第1話 内親王殿下は、青春ラブコメがお好き 午前零時四十三分。 瑞穂宮邸の東棟二階、結月内親王の私室では、本来ならばとうに消えているはずの明かりが、分厚い遮光カーテンの隙間からほんのわずかに漏れていた。 もっとも、その明かりは天井の照明ではない。ベッドの中に潜り込み、布団を頭までかぶった十九歳の少女が、手元の小さな読書灯をつけているのである。「……そこです。そこで引き止めなければ駄目です。どうして帰らせてしまうのですか。今ならまだ間に合います。走ってください、早く……!」 声を潜めているつもりなのだろうが、興奮すると少しずつ大きくなる。 結月は枕へ頬を押しつけながら、手にした漫画のページをめくった。 作中では大学生の男女が、雨の降る夜の駅前で別れようとしていた。 互いに好きなのは読者なら百ページ前から分かっている。それなのに本人たちは、相手に好かれているはずがないと勝手に決めつけ、言わなくてもいいことを言い、聞けば済むことを聞かず、見事なまでに話をこじらせていた。 結月はそういう場面が大好きだった。 いや、他人事だから好きなのである。「違います。『元気で』ではありません。そこは『行くな』でしょう。どうして男性というものは、こういう肝心なときに……あっ」 次のページをめくった瞬間、結月は口を押さえた。 青年が走り出した。 駅へ向かった彼女の腕をつかみ、振り向かせ、そのまま抱きしめる。 そして、ついに告白した。「……よかったぁ……」 皇族として公式行事に臨むときには、決して人前で見せることのない、心の底から安堵した顔だった。 結月はもう一度そのページへ戻り、告白の台詞を読み返した。それから少し迷い、枕元に置いてあった紺色のノートを手に取る。 表紙には、自分で書いた題名があった。『大学生活で絶対にやりたい青春イベント百選』 世界中の誰にも見せられない秘密のノートである。 結月は万年筆を取り、すでに書いてある項目へ小さく補足を書き加えた。『四十三、雨の日に好きな人と相合傘をする』『四十四、駅で帰ろうとしたところを引き止められる。ただし腕を強くつかむのは痛そうなので要相談』 そこで手を止める。「……要相談とは、誰と相談するのでしょう」 書いてから気づいた。 相談すべき恋人など、当然ながら今はいない。 そもそも結月には
最終更新日 : 2026-09-13 続きを読む