魘されるという言葉の面白さは、その曖昧な輪郭にある。古典的な怪談では幽霊や妖怪に取り憑かれる状態を指したが、最近の『呪術廻戦』のような作品では、呪いの影響で自我が侵食されるプロセスとして描かれる。この表現の強みは、外部からの影響と内部の心理状態の両方を暗示できる点だ。
あるキャラクターが魘されている時、それは単に悪夢を見ているだけでなく、その世界観における何か大きな力の存在を匂わせる。例えば『
屍鬼』では、村人が吸血鬼に魘される過程が、伝染病のような広がりと個人の葛藤の両面から描かれる。魘されるという状態は、恐怖だけでなく、時には誘惑的な危うさも帯びる。現実では説明できない何かに引き込まれる、その不思議な引力こそがこの表現の真骨頂と言える。