、自分が損するような真似をするはずないじゃない。今頃どこかでほくそ笑んでるかもしれないわよ!それに、私、真里亞さんがわざとあなたを焦らしてるんじゃないかって思うの。本当は式から逃げるつもりなんてなくて、ただあなたが慌てふためく姿を見て、自分がいないと駄目だって遊助さんに思わせたいだけなんじゃない?あの人に騙されないで!」遊助はそれ以上言葉を返さず、黙って車を走らせ続けた。やがて、真里亞と暮らしていた家の前に車が止まった。玄関の扉を開ける前、遊助はいくつもの可能性を思い描いていた。だが、まったく予想していなかったのは、玄関の扉が開かなかったことだった。「暗証番号が違います」という警告音が何度も響き、遊助の手はますます震えた。その時、突然、家の中から物音がした。ガチャッと扉が内側から開くと、数人の引っ越し業者がリビングに集まっており、中央には段ボール箱がいくつも積まれ、そこには遊助の私物が無造作に詰め込まれていた。真里亞の友人が腕を組んでこちらを見つめている。その目には何の感情も浮かんでいなかった。「来たのね?あなたの荷物、もう全部まとめたから。さっさとこれ持って出て行って」遊助は呆然とその場に立ち尽くした。胸の中で、何かが砕け散っていくような感覚があった。しばらくして、ようやく声を絞り出した。喉の奥がひどく乾いていた。「……っ。どういう意味だ?真里亞はどこにいる?」友人の視線は、嘲るような色を浮かべたまま、遊助の背後にぴったりと寄り添う園子へと移った。「どういう意味?フラれたのよ。分かりやすく言わないと分からない?真里亞には当然、自分のやることがあるの。あなたみたいなゴミを回収するために、いつまでもここに残ってるわけないでしょ」園子は目を見開き、怒りに満ちた表情で遊助を庇うように前に出た。「何を勝手なこと言ってるの?遊助さ
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第14話

「何すんのよ!」園子の悲鳴が、遊助の混乱した思考を引き戻した。次の瞬間、園子の温かい指先が、赤く腫れた遊助の頬に触れた。「遊助さん、もう行きましょう。あの人たち、わざとあなたを侮辱したいだけなのよ……どうせ真里亞さんのこと好きじゃなかったんだから、ちょうどいいじゃない、この機会に出ていきましょうよ……」「俺は、誰に似てるんだ?」園子が絶え間なく言葉を浴びせる中、遊助は胸を激しく上下させながら、友人の嘲るような目元をじっと睨みつけていた。「お前が言ったあの言葉、どういう意味だ」友人は嘲るように鼻を鳴らし、いらだたしげに舌打ちをした。「あなた、本当に真里亞と同じ学校を出てるの?こんな簡単なことも分からないなんて、よく合格できたわね。真里亞は出国したの。あなたは身代わりのくせに図々しく居座った挙げ句、あっさり捨てられたってことよ。これで分かった?」友人の声は淡々としていたが、その一言一言が刃物のように遊助の胸に突き刺さった。身代わり?捨てられた?遊助は目を血走らせ、勢いよくリビングの真ん中の段ボール箱を蹴り倒した。中身が瞬く間に床に散らばったが、その中に、真里亞が贈ってくれた品物は1つも見当たらなかった。真里亞が自分を要らないと?そんなはずがあるか。真里亞はあんなにも、あんなにも自分を愛していたはずなのに……遊助は腕に縋りついていた園子を振り払い、勢いよく家の中に駆け込んだ。きれいに片付けられた部屋の中に、2人がここで暮らしていた痕跡は微塵も残っていなかった。「真里亞、出てこい。ふざけるのはやめろ。式場の招待客がまだ俺たちを待ってるんだ。真里亞!」部屋の中で、遊助は何度も何度も真里亞の名を呼んだ。その声はどんどん震え、最後にはかすかに嗚咽が混じり始めた。遊助は実のところ、ずっと感じていた。真里亞は自分をそれほど愛してはいないのではないかと。だからこそ、何度も何度も園子に肩入れし、真里亞に嫉妬させることで、本当に愛しているのは自分なのだと証明してほしかったのだ。真里亞がプロポーズしてきたあの瞬間、遊助は胸に込み上げる喜びを抑えきれなかった。遊助はずっと、真里亞への愛を認めることができなかった。認めてしまえば、自分の元を去ってしまうのではないかと、怖かったからだ。だから遊助は早くか
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第15話

「……今、なんて言ったの?」園子の声が急に高くなり、もともと青白かった顔色がさらに悪くなった。遊助の指の隙間から滲む血をじっと見つめながら、激しく息を切らしていた。「あなた、真里亞さんのこと好きになったの!?そうなんでしょ!?」遊助はしばし沈黙した。瞳の奥で感情が渦を巻き、最後には低く沈んだ声となって漏れ出た。「……ああ」園子は雷に打たれたように、よろめきながら一歩後ずさった。涙が瞬時にあふれ出す。「じゃあ私は?私のこと、何だと思ってたの!?愛してるって言ったじゃない、指輪まで交換したじゃない!式をすっぽかすって約束したじゃない!言ったよね、真里亞さんのこと愛してないって。なのに今さら、私にこんな仕打ちできるの?」「あれは、お前を宥めるためだけの言葉だ。お前が事あるごとに死ぬと騒ぐから、目の前で見捨てるわけにいかなかった」遊助の声は掠れていた。指の関節に走る痛みが、かえって遊助の意識をはっきりさせていった。「指輪だって、お前が無理やり押し付けてきたものだろう。俺は最初から、逃げるつもりなんてなかった」「俺がずっと好きだったのは……」「嘘つきッ!」園子はヒステリックに叫び声を上げ、遊助が続けようとした言葉を遮った。涙で視界が滲み、ほとんど狂ったように呟き続ける。「あの人のこと嫌いだって言ったじゃない!無理やり付き合わされてるって言ったじゃない!全然愛してなんかいないって!冗談言わないでよ、遊助さん、あの人を愛してるわけないでしょ!」「俺が間違ってた」遊助は目を閉じ、低く、しかし確固たる声で言った。「俺は、真里亞を愛してる」その一言は、刃物のように園子の心臓を突き刺した。園子は全身を震わせながら、突然身を翻して廊下の窓へと駆け寄り、勢いよく窓を開け放つと、飛び降りようとした。「いいわ!どうせ私のこといらないなら、死んでやる!生きてる意味なんてもうない。遊助さん、あなたが他の女を愛するなんて、私、絶対に受け入れられない。どうして、他の女と結婚なんてできるのよ!」遊助はハッとして、反射的に一歩前へ踏み出した。「園子、落ち着け!」園子は廊下の窓辺に立ったまま、涙を流しながら振り返った。「遊助さん、本当に私が死ぬのを見てられるの?もしまだ、真里亞さんを愛してる、結婚し
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第16話

「遊助さん!そんな仕打ち、ひどいじゃない!」遊助はそのまま踵を返して歩き出した。園子は信じられないという顔で目を見開き、追いすがろうとしたが、両親にしっかりと押さえつけられていた。園子は取り乱したように泣き叫んだ。「遊助!この最低野郎!私と結婚するって言ったじゃない!行かないで、私たちこそ運命の相手のはずでしょ!」遊助はふと足を止めたが、振り返ることなく、ただ一言だけ投げ捨てた。「いつ俺がそんな約束をした?園子、俺はもうお前に十分尽くした。これ以上してやれることはない」言い終えると、遊助はそのまま車に乗り込み、アクセルを踏んで走り去った。夜の帳が下りていく中、車は疾走し、遊助の頭の中には、もはや1つの考えしかなかった。真里亞を見つけ出し、すべてをきちんと話さなければ。遊助は共通の友人たちに片っ端から電話をかけ、掠れた声で何度も何度も行方を尋ねた。真里亞は特に行き先を隠すつもりはなかったらしく、電話の向こうではほとんどの人が、真里亞がアイルランドへ行ったことを知っていた。だが、それ以上具体的な住所を知る者は誰もいなかった。唯一心当たりがあるとすれば、今あの家に住んでいる友人だけだろう。遊助の車は再び、あの家の前で停まった。インターホンを鳴らす手には、緊張のあまり汗がにじんでいた。友人が扉を開けた時、その手にはまだ通話中のスマホが握られていた。やって来たのが遊助だと分かると、友人の顔つきがすっと冷たくなった。「おばさん、ちょっと用事ができたから、また後で。真里亞が着いたら折り返すように伝えて」遊助が思わずスマホを奪い取ろうと前に出た瞬間、友人はすぐに通話を切った。見つめる眼差しには、隠しきれない嫌悪が滲んでいた。「また何をしに来たの?」遊助はスマホを凝視したまま、心臓が引き絞られるように痛むのを感じた。「彼女のお母さんと電話してたんだろ?もう一度かけ直してくれ。俺からも直接お話しさせてほしい。説得してもらえるように……」友人の表情はますます冷え込み、2歩後ずさるとスマホをポケットにしまい込んだ。「あなたに何の関係があるの?まさか、真里亞のお母さんがあなたのこと気に入ってるとでも思ってるの?今まで一度も連絡先を教えてもらえなかったのは、なぜだと思う?おばさんはあなたのこと、最初
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第17話

遊助は車の中に座り、点灯したスマホの画面を見つめながら、指先でアシスタントが送ってきた資料を1枚1枚めくっていった。写真の中の優馬は、シンプルな白いシャツを着て、陽射しの下で微笑んでいた。柔らかな目元をしていた。その顔は、遊助と9割方似ていた。いや、正確に言うなら、遊助の顔が優馬に9割方似ているということだ。遊助の胸に、心臓を見えない手で強く握り潰されるような、息もできないほどの痛みが広がった。震える指先で画面をスクロールしていくと、2人の写真がさらに何枚も出てきた。遊園地で手を繋いで大笑いする2人。優馬の肩に寄りかかって眠る真里亞。そんな彼女を見下ろす優馬の瞳には、あふれ出さんばかりの優しさが宿っていた。振り返って優馬を見つめる真里亞の瞳にも、深い愛情が満ちている。そして最後の1枚は、遺影だった。22歳の青年。永遠に、若く美しい22歳のまま時を止めていた。そして真里亞は、7年もの歳月をかけて、この世界のどこかに優馬の面影を狂ったように探し続けていた。遊助は写真を凝視したまま、突然、低く笑い出した。掠れた笑い声は、自嘲のようでもあり、絶望のようでもあった。「そうか……俺は本当に、ただの身代わりだったのか……いや、身代わりですらない」自分はただ、真里亞が自分の心を麻痺させるための道具にすぎなかったのだ。自分が「愛」だと思っていたもの、見せてくれた優しさ、甘やかし、あるいは独占欲さえも、そのすべてが、最初から自分に向けられたものではなかった。真里亞が自分を見つめる時、その瞳に映っていたのは、最初から最後まで、ただ優馬だけだった。スマホがぱたりと座席の上に落ちた。遊助は頭をシートの背もたれに預け、目を閉じた。脳裏に、無数の光景が次々とよぎっていく。バーでアルバイトをしていた自分を初めて見た時、真里亞の瞳をよぎったあの放心したような色。自分が眠っている時、真里亞がいつも指先で眉や目元をそっとなぞっていたこと。まるで何かを確かめるかのように。深く重なり合った時、うっとりと見つめながら動いていた唇が、一度たりとも自分の名前を呼んではいなかったこと。そして、式から逃げると告げた、あの動画の中の軽やかな一言。「新郎が式をすっぽかしたようですので、私もこのまま旅立つことにいたしました」自分が式
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第18話

空港の保安検査を通り抜けたばかりの遊助の手元で、スマホが突然明るく点滅した。表示されていたのは優花里の名前だった。遊助は眉をひそめながらも、通話ボタンを押した。電話の向こうから、狼狽した声が響いてきた。「お兄ちゃん!お母さんが急に発作を起こして入院したの!お医者さんが危険な状態だって言ってる、早く来て!」遊助の指先に力がこもり、心臓が重く沈んだ。「どこの病院だ?」「市中央病院、救急病棟の3階!」遊助は電話を切ると、すぐさま踵を返して空港を飛び出した。静まり返った病院の廊下に、遊助の足音だけが妙にはっきりと響いた。鼻先を刺す消毒液の匂いに眉をひそめると、胸の奥に嫌な予感がじわりと広がっていく。急いで救急病棟へ向かうと、角を曲がったところで、1つの人影に行く手を阻まれた。パンッ!激しい平手打ちが、遊助の頬に叩きつけられた。園子の母親は目を赤くしながら、震える指で遊助を指さした。「遊助!うちの娘に万が一のことがあったら、あなたを絶対に許さないから!」頬が焼けるように痛んだが、それを気にしている余裕もなく、遊助は深く息を吸い込んで胸の内の怒りを抑え込むと、ようやく口を開いた。「母は……」「今さら母親のことを気にするの!?」園子の母親は甲高い声を上げたが、震える手をそれ以上振り上げることはしなかった。「今、病室にいらっしゃるわ。園子と一緒に!」遊助の瞳がすっと細められた。彼は園子の母親を押しのけるようにして病室へと駆け込んだ。扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、ベッドの脇に座る福子と、ベッドに横たわる、青ざめた顔の園子だった。手首には厚く包帯が巻かれ、目を閉じてまるで眠っているかのようだった。「母さん……」遊助の声は掠れていた。急いでいた足が、その場でぴたりと止まる。「無事だったんですか?」福子が立ち上がると、その顔つきは陰鬱そのものだった。「私は無事よ。でも園子は違う!」福子は数歩詰め寄ると、手を振り上げ、再び平手打ちを見舞った。「この馬鹿息子!園子はあなたと一緒に育った子でしょう、あなたのことを一途に想ってきたのに、あなたはよりによって真里亞なんかのせいで、園子を自殺に追い込んだっていうの!?」遊助の顔は衝撃で横に弾かれ、唇の端から血が滲んだ。遊助は
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第19話

園子が目を覚ました時、まつ毛が微かに震え、ゆっくりと瞼が開いた。病室の眩しい蛍光灯の光に、反射的に目を細めた。ぼやけた視界の中、遊助がベッドの脇に立ち、険しい顔をしているのが見えた。「遊助さん……」声は弱々しく、涙声だった。涙が瞬く間にあふれ出した。「これ、夢じゃないよね?本当にここにいるの……」福子がすぐさま駆け寄り、園子の手を愛おしそうに握りしめた。「園子、やっと目が覚めたのね!本当に肝が冷えたわ!もう二度とあんな馬鹿な真似はしないで。あなたはずっと、私が認めたお嫁さんなんだから。遊助もきっとあなたと結婚してくれるわ」だが園子は、じっと遊助だけを見つめたまま、震える手を伸ばした。「遊助さん、本当に私と結婚してくれるの?本当に?」遊助はただ無表情に頷いた。そのたった一度の頷きだけで、園子は瞬時に泣き笑いの表情になった。手首の傷も構わず、園子は勢いよく身を起こすと、遊助の腰にしがみついた。「やっぱりそうだと思った!私を見捨てるわけないって分かってた!」その抱擁はあまりにも強く、爪が食い込むほどだった。声には、病的なまでの執着が滲んでいた。「遊助さん、あなたは永遠に私のもの……ずっと私のそばにいてくれるのよね……」遊助の体がわずかに強張り、眉間に微かな皺が寄った。園子が退院できるまでに回復した頃、遊助は、友人に会うという名目で、園子を心療内科のクリニックへ連れて行った。「ここ、友達が最近開いたクリニックなんだ。開院したばかりで、簡単な検査を受けてほしいって頼まれてるんだ」口調は穏やかだったが、その視線はずっと園子の反応を観察していた。園子はぴたりと寄り添い、手を離そうとせず、何の不満もなさそうに素直に頷いた。遊助が付き添って勧めることなら、何でも受け入れるつもりだった。2時間後、遊助は診察結果を厳しい顔で見つめていた。そこにはこう記されていた。――重度の妄想性パーソナリティ障害。抑うつと不安症状を伴う。「患者さんには非常に強い所有欲と支配欲があり、特定の相手に対して病的な執着を示しています」園子が化粧室に立った隙に、医師は眼鏡を押し上げながら、説明を続けた。「これまで症状が目立たなかったのなら、おそらく特定の相手から、他人とは違う特別な愛情を向けられていたからでしょう。とこ
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第20話

アイルランドの夜風はひんやりとした湿り気を帯びていた。空港を出た真里亞は、疲れた様子でこめかみを揉んだ。薄暗い照明にまだ目が慣れきらないうちに、聞き覚えのある声が耳に届いた。「真里亞、こっちよ」母が黒い乗用車の傍らに立ち、手を振っていた。その隣には、すらりとした長身の若い男が、仕立ての良いスーツに身を包み、夜の闇の中でもひときわ目を引いていた。「お母さん」真里亞が足早に駆け寄ると、母はその体をぎゅっと抱きしめた。「痩せたんじゃない?」母は愛おしそうに頬を撫でると、振り返って隣の男を紹介した。「こちら、霧島。私の専属アシスタントよ。こっちに来てからずっとついてきてくれてるの」霧島聖也(きりしま せいや)と名乗る男は軽く会釈すると、少し前に出て荷物を受け取り、口元に柔らかな笑みを浮かべた。「初めまして、真里亞さん」真里亞は思わずもう一度見つめた。美しい瞳をしている。深く、静かで、まるで何もかもを包み込むような。「彼、とても優秀で、気配りもできる子なの」母は真里亞を連れて車に乗り込みながら、忙しく立ち働く聖也にも視線をやった。「こちらで事業を広げるとき、彼にはずいぶん助けてもらったのよ。あなたが来てくれたから、私もそろそろ休ませてもらおうと思って。こちらの会社はあなたに任せるわ。安心して、霧島が手伝ってくれるから」真里亞は頷きながら、視線の端で、聖也が黙々と荷物をトランクに積み込んでいる様子を捉えた。車が夜の中を走り出す。真里亞は車窓に寄りかかり、見慣れないダブリンの街並みを眺めていた。ここは西京市とはまるで違う。高層ビルの圧迫感もなければ、息が詰まるような思い出もない。かつての楽しかった日々を思い起こさせるものさえ、どこにも見当たらない。「疲れたでしょう」母は寄りかかってきた頭を撫で、静かにため息をついた。「家はもう片付けてあるから、しばらくゆっくり休みなさい。真里亞、過去に囚われすぎないでね」鼻の奥がつんとして、真里亞は目を閉じたまま、小さく「うん」と頷いた。屋敷は郊外にあり、静かで落ち着いた環境だった。聖也が荷物をリビングに運び込んでいると、母がふと壁の時計に目をやった。「もうこんな時間ね。今日は帰らないで、ここで休んでいって」最後の荷物を置いたところで、聖也は少し戸
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