夜霧の降りた郊外の国道で、パトカーの赤色灯が赤と青に明滅していた。ガードレールに激突した黒いセダンは、運転席側が原形をとどめないほど潰れている。ドアは開いたままで、破裂したエアバッグとハンドルには濃い血痕が残されていた。それなのに、運転手の姿だけがなかった。「事故の直後に自力で車外へ出た可能性と、第三者に連れ去られた可能性の両方を視野に入れています。ただ、路肩で血痕が途切れた先には、足跡も残っていません」刑事の説明が、ひどく遠くから聞こえた。桜庭紗良は、兄の財布を両手で握りしめていた。透明ポケットには、数日前に兄妹で撮った四コマ写真が差し込まれている。両親を早くに亡くしてから、桜庭直人は紗良にとって唯一の家族であり、何より頼れる心の支えだった。その兄が、血を流したまま跡形もなく消えた。「防犯カメラやドライブレコーダーは? 兄がどうしてこの道を通ったのかも、まだ分からないんですか?」「事故現場はカメラの死角です。ドライブレコーダーのメモリーカードも抜き取られていました。事件に巻き込まれた可能性については、もう少し調べる必要があります」刑事は、直人の携帯電話と車内から回収した所持品の一覧を差し出した。紗良は何度も自分の名前を書き間違え、ようやく署名を終えた。兄に電話をかけても、電源が入っていないという音声案内が繰り返されるだけだった。通信会社による位置情報の照会も進められていたが、最後の電波は事故現場付近で途切れているという。それでも諦めきれず、紗良はメッセージまで送った。既読には、いつまでたってもならなかった。壁掛け時計の秒針だけが、やけに大きく響いていた。夜はいつまでも明けなかった。「捜索願はすぐに受理します。ご家族の方は、いつでも連絡が取れる場所にいてください」いつでも連絡が取れる場所。その言葉が、ひどく心細かった。両親も、頼れる親戚もいない。兄が消えた瞬間、紗良は世界にひとりきりになった。何から始めればいいのかさえ思いつかない。警察署の玄関を出ると、冷たい明け方の空気が頬を刺した。そのとき、駐車場へ一台の黒いセダンが滑り込んできた。車が停まると、警護員が降りて後部座席のドアを開ける。皺ひとつないチャコールグレーのスーツを着た男が、長い脚でまっすぐこちらへ歩いてきた。黒崎ホールディングス、戦略統括副社長――黒崎怜
Última atualização : 2026-09-22 Ler mais