All Chapters of 『その場所には、まだ誰かいる。――霊能者・久世環の心霊相談録』: Chapter 1 - Chapter 10

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第1話 毎晩、死んだ母から電話がかかってくる

第1話 毎晩、死んだ母から電話がかかってくる 母が死んでから半年が過ぎたころ、午前三時十三分になると電話がかかってくるようになった。 最初の夜、相沢沙耶は寝ぼけた頭で枕元のスマートフォンを手に取り、液晶に表示された名前を見ても、それがおかしなことだとすぐには理解できなかった。 ――お母さん。 登録したときのままの名前だった。 眠気より先に、胸の奥へ冷たいものが入り込んだ。沙耶は布団の上で身体を起こし、しばらく画面を見つめていたが、呼び出し音はなかなか止まらなかった。 母の携帯電話は、今も実家にある。 解約してはいない。母が亡くなってから、写真やメッセージが消えるのが嫌で手続きができず、そのままになっていた。ただし電源は切ってあり、母の寝室の机、その一番下の引き出しにしまってある。 誰かが使えるはずがなかった。 沙耶は震える指で通話ボタンを押した。「……もしもし?」 返事はなかった。「お母さん?」 そう口にした瞬間、自分がひどく馬鹿なことをしているような気がした。母は死んだ。葬儀にも出た。小さくなった骨を箸で拾い、骨壺に収めたのも自分だった。 それなのに、電話の向こうへ向かって母を呼んでいる。 何も聞こえなかった。 いや、何かが聞こえていた。 ざあっ、ざあっ、と一定ではない音が遠くで続いている。雨とも違う。川の流れとも違う。 沙耶には、それが水の音のように思えた。「誰なの?」 問いかけた途端、通話が切れた。 それが最初だった。 二日目も午前三時十三分。 三日目も同じだった。 一週間が過ぎたころから、沙耶は午前三時になると眠れなくなった。電話が来ることを待っている自分と、絶対に鳴らないでほしいと思っている自分が同時にいた。 そして十日目の夜、とうとう耐えられなくなった。     ◇「亡くなった方から電話が来る、ですか」 久世環は、目の前に座る若い女性の言葉をそのまま繰り返した。 驚いた様子は見せなかった。 沙耶にとって、それだけでも少し救いだった。 東京都某市の古い商店街。その二階にある「久世相談室」は、テレビで何度か見た印象よりずっと庶民的だった。革張りの立派なソファもなければ、神棚も祭壇もない。窓際には小さな観葉植物が並び、テーブルの上には箱入りのティッシュと、スーパーで売っているような個包装の煎餅が置
last updateLast Updated : 2026-09-23
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第2話 事故物件なのに、家賃が高すぎる

第2話 事故物件なのに、家賃が高すぎる 午前一時四十分を過ぎたころ、浴室の曇りガラスの向こうから、女の声がした。「……まだですか」 新井健太は、洗面台の前で歯ブラシをくわえたまま動けなくなった。 築三十八年の二階建てアパートは、夜になるといろいろな音を立てる。上の階を誰かが歩けば天井がきしみ、強い風が吹けば古いサッシが小刻みに鳴った。水道管もお世辞にも静かとはいえず、隣人が風呂を使っているだけで壁の奥から低い唸りのような音が伝わってくる。 だから最初の数日は、何かの聞き間違いだと思っていた。 ところが、その声だけは違った。 人間の声だった。 若い女にも、中年の女にも聞こえる曖昧な声で、怒っているわけでも泣いているわけでもなく、ただ誰かの返事を待ちくたびれたように、「まだですか」 と尋ねる。 健太はゆっくりと歯ブラシを口から抜いた。「拓海」 小声で呼んだが、返事はない。 同居人の森川拓海は、六畳の洋室でイヤホンをつけたままオンラインゲームをしている。深夜になると声を潜める程度の常識はあるが、ゲームを始めると世界が滅びても気づかないような男だった。 浴室の扉は閉まっている。 さっきまで健太が使っていたので、床も壁も濡れていた。湯気で曇った樹脂製の扉には、人影らしいものは映っていない。「誰かいるんですか」 言った瞬間、尋ねてから後悔した。 知らない女が浴室にいるのも嫌だが、誰もいないのに返事が来るほうがもっと嫌だった。 十秒ほど待ったが、何も聞こえない。 健太は息を吐き、洗面台へ向き直った。 その背後で、「いつまで待てばいいんですか」 今度は、はっきり聞こえた。 健太は歯ブラシを洗面台へ落とし、そのまま廊下を走った。「拓海! イヤホン外せ!」「うわっ、何だよ! ノックしろよ!」「また聞こえた!」「何が?」「風呂だよ。女の声!」 拓海はゲーム画面から顔を上げたものの、すぐには立とうとしなかった。二十一歳の健太とは大学の同級生で、半年前まで学生寮で暮らしていた。春から二人で部屋を借りようと言い出したのも拓海である。「お前さ、最近その話ばっかりだぞ。俺は一回も聞いてないし、上か隣の声が配管通って響いてるだけじゃないの」「だったら何で毎回『まだですか』なんだよ。隣の人、毎晩風呂場で誰か待ってんのか?」「知らねえ
last updateLast Updated : 2026-09-23
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第3話 写真を撮るたび、知らない子供が一人増える

第3話 写真を撮るたび、知らない子供が一人増える 最初の写真では、その少年は遠くに立っていた。 山あいの湖を背にして、三人家族が並んでいる。父親の高橋直樹が右、妻の由美が左、その間で十歳の娘・結衣が両手を広げて笑っていた。 よく晴れた五月の午後だった。 写真だけを見れば、ごく普通の家族旅行にしか見えない。 ただ、直樹たちから二十メートルほど離れた遊歩道の脇に、一人の少年が立っていた。 年齢は七、八歳ほどだろうか。 白い半袖のシャツに紺色の短いズボンをはき、こちらを向いている。 顔までは判別できない。 由美がその少年の存在に気づいたのは、旅行から帰った翌日の夜だった。「ねえ、この子、誰だと思う?」 夕食後、スマートフォンを見ていた由美が夫へ画面を差し出した。 直樹はテレビの音量を下げ、写真を拡大した。「たまたま写り込んだ子だろ。観光地なんだから、ほかにも家族連れはいたじゃないか」「でも、このとき周りに人はいなかったと思うんだけど」「全員覚えてるわけじゃないよ。結衣が写真撮るっていうから、俺もカメラしか見てなかったし」「そうかな」「そうだよ。気にしすぎ」 直樹はそう言ってスマートフォンを返した。 由美も、そのときは納得した。 旅行先は関東地方某県の山間部にある大きな湖だった。 観光地として知られている一方、湖の奥には現在使われていない旧道や古い橋が残っており、夜になると「子供の声が聞こえる」「ガードレールの外側に人が立っている」などの噂が絶えない場所でもあった。 全国放送の心霊番組で取り上げられたこともあるらしい。 もっとも、高橋家が出かけたのは真っ昼間だった。 心霊スポットを見物しに行ったわけでもなく、目的は湖畔の遊歩道と近くの農産物直売所だった。 だから、由美も数日後には写真の少年のことなど忘れていた。 二枚目の写真を見るまでは。     ◇ 二枚目は、自宅の庭で撮ったものだった。 旅行から一週間後の日曜日、結衣が学校で育てていたミニトマトの苗を鉢へ植え替えた。「お母さん、写真撮って。夏休みの自由研究に使うかもしれないから」「まだ五月でしょう。ずいぶん気が早い自由研究ね」「去年、最後の一週間で泣いたから、今年は早くやるの」「それは立派な反省だけど、トマトを植えただけで自由研究が完成すると思わないでね
last updateLast Updated : 2026-09-23
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第4話 誰もいない学校から、夜中に校内放送が流れる

第4話 誰もいない学校から、夜中に校内放送が流れる 午前零時十二分。 廃校になって二十三年が過ぎた木造校舎のスピーカーから、女の声が流れた。『四年二組のみなさん、教室へ戻ってください』 誰もいないはずの二階で、何かが走った。 古い床板を、小さな足が何人分も続けて踏んでいく。 ダッ、ダッ、ダッ、と廊下の端から端まで駆け抜ける音がしたかと思うと、今度は階段を下りる音へ変わった。「カメラ回ってる?」「回ってます!」「音声、今の入った?」「入ってます。たぶん全部です!」 撮影スタッフの声が飛び交った。 テレビ局の若いディレクター・坂口亮平は、興奮を隠しきれない様子でモニターへ顔を寄せていた。「すごいな……。こんなにはっきり入るとは思わなかった」 その隣で、久世環だけが険しい顔をしていた。「坂口さん」「はい?」「撮影を止めてください」「え?」「今すぐです」 坂口の顔から笑みが消えた。「いや、でも久世さん、まだ始まったばかりですし、今の音だけでも相当――」「止めてください」 環は声を荒らげなかった。 それなのに、周囲にいたスタッフが一斉に黙った。「この学校にいる方は、見世物になりたくて声を出しているんじゃありません」「でも、番組として来ている以上、記録は必要でしょう。久世さんにもその条件で出演していただいていますよね」「記録と、面白がって追いかけることは違います」「面白がっているわけじゃありませんよ」「では、二階へ走っていく必要はありませんね」 坂口が口を閉じた。 つい数秒前まで、ADの一人に「足音がした方向へ行け」と指示していたのを、環は聞いていた。 佐伯蓮がカメラの横から顔を出した。「坂口さん、先生がここまで言うときは、本当にやめたほうがいいです」「佐伯さんまで何ですか。あなた、昔はこういう番組を作る側だったでしょう」「だから言ってるんですよ。数字を欲しがる人間がどこで判断を間違えるか、俺はよく知ってますから」 坂口は不満そうだったが、最終的には手を上げた。「一度止めます。全員、機材そのままで待機」 撮影用ライトが一つずつ落とされる。 暗さが戻った。 その瞬間だった。 二階のどこかで、椅子を引く音がした。 環は顔を上げた。 今度の音を聞いた者は、スタッフの中では環と蓮だけだった。「先生
last updateLast Updated : 2026-09-23
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第5話 旧トンネルで名前を呼ばれても、絶対に返事をしてはいけない

第5話 旧トンネルで名前を呼ばれても、絶対に返事をしてはいけない 五日目の夜、足音は夢の中で半分まで来た。 暗闇の中に一本のトンネルが伸びている。 照明はない。出口も見えない。 それでも、自分があの旧トンネルの中に立っていることだけは、藤崎翔太には分かった。 最初の夜、足音は遥か向こうから聞こえていただけだった。 二日目には、少し近くなった。 三日目には、歩いている者が一人ではないと気づいた。 四日目には、足音に混じって何かを引きずる音まで聞こえるようになった。 そして今夜。 ぺた。 ずる。 ぺた。 ずる。 濡れた裸足で歩きながら、重いものを引きずっているような音が、トンネルの半ばまで近づいている。 翔太は夢だと分かっていた。 分かっているのに、動けなかった。 足も腕も、喉さえも自分のものではないように固まっている。 暗闇の奥で、何かが止まった。 しばらく静かだった。 やがて声がした。「翔太」 女だった。 若い声ではない。 老女とも違う。 年齢を想像できない、ひどく湿った声だった。 翔太は返事をしなかった。 あの夜、一度返事をしてしまった。 そのせいだ。 だから今度こそ答えてはいけない。「翔太」 近い。 唇を噛み、声が漏れないように耐えた。「翔太」 その呼び方が変わった。 今度は母親の声だった。「翔太、起きなさい。遅刻するわよ」 幼いころ、毎朝聞いていた声だった。 胸が大きく鳴った。「翔太」 次は、三年前に亡くなった祖父。「おう、翔太。こっち来てみろ」 さらに声が変わる。 高校時代の担任。 別れた恋人。 動画配信を始めたころから一緒にやってきた仲間。 知っている声が、暗闇の向こうから次々に自分の名前を呼んだ。 そして最後に聞こえたのは、自分自身の声だった。「藤崎翔太」 その瞬間、暗闇の奥に人影が現れた。 翔太は目を覚ました。「うわあっ!」 ベッドから転げ落ち、床へ肩をぶつけた。 午前三時二十六分。 部屋は暗い。 エアコンは動いているのに、全身が汗で濡れていた。 翔太は床に座り込んだまま、スマートフォンを探した。 着信が一件ある。 非通知。 午前三時二十五分。 夢から覚める一分前だった。 偶然だ。 そう思いながら履歴を消そうとして、指が止まった
last updateLast Updated : 2026-09-23
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第6話 夫の葬儀から、夫が帰ってきた

第6話 夫の葬儀から、夫が帰ってきた 葬儀の翌日の午後六時四十七分、玄関の鍵が回る音がした。 西村香織は、その音を聞いた瞬間、台所で包丁を持ったまま動けなくなった。 夫の康介が帰宅するときは、いつもだいたいこの時間だった。 早ければ六時半。遅くても七時を少し回る程度で、残業になる日は必ず連絡を寄越した。玄関の鍵を開けてから靴を脱ぎ、廊下を歩きながら「ただいま」と言うまでの間まで、結婚して十二年も経てば身体のどこかで覚えている。 だからこそ、間違えるはずがなかった。 鍵が回った。 扉が開いた。 そして閉まった。 しばらくして、廊下の向こうから七歳の息子・悠斗が走ってきた。「お母さん、お父さん帰ってきたよ」 香織は包丁をまな板へ置いた。「……何言ってるの?」「だから、お父さん」 悠斗は当たり前のことを説明する子供のように、少し面倒そうな顔をした。「玄関にいるよ」「悠斗」「ほんとだって」 香織は息子の肩を掴んだ。「お父さんは帰ってこないの」「なんで?」「昨日、お別れしたでしょう」「でもいるよ」「いないの」 自分でも驚くほど強い声が出た。 悠斗が黙る。 香織はすぐに後悔した。 夫が事故で亡くなったのは一週間前だった。 通夜。 葬儀。 火葬。 七歳の子供にとって、それらがどこまで「死」という事実へ結びついているのか、香織にも分からない。 理解したくないのは自分も同じだった。
last updateLast Updated : 2026-09-24
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第7話 助手席に座る女

第7話 助手席に座る女 女は、乗せた覚えがないのに助手席に座っている。 最初に気づいたのは、コンビニの駐車場だった。 午後十一時を少し回ったころ、会社員の相原雅也は缶コーヒーを買って車へ戻り、運転席のドアへ手をかけたところで動きを止めた。 助手席に誰かいる。 店内から漏れる白い光がフロントガラスを斜めに照らし、その向こうに長い髪の女が座っているのが見えた。 頭を伏せ、両手を膝の上へ置いていた。「……何だよ」 酔っ払いでも間違えて乗り込んだのかと思った。 しかし車は施錠してある。 雅也はポケットからキーを取り出し、確かめるように解錠ボタンを押した。 軽い電子音が鳴った。 もう一度、助手席を見る。 誰もいなかった。「疲れてんのかな」 独り言を漏らして乗り込む。 シートは空いている。 買った缶コーヒーをドリンクホルダーへ置き、エンジンをかけた。 そのときだった。 助手席のシートベルト警告灯が点いた。「は?」 荷物は何も置いていない。 センサーの故障だろうかと思いながら手を伸ばし、助手席の座面を押す。 冷たかった。 エアコンをつけたばかりなのに、氷の上へ手を置いたような冷たさが掌から伝わった。 警告灯は消えない。 雅也は気味が悪くなり、そのまま車を発進させた。 五分ほど走ったところで、ルームミラーの端に何かが映った。 助手席に、女が座っていた。 今度ははっきり見えた。 白っぽい服。 濡れたように束にな
last updateLast Updated : 2026-09-25
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第8話 十三階のない団地

第8話 十三階のない団地 エレベーターの表示板に「13」が点いたとき、遠山航平は最初、故障だと思った。 十二階建ての団地なのだから、それ以外に考えようがなかった。 午前零時十八分。 アルバイト帰りの航平は、一階のエレベーターホールで欠伸をしながら上昇する数字を眺めていた。 自宅は十一階にある。 古い団地なので、エレベーターはひどく遅い。しかも二基あるうち一基は半年ほど前から故障が増え、住民のあいだでは「歩いたほうが早い」と冗談を言われていた。 航平自身も、深夜に一人で乗るのは好きではなかった。 古い蛍光灯。 茶色く変色した壁。 鏡には何度拭いても取れない曇りが残っている。 扉が閉まると、油と古い金属が混ざった独特の匂いが鼻についた。 それでも、生まれたころから住んでいる建物だ。怖いというより、単純に陰気なのである。 航平は十一階のボタンを押した。 数字が上がる。 2。 3。 4。 途中で止まることもなく、箱はゆっくり上昇した。 十階。 十一階。 そこで止まるはずだった。 だが、通過した。「え?」 航平は反射的に開ボタンを押した。 反応がない。 表示が「12」へ変わる。「おい、待てって」 今度は非常ボタンへ手を伸ばした。 その直前。 数字がもう一つ増えた。 13。 航平の指が止まった。「……何だよ、これ」 冗談にしては質が悪
last updateLast Updated : 2026-09-26
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第9話 祖母だけが、家族写真から消えていく

第9話 祖母だけが、家族写真から消えていく「消えているのは、あなたではありません」 久世環がそう言うと、目の前の老婦人は意味が分からないという顔をした。「え……?」「あなたの後ろにいる、この人です」 環が写真の一角を指す。 佐伯蓮も隣から覗き込んだが、最初は何を示しているのか分からなかった。 写真には五人の家族が写っている。 中央には七十六歳の女性、秋山千代子。その左右に長男夫婦、前には孫娘とその小学生の息子が並んでいる。ごく普通の家族写真で、背景もごく普通の住宅の居間だった。 ただし、千代子の姿だけが妙に薄い。 顔は分かる。 服も見える。 しかし、その向こう側の壁紙や家具がわずかに透けており、半透明になりかけているように見える。 そして環が指した場所。 千代子の右肩の少し後ろに、人の顔らしきものがあった。「これ、人ですか?」 蓮が写真を顔へ近づけた。「俺には染みみたいにしか見えないんですけど」「顔ですよ」 環は答えた。「女性です。かなり若い」 千代子は写真を見ることができず、環の顔ばかりを見ていた。「先生、その人が私を連れていくんでしょうか」「まだそういう話にはなっていませんよ」「でも、写真から消えるんです」 千代子の声が震える。「昔からなんです。うちの家では、死ぬ前の人間は写真からいなくなるんです」 蓮が顔を上げた。「昔から?」 千代子はバッグから古びたアルバムを取り出した。 表紙の角が擦り切れ、何度も開かれてき
last updateLast Updated : 2026-09-27
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第10話 午前二時、押入れの隙間から女が見ている

第10話 午前二時、押入れの隙間から女が見ている 午前一時五十八分になると、古川亮介は必ずテレビを消す。 静かにしたいわけではない。 むしろ逆だった。 本当なら、深夜番組でも動画でも何でもいいから大音量で流していたかった。 しかし、音を出していると気づくのが遅れる。 押入れが開く音に。 東京都某市にある築四十年ほどの木造アパート。その二階、六畳一間の和室で、亮介は布団の上に座り、壁掛け時計の秒針を睨んでいた。 一時五十九分。 押入れは閉まっている。 二枚の襖。 古びた花柄。 何度も確かめたが、中に人間が隠れられるような場所などない。上段には冬物の布団、下段には衣装ケースと段ボール箱を置いている。 押入れの奥には壁しかない。 それでも、毎晩二時になる。 あと二十秒。 亮介はスマートフォンを握った。 今日は録画するつもりだった。 これまでにも何度か試したが、映像には何も残らない。襖が開いたように見えても、翌朝確認すると閉まったままの映像しか撮れていない。 十秒。 部屋の空気が急に冷たくなった。 エアコンはつけていない。 五秒。 亮介は息を止めた。 時計の長針と短針が重なる。 午前二時。 かた。 右側の襖が鳴った。「……来た」 亮介は自分でも聞き取れないほどの声で呟いた。 襖が、ほんの指一本分だけ開いた。 暗い隙間。 その奥に、何か白いものが見える。 
last updateLast Updated : 2026-09-28
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