5年前、晩秋の夜。東京・成城にある鷹宮家の屋敷には、肌を刺すような冷たい雨が降りしきっていた。妊娠6週のエコー写真を入れた封筒を胸に抱き、水瀬紗月は門の前に座り込んでいた。全身ずぶ濡れで、地面の冷たさが容赦なく体温を奪っていく。唇が震え、歯がかちかちと鳴った。重い鉄の門が開き、濃紺のスーツを着た鷹宮怜司が、傘を差しかける従者たちを伴って出てきた。「怜司さん……お願い、一度だけでいいから話を聞いて。ほかの人と付き合ったことなんてない。この子は、本当にあなたの子なの」紗月は血のにじむ指先を伸ばし、彼のズボンの裾にすがろうとした。怜司はためらいもなく、その手を革靴で払いのけた。「その汚い口で、俺の名前を呼ぶな」低く、硬い声だった。彼はコートの内ポケットからくしゃくしゃになった泌尿器科の診療記録と、偽造されたホテルの写真を取り出し、紗月の顔に投げつけた。「先天性無精子症。俺には医学的に子どもができない。病院長の印まであるこの診療記録が、嘘だとでも言うのか?」「違う……そんなはずない。検査が間違ってるのよ!」「ホテル・セレスティアのスイートルームに、ほかの男と出入りしている写真まである。俺を裏切った挙げ句、よその男の子を俺の血筋だと偽って、鷹宮家の女主人に収まるつもりか?」怜司の顔には、裏切られた怒りと確信が入り交じっていた。診療記録も写真もすべて仕組まれたものだと、当時の彼は少しも疑わなかった。そのとき、屋敷の玄関から、ダイヤモンドを身につけた母の静江と黒崎麗奈が、口元に笑みを浮かべて歩いてきた。「怜司、そんな卑しい詐欺師と、いつまで話しているの。警備員を呼んで、早く追い払いなさい」静江の険しい声に続いて、麗奈がわざとらしくため息をついた。「紗月さん、子どもができないとわかって、怜司さんがどれほど苦しんだか知っているでしょう。それなのに、ひどいわ」紗月は泣くのをこらえ、怜司を見上げた。けれど彼は冷たく背を向けた。「二度と俺の前に現れるな。次にこんな詐欺を働いたら、おまえの父親の命綱から断ってやる」重い門が、音を立てて閉じた。その夜、集中治療室にいた紗月の父は、鷹宮グループによる治療費と転院の支援を打ち切られ、息を引き取った。葬儀場へ向かうタクシーに、黒いSUVが2度ぶつかって逃げたのも、その夜だった。警察は雨による事故の可能性をまず考えた。
Last Updated : 2026-09-15 Read more