詩の翻訳は常に難しい挑戦だが、『道程』の英訳を読むと、言葉の選び方一つで作品の印象がどう変わるかがよく分かる。原文の簡潔さを保ちつつ、英語のリズムに乗せようとする翻訳者の苦心が伝わってくる。英語版では特に動詞の選択が重要で、『出来る』を『is made』とするか『comes into being』とするかで、詩の哲学的な深さの伝わり方が変わる。
英語版の『道程』を初めて手に取った時、驚いたのはその文体の変化だった。日本語の簡潔で力強い表現が、英語ではより哲学的な響きを持つ文章に変容していた。例えば『僕の後ろに道は出来る』は英語では'A road will be made behind me'と未来形で訳され、日本語の現在形とは違った時間感覚を感じさせる。
高村光太郎の『道程』を英語で読む体験は、まるで違う楽器で演奏された同じメロディーのようだ。日本語の原文が持つリズムと漢字の持つ重みは、英語に訳すとどうしても軽やかさに変わってしまう。特に『僕の前に道はない』という冒頭の一節は、英語では'I have no road before me'となって、日本語の『ない』が持つ絶対的な否定のニュアンスが薄れてしまう気がする。