私は瑛士から受け取った解決金を、小さなマンションを購入する際の頭金に充てた。広くはない2LDK。でも窓は南向きで、陽当たりは良かった。2LDKのうち、1部屋を書斎にした。窓際に大きなデスクを置き、その上にはパソコンと観葉植物の鉢をひとつだけ置いた。毎朝、朝陽がキーボードを照らす頃、私はコードを書き始める。今は別のスタートアップでアルゴリズム開発を手伝っている。きちんとした契約を結び、知的財産権の帰属も明確にした。社長は私より3歳年下の女性で、私の設計案を見て言った。「亜依里さん、すごすぎるよ!どうして大手を辞めちゃったの?」「自分でやってみたかったから」「じゃあ、うちの会社の共同経営者にならない?」私は少し考えて、引き受けると答えた。今度は、自分のものを安易に他人へ渡したりしない。今度は、自分のために生きる。……ある日、街で和樹とばったり会った。瑛士の大学の同期だ。彼は少し気まずそうに声をかけてきた。「亜依里……いや、樫野さん、お久しぶりです」「お久しぶり」「あの……瑛士、最近かなり参ってて。会社も相当苦しいみたいで。樫野さんに連絡したがってたけど、怖くてできないみたいです」「連絡をもらっても困るよ。私は助けないから」和樹は少しためらってから言った。「実は、前からずっと言おうと思ってたことがあって。瑛士が珠希と付き合い始めた時、俺、彼に忠告したんです。樫野さんをもっと大切にしろって、彼女はあんなに尽くしてくれてるんだぞって。そしたら彼……」「彼、何て?」「『亜依里は物分かりが良すぎるから、別れても騒がない』って」街角に立ち尽くす私たちの間を、少し冷たい風が吹き抜けた。物分かりが良すぎるから、騒がない。物分かりが良すぎるから、裏切っても許される。物分かりが良すぎるから、謝らなくても済む。それが瑛士の論理だった。お人好しなら、どれだけ傷つけても構わないというのだ。「教えてくれてありがとう」私は和樹に笑いかけた。「でも、彼はひとつだけ間違ってる」「何が?」「私は、騒がないわけじゃない。ただ、涙に頼って騒いだりしないだけ」それからしばらくして、珠希がまた実家に戻ったと聞いた。父の誕生日だった。事前に連絡もせず、突然玄関先に現れたらしい。手に
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