紗季はA4用紙の上部に、迷いのない手つきで大きく書いた。【無報酬・専属育児運転手および緊急預かりに関する約束書】題名を見た怜司の眉が、ぴくりと動いた。だが、紗季の冷たい視線とぶつかった途端、何も言えなくなる。紗季はペンを走らせながら、読み上げるように続けた。「第一条、甲乙の関係。本契約における甲は藤崎紗季および藤崎陽翔、乙は鷹宮怜司とする」「……乙、鷹宮怜司。確認した」「第二条、勤務条件および報酬。お迎え、公園での見守り、荷物運びなど、乙が行う一切の労働の報酬は〇円。乙は金銭的な対価も、食事の提供も要求できないものとする」「もちろんだ。こっちがお金を払ってでも、させてほしいくらいだよ」「第三条。父親だと陽翔に説明することは、まず二人で相談します。あの子が理解できるよう、私も一緒にいるところで話す。それまでは、あの子が呼んでいる通り、おじちゃんです」怜司はペン先を見下ろした。会ったばかりの大人が自分の父親だなんて、陽翔にも、説明を受けて考える時間が必要だ。けれど、自分が謝る時間を稼ぐために、子どもにまで待ち続けさせていいわけではない。拳を握り、うなずいた。「わかった。必ず守る」そして、続けた。「ただ、先延ばしにするだけにはしたくない。陽翔が先に聞いてきたら、嘘はつかないよ」紗季のペンが、一度止まった。「そのときは、私にもすぐ知らせてください。あの子に、私たちの気持ちの整理までさせたくないので」「第四条、傲慢な態度の禁止。乙は五年前のように『考える時間がほしい』などとふざけたことを言わず、甲の意思に反して偉そうに振る舞わないものとする」怜司は用紙から目を離せなかった。自分が口にした言葉が、契約の条項になって戻ってきた。「第五条。約束を破った場合、子どもを預けるのはやめます。許可なく家に入ったり、子どもを連れ出したりしたら通報します。陽翔に何かしてあげたからといって、私に見返りを求めるのもやめてください」会社の契約書なら、何か所も修正を入れるだろう。だが、この紙は契約というより、紗季がどこまでなら任せられるかを記した境界線だった。怜司は条項を読み返し、名前を書いた。法的な親子関係を変える書類ではない。変えなければならないのは、今日この子に向き合う、自分の態度だった。【乙 鷹宮怜司 署名】「書いたよ、紗季」紗季は用紙を受け
Zuletzt aktualisiert : 2026-10-01 Mehr lesen