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彼女に届かない声 のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 8

8 チャプター

第1話

汐里は困惑したように顔を上げ、無意識に耳元の補聴器に触れた。「今、何て言ったの?聞き取れなかった」いつも俺が話しかけても、彼女はろくに聞こうとしなかった。どうせ俺が辛抱強く、もう一度言い直してくれると分かっていたからだ。でも、今回は何度も繰り返す気にはなれなかった。「何でもない」できるだけ平静を装って、俺は言った。「その家は解約しよう。俺は南町に家を買ってくれって言ったんだから、南町で買うんだ」その瞬間、彼女の顔からすっと表情が消えた。「家なんて、服みたいに簡単に買い替えられるものじゃないでしょ。設計図を描いたのはあなたで、昼も夜も私が付きっきりで監督して完成させたのよ。それを、いらないって言うの?もう、わがまま言うのはやめて」二人の間に張り詰めた空気が漂う中、突然、「カチャッ」と玄関のドアが開いた。遠真が、まるで自分の家に帰ってきたかのように指紋認証で中へ入ってきた。三人の視線が交錯する。俺たちが口論していることに気づくと、遠真はまるでこの家の主であるかのような態度を見せた。「颯人さん、汐里のことを少し理解してあげて。汐里には聴覚障害があるんだ。聞き間違えたって、わざとじゃないだろう。俺が料理を作るから待っててくれ。二人のために、先に引っ越し祝いをやろう」そう言うと、彼は慣れた手つきで野菜を洗い、下ごしらえをし、鍋に放り込んでいく。まるで自分の家の台所で料理をしているかのようだ。汐里は、彼がキッチンで忙しく動き回る姿を見つめ、その瞳には愛おしげな光が浮かんでいる。そしていつものように彼のところへ行き、手伝い始める。息の合った二人の姿は、どこか温かく、親密だった。けれど、二人とも忘れているようだ。ここは、本来なら俺たちの新居のはずなのに。俺が出ていこうとしたとき、汐里が小走りで追いかけてきて、俺の腕をつかんだ。「せっかく遠真があなたのために引っ越し祝いの料理を作ってくれてるのに、まだそんな顔してるの?いい加減にしたら?」俺のための引っ越し祝い?実は家に入ったときから、俺は気づいていた。家の間取りは、俺が設計したものとはまるで違っていた。もともと親しい友人や家族を泊めるために用意していたゲストルームは、主寝室の二倍もの広さになっていた。それどころか、面積
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第2話

「食べたくないなら、もういいわ。帰らせて」汐里の口調には、苛立ちが滲んでいた。窓の外で雷鳴が轟き、稲妻が走る。彼女はそれを見て、鼻で笑った。その一言が、俺の胸を容赦なく抉った。「もう雷が怖いって泣き喚いたりしないでよ」継父から暴力を受けていた頃、俺はよく大雨の中へ放り出され、意識を失うまで雨に打たれていた。そのせいで、俺は雷が怖くなった。そんな俺に、汐里はいつも欠かさず寄り添い、雨の夜を一緒に過ごしてくれていた。それなのに、俺の弱点を誰よりも知っている彼女は、腹を立てたまま、俺を玄関へと追いやった。「熱っ!」遠真が苦痛の声を上げたことで、俺は現実へと引き戻された。汐里はすぐさま、彼がこぼしてしまった熱湯を拭き取り、優しい声で言った。「火傷した?残りの料理は私が作るから、そこにいて」その光景が、かつての俺たちと重なって見えた。俺は振り返ることなくドアを開け、迷いなく雨の中へ飛び出した。そして、すぐにタクシーを拾った。その晩、俺は40度近い高熱を出した。一方、遠真のSNSには、すでにテーブルいっぱいに並べられた料理の写真が投稿されていた。【新居には、俺専用の部屋がある。なんと主寝室より広い!誰かさんが作ってくれた引っ越し祝いも、いつもよりずっと美味しく感じる!】でも、俺ははっきり覚えている。汐里は以前、「一生、キッチンには入らない」と誓っていた。油や煙の匂いが嫌いだからだ。それなのに、遠真のためなら彼女はその誓いを、いとも簡単に破ってしまった。ふと我に返った俺は、連絡先の一番下にしまい込んでいた番号を呼び出した。「以前、ずっと居場所を残しておくとおっしゃっていましたよね。今でも、そのお約束は有効でしょうか?」返ってきたのは、興奮したような、力強い肯定の言葉だった。俺は解熱剤を飲み、そのまま意識が朦朧とする中で眠りについた。翌朝、1本の電話で目を覚ました。「颯人、誰にそんな無礼なことを教わったの?家族で食事をするって約束したでしょう。一族みんなが、あなた一人を待ってるのよ!」俺の頭が割れそうなほど熱かった。「俺、熱が……」「そんな言い訳、もういいから。早く来なさい。みんなを待たせないで」俺は重い体を引きずるようにして、如月家の本宅へ向かった。まさか、汐里の隣
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第3話

元の家に戻ると、俺は出ていくための荷物をまとめ始めた。すると、思いがけず帰ってきた汐里にその姿を見られてしまった。彼女は、俺が新婚旅行の荷造りをしているのだと勘違いしたらしい。「こんなに早くから?気が早すぎない?それに、新婚旅行は南極に行くんだから、夏服なんて持っていってどうするの?凍え死ぬわよ」俺は呆然とした。ずっと前から、結婚したらノルウェーへ新婚旅行に行こうと二人で決めていた。そこは、俺たちが出会った場所だったからだ。あのとき彼女は俺にキスをして、こう言った。「何度思い出の場所を訪れたっていい。でも、隣にいる人だけは、ずっと変わらないからね」だから3日前、俺は彼女に航空券を買ってもらっていた。俺はほとんど反射的に口にした。「ノルウェーじゃなかったのか?」汐里は苛立ったように2枚の航空券を取り出した。確かに、行き先は南極だった。その直後、彼女のポケットからもう1枚の航空券が落ちた。日付も行き先も、同じだった。彼女は一瞬、動きを止めた。そして、どこか不自然に言い訳した。「たぶん、私が聞き間違えたんだと思う。あなたが南極に行きたいんだと思ってたの。支払いのときに間違えて押しちゃって、もう1枚買っちゃったみたい」けれど、そのもう1枚に書かれていた名前は、はっきりと遠真だった。ふと、3日前のことを思い出した。遠真はSNSに、南極のオーロラの動画を何本もシェアしていた。【誰か南極にオーロラを見に連れていってくれるかな。ここで願掛けしておこうっと】今なら分かる。その願いを叶えてやろうとしているのは、汐里だったのだ。俺の声は、一度だって彼女の心には届かなかった。そして俺という人間も、最初から彼女の心の中には入っていなかった。俺は顔を上げ、こぼれそうになる涙を必死に堪えた。「俺の分はキャンセルしてくれ」それを聞いた汐里は、ついに俺に対する忍耐を失った。「どこに旅行したって大して変わらないでしょう?一人増えたほうがお互い助け合えるし、そんなことにいちいちこだわる必要ある?ほんと、どんどん面倒くさくなってるよね」俺は顔を上げ、彼女の目を見つめた。まさか、こんな言葉を汐里の口から聞くことになるなんて、信じられなかった。継父の暴力から逃れ、暗闇から抜け出したあと、俺は
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第4話

広間には親族や友人たちが所狭しと集まり、グラスを手に談笑していた。皺だらけのパジャマ姿で現れた俺を見ると、汐里は不機嫌そうに眉をひそめた。「今日が結婚式のリハーサルだって忘れたの?両親はもう来てるのよ。それなのに、そんな格好で降りてくるの?」周囲から、侮蔑や嘲笑の視線が俺に突き刺さる。まるで、こんな格の低い男と汐里が結婚するなんて、とでも言いたげだった。汐里は自分まで恥をかいたような顔をして、苛立たしげに手を振った。「ちゃんとした礼服に着替えてきて。まるで如月家があなたを粗末に扱ってるみたいじゃない」その一方で、遠真はまるで新郎本人であるかのように、結婚式用のタキシードを身にまとっていた。俺は汐里の横柄な態度を無視した。そして、みんなが集まっているこの場で、正式に婚約破棄を告げようとした。ちょうどそのとき、遠真が足早に近づいてきて、俺をある男の前へと連れていった。「こんなおめでたい日に、せっかくだからおじさんも呼んで、一緒にお祝いしてもらおうと思ってさ。颯人さん、余計なことしたなんて怒らないでよ」俺は顔を上げた。その瞬間、心臓が止まったような気がした。そこに立っていたのは――俺の目の前で母親を殴り殺した、あの継父。耳元で、継父の声が悪魔のように響いた。「颯人、結婚なんて大事な祝い事なのに、どうして父さんを呼ばないんだ?俺もお前を祝ってやろうと思って来たんだ」瞬間、恐怖と憎しみが電流のように全身を駆け巡った。すると遠真が突然、俺の耳元へ顔を寄せ、興奮した様子で囁いた。「この人、お前の母親を殴り殺したんだって?しかも遺体はいまだに見つかってないらしいじゃないか。なのに、よくこんなところで結婚なんかしてられるな。それに、こんな幸せな日に家族がいないなんて寂しいだろ?そう思わないか?」昼も夜も俺の悪夢に現れる、あの悪魔を目の前にして、俺は怒りで目を血走らせた。「どうして、そんなことを知ってる?」声は震え、俺の姿は自分でも恐ろしいほど狂気じみていた。遠真は、何も知らずに立っている汐里へ視線を向けた。「一度、汐里にイラッとさせられてしまって。そのとき、汐里が俺を慰めるためにこの話をしてくれたんだ。ああ、颯人さん、そんな怖い顔で睨まないでよ」パァン!俺は拳を振り上げ、遠真の顔面
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第5話

「何ですって?!」汐里の額に青筋が浮かび、無意識に手のひらを強く握りしめた。会場責任者は息を整えると、申し訳なさそうな顔で言った。「この時期は結婚式を挙げる方が本当に多くて、ついお伝えするのを忘れてしまいました。それに、如月さんは新婦なのに、どうしてご存じなかったんですか?」汐里はその場に呆然と立ち尽くした。彼女の隣にいた花嫁介添えの友人たちも、一瞬気まずそうな顔を見合わせたが、すぐに場を取り繕い始めた。「たぶん颯人、私たちをからかってるだけよ。ずっと結婚したいって騒いでたじゃないの」「そうだよ。何年も前から、颯人は汐里のことを自分を救ってくれた人みたいに思って、べったりだったじゃないの。まさか何か問題が起きるなんて」「もしかしたら寝坊したんじゃない?それとも気が変わって、あなたにサプライズを仕掛けようとしてるんじゃない?」……ようやく我に返った汐里は、自分に言い聞かせるように言った。「そうね。あの人のわがままな性格なら、ありえない話でもないわ」口ではそう自分を慰めながらも、胸の奥にはずっと嫌な予感が引っかかっていた。家へ向かう車の中で、汐里は何度も颯人に電話をかけた。けれど、返ってくるのは冷たい機械音声ばかりだった。【おかけになった電話は、現在つながりません。しばらくしてから、もう一度おかけ直しください……】彼女は続けてメッセージを送った。【もういい加減にして。ふざけるのにも時と場合があるでしょう。今日は結婚式なのよ】【早く電話に出て。みんなの前で恥をかかせないで】結婚式場は、すでに大混乱に陥っていた。汐里の母親からも、何度も電話がかかってくる。「だから言ったでしょう。身分の低い家の男なんて結婚するものじゃないって。どう?こんなおめでたい日に、いい気になってるじゃない!」汐里はますます苛立った。「お母さん、ゲストの方たちを落ち着かせて。私は今、家に戻ってるところだから。絶対に彼を連れていくから」家に着くと、汐里と友人たちは手分けして颯人を探し始めた。だが、全員が集まったところで、返ってきたのは一様に首を横に振る姿だけだった。「物置まで探したけど、本当にいないわ」そして汐里が寝室のドアを開けた瞬間、言葉を失った。元々生活感に満ちていた部屋が、がらんとしてい
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第6話

「し……汐里?」遠真は勢いよく立ち上がった。その顔は紙のように真っ白だった。そして、なんとか話題を逸らそうとする。「どうして急に来たんだ?もしかして、颯人が戻ってきたのか?」汐里は険しい顔のまま、ゆっくりと彼のほうへ歩いていった。「今、何て言ったの?あなたがお金を払って、この人を雇って颯人を脅させたってこと?」遠真は怯えたように、じりじりと後ずさった。「俺はただ、おじさんと話が合って、冗談を言い合ってただけだよ。他に何の意味もないって」颯人の継父も慌てて頷いた。「そうだ。俺は本当にもう改心したんだ。息子の結婚を祝いたくて来ただけなんだよ」だが、ついさっき交わされた二人の会話も、金のやり取りも、汐里の脳裏には鮮明に残っていた。汐里は目の前の男を見つめたまま、信じられないという顔をした。幼い頃から、何より可愛がってきた男の子が、まさかこんなにも腹黒いことを企んでいたなんて。「遠真!この人はもう改心したって、あなたが言ったから、私は結婚式に呼ぶことを許したのよ。それなのに、よくも私に嘘をついたわね!あなたたちが裏で手を組んでるって知ってたら、何があってもこのクズを呼ばせなかった!颯人の邪魔なんて、絶対にさせなかったのに!」彼女は知っていた。颯人が継父のもとで、どれほど苦しめられてきたのか。そして、颯人が継父をどれほど憎んでいるのかも。遠真から「二人のわだかまりを解いてあげよう」と持ちかけられたときも、汐里は迷っていた。それでも、颯人には一日も早く過去の苦しみから解放され、前を向いてほしかった。だからこそ、彼女はその提案を受け入れたのだ。汐里は颯人の継父を睨みつけた。「どうして、幼い子供にあんな酷いことができたの?殴るだけじゃなくて、お母さんまで奪ったんでしょう?」そう言ううちに、汐里の目はみるみる血走っていった。「どうしても改心する気がないっていうなら、私が颯人の代わりに、あなたに償わせる」そう言うと、汐里はスマホを取り出し、警察へ通報した。継父は慌ててその場に跪き、必死に懇願した。「頼む、警察だけはやめてくれ!如月さん、本当に悪かった!すぐにあいつに謝るから、頼む!」それでも汐里は、電話をかける手を止めなかった。「はい。この事件、よろしくお願いします…
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第7話

結婚式を数時間後に控えた頃、俺のスマホには、ひっきりなしに電話がかかってきていた。だが、俺は一つひとつ着信を切り、最後にはかかってきた番号をすべてブロックした。汐里からも、何度もメッセージが届いた。どこにいるのか、どうしてまだ現れないのか。何度も尋ねてきた。けれど彼女は知らなかった。俺はもう、結婚式場をすべてキャンセルしていた。大切にされない結婚式なんて、結局はただの笑い話になるだけだ。いっそ、きれいに別れて、お互い何のしがらみも残さないほうがいい。新しい会社に入社してから、俺はすべての時間と労力を新しい環境に馴染むことへ注ぎ込んだ。数日後、汐里の親友たちが、違う番号から何度も俺に電話をかけてきた。うっかり一度だけ、電話に出てしまった。「颯人さんを探すため、汐里はもう気が狂いそうになってるんです。お願いだから、戻ってきてください。今、高熱が下がらなくて、如月のおばさんも心配のあまり入院しちゃったんです。颯人さんが戻ってくれたら、二人の関係もきっと元に戻せますよ」電話の向こうから、別の声も重なった。「そうですよ。颯人さんの継父も逮捕されたし、お母さんの事件も再捜査してもらえることになったんです。汐里がかなり動いてくれたんですよ」……向こうから延々と続く説得を聞いていると、ただただうるさく感じた。「汐里に伝えてください。俺は戻りません。それに、俺は何度も彼女に別れようって言ってました。ただ、彼女が聞いてなかっただけです。それがわざとだったのかどうかなんて、もうどうでもいいです。それでは……」そう言うと、相手が何か言い返すのも待たず、俺は電話を切った。窓の外を行き交う車や人々を眺めながら、俺は汐里が初めて補聴器をなくした日のことを思い出していた。「颯人……颯人……」人混みの中で、彼女は必死に俺の手を握り、不安そうに俺を見つめていた。その瞳には涙が溜まっていた。あの日から、俺は彼女を必ず守ると誓った。彼女の弱さも、優しい一面も、俺は誰より分かっていたからだ。なのに、まさか先に俺の手を放したのが彼女だったなんて。その日の夜、汐里の母親から、珍しく俺に電話がかかってきた。開口一番、咳き込む声が聞こえた。「颯人……今まで、私はあなたにあまりにも酷く当たってしまっ
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第8話

しばらく呆然としていた汐里は、一歩、また一歩と、ゆっくり俺のほうへ歩いてきた。「颯人……」俺は警戒するように後ずさり、無表情のまま彼女を見つめた。「ここに何しに来た?家族から、病気だって聞いてるけど」汐里は一瞬、言葉を失った。まるで冷水を浴びせられたかのように、顔が強張った。「私が病気だって知ってたのに、どうして戻ってきてくれなかったの?まさか……あなたにとって、私はいてもいなくても同じ存在なの?」彼女は信じられるはずがなかった。以前の俺なら、薬を買って彼女に飲ませ、一晩中ベッドのそばで付き添っていた。けれど今はもう、彼女が無事かどうかなんて、俺には関係ない。俺は苦しげに口を開いた。「もう別れたんだ。俺には、君の面倒を見る義務なんてない」次の瞬間、汐里が俺の手を握りしめた。その目には、どうしても納得できないという色が浮かんでいた。「どうして?どうしてあなたの一存で別れられるの?私は一度も別れるなんて言ってない。これからだって、絶対に認めないわ」彼女はひどく真剣な顔をしていた。まるで、本当に俺を大切に思っているかのように。でも、彼女の本性を誰よりも知っている俺は、もう二度と騙されるつもりはなかった。俺は苛立ったように彼女の手を振りほどき、自嘲するように笑った。「好きにすればいい。俺はもう、君とやり直すつもりはない」「じゃあ、私たちの思い出まで金に換えるの?」汐里は突然、激しく取り乱した。手にしていた設計図が、床一面に散らばっていく。今日の授賞式が終われば、俺の設計図はオークションにかけられる。優れた作品なら、かなりの高値がつく。「それがどうした?俺のものだ。売りたいと思ったから売る」汐里は茫然と俺を見つめた。「これ、私たちの新居の設計図でしょう?あなた、本当に簡単に手放すつもりなの?あなたがどれだけ心を込めて作ったか、私は知ってる。細かいところまで、全部私の体のことを考えて設計してくれたんでしょう?そんなものを、他人の手に渡すなんて……私にはできない」俺は思わず、皮肉な笑みを浮かべた。以前、俺はこの設計図を彼女に渡し、新居の施工を任せていた。それなのに、俺がずっと夢見ていた新居は、いつの間にか別の誰かの好みに染まってしまった。今になって彼女は、そ
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