汐里は困惑したように顔を上げ、無意識に耳元の補聴器に触れた。「今、何て言ったの?聞き取れなかった」いつも俺が話しかけても、彼女はろくに聞こうとしなかった。どうせ俺が辛抱強く、もう一度言い直してくれると分かっていたからだ。でも、今回は何度も繰り返す気にはなれなかった。「何でもない」できるだけ平静を装って、俺は言った。「その家は解約しよう。俺は南町に家を買ってくれって言ったんだから、南町で買うんだ」その瞬間、彼女の顔からすっと表情が消えた。「家なんて、服みたいに簡単に買い替えられるものじゃないでしょ。設計図を描いたのはあなたで、昼も夜も私が付きっきりで監督して完成させたのよ。それを、いらないって言うの?もう、わがまま言うのはやめて」二人の間に張り詰めた空気が漂う中、突然、「カチャッ」と玄関のドアが開いた。遠真が、まるで自分の家に帰ってきたかのように指紋認証で中へ入ってきた。三人の視線が交錯する。俺たちが口論していることに気づくと、遠真はまるでこの家の主であるかのような態度を見せた。「颯人さん、汐里のことを少し理解してあげて。汐里には聴覚障害があるんだ。聞き間違えたって、わざとじゃないだろう。俺が料理を作るから待っててくれ。二人のために、先に引っ越し祝いをやろう」そう言うと、彼は慣れた手つきで野菜を洗い、下ごしらえをし、鍋に放り込んでいく。まるで自分の家の台所で料理をしているかのようだ。汐里は、彼がキッチンで忙しく動き回る姿を見つめ、その瞳には愛おしげな光が浮かんでいる。そしていつものように彼のところへ行き、手伝い始める。息の合った二人の姿は、どこか温かく、親密だった。けれど、二人とも忘れているようだ。ここは、本来なら俺たちの新居のはずなのに。俺が出ていこうとしたとき、汐里が小走りで追いかけてきて、俺の腕をつかんだ。「せっかく遠真があなたのために引っ越し祝いの料理を作ってくれてるのに、まだそんな顔してるの?いい加減にしたら?」俺のための引っ越し祝い?実は家に入ったときから、俺は気づいていた。家の間取りは、俺が設計したものとはまるで違っていた。もともと親しい友人や家族を泊めるために用意していたゲストルームは、主寝室の二倍もの広さになっていた。それどころか、面積
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