All Chapters of 愛情値は満点でも、心はもう戻らない: Chapter 21 - Chapter 26

26 Chapters

第21話

英理が姿を消したのは唐突だった。大学の友人たちは、彼女の両親が休学の手続きをしたことを知るだけで、それ以来誰も彼女の姿を目にすることはなかった。けれど英理には、自分の身に起きた不可思議な出来事を説明する術などなく、ただ申し訳なさそうに微笑むしかなかった。浚介は根掘り葉掘り詮索するような人間ではない。誰にだって、人には言えない秘密のひとつやふたつあるものだ。4年ぶりに再会できただけで十分だと思っていた。ふたりは美生のことを話題にした。浚介は今では医者になり、仕事が忙しく、美生の世話になかなか手が回らずにいた。ベビーシッターを頼んだこともあったが、最初に雇ったシッターが、彼の目を盗んで美生に虐待を働いていたのだという。それ以来、他人に美生を預けるのが恐ろしくなり、仕事と育児の両立に追われてきた。美生は聞き分けがよく、幼稚園が終わるとブランコのそばでおとなしく待ち、週末は家で静かに過ごしていた。その話を聞いて、英理の胸はいっそう痛んだ。唯人が4歳だった頃、英理は片時も離れずそばにいてやった。それなのに美生は、たびたびひとりで待たされているのだ。浚介は、英理の顔に隠しきれない痛ましさが浮かんでいるのを見て、探るように切り出した。「英理、実はひとつ、無理なお願いがあるんだけど……見ての通り、美生は君のことをすごく気に入ってる。しばらくの間、あの子の面倒を見てもらえないだろうか」浚介自身、頼みが唐突であることは分かっていた。若い女性にとって、子供の世話をするのは簡単ではない。けれど、毎日ひとりきりで待つ美生をこれ以上放っておきたくもなかったのだ。英理は、涙目で自分を「ママ」と呼んだ美生の姿を思い浮かべると胸が締め付けられ、迷わず引き受けた。浚介の目に喜びの色が浮かび、慌てて言葉を付け足す。「本当にありがとう、英理。報酬はいくらでも好きに決めてくれていいから」けれど英理は断った。浚介は申し訳なさそうにしていたが、英理は「私が美生ちゃんを好きだからしているの。今の私には他にすることもないし、あの子のお世話が毎日の張り合いになるから」と伝えた。その日から、浚介が毎朝幼稚園へ送り、英理がお迎えの時間に迎えに行くようになった。浚介は手術で帰りが遅くなることも多く、そんな時は英理が公園の滑り台で遊ば
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第22話

競技ではふたりの息もぴったり合い、次から次へと1位を勝ち取っていった。美生は声が枯れるほど歓声を上げ、誇らしげな表情を浮かべていた。運動会が終わると、3人は動物園へと足を運んだ。初めての動物園に、美生はあちこち目移りするほど興奮していた。浚介は肩車をして、もっとよく見えるようにしてやった。夕方の帰り道、美生はすでに浚介の腕の中で眠り込んでいた。浚介は、英理を先に家まで送ると言って譲らなかった。玄関先に着いたところで、美生がふと目を覚ました。眠たげに目をこすりながら、英理に向かって小さく手を振る。「ママ、また明日ね」英理は笑いながら小さな頬をつまみ、何か言いかけたその時。聞き覚えのあるふたつの声が耳に飛び込んできた。「ママ!」「英理!」……さらに1ヶ月探し続けても、京平は依然として手がかりを掴めずにいた。周囲の誰もが、もう諦めるべきだと言い続けていた。すでに経営の一線を退いていた京平の祖父でさえ、これ以上探すのはやめるようにと説得した。英理が固い決意で去ったのなら、見つけられるような痕跡など一切残していないはずだ。傾きかけている恋理グループに、そろそろ戻るべきだ、と。けれど京平は、決して諦めようとしなかった。父子は、必ず英理を見つけ出せると信じ続けていた。祖父は頑なな孫の姿に、怒りを覚えながらもどうすることもできなかった。こんな苦しい状況に陥ると分かっていたなら、最初から裏切るような真似をしなければよかったものを。祖父は恋理グループが傾いていくのをただ見ていることもできず、自ら再び経営の指揮を執ることにした。それ以来、京平はすべての時間と労力を英理の捜索に注ぎ込むようになった。唯人もまた、毎日父とともに探し歩いた。少しでも目撃情報が入れば、ふたりはどこへでもすぐさま駆けつけた。けれど1ヶ月が経っても、失望を重ねるだけだった。神仏など信じたこともなかった京平が、唯人を連れて名だたる神社を巡り歩いた。一歩進むごとに額づくほど必死に祈りながら、ただ再び英理に会えることだけを願った。そしてついにその日。父子の頭の中に同時に、あの機械的な声が響いた。その声は、英理がこの世界の人間ではなく、今はもう本来の世界に戻っていること、だからどれだけ探しても見つけられるは
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第23話

2ヶ月ぶりに英理と再会することになった京平も唯人も、まさかこんな光景を目にするとは想像すらしていなかった。英理の姿を目にするまで、京平はこう思い続けていた。10年も愛し合い、唯人だって彼女が腹を痛めて産んだ子供だ。今はまだ怒りが収まっていなくても、心から謝りさえすればきっと許してくれる。自分たち3人は、また昔のような幸せな家族に戻れるはずだと。これからは心から英理を愛し抜き、二度と他の女に惑わされたりしない、と。けれど思いもしなかった。たった2ヶ月の間に、英理の傍らに別の男がいて、その男が子供を抱いていて、子供が彼女を「ママ」と呼ぶ。まるで本物の家族のような光景が広がっているとは。京平の頭の中は真っ白になり、何も考えられなかった。一方、唯人の胸には、言いようのない寂しさと不満がこみ上げた。あんなに自分を愛してくれていたママが、2ヶ月も姿を消して、パパとふたりでようやく見つけ出したのに。それなのに今、見知らぬ子供が彼女を「ママ」と呼んでいるのだ。唯人は弾かれたように駆け出し、英理の胸に飛び込もうとした。「ママ、会いたかったよー!」英理はすでに最初の驚きから立ち直っており、すっと身をかわしてその抱擁を避けた。「あなたたち、どうしてここに?」その時、もう消えたと思っていたシステムの声が再び脳内に響いた。「攻略者様、任務の世界に崩壊の兆候が見られます。そのため……」システムの説明を聞いて、英理は初めて知った。彼女が去った後、京平は再び塞ぎ込み、かつて両親を亡くした時よりもひどい状態に陥っていたのだと。英理の行方を探し回る時以外は秘密の部屋に引きこもり、会社さえ放り出していた。結局は引退していた祖父が出てきて、傾きかけた恋理グループを支える羽目になった。唯人もまた母を失った衝撃に耐えきれず、毎日泣きじゃくって「ママを探して」と訴え、ついには食事まで拒むようになったという。任務の世界が崩壊の危機に瀕したことで、システムはやむを得ず、京平と唯人に再び英理と会える機会を与えた。ただし、与えられた時間はわずか24時間。システムによれば、この24時間のうちに父子に完全に諦めさせ、自分がもうふたりを愛していないこと、そしてもう二度と戻るつもりがないことをはっきりと悟らせればいいとのことだった。その説明を聞
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第24話

唯人は2ヶ月もの間、英理に会えず、ようやく見つけ出したというのに、他の子供が彼女を「ママ」と呼んでいるのを目にした。しかも、あんなに優しかった母から冷たく突き放され、とうとう堰を切ったように泣き出した。「ママ、僕のこと、もういらないの?僕こそがママの息子なのに!」以前なら、唯人が泣けば英理はすぐさま抱き上げ、優しくなだめてくれたものだった。けれど今の英理はただ黙って、その場に立って見下ろしているだけだった。いくら待っても、涙を拭ってくれるはずの温かい手は伸びてこない。目を開けると、英理は依然として同じ場所に立ち、淡々とした眼差しで見ているだけだった。「泣き止んだ?あなたが郁子を『ママ』と呼んでいたと知った時の私の気持ちが、これで少しはわかったかしら」唯人が生まれてから6年間、英理は手塩にかけて彼を育ててきた。この息子に注いだ愛情は、京平への愛に勝るとも劣らないものだった。病気で寝込んだ時は、一晩中ベッドのそばに付き添った。幼稚園に初めて登園した日には、心配でこっそり様子を見に行った。悪夢で眠れない夜には、ベッドの脇でそっと背中を叩き、子守唄を歌って寝かしつけた。だからこそ京平の不貞を知った最初の頃、自分に言い聞かせていたのだ。少なくとも唯人はいる。唯人だけは絶対に裏切らないはずだと。藁にもすがる思いで、全ての愛情を唯人に注いだ。けれど結局、この子もまた父親と同じく英理を裏切ったのだ。愛情が深ければ深いほど、真実を知った時の絶望も計り知れない。自分の過ちに気づいた唯人は、しゃくり上げながら訴えた。「ママ、僕が悪かった。他の人をママって呼んじゃいけなかった。ママは、ママだけなんだ」彼は以前のように英理の手を握り、その温もりにすがろうとした。けれど英理は容赦なく、すっと身をかわしてその手を避けた。「今さら後悔しても、もう遅いわ」かつて心から愛していたはずの息子に対してすらこれほど冷酷に振る舞う英理を目の当たりにして、京平の顔面は蒼白になっていた。「英理……」英理の視線が、ようやく京平に向いた。2ヶ月見ないうちに、京平にはもう、身なりを隙なく整えていた頃の面影はなかった。すっかりやつれ、目の下には痛々しい隈が刻まれていた。「京平、どうしてまだ私を探しに来たの?郁子がいるんじゃ
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第25話

京平には理解できなかった。自分が英理を愛していないなど、あり得るはずがない。彼女が去ってからというもの、夜もろくに眠れなかった。見つけ出すためなら、自分の健康を犠牲にしてでも構わない覚悟だったのだ。どうして英理は、自分が愛していないなどと思えるのだろう。彼は英理を見つめた。その瞳には、深い苦悩が滲んでいた。「英理、俺がお前を愛していないなんて、あり得るはずがないだろう」英理は小さく鼻で笑った。「……じゃあ、私に隠れて郁子と会ってたのが、愛なの?私の誕生日に、あの人とE国でスキーしていたのも?雪崩が起きた時、とっさに郁子を庇ったのも、全部愛だって言うの?」英理が言葉を重ねるたびに、京平の顔から血の気が引いていった。その一言一言が、京平の胸に深く突き刺さっていく。この瞬間、京平は何よりも自分自身を憎んだ。もしあの時、誘惑に負けず郁子を突き放していれば、その後のすべては起きなかったはずなのに。京平の瞳に浮かぶ深い悲しみを見つめても、英理の心は微塵も揺らがなかった。「あなたたちがここに来た理由は、私を連れ戻すためでしょう。京平、唯人。よく聞きなさい。私があの世界を捨てた瞬間から、私たちはもう他人よ」その決然とした言葉を聞いた京平は、思わずよろめきながら数歩後ずさった。表情には絶望だけが張り付いていた。「英理、本当にもう、俺たちを許してはくれないのか……?」幼い唯人には大人の事情は理解できなかったが、最後の一言だけははっきりとわかった。ママは、もう自分のことをいらないのだ。それでも彼は諦めきれず、すがるような目で英理を見つめた。「ママ、僕とパパは本当に反省してるんだ……」英理は首を横に振った。「許すことは絶対にない。それに、これからは私のことをママと呼ばないで」そう言い放つと、そのまま踵を返し、ドアをぴしゃりと閉めて外の泣き声を遮断した。翌日は美生の誕生日だった。半月も前から浚介と約束し、水族館へ行き、そのあと3人で家族写真を撮る予定になっていた。朝早くから、浚介は美生を連れて玄関先で彼女を待っていた。支度を終えた英理がドアを開けると、美生からの口づけが待っていた。「ママ、おはようー!」その甘い声を聞いた瞬間、昨夜の不愉快な出来事はすっかり吹き飛んでしまった
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第26話

その時、美生がふと口を開いた。「ママ、この男の子、本当にママの子供なの?」その問いに、隣に立つ浚介も思わず身を硬くした。英理はしばらく考えてから答えた。「昔はね。でも今、ママの子供は美生ちゃんだけよ」その言葉を聞いた瞬間、唯人はもう堪えきれず声を上げて泣き出した。「ママ、やだよ!僕はママの息子だよッ!」美生はその泣きようがあまりに痛々しく、さすがに可哀想に思った。「彼、何か悪いことしたの?許してあげられないの?」英理はどこかおかしそうに、美生の頬をつまんだ。「美生ちゃん、大きくなったらわかるわ。世の中にはね、絶対に許されない過ちもあるのよ」その一言は京平と唯人にとって、まぎれもない死刑宣告だった。これから先、ふたりが彼女の許しを得ることは二度とないのだ。最後まで英理はふたりの反応を気にかけることもなく、浚介の腕から美生を受け取ると寄り添うようにその場を後にした。「ママ、僕を捨てないで!」唯人は去っていく背中に向けて手を伸ばし、力の限り叫んだ。京平はただ息子を強く抱きしめることしかできず、声もなく涙をこぼした。京平は思いもしなかった。かつて見た悪夢が、これほど現実のものとなって突きつけられるとは。英理は自分たちの元を去り、そばには別の子供が彼女を「ママ」と呼んでいる。いくら叫んでも、彼女が振り返ることは二度となかった。後悔が、津波のように全身へ押し寄せてきた。もしあの時、郁子を突き放していれば。もしあの時、妻に内緒で息子を連れて郁子に会いに行ったりしなければ。せめて、あの時すぐに郁子との関係を断ち切っていれば。そうすれば、事態はここまで至らなかったはずだ。けれどこの世に「もし」はなく、時間を巻き戻すこともできない。すべては自業自得だったのだ。マンションのエントランスを出たところで、英理は浚介に目を向け、少し不思議そうに尋ねた。「私にあんなに大きい息子がいたこと、気にならない?」浚介は相変わらず、優しく微笑んでいた。「誰にでも、自分だけの秘密があるものだよ。君が自分から話したいと思う日まで、僕は待つよ。それに、あの親子のことは君の中ではもう過去のことなんだと、見ていてわかったから」その言葉を聞いた英理は一瞬呆気にとられ、それからほっとしたように笑った。
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