言葉の選び方次第で同じ像がずいぶん違って見えることが、
ヘカトンケイルの英訳でいちばん面白いところだと感じる。古代ギリシア語の原語は〈Ἑκατόγχειρες〉で、直訳すれば“百の手を持つ者たち”という意味になる。英語では一般に 'hundred-handed' や 'hundred-handed ones' と訳されるが、ここでの選択が読者の受け取り方を大きく左右する。
まず単数扱いか複数扱いかという点。集団名として 'the Hecatoncheires' と固有名詞化すると、物語上でひとまとめの勢力として機能しやすい。一方で 'a hundred-handed giant' のように単独の怪物として訳すと、個別の巨大な存在としてイメージされる。続いて 'hand' と 'arm' の違いも無視できない。'hand' は器用さや数を強調し、'arm' は力や武器性を想起させるため、戦闘描写の受け取りが変わる。
さらに古いラテン語伝統で用いられた 'Centimani'(百の手の者)や、ヴィクトリア朝的な言い回しである 'hundred-handed giants' のような翻訳は、「巨人」としての側面を強調する。これもギリシア語の原意である“手の数”から逸れて、『巨人』という別のカテゴリーに彼らを組み込んでしまうことがある。出典でよく参照される 'Theogony' の文脈を踏まえると、翻訳者がどの語を選ぶかで読者が彼らを“勢力”“個体”“兵器的存在”のどれとして読むかが決まるのだと、強く感じている。