All Chapters of 死んだ妻の漫画の連載が始まった: Chapter 11 - Chapter 20

22 Chapters

11話 小さな予定

検査薬に現れた線は、最初から2本だった。紬は説明書に書かれた時間がすべて過ぎても、しばらくそれを洗面台に置いたままにした。残った包装を折りたたみ、また広げて、薬局の袋に一緒に入れた。捨てるわけではないから、袋の口は結ばなかった。3月24日の午前、病院の受付で最後の生理日を尋ねられたとき、すぐには答えが出なかった。スマートフォンのカレンダーを開くと、日付の欄は夫の原稿の締め切りや修正依頼で埋まっていた。その間にある小さな点を見つけてから、ようやく日付を言えた。待合室では、音を消したテレビで料理番組が流れていた。隣の席の女性が画面を見て、一緒に来た男性に夕食はあれを食べようと言った。男性は何の料理だったか見ておらず、聞き返した。女性はもう次の場面に変わった画面を指して笑った。紬は膝に置いたバッグのファスナーを開けた。さっき入れた検査薬がほかのものに押されないよう、内ポケットに移した。超音波の画面は、1人では何が映っているのかわからなかった。医師が位置を示し、画面を少し拡大すると、黒い空間の中にごく小さな動きが見えた。「ここに見えますね。今、心臓が動いています」紬は答える代わりに画面へ顔を向けた。何が見えているのか理解した後も、簡単には別の場所へ目を向けられなかった。医師が妊娠初期だと説明する間、彼女はその動きを見失わないよう目を大きく開けた。「次の診察で大きさと経過をもう一度見ましょう。何か具合の悪いところはありませんか?」「胃のあたりがよく苦しくなります。少し食べただけでも、たくさん食べたみたいで」「いつからですか?」生理が遅れていると気づく前からだった。冬の終わり頃にも同じような感じがあったと思うと伝えると、医師は時期をさらに尋ねた。紬が指したのは下腹部より上だった。医師は、妊娠中にもさまざまな理由で胃の調子が悪くなることはあるが、妊娠前から続いている症状は別に確認する必要があると話した。ほかに診察を受けているところや、飲んだ薬があるかも尋ねた。紬は思い出せることを順に答えた。検査薬の線を見たときは、これまでの不調に一度に名前がついた気がした。説明を聞くと、何を追加で尋ねるべきかが少しはっきりした。彼女は薬を自分の判断で買って飲んでいいかと尋ねる代わりに、別の診察を受けるとき何を伝えるべきかを書き留めた。会計を済ませて受け取った封筒には、
last updateLast Updated : 2026-10-28
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12話 空欄の緊急連絡先

手を洗っていた紬は、水道を止めた。朝から下腹部が重かったが、トイレで目にしたものは、痛みよりもはっきりと異変を示していた。下着に茶色い染みがついていた。彼女は机に戻り、予約案内を取り出した。紙の上には夫の修正事項を書いたメモが貼ってあり、電話番号を見るには先にはがさなければならなかった。病院に電話をかけて待つ間、カレンダーの日付を確認した。4月1日。もとの予約日までは2日残っていた。電話に出た看護師は、出血がいつ始まったか、量は増えているか、ほかに症状はないかと尋ねた。紬は確かめたとおりに答えた。今日診察に来るよう言われ、パソコンで開いていた原稿を保存した。修正依頼にはまだ手をつけられていない部分が多かった。夫の部屋をノックしてみたが、中には誰もいなかった。朝出かけるとき、夕食は外で食べると言っていたことを思い出した。紬は炊飯器のスイッチは入れず、バッグを持って出かける支度をした。家を出る前に、小さな箱の蓋を閉めた。ハンカチは買ってきた日に折って入れたままだった。その上に何かをもう1つ置きたくて、ネットショップを見たことはあったが、注文はしなかった。カートに入れた薄い肌着を思い出したのは、玄関の鍵をかけてからだった。病院には予約時間より早く来た人が多かった。紬は受付で症状をもう一度説明し、案内された場所に座った。急いで歩いてきたせいで肩から滑り落ちたバッグを肩から下ろすと、ようやくスマートフォンの画面を見られた。直人から不在着信があった。かけ直すと、夫はすぐに出た。「どこ?」「病院に来たの。予約を早めてもらって……」「彩香のほうから何か連絡は来てない?」紬は待合室の壁に貼られた診療時間表を見た。午前の診療が終わるまで、まだ1時間以上あった。「何の連絡?」「この前また送ったんだろ。資料を確認してくれって」「私の問い合わせへの返事はまだ来てない」「イベントを控えて、向こうの担当者たちが神経質になってるんだって。もし連絡が来ても、先に俺に話して。今日は余計な返事を送ったりしないでよ」「今日はそのことで電話したんじゃないの」電話の向こうでドアを開け閉めする音がした。誰かが直人を呼ぶと、彼は少し待ってと答えた。誰に待てと言ったのかわからず、紬も言葉を止めた。「彩香のイベントの資料まで問題にしたわけじゃないよね?」「私の絵の名義を正してほ
last updateLast Updated : 2026-10-28
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13話 1話分の空白

直人は玄関の鏡の前でシャツの袖を折っていた。紬がキッチンで水を飲む間に、彼はジャケットを羽織っては脱いだ。篠原彩香のイベントで写真にどう写るかスマートフォンで確認していて、靴を履いてからもしばらく出かけなかった。「今日の夜は遅いよ。打ち上げまで行かなきゃいけないと思う」紬は壁のカレンダーを見た。4月5日の日付の上に、夫がイベントの名前を大きく書いていた。その下に自分の予定を書き足そうとした跡はない。病院の予定は、もう小さな部屋に置いた紙にだけ書いていた。「今日は休まないといけなさそう」「わかってる。昨日送った部分は見たよ」「原稿じゃなくて、体の具合が悪いの」直人は手に持ったスマートフォンから視線を外した。紬の前に置かれた水の入ったグラスを見て、冷蔵庫のほうを一度振り返った。「食べるものがなければ出前を頼んで。わざわざ俺を待たなくていいから」玄関のドアが閉まった後、紬は水をもう少し飲んだ。下腹部の痛みは朝からあった。数日前の診察後、出血が減ってきたようで安心したのは昨夜のことだった。今はトイレに行くたびに状態を確かめなければならなかった。病院でもらった案内を食卓に広げ、まず電話をかけた。土曜日の診療時間内だった。症状を説明する途中で痛みが強くなり、紬は少し言葉を止めた。受話口の向こうで看護師がもう一度名前を呼んだ。「聞こえています。でも、さっきより……」体を起こしかけ、食卓にまた寄りかかった。出血が急に増え、めまいがした。看護師は1人で動かず、すぐに救急の助けを求めるように言った。紬は電話を切ると、すぐに119を押した。住所を伝える間、スマートフォンが滑り落ちないよう食卓に置いた。玄関のドアを開けておくよう指示を受け、ゆっくり歩いて鍵を開けた。バッグは近くの椅子にあった。彼女は病院の封筒と身分証を入れ、それ以上動かないよう言われたとおり、玄関の近くに座った。直人には先に電話しなかった。誰かの許可を得たり、到着を待ったりする時間ではなかった。玄関の外から人の声が聞こえ、紬は中にいると答えた。病院では似た質問に何度も答えなければならなかった。妊娠を確認したときと最近の診察日、出血の状態が変わった時刻。紬はバッグに写真があると伝えた。看護師が封筒を取り出せるようバッグを渡し、覚えているとおりに答えた。ベッドの横のカーテンは端まで閉まっていた。
last updateLast Updated : 2026-10-28
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14話 水凪の契約

月曜日の午前、紬は診察の待合室で予約のメッセージをもう一度確認した。産婦人科の経過診察が終われば、同じ建物の別の階へ行かなければならなかった。先週予約しておいた消化器の診察だった。医師は流産後の状態を確認し、今後注意すべき症状を説明した。紬は説明を聞いて診察室を出た後、次の診療科で最近のことを伝えた。妊娠したことと流産した日を話す間、受付の人は必要な項目を静かに入力した。その話を最後まで聞いてくれた人には、別の言い訳は必要なかった。消化器の診察室で、紬は数か月前から胃のあたりが苦しかったと話した。最初は食事が遅れたせいだと思い、次は妊娠のせいだと思ったと伝えた。医師はどちらともすぐには結論づけなかった。食事の量や痛み、最近の変化について順番に尋ねた。「流産の前から、食べる量はかなり減っていましたか?」「はい。お腹は空くのに、食べ始めるとすぐに食べられなくなって」最近の検査結果を確認した医師は、胃の内視鏡検査を勧めた。紬は検査の方法と準備について説明を受け、可能な日を選んだ。翌朝だった。その時間を選ぶときも、夫の仕事の予定を先に確認することはなかった。4月8日の検査が終わると、彼女は着替えて説明を待った。医師は病変があり、組織を採取したと話した。検査結果を確認する必要があるという説明とともに、追加の画像検査の予定を決めた。紬は医師が画面のどこを指しているか見たが、色と形だけでは何もわからなかった。「悪いものなんですか?」「確認が必要な所見です。組織検査と画像検査の結果を合わせて説明します」家に戻って内視鏡の写真を広げ、また閉じた。ネットで似た画像を探して並べても、何が同じなのかわからなかった。ある人は何でもなかったと書き、別の人はまったく違う結果を書いていた。紬は検索画面を閉じ、病院でもらった次の予約を確認した。直人は紬が長く机の前にいないことを知っていた。その夕方も、パソコンの電源が切られた小さな部屋をのぞいた。「検査、まだ終わらないの?」「結果を待ってる」「いつ出るの?」日付を聞いた直人は、締め切りまであと何日あるかを先に話した。それから原稿が遅れ続けたら連載先にどう説明するのかと尋ねた。前にも真帆が日程を調整したのではないか、という言葉が続いた。「体の具合が悪いのを、俺が信じられないって言ってるわけじゃない」彼はそう言ってから、
last updateLast Updated : 2026-10-28
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15話 完成していない線

原稿をバッグに入れようとすると、一番古いスケッチブックが入らなかった。紬は角を無理に押し込もうとして、バッグを替えた。夫のイベント資料を入れていた大きなサブバッグだった。内ポケットから前のイベント会場の案内用紙が出てきたので、それだけ取り出して机に置いた。4月13日の午前、床に広げたスケッチブックは大きさからしてばらばらだった。文房具店で買った薄い練習帳の横には、表紙が外れて輪ゴムで留めたものもある。紙に書かれた日付は何年も離れ、後ろが丸ごと白紙のノートも目についた。夫の原稿が急ぎになると、描いていたページを閉じて、そのままにしていた。紬は完成した絵につけておいた青い印を確かめた。吹き出しと動きだけ決めておいたネームには灰色の印をつける。線を整えられなかった人物の中には、顔が丸だけのものもあった。ある年の絵は鉛筆が薄すぎて、後で撮影するときには別に光を当てる必要がありそうだった。1ページめくったところで、女が1人でパンを食べる絵に手が止まった。袋を開ける前は向かいにもう1脚椅子があった。食べ始めた後のコマでは、女が脱いで置いたコートで椅子が半分隠れている。紬は襟を描き直そうとして、ペンを置いた。今日は直す日というより、何を残すか決める日に近かった。体の許す分だけにしようと思い、原稿をもう一度まとめた。次の診察日を書いた紙はバッグの外ポケットに入れた。契約をした後も、原稿を選ぶ朝にも、その日付は必要だった。真帆は前日と同じ相談室で待っていた。今回はノートパソコンの横に、空のファイルと撮影用の台を用意していた。紬がバッグを下ろすと、真帆は手を伸ばしかけ、先に尋ねた。「取り出してもいいですか?」紬はスケッチブックから出してほしいと頼んだ。原稿の大きさが違うので、机の上に一度に広げることはできなかった。真帆は何冊かだけ開き、残りは椅子の上に立てた。2人の座る机の上に、鉛筆の跡や消した跡が続いた。「こちらは完成したものです。ここからはネームで」紬は印の色を説明した。真帆は灰色の印がついたページを開いた。場面の順番は読めたが、後ろへ行くほど人物の服や背景が省かれていた。最後のコマはドアの前に立つ人の位置だけが、矢印で示されていた。「これは、もう少し線を描くおつもりだったんですか?」「そのつもりでしたけど、今はわかりません」紬は紙の右端を押さえて広げた
last updateLast Updated : 2026-10-28
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16話 次の入院日

紬は返してもらった封筒を机の引き出しの奥に入れた。真帆が保管する原稿の一覧には、その封筒は載っていなかった。一覧を折ってファイルに挟んでも、机の上にはまだたくさんの紙が残っていたので、すぐに必要な病院の案内からバッグに入れた。4月16日の診察には、予約の時刻より少し早く着いた。前の検査資料がきちんと届いているか確かめて座っていると、看護師が最近の食事の量を尋ねた。紬はちゃんと食べていると答えかけ、前日に食べたものを順に話した。口にしてみると、自分で思っていたより少なかった。診察室では検査結果と体の状態を一緒に見た。医師は病気がどこまで広がっているかさらに確認し、治療計画を決めるために入院して評価を受けるよう勧めた。食べる量が減ったことも併せて調べる必要があった。「何日くらいと考えればいいですか?」「検査やお体の状態によって変わることがあります。まず入院して必要な評価を行い、計画をご説明します」紬はカレンダーを開いた。医師が待ってくれる間に、画面に夫の予定が表示されたので、自分の予約を書いた小さな手帳を別に取り出した。4月23日の横には何も書かれていなかった。「その日にしてください」彼女は日付を書き留めた。病院では、それまでの間にも症状が強くなったら、予定日を待たずに連絡するよう言われた。診察室を出ると、真っ先に来週の原稿のことが浮かんだ。紬はメッセージ画面を開こうとした手を止め、入院の持ち物の案内から読んだ。足りないものを書き留め、薬局に寄ってから家に帰った。直人に日付を話したのは、その日の夕方だった。彼はモニターから目を離さず、どのくらいかかるのかと尋ねた。「まだわからないの。検査ももっと必要だし、治療の計画を決めるって」「じゃあ、検査にどれくらい時間がかかるかもわからないの?」「やってみてから決めるんだって」紬はバッグから案内を出し、食卓に置いた。直人は紙を読む代わりに、メッセージで届いた修正依頼を確認した。来週までに渡さなければならない原稿に問題が出たという。登場人物がけんかする理由がわかりにくいという意見だった。「その部分は俺も手を入れてみたんだけど、前後がまた合わなくて」「今回はあなたが整理しないと」直人は笑うように口元を動かした。「急に君が抜けたらどうするんだよ。休むにしても、渡すものは渡してから休まないと」入院して
last updateLast Updated : 2026-10-28
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17話 閉ざされた仕事部屋

5月7日の朝、旅行用バッグは玄関に置かれていた。紬は病院から持参するよう言われた書類を確認し、スマートフォンにタクシーの配車画面を表示した。まだ呼び出しボタンは押していなかった。後ろから直人が紙を1枚差し出したからだった。「これ、1行だけ見て」紬は時刻を確かめた。8時55分だった。「もう出ないと」「病院は10時だろ。読むのに1分もかからないよ」彼が持ってきたのは祝いの動画の台本だった。先週資料を送った後、追加撮影用にもう一度直してほしいと依頼が来たという。紬が書いていない文が途中に入っていた。古い原稿から人物のセリフを抜き出し、作家自身の経験であるかのようにつなげた部分だった。「これ、登場人物が言った言葉でしょう」「だからちょっと変だなって。俺が言ったことみたいに変えられない?」「削ればいいよ」「削ったら前の動画と合わないって言ってるだろ」直人は紙の向きを変え、紬のほうへさらに押し出した。紬はスマートフォンを食卓に置き、削る文に印をつけた。出発を遅らせずにできる最後のことだと思った。線を引くと直人は、その後に続ける言葉を尋ねた。「それはあなたがやって。考えてあるんでしょう」「今のまま渡せってこと?」紬はペンを置いた。直人は撮影担当者に電話をかけ、30分以内に送ると言った。紬にできるかどうかも聞かずに交わした約束だった。通話が終わるのを待って紬がバッグを持つと、彼は小さな部屋を指した。「原稿も一緒に開いて見ないと。場面の順番が変わったから」「今日はできないって言ったよ」「入院してもすぐに何かするわけじゃないだろ。受付が少し遅れるだけじゃないの?」「あなたが決めることじゃない」声が大きくなると、直人はリビングの窓のほうを見た。外で聞く人を意識するその動きのせいで、紬は思わず抑えようとした声を、そのままにした。「病院に行かないといけないって、何度言ったと思う? 日付も2回変えたの」「だから今日終わらせてから行けばいいだろ」直人は同じ説明を繰り返しながら、撮影担当者にまた電話をかけた。通話が終われば出かけられると思ったが、終わるたびに別の紙を差し出した。小さな部屋の机には前日に印刷した場面が残っていた。紬は夫がそれを口実にまた引き止めないよう、確認の終わった紙だけを手に取った。パソコンをつけて新しく直すつもりはなかった。リビング
last updateLast Updated : 2026-10-28
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18話 担当の終了

5月7日の午後、紬は入院用バッグを横に立て、改めて診察を待った。朝に予定していた手続きは変わっていた。体の状態を診てもらい、必要な処置を受け、次の診察を決めるまで、バッグは椅子の横に置いたままだった。職員が予定を確認しながら尋ねた。「次はこの時間に来られますか?」「はい。来られます」紬は手帳に日付を書き、新しい予約を確認した。翌日また病院へ行き、その後の調整を経て5月12日に入院した。荷物を解くと、バッグからしわになった案内が出てきた。先週使うはずだった紙だった。彼女は捨てずに別の書類の下へ入れた。入院中の一日は、検査と診察の時間に合わせて流れた。その合間はベッドに横になって休んだ。直人からファイルの場所を尋ねられると、フォルダーの名前だけを答えた。いつ家に帰るのかという質問には、退院の日はまだわからないと言った。病院でパソコンを使えるかという問いには、答えずにおいた。医師は病気が胃の外まで広がっていると説明した。手術ですべてを取り除くのは難しい状態で、薬物治療を含めた可能な方法を検討しなければならなかった。紬は説明を聞きながら手帳を開き、ペンを置いた。今回はすべてを書こうとせず、先に耳を傾けた。「それでは、手術はしないんですか?」「今確認できている範囲では、手術で取り除く治療を優先するのは難しいです。病気の進行を抑える治療を検討しながら、食事の問題や痛みも併せて調整する必要があります」「何もできないわけではないですよね?」医師は、今できることと、体の状態に合わせて調整すべきことを分けて話した。紬は治療を受けたいと答えた。可能ならいつ始められるかも尋ねた。入院中は、食べられる量や不快な症状を伝えることも治療の一部だった。痛みが少ないと答えれば早く家に帰れる気がして、ついそう答えそうになる癖が残っていて、看護師に尋ねられるたびに紬は少し考えなければならなかった。いつ痛みが強かったか、食べた後に何がつらかったかを話すには時間がかかった。それでも、その言葉を書き留める人がいた。退院の会計をしながら、紬は自分の口座の残高を確認した。個人原稿の前払い金が入ってから初めて支払う入院費だった。金額を確認して支払い、残ったお金で次の診察と移動に使う費用を計算した。家に生活費がいつ入るのか直人に尋ねる必要が減った分、自分の予約を先に書き込めた。退院時に
last updateLast Updated : 2026-10-28
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19話 残しておいた順番

青い印のついた原稿を数えながら、紬は17番目で手を止めた。前に数えた束をもう一度数えていた。紙をすべて床に広げれば一目で見えるだろうが、かがんで立ち上がることを何度できるかわからなかった。彼女は机の上に5編ずつだけ置くことにした。順番を決めた束は左に、まだ確かめていないものは右に置いた。原稿を整理する方法まで、昔と同じである必要はなかった。6月29日だった。窓の外ではエアコンの室外機の音がずっと聞こえていた。紬は風が直接当たらないよう椅子の向きを変え、真帆から受け取った撮影データを開いた。紙に残った場面と画面に表示された場面を並べて確認できた。6月も診察は続いた。治療を受けた後に体調が悪くなって次の投薬を調整したこともあり、食事が難しかったり痛みが強くなったりして予定の外来より先に連絡した日もあった。紬は調子のいい日にできることをまとめて終わらせようとし、翌日ほとんどベッドから起きられなくなってからは、時間を短く分けた。今日は午前中に原稿の前半だけを見るつもりだった。真帆と会う午後までに全部終えなければならないとは、誰にも言っていない。立ち上がって休んでいる間は、作業一覧の印が増えなくてもよかった。最初の束を開くと、雨上がりのバス停が出てきた。女が濡れたベンチの一席を拭く最初のコマだった。紬はその絵を前にして、しばらくほかのページをめくらなかった。見慣れた場面の始まりと、自分の名前が同じ一覧に書かれていた。その後に入れる原稿は一度には決めなかった。カップを洗いながら窓のほうを見る女の話は少し前に、降りる場所を通り過ぎて花屋に入る話はその後に置いた。1人でパンを食べる女と服を選ぶ女が続くと、2編の間に別の季節の場面を挟んだ。女が同じ場所に立ち止まったままの人として読まれてほしくなかった。戻り、出かけ、何もしない日もあったのだから。紬は新しいセリフを書く代わりに、すでに描いた場面の間隔を見た。数年前に描いた紙には、当時の日付が余白に残っていた。最近1コマを変えた原稿もあった。紬は修正した日付と変えた部分を作業一覧に書き足した。元の絵と修正後の絵を同じファイルだと取り違えないよう、真帆が求めた印だった。病院へ行った日の場面は、その日以降に描いたものだった。春に書き留めたメモをもとに、後から構図を直した場面には、その時期も残した。紬は実際に経験したことと
last updateLast Updated : 2026-10-28
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20話 出なかった電話

直人は引き出しを開け、ネクタイを探していた。必要な色を言わず、あのとき締めたものとしか言わないので、紬にはどれを指しているかわからなかった。リビングから戻った彼がシャツをベッドに広げると、袖口が彼女のバッグに引っかかった。 「検査に行くときのバッグ、別のところに置けない?」 紬はバッグを椅子の横へ移した。中の書類は取り出さなかった。前日に診察を受けて帰宅し、入れておいたままだった。 7月8日の朝だった。直人は翌日の授賞式の動線を確認しながら、今日もリハーサルと関係者との約束があると言った。紬が食卓に置いた水の入ったコップを持つと、彼は遅れて彼女のほうを見た。 「明日は行けそう?」 「行けないと思う」 「まだそんなに具合が悪いの?」 「うん」 直人はそこでようやく、しばらく彼女を見た。紬はカップを食卓に置いて待った。どこがどんなふうに悪いのか尋ねられたら、前日に聞いた話から伝えればいいと思った。 「じゃあ家で休んで。イベントが長引いたら座っているのもつらいだろうし」 彼は出席者を確認する画面に戻った。家族席に名前を書く欄が見えて、消えた。紬は誰に連絡しているのか尋ねなかった。自分が行けない席に別の人を座らせることまで確かめたくなかった。 「夕食は?」 「今日は外で食べる。明日も早く帰るのは難しいと思う」 紬はうなずいた。夫はまたネクタイについて尋ねた。彼女が知っているのは、引き出しのどの段にネクタイが入っているかまでだった。 「一番下の段にあるよ。そこで探して」 直人は引き出しを強く閉め、また開けた。しばらくして見つかったとも言わず、スマートフ
last updateLast Updated : 2026-10-29
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