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第1話

修理工は、今日中に車を直すのは絶対に無理だと言った。拓海は車のドアに寄りかかってしばらくスマホをいじり、すぐに一枚のチケットを私に差し出した。「午後1時発、6時間。ちょうど夕食に間に合うな」私はそのチケットに目を落とした。「私の?」「ああ」彼は残されたもう一台のオフロード車を指差した。「四席しかないし、誰かがバスに乗らないといけないだろ」莉桜がすぐに口を開いた。「やっぱり私が行こうかな。結衣が一人で長時間乗るなんて退屈だろうし」彼女がバッグを持ち上げようとした瞬間、藤原悠真(ふじわら ゆうま)がそれを押し留めた。「お前、昨日どれだけ吐いたか忘れたのか?」中村涼太(なかむら りょうた)も眉をひそめた。「お前のその胃で6時間も揺られたら、夜また具合悪くなるぞ」拓海はすでに私のスーツケースを道端へ降ろしていた。「結衣は大丈夫だ」彼は笑みを浮かべ、莉桜に向かって顎をしゃくった。「こいつは昔から頑丈だから、どこに放り出しても生きていける」悠真が笑った。「それは確かにそうだ」以前なら、この言葉を聞いて私も一緒に笑っていた。手間がかからないと褒められているのだと思っていたからだ。私はチケットを受け取った。「わかった」拓海が私の肩をポンと叩いた。「着いたら連絡しろよ」そう言うと、彼は莉桜を振り返って尋ねた。「塩湖で夕日の写真を撮りたいんだろ?早く行かないと日が暮れるぞ」私は戸惑った。「直接次の目的地に行かないの?」「ついでに少し寄り道するだけだ」彼はすでに運転席に乗り込んでいた。「お前はどうせバスじゃ行けないんだから、無駄にバタバタするな」車が発進する時、莉桜はまだ窓枠に身を乗り出して私に手を振っていた。「また夜にね!」私も軽く手を振り返した。車は交差点を曲がり、すぐに見えなくなった。私は手元のチケットを見下ろした。6時間。確かに、大したことではなかった。バスに乗ってから、日よけ帽子を後部座席に忘れたことを思い出した。拓海にメッセージを送ろうとした矢先、SNSのタイムラインに一枚の写真が流れてきた。莉桜が塩湖のほとりに立ち、頭には私の帽子を被っている。拓海はしゃがみ込んで彼女を撮るアングルを探し、悠真が日傘をさし、涼太が彼女のバッグを持っていた。添えられたキャプションには、こ
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第2話

夜7時過ぎ、長距離バスが目的地に到着した。私はスーツケースを引きずりながら、あらかじめ予約しておいた民宿へ向かった。オーナーはしばらくパソコンを操作してから、顔を上げて私を見た。「お客さんたちの予約、今日の午後にキャンセルされてますよ」私は一瞬、呆然とした。「……キャンセルですか?」「ええ。『予定が変わったからそっちには行かない』って連絡がありましてね」私はグループチャットを開いた。一番下に表示されているメッセージは、午後に莉桜が送ってきた塩湖の写真のまま止まっている。ルート変更の話なんて、誰も一言も口にしていない。私は拓海に電話をかけた。二度目でようやく繋がった。電話の向こうはひどく騒がしかった。莉桜が歌っている声もかすかに聞こえる。「着いたか?」「うん。そっちはどこにいるの?」「隣の市だよ」拓海の口調はごく自然なものだった。「午後に出会った観光客から、こっちで夜に音楽フェスがあるって聞いてさ。急遽、予定を変えたんだよ」私はスーツケースの持ち手を強く握りしめた。「どうして誰も私に教えてくれなかったの?」彼は数秒ほど黙った。「誰も言ってなかったか?」間髪入れず、悠真の声が聞こえてきた。「涼太が言ったんだと思ってたぞ」涼太がすぐに言い返す。「俺は拓海が言ったんだと思ってたし」電話の向こうで、彼らはどっと笑い声を上げた。昔から、いつもこうだった。大学2年の年越しも、彼らが急にレストランを変えたせいで、私は元のレストランで40分も待ちぼうけを食らった。そして最後の言い訳も、決まってこれだった。「お前も知っていると思っていた」あの夜、私はひどく腹を立ててキレた。彼らはご飯を奢って私の機嫌をとった。それ以来、似たようなことがあっても、私はあまり問い詰めなくなった。拓海が言った。「今夜は自分で適当な宿を見つけて泊まってくれ。明日の朝9時に迎えに行くから」「……わかった」電話を切る。オーナーが尋ねてきた。「お客さん、どうしますか?それでも泊まっていかれますか?」私は頷いた。「空き部屋があるなら、お願いします」結局、旧市街にある小さな安宿しか見つからなかった。エレベーターはない。一人きりでスーツケースを4階まで運び上げると、手のひらが真っ赤に擦れていた。部屋に入っ
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第3話

民宿のオーナーが、相乗りの車を見つけてくれた。3時間後、私はなんとか観光地へたどり着いた。四人はちょうど昼食をとっているところだった。テーブルの上に並んでいたのは、四人分の食器だけ。莉桜が真っ先に私に気づいた。「結衣、やっと着いたね!」悠真は手元の腕時計に目を落とした。「お前、遅すぎだろ。これ以上遅かったら午後から遊べなくなるところだったぞ」私はテーブルの傍らに立ち尽くした。「私の分のご飯は、頼んでくれなかったの?」四人は一瞬、きょとんとした顔をした。涼太が先に口を開いた。「来る途中で食ったんだと思ってた」莉桜が慌てて自分の器をこちらへ押しやってきた。「私の食べて。まだほとんど手をつけてないから」拓海がすかさず手を伸ばし、それを遮った。「胃が治ったばっかなんだから、自分で食えよ」そう言い放ってから、彼はようやく顔を上げて私を見た。「すぐそこにコンビニあるからさ、おにぎりでも買って腹の足しにしとけよ。夜は美味いもの奢るからさ」昔なら、彼が夜に埋め合わせすると言えば、私の怒りはだいたい収まっていた。私はこくりと頷いた。「……わかった」コンビニには、おにぎりが二つしか残っていなかった。窓際の席に座って、一人でそれを食べ終えた。外に出ると、彼らはもう「早くしろ」と私を急かしてきた。午後、莉桜が道路で写真を撮りたいと言い出した。彼女が日差しが強いと言えば、悠真が日傘を取りに走る。風が強いと言えば、拓海が彼女の肩に自分の上着をかける。涼太はそばにしゃがみ込み、彼女のスカートの裾を直してやっていた。カメラマンが声をかけた。「五人揃った写真も一枚撮りましょう」彼ら四人は、無意識のうちに自然と身を寄せ合って並んだ。私は歩み寄り、一番端っこに立った。撮り終えると、莉桜は彼らを引っ張って写真の写りを確認しに行った。拓海が振り返って私を呼んだ。「結衣、お前はどれがいいと思う?」私はスマホで仕事のメッセージに返信しているところだった。「どれでもいいよ」「お前、今日なんか元気なくないか?」「車に長く乗ってて疲れただけ」彼は「そう」とだけ返した。莉桜が彼を呼ぶと、彼はすぐにそちらへ向かってしまった。スマホの画面には、半月前に内定を出してくれた企業からのメッセージが映っている
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第4話

朝、駐車場に着くと、あの一台のオフロード車がすぐに目に入った。四人の荷物は、すでにすべて積み込まれていた。私は何も言わなかった。拓海は私に気づくと、無造作にスマホを差し出してきた。「11時発のバス。3時間だ。お前の分、もう買っといたぞ」私は受け取らなかった。莉桜がすかさず助手席から降りてきた。「今日は私が行くよ。結衣、この2日間ずっと一人でバスに乗ってるし……」言い終わるや否や、幼馴染の二人が同時に眉をひそめた。「胃が治ったばっかだろ。あそこから先は山道ばっかりだから、また吐くぞ」拓海も彼女の腕を引いて引き留めた。「お前がバスに乗るのは心配だ」私はその傍らに立っていた。ふと、一昨日のあの6時間かかるバスのチケットを思い出した。拓海は私がなかなか受け取らないのを見て、苛立ったように急かした。「ほら、受け取れよ」私は彼を見た。「今日は、乗りたくない」四人は一瞬、ぽかんと固まった。悠真が真っ先に反応した。「じゃあどうするんだよ?莉桜に行かせるわけにはいかないだろ」「車が直るのを待てばいいじゃない」「今日の予定が丸つぶれだろ?」「レンタカーを借り直したっていいでしょ」涼太が舌打ちをした。「たかが3時間だろ。そんな面倒なことするほどかよ?」拓海も顔をしかめた。「結衣、こんな時にわがまま言うなよ」私は彼を見つめた。以前なら、この言葉を聞いた瞬間、すぐに弁解していただろう。わがままなんかじゃない。ただ疲れているだけ。私だって辛い時がある、と。けれど今回、喉元まで出かかった言葉たちを前にして、私は急に何もかも口にする気が失せてしまった。私は彼のスマホを押し返した。「みんなで先に行って」莉桜はまだ車から降りようとしていた。「じゃあ、結衣はどうするの?」私は自分のスーツケースの持ち手をしっかり握り直した。「自分でなんとかするから」悠真が笑った。「だから、こいつなら何とかするって言っただろ」涼太も私に向かって手を振る。「じゃあ、夜にな」拓海はしばらく私を見つめていた。「一応、チケットはスマホに送っとくからな。着いたら電話しろ」私は頷いた。「わかった」車が走り去った後、私はその場に立ち尽くし、長いこと見送った。トランクの隙間から、私の日よけ帽子が半分外にはみ出て挟まっ
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第5話

飛行機が着陸すると同時に、私はスマホの電源を入れた。溜まっていた通知が一気に雪崩れ込んでくる。拓海からの着信履歴は十件以上。悠真と涼太からも、それぞれ数回ずつ着信が入っていた。グループトークの最後の一件は、莉桜からのものだった。【結衣、一体どこに行っちゃったの?みんなすごく心配してるよ】私はその「みんな心配してる」という文字を見つめた。それから、まずはルームメイトに無事着いたと連絡を入れた。スマホを置いた途端、また拓海から電話がかかってきた。私は電話に出た。「結衣、やっと出る気になったか」彼の声はひどく低かった。「今どこだ?」「今、着陸したところ」「着いたのは分かってる。どこの空港にいるんだって聞いてるんだよ」私は少し間を置いた。「就職先のほう」電話の向こうが、しんと静まり返った。「就職先って、何のことだよ?」「この間もらった内定」「いつ内定なんか出たんだよ?」「2週間前」拓海は明らかに戸惑っていた。「いや、ちょっと待て。お前、2週間前にはもう仕事が決まってたのか?しかも地元じゃないところで?」「うん」「なら、なんで俺に言わなかったんだよ?」その言葉に、私は思わず笑いそうになった。2週間前、私は確かに言おうとしていた。あの日、五人揃ってご飯を食べていた時のことだ。私が「ちょっと話があるんだけど」と口を開きかけた途端、莉桜が隣で胃を押さえて、「最近ずっと調子が悪い」と言い出した。悠真はすぐに薬を買いに走り、涼太は近くの病院をスマホで調べ始め、拓海は彼女のコップを手にして、お湯を汲みに行った。結局、その食事が終わるまで、私に「話って何だった?」と聞いてくれる人は誰一人いなかった。あの時は、また別の日に言えばいいと思っていた。でも今はもう、言う必要もない。拓海はまだ問い詰めてくる。「何か言えよ」「別に、言うことなんてないよ」「言うことないって、どういう意味だよ?」彼は急に声を荒らげた。「就職なんて大事なこと、なんで俺に相談しないんだよ?」「あなたが地元に残るって決めた時だって、私には何も相談してくれなかったじゃない」「それとこれとは違うだろ」「何が違うの?」彼は言葉に詰まった。数秒の間を置いて、ようやく口を開いた。「結衣、お前まさか、まだ
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第6話

翌日の午後、ルームメイトから一枚の写真が送られてきた。私の机の横に置いてあったあの段ボール箱が空っぽになっていた。【拓海が荷物取りに来たよ】その後に、もう一言続いていた。【すごく顔色悪かった】私は返信しなかった。しばらくして、彼女からまたメッセージが届いた。【結衣はいつ帰ってくるのって聞かれたから、もう向こうの街で働き始めてるって言っといた。そしたらあの人、しばらく立ち尽くしたまま何も喋らなくなっちゃって】私はそれを読み終えると、スマホを伏せて机に置いた。新しい会社での第1週目は、やることが山積みだった。銀行口座の開設に、新人研修、業務内容の把握。忙しさに追われていると、午後いっぱい彼らのことを思い出しもしないことすらあった。夜の9時過ぎ、悠真から電話がかかってきた。「結衣」私は「うん」とだけ応えた。彼が最初からふざけた口調で話しかけてこなかったのは、これが初めてだった。「お前、本当に拓海と別れたのか?」「うん」「今回の旅行のことでか?」「……まあね」彼は小さくため息をついた。「拓海と別れたのは、まあいいとしてさ。なんで俺と涼太まで無視するんだよ。どういうつもりだよ?」私は、コップを持っていた手を止めた。やはりそうだった。今になってもまだ、彼はこれをただの「恋人同士の痴話喧嘩」だと思っているのだ。「悠真。大学2年の時、みんなで山登りに行ったの、覚えてる?」彼は少し意表を突かれたようだった。「覚えてるけど」「下りのロープウェイの最終便、席が四つしかなかったよね」電話の向こうから、すっと音が消えた。私は構わず続けた。「あなたたち三人は莉桜と一緒にロープウェイに乗って、私一人を歩かせた。私が麓まで歩いて下りた頃には、みんなご飯も食べ終わってたじゃない」悠真は慌てたように言った。「でも、あの時は莉桜が高所恐怖症だっただろ」「分かってる。彼女を責めてるわけじゃないよ」「じゃあなんで、今さらそんな昔の話を蒸し返すんだよ」私は笑った。「別に。ただ、あなたが『なんで無視するんだ』って聞くから」電話の向こうは黙り込んだ。しばらくして、彼が低い声で言った。「結衣、俺たち、わざとお前を除け者にしたわけじゃないんだ」「知ってるよ」その一言が、かえって彼を言葉に
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第7話

3日目の夜、莉桜から電話がかかってきた。数秒ためらった後、私は電話に出た。受話器の向こうから聞こえる彼女の声は、消え入りそうに細かった。「結衣、私のことも責めてる?」「責めてないよ」「そんな風に言わないで」彼女は焦ったように言った。「結衣がそうやって『責めてない』って言えば言うほど、私、もっと苦しくなる」私は何も言わなかった。彼女は少し間を置いて、口を開いた。「本当は、分かってたの」「何が?」「みんなが、私を特別扱いしてること」今度は、私が黙り込む番だった。莉桜は息を吸い込んだ。「昔、一緒にご飯に行く時、みんな絶対、先に私の食べたいものを聞いてくれた。写真だって、まずは私から撮ってくれて……少し歩いて疲れたって言えば、みんなすぐに足を止めてくれた。時々、結衣に対して不公平だなって、私自身も思ってた」私は尋ねた。「じゃあ、どうして言わなかったの?」電話の向こうで、長い沈黙が続いた。「だって」彼女は言葉を区切った。「……みんなに甘やかされるのって、すごく居心地が良かったから」とても正直な答えだった。あまりに正直すぎて、かえって怒りさえ湧いてこなかった。彼女はまた慌てて取り繕うように言った。「でも、結衣のものを奪おうなんて、本当に一度も思ったことないよ。拓海のことだってそう。あなたたちが付き合ってた時、拓海とどうにかなろうだなんて、微塵も考えたことなかった」「知ってるよ」私は彼女の言葉を遮った。「莉桜、私が離れたのは、あなたが誰かを奪ったからじゃないよ」彼女の声が沈んだ。「じゃあ、どうして?」私は窓の外に目を向けた。会社の階下では、まだ残業している人たちの姿が見える。「ある冬の日、五人でキャンプに行った時のこと。あなたが『足が冷たい』って言ったら、あの三人、持ってたカイロを全部あなたに渡したよね。私、あの夜、寒すぎて一睡もできなかったんだ」莉桜は何も言わなかった。「次の日、あなたは『どうしてそんなに顔色悪いの?』って私に聞いた。私は『何でもない』って答えた。あなたは、それを本当にそのまま信じたよね」電話越しに、かすかな呼吸の音が聞こえてくる。しばらくして、彼女が尋ねてきた。「だから、私のことも、もういらないの?」私はすぐには答えなかった。本当のところ、私たちが出会っ
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第8話

1週間後。会社での初めてのプロジェクト報告会があった。私の担当部分が、急遽一番最初に回されることになった。プレゼンの前、プロジェクトの責任者が私に尋ねてきた。「緊張してる?」「なんとか大丈夫です」「こういう場は初めて?」「はい」彼は私にノートパソコンを手渡した。「なら、ゆっくり話せばいいよ。間違えたって、命まで取られやしないからさ」私は思わずふっと笑みをこぼした。プレゼンは想像以上にスムーズに進んだ。終了後、責任者がポンと机を叩いた。「この企画案、いいんじゃないか。入社1週目でここまで出来れば上出来だ」会議室の何人かが、それに合わせて拍手してくれた。席に座った瞬間、ポケットの中でスマホが短く震えた。拓海からだった。【お前の会社の下に着いた】私はそのメッセージを数秒ほど見つめ、迷った末に、下へ降りることにした。彼はエントランスの外に立っていた。1週間ぶりに見る彼は、ひどく憔悴しているように見えた。手には紙袋を提げている。私の姿を見つけると、彼は一瞬ハッとした。「……髪、切ったのか?」「うん」実のところ、ほんの少し毛先を整えただけだった。以前の拓海なら、絶対に気づかなかった程度の変化だ。彼は持っていた紙袋を私に差し出した。「車に忘れてたお前の荷物」帽子。上着。それに、私がずっと探していた口紅。私はそれをちらりと見て言った。「そのまま持っててよ」「俺がこんなの持っててどうするんだよ」「じゃあ、捨ててくれてもいいよ」彼の顔色が一瞬で険しくなった。「お前、どうしてもそういう態度とるのか?」私は顔を上げ、彼をまっすぐに見つめ返した。「そういう態度って?」彼は何か言いかけたが、ふっと怒りを飲み込んだ。「……分かった。俺は、喧嘩をしに来たわけじゃない。この数日、自分なりに色々考えた。昔のこと、確かに俺のやり方がまずかった部分もある」彼はそこで言葉を区切り、少し間を置いた。「でも、俺たち付き合って2年だろ。一度くらい、チャンスをくれたっていいだろ」私は尋ねた。「チャンスって、何を?」「俺がやり直すチャンスだよ。お前は、俺が莉桜のことばかり特別扱いしてるって思ってるんだろ?これからは気をつけるから」私は彼を見つめた。「拓海。あなた、やっぱり何も分かってない
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第9話

それ以来、拓海が待ち伏せをしてくることはなくなった。だけど、メッセージだけは毎日欠かさず送られてくる。【今日は冷え込むから、ちゃんと暖かくしてな】【胃が弱いんだから、デリバリーばかり頼むなよ】【時間がある時でいいから、一言くらい返信くれ】昔の私がずっと待ち焦がれていた言葉たちが、今は次から次へと届く。私はそのどれにも、一切返信しなかった。金曜日の夜、涼太から電話がかかってきた。「5分だけ話させてくれ」「……うん」彼にしては珍しく、冗談めいた響きは一切なかった。「俺と悠真でさ、昔のトーク履歴を全部見返してみたんだよ……我ながら最低だと思ったよ」私は黙って聞いていた。涼太は自嘲気味に鼻で笑った。「お前が『どこどこに行きたい』って言うたびに、俺たち決まって『また今度な』って誤魔化してて。なのに莉桜が言った時は、だいたいその日のうちに連れて行ってた。結衣の誕生日の時だって、お前は海鮮が食べたいって言ってたのに、結局莉桜が食べたいって言ったラーメンに行ったよな」私は少し虚を突かれた。その事自体、私自身もう忘れかけていたというのに。涼太は続けた。「その時は、マジで何も思ってなかったんだ。でも今になって見返してみると、ほんと……俺ら三人、クズだよな」私は小さく笑った。「そんな風に言わないで」「まだ俺たちを庇ってくれるのか?」「違うよ」「ただ、もうそんなこと言う必要ないってこと」電話の向こうが静まり返った。しばらくして、彼が尋ねてきた。「……なら、また戻ってきてくれないか?これからは、俺たちも直すから」また「これからは直す」だ。まるで、彼らが反省しさえすれば、私が当然のように元の場所に戻るべきだとでも思っているみたいに。私は窓辺に寄りかかった。「涼太」「ん?」「あなたたちが態度を改めるかどうかは、あなたたちの勝手よ。私が去るかどうかは、私の自由なの」彼は一瞬言葉を失った。随分と経ってから、低く悪態をついた。「……くそ。お前がこんなに容赦ない奴だったなんて、昔は全然気づかなかった」私は笑みを浮かべた。「私も、最近気づいたばかりだよ」電話を切った後、悠真から一件のメッセージが届いた。【あいつ言い方きついから、気にしないでくれ】その下には、こう付け足されていた。
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第10話

3ヶ月後。会社のメンバーで週末にドライブ旅行へ出かけることになった。五人で、七人乗りの車が一台。車に乗り込む前、同僚の一人が私に聞いた。「どこ座る?」私は無意識に、一番後ろの席へ向かおうとした。「私はどこでもいいよ」同僚は心底訳が分からないという顔をした。「何が『どこでもいい』だよ。助手席空いてるぞ。お前、車酔いするんじゃなかったっけ?」私は足を止めた。「なんで私が車酔いするって知ってるの?」「この前の出張の時、高速でスマホ見てると吐き気がするって言ってただろ」彼はそう言って、車のキーをポンと放り投げた。「ほら、さっさと前に座って。後で俺の車に吐くなよ」そばにいた何人かが、どっと吹き出した。私も思わず笑ってしまった。助手席に乗り込んだ時、スマホの画面が明るく点灯した。莉桜からだった。彼女から連絡が来るのは久しぶりだ。送られてきたのは、卒業記念の写真がたった一枚。写真の中では、四人が大学の正門前に立っていた。その真ん中には、ぽっかりと一人分の隙間が空いている。【今日、卒業の写真を撮ったよ。一人足りないのが、なんだかすごく目立つね】私はしばらくその写真を見つめ、短く返信した。【いい写真だね】すぐに彼女から返ってきた。【結衣は最近、元気にしてる?】【元気だよ】今回は強がりじゃない。本当だ。拓海から長文のメッセージが届くこともなくなった。最後のメッセージは、半月前で止まっている。【結衣。俺、後になってようやく分かったよ。お前が突然俺たちを切り捨てたわけじゃないんだって。俺たちが何度も、お前を外へ追いやってたんだな】私は返信しなかった。削除もしなかった。ただ、そのままそこへ残しておいた。車が走り出してしばらくすると、同僚が私に尋ねた。「お昼、何食べたい?」私は反射的に答えていた。「なんでもいいよ」すると即座に、後部座席から抗議の声が上がった。「『なんでもいい』は禁止!一人一つずつ食べたいものを言うこと。変な遠慮はナシ!」「そうだよ。せっかく遊びに来てるのに、気を遣い合って譲り合ってたら疲れるだけだろ」私は一瞬きょとんとして、最後に言った。「……じゃあ、焼肉が食べたい」「お、いいね!」「近くで一番評価高い店にする?」「そこに決定!」誰も私を
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